敵を愛し、迫害する者のために祈れ

 廃ホテル内で階段上に佇むワムウと対峙するシーザーは背後に感じた気配に振り返って瞠目した。ここにいないはずの少女がナチス兵のコートを着て銃を持っていたら、彼でなくとも驚いたことだろう。ライフルは虚像のようにどこかぼんやりとぶれている。以前より優秀な波紋使いとして成長した彼の目はようやくスタンドの虚像を映すことが可能となっていたのである。だがその銃がスタンドと呼ばれる能力によるものだとまでは知らない。
 薄暗い屋内でも千里の表情ははっきりとわかる。前髪に隠されていない右目は鋭く研ぎ澄まされ、冷静に、冷徹に敵を見据えていた。シーザーより小さな体がまとう雰囲気はぴりぴりとしている。初めて出会ったときのことをシーザーは思い出す。そして彼女は決して守られる側ではないのだと気が付いた。

「千里!? きみはイタリアに帰ったはずじゃあ……」

 その問いに答える代わりにシーザーを一瞥した千里は彼の右隣まで歩みを進め、銃口をしっかりと階段上のワムウに狙いを定めた。屋外では蜃気楼のように姿を捉えられなかったのは風のプロテクターをまとっていたためだとは知らないが、その原理に興味はない。彼女にとって一番大切なのはシーザーの生存である。彼が瀕死の重傷を負ったとしても結果的に生きていればそれでいい。スタンドがそこまで敵に通用するとは思っていないが、目的が敵を倒すことでなくシーザーを生かすことならば可能性はあるかもしれない。

「きみは波紋が使えないのだから早く逃げるんだ!」

 仲間の警告を黙殺し、アサルトライフルを構えたまま微動だにしない千里をワムウが見下ろす。彼からしてみれば千里は闖入者、神聖なる決闘に水を差す邪魔者でしかない。木陰に隠れていた女が波紋使いでないことはシーザーが証言している。ワムウの目には千里の持つそれが見えないため、丸腰の女が加勢に来たとしか思っていない。

「下がれ女。波紋戦士ですらない者に用はない。闘いの邪魔をするな」
「ただの殺し合いに邪魔もなにもあるものか」
「なんだと……?」

 ぴくりとワムウが反応し、威圧感が増した。戦士として闘いに誇りを重んずる彼にとって決闘を殺し合いと称されたことを許容できるはずがない。波紋の戦士との一騎打ちを邪魔されるだけではなくそれを殺し合いと侮辱されたのだから堪らない。
 これ以上敵を刺激するのは危険だとシーザーは千里の肩を強く掴んだ。彼一人なら勝機はあるが、戦闘中千里を守りきる自信はない。なにせ左腕はワムウに受けた攻撃により骨折しているのだ。攻撃の構えに移るワムウに焦りを覚えながら、その肩を引く。

「千里、逃げるんだ! きみの敵う相手じゃあないッ!」
「――あなたが死んで悲しむ人がいる」

 前髪が邪魔をして隣に立つ千里の瞳を見ることは叶わなかったが、その言葉は間違いなく彼に向けられたものだ。シーザーはそれが以前自身が千里に言った言葉だと気が付いた。だがどこか含みのある発言だ。未だ素性の知れない彼女がなにを知っているのか。言葉の意味を問おうとしたシーザーにワムウの攻撃が放たれた。
 階段上のワムウの両腕から放たれる竜巻をシーザーがシャボンで防御した隙を狙い、千里がアサルトライフルの引き金を引く。フルオートで響く銃声とともにワムウの体に無数の弾丸が食い込むが、そもそも柱の男に銃は効かない。礫がぶつけられている程度にしか感じないワムウはシャボン・カッターを避けながら千里に竜巻を放つ。それを横に跳びながら避け、千里は引き金を引き続けた。床を転がる彼女を庇うようにシーザーが前に出て再度シャボン・カッターを放つも、ワムウはそれを回避する。その後ろから千里が手榴弾を投げたが、彼女の投擲モーションからなにかを投げられたと把握したワムウはすかさず竜巻を放つ。手榴弾はワムウに届く前に炸裂した。

「逃がすか!」
「逃げも隠れもせぬ」

 新たに放たれた竜巻を再度シャボンで防御しようとしたシーザーだが、その勢いに押されて吹き飛ばされる。竜巻はシャボンにより軌道をそらされ、天井に直撃した。その威力に天井に大きなひびが入る。その隙に千里が階段を駆け上がり、一気にワムウと距離を詰めた。アサルトライフルの代わりにショットガンを発現させて一発、その顔面めがけて発砲するも、即座に放たれた竜巻が弾丸をすべて吹き飛ばす。そのまま自身へと向かってくる竜巻を避けるため、階段の手すりを乗り越えて下へと飛び降りた。受け身を取りながらシーザーの動きを目で追う。自身が戦力にならずとも二対一でばらばらに攻撃をしかければ、敵の隙が大きくなる。ワムウの意識が少しでも千里に向けば、それだけシーザーに攻撃のチャンスが増す。千里はそれを狙っていたつもりだったのだが、あいにくワムウは戦闘の天才である。一人の波紋戦士と一人の非波紋戦士を相手に充分立ち回って見せていた。それでも波紋を含んだシャボンの攻撃を受けて確実にダメージを蓄積させていく。
 竜巻が屋根を支える柱の一本をへし折った。あれを一発でも受けたら無事でいられないことは二人の目から見ても明らかだ。できる限り二人が一所にまとまらないよう意識しながら行動する千里の意図を知ってか知らずか、シーザーはできるだけ千里を庇おうと動く。ワムウに見えないそれはシーザーに見えるため、彼女の攻撃を認識することは可能だ。千里の動きから戦いなれていることはわかったが、それでも波紋使いでないというその一点がシーザーの行動指針を決める一因となる。シャボンでワムウの攻撃を防ぎながら、シーザーはオーバーコートと手袋を脱ぎ捨てる千里に接近した。

「千里、隙を見て逃げろ。きみのそれはワムウに効かない」

 目立った傷はなくとも竜巻を防御する術のない千里は細かな傷をたくさん作っていたが、その目はずっとワムウに向けられたままだ。シーザーの言葉を聞き入れてくれる気配もない。これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないと駆け出そうとした千里の肩を掴み、語気を強める。左目が見えないために反応が遅れるのか、左半身への怪我が多い。

「柱の男と因縁のないきみが無理に戦う必要はないんだ。無関係な戦いで命を落とすものじゃあない」

 千里はこの戦いで死ぬ気なのではないかと一抹の不安がよぎる。銃撃がまったく効かないとわかっているだろうにワムウへの攻撃をやめないそれが無謀か無茶なものにしかシーザーの目には映らなかった。おとなしくイタリアに戻らず戦闘に参加した少女の意図はわからない。二人の間に割って入る竜巻の攻撃をシャボンで受け流し、シーザーは再度千里に近づく。軌道をそらされた竜巻はまた天井にぶつかった。

「千里! 聞いているのか」
「……少しの間でいいから敵の意識をそらしてほしい」
「なにをする気だ? きみが逃げるためならいくらでも時間を稼ごう」
「遠距離ではきりがない。直接攻撃する」

 なにを、とシーザーが問いかける前に千里が彼を突き飛ばした。ワムウの攻撃を避け、彼女はそのまま走り出した。緑色のマフラーが翻る。