敵の意識をそらしてほしい、とシーザーに告げたまま走り出した千里はワムウに向かって二丁のサブマシンガンをフルオートで連射する。さほどのダメージにならないとしても、小蝿にたかられているような不快さに対して竜巻を放とうとしたワムウだが、そうはさせないとシーザーはシャボン・カッターを発生させて滑らせた。千里になにかしらの策があるとしても、波紋の使えない彼女はどうしたって圧倒的に不利である。
「くらえワムウ! シャボン・カッター・グライディン!」
階段を駆け上がる千里に攻撃が向かないよう、シーザーが反対側の階段経由に飛ばしたシャボンがワムウの脚部を切り裂く。波紋を帯びた攻撃にワムウは顔を歪めてバランスを崩し、踊り場まで転げ落ちる。千里はその隙を見逃さず、よろめきながら起き上ろうとするワムウに突っ込んだ。波紋も使えないただの少女の拳など彼にとって避けるにも値しない攻撃だ。さらに彼は千里の両手になにかしら握られている様子もないと確認し、波紋の使えない人間の直接攻撃ならば防御する必要はないと判断を下す。それでもその太い腕で千里を薙ぎ払おうとするが、大振りの動作では回避はそこまで難しくない。だが彼女は回避を選ばずそのまま突っ込んだ。ワムウの指先が脇腹を抉っていこうとも、立ち止まることも躊躇うこともなく、千里は左の拳を打ち込んだ。その拳をワムウの腹は捕え、ずぶりと飲み込む。
「千里ッ!」
シーザーが叫ぶ。自身の腕が飲み込まれていく中、千里が冷静に敵を見上げた。灰色の隻眼がワムウを射抜く。ただの人間らしからぬ戦意を含んだ瞳が細められた。波紋の使えない脆弱な人間だとしても、闘いを殺し合いと侮辱しようとも、強敵と対峙して戦意を失わないどころか眉一つ動かさない姿にワムウは惜しいと思った。これで闘いに対し誇りを持つようであれば立派な戦士だったろうにと、狼のような瞳を持つ少女に対しての印象を改める。
刹那、肉体に吸収されつつある少女の拳の質量が増した。危機感を抱いたワムウが直感に従って千里の腕を切り落としてその体を殴り飛ばそうとするも、それよりも早く体内のそれが破裂した。爆発音とともにワムウの腹が弾け飛び、背にまで貫通して穴が開く。吹っ飛ばされた千里は階段を転がり落ち、全身を強く床に打ち付けられながらもその目はしっかりとワムウを見据えている。
シーザーが駆け寄り抱き起す。血反吐を吐き出した彼女の左腕は肘から下が失われていた。むき出しの骨を伝って血液がしたたり落ちる。抉られた脇腹からも血が流れ出ている。
外側からの銃撃は効かず、またダイナマイトを飲み込んで腹の中で爆発させても平然としているほどの強靭な肉体を敵が持っていると聞いていた千里は、腹の中でも内臓の外側ならば、と一か八かでワムウに吸収されかけた拳の中で手榴弾を発現させて爆発させたのである。内臓の壁がダイナマイトの爆発に耐えられるほどに強くとも、それを覆う肉までもが強いとは限らない。そう推測した結果の行動であったのだが、間違いなく賭けであった。通常人間同士で手榴弾を近距離で爆発させれば肉体はばらばらになって吹っ飛ぶ。柱の男の強靭な肉体だからこそ決行した作戦だ。それなりのダメージを与えられるのならば腕の一本程度、安いものだ。むしろ千里が腕一本だけしか失っていないことを考えれば、やはり柱の男の肉体の強靭さは異常だということになる。
「ぐぬッ……貴様ァ……」
徐々に治癒していく腹部の穴を軽く手で撫で、ワムウが一歩踏み出す。その足がなにかに触れた。細いワイヤーと湾曲した小さな箱の存在にシーザーが気付いた瞬間、先ほどとは違う破裂音とともに小さな箱から無数の鉄球が飛び出し、ワムウに突き刺さる。それにのけぞり一歩下がれば再度ワイヤーがワムウの足に絡みつく。背後からも同数の鉄球が撃ち出された。ワムウに接近した際に千里が設置した指向性対人地雷である。彼女が直感的に発現させた新たな武器だ。ワイヤートラップと連動して爆発するそれには七百発ものベアリング弾が入っている。ワムウにしてみればただの銃撃と同程度の攻撃であるが、蓄積された波紋のダメージと腹部に受けたダメージの治癒が間に合わぬまま追撃されれば多少なりともダメージにはなる。手榴弾一発程度で効果があるとは思っていなかった彼女が考えた策である。
「千里、大丈夫かッ!」
「早く波紋を」
肩で息をする千里の額に汗が浮き出ている。脇腹と左腕の止血をする暇などないと起き上がり、その隻眼を敵へと向ける。全身を襲う激痛に体の主導権を奪われそうになるが必死に耐える。どれだけ千里が攻撃をしようとも、決定打を出せるのは波紋の使えるシーザーだけだ。
立ち上がり、踊り場から二人を見下ろすワムウはすでに攻撃のモーションに移っていた。腰を落とし、両腕を前に突き出す体勢にシーザーは見覚えがあった。千里を背後に庇う。
「もう有無を言わせぬ。秘技! 神砂……」
「おっと待ちな。周りをよく見ろ!」
シーザーの声につられてワムウが上空を見上げる。室内いっぱいに浮かぶシャボン。彼とて闇雲に攻撃をし続けてきたわけではない。
「今までのシャボン・カッターはそのまますでにシャボン・レンズとなって滞空していたぜ!」
「レンズ!?」
「そして貴様がぶち砕いた壁の穴は! いわばカメラの開きっぱなしのシャッターのようなもの!」
ワムウがホテル内へと逃げ込む際に破壊してできて壁の穴から太陽の光が差し込み、薄暗いホテル内を照らし出す。そしてその光を受けて宙に浮かぶシャボンが輝きだした。
「レンズが、外の日光を――ホテル内へ!」
反射を繰り返し、シャボンが幾筋もの光をホテル内へと導く。日光の届かない室内の隅々までを明るくし、それでも反射を繰り返す光の筋はワムウへと突き刺さった。何本もの光の槍が彼の体を貫いていく。
「なにィーッ!!」
柱の男にとって最大の弱点である太陽の光に全身を貫かれ、それに耐えきれずワムウが苦痛に呻く。波紋の攻撃一発よりも何倍もの強力なそれを受けながらワムウは残る力で胸部から管を突き出した。それに先に気付いた千里が血をまき散らしながら階段を駆け上る。次いでシーザーがワムウの目的が日光から逃れるために再度風のプロテクターをまとおうとしているのだと察して駆け出す。千里は残った右手に大型のハンドガンを発現させた。発砲すれば反動で肩が抜けるだろう程度の威力を持つそれを撃てるのは一発限りだ。肩が抜けては照準を定められない。
銃口を向ける千里と直接波紋を流し込んでとどめを刺そうと跳躍したシーザーの二人分の陰がワムウを覆った。たった一瞬、瞬きする程度の短時間であれ、日光を遮られた瞬間をワムウは見逃さなかった。その腕が再度突き出される。
「風の流法……神砂嵐」
しまった、とシーザーが察した瞬間、ワムウの闘技が炸裂する刹那、千里が渾身の力で跳躍し、全身を使ってシーザーを突き飛ばした。同時に発砲する。シーザーは軌道からそれて神砂嵐の直撃を免れたが、それでも神砂嵐は彼の体を引き裂いていく。身を挺した千里に至っては右肩の関節が抜ける感覚と同時に神砂嵐が直撃した。銃弾は当然ワムウの攻撃に押し負け、彼の眉間には届かない。
神砂嵐は二人をずたずたにするどころか、ホテル内までも半壊させた。ぱらぱらと大きくひびの入った天井から小さながれきが落ちる。全身から血を垂れ流して倒れ伏すシーザーと千里を一瞥し、ワムウは膝をついた。全身に受けた日光による激痛に荒い息を繰り返す。究極生物と呼ばれようとも、天敵の太陽から受けるダメージは絶大だ。自己治癒できるとはいえ、完治までには時間がかかる。
先に起き上ったのはシーザーであった。震える両足に力を入れてどうにか立ち上がった彼に波紋を練るだけの力はほとんど残っていない。それでもワムウへと立ち向かう。しかし彼の拳には波紋どころか力もこめられていないため、防御も拳を吸収する必要もないほどに弱弱しい。最後の悪あがきに等しいそれを受けてワムウはやめろと諌めるが、シーザーは拳を下ろさない。満身創痍の彼の指先がワムウの唇を捉えた。解毒剤入りのピアスをちぎり取る。にやりと薄くシーザーは笑った。そして倒れこむ。
倒れる刹那、シーザーの視線は上体だけを起こした千里に向けられた。神砂嵐の直撃を受けたが意識はあるようだ。立ち上がろうとするも両足を引き裂かれ、両腕も使えないため立ち上がれずにいる。
「千里……」
シーザーの呟きが届いたらしい。頭だけが動いてシーザーへと向くが、前髪に隠されていない右目は閉じている。額から流れる血のせいで目を開けないのだとシーザーは気が付いた。左目が開いていようとも、元々そちらは失明している。骨がむき出しの左腕と、だらんと力なく垂れ下がる右腕が痛々しい。
視力を奪われた千里はゆっくりと周囲を見回すように頭を動かす。そして閉じられた双眸がワムウへと向けられた。満身創痍ながらも迷いなくまっすぐ向けられるそれにワムウの全身が粟立った。また、未だ失われていない戦意に対して惜しいとも思った。もっと違う出会いをしていれば彼女も立派な戦士として自分と対峙していたことだろうと。少女の戦う理由がシーザーを守るためだと彼は気付いている。
天井から落ちてくる小さながれきの量が増し、腹の底に響くような地響きにシーザーは天井を見上げた。それまで度重なる攻撃でひびの入っていた天井が神砂嵐の衝撃に耐え切れず、崩れ落ちる。その真下には片腕のない千里が座り込んでいる。右肩は抜け、全身の筋肉を切り裂かれているため動けない。目元の血を拭おうにも腕が動かないために視界も奪われたままだ。
「千里逃げろ! 天井が落ちるッ!」
千里が身を挺したことによって神砂嵐のダメージが半減されたとはいえ、シーザーのいる位置からでは彼女を助け出すには遠すぎる。だが彼女は全身の骨がやられているため動けない。仮に動けたとしても、すでに視界を奪われた千里にはどこへ回避すればいいのかすらわからない。シーザーの悲鳴がホテル内に響き渡る。
予定調和か。彼女の中ですとんとなにかが落ちたような気がした。それが歴史の自己修正力と呼べるものかはわからないが、ワムウとの戦いでシーザーが生き残る代わりに千里が死ぬ。彼女の存在自体イレギュラーではあったが、後の世から見ればワムウとの戦いで一人が命を落とした事実と一致する。彼女はシーザーがワムウに敗れたとだけ知っているだけであって、どのように死んだかまでは知らない。だが残念ながら千里には自身が死ぬ結果の先、シーザーが無事生き残るかどうかまで確かめる術を持っていなかった。残った聴力だけがシーザーの声を拾うばかりだ。
「千里ーッ!!」
シーザーの叫びは天井の崩れ落ちた音に掻き消えてしまった。ワムウは彼らに背を向ける。
その後、合流したジョセフとリサリサによりシーザーとメッシーナは病院に搬送されて戦線離脱したこと、崩れ落ちた天井のがれきをどかしても死体がないどころか人が潰れた痕跡すらないことを千里が知ることはなかった。