時間の流れは早い。シーザーが千里の元を訪れたのは夏の訪れを身近に感じるころだった。それから数ヶ月後に千里は留学のためにイタリアへと渡り、気づけば秋を通り越し、街ではクリスマスイルミネーションの飾り付けが始まっていた。シンプルなイルミネーションが頭上で輝く。
街中の雰囲気がクリスマスのそれに変化していく中、学校でもやはり自然とその話題となり、留学生たちの話も当然それになる。大半の留学生は家族と過ごすために母国に帰省する。一方で航空チケットが高すぎて買えなかったり元々家族とともに過ごす習慣のない一部の留学生はイタリアに残る。
千里は前者の予定である。祖父母に引き取られてからはクリスマスは家族で過ごすものだと学んだからだ。日本に両親といた頃はクリスマスの過ごし方をよく知らなかったが、今となってはそれが当然のものになっている。それに帰省先が酷く遠いわけでも、航空チケットの金額が恐ろしく高いわけでもない。あえてイタリアに留まる理由もなかったため、シーザーに問われた際も千里はそう答えた。シーザーに妻子はいないが親戚はいると聞いている。おそらく親戚たちとクリスマスを過ごすのだろう。
千里が帰省するならば例年通り妹の家族とクリスマスを過ごすことになりそうだとシーザーは考える。千里が帰らないとなればそれに合わせるつもりであったが、祖父母を誰よりも大切にする彼女がそれを選択するはずがないと思っていたため、想定の範囲内である。また、早めにクリスマスプレゼントを用意しなければとも思った。加えて千里の誕生日はクリスマスホリデーの少し前であるからその準備もしなければ。クリスマスと誕生日のプレゼントを一緒に渡すというのは少々つまらないが仕方がない。
さて、プレゼントは何にしようと考えながらシーザーはワイングラスを傾ける。もう何度目かもわからない夕食だ。作るのはいつもシーザーの役目である。
「友人たちとクリスマスパーティーをしたりはしないのか?」
「誘われましたが、そういうのはあまり好きではないので」
温野菜にフォークを刺した千里が答える。なるほど、とシーザーは内心頷いた。千里は賑やかな場をあまり好まない。それに彼女の年頃の若者たちはなにかと酒を飲んで騒ぎたがるものだ。アルコールは決して口にしないと言っても過言ではない千里がパーティーを敬遠するのも頷ける。騒がしい場所もアルコールも千里の苦手とするところだ。
本当は友人との関係を円滑に築くためにもクリスマスパーティーに参加したほうがいいとは思うのだが、本人が乗り気でないのならばあえて勧める必要も無い。それにどこの馬の骨ともわからない男に千里が唆されるのも我慢がならないため、彼女がパーティーに参加する気がないと知って安心しなかったと言えば嘘になる。正直言えば安堵した。
「だがクリスマスカードくらいは書くだろう? 準備は早い方がいい。次の休みにでも買いに行こうか」
返事はない。しかし灰色の目は一瞬伏せられ、夏のころより長くなった髪が揺れる。言葉にせずとも意思の表示は明確だ。
シーザーは千里からクリスマスカードをもらったことがある。昨年のクリスマス、千里はリハビリと義肢の訓練を行うためにアメリカのSPW財団の病院にいた。エアメールでシーザーの元に届いたカードには少し歪んだ字でシンプルな一文が添えられていただけだった。それがリハビリ中の利き手で書いたものか、それとも利き手とは逆の手で書いたのかシーザーには判断しかねた。しかし彼にとって、千里からクリスマスカードをもらったという事実だけで充分だった。ジョセフもカードをもらったようだったが、そんなことはどうでもいい。必要なのは事実だけである。
「そのとき一緒に誕生日プレゼントも買おうと思っているんだ。ほら、千里の誕生日はもうすぐだろう?」
温野菜をつついていたフォークが動きを止める。シーザーに向けられた瞳にはわずかばかりの驚きが浮かんでいた。基本的に千里は自分自身に関するつまらない情報は一切口にしない。自身の誕生日をシーザーに告げたことだってなかったはずだ。
「――知っていたのですか」
「当然じゃあないか。おれは千里のことはなんでも知っておきたいんだ」
学校に提出する書類へ身元保証人のサインをする際に千里のプロフィールを見たことは秘密だ。戸籍だって血液型だって、学歴まで全部知っている。だがそんな数ヶ月前の書類のことなど千里は覚えていなかった。そういうものがあったことくらいは覚えていても、シーザーがそこにサインをする際に彼女の誕生日を見て知ったとまでは予想できない。
おおかた祖父にでも聞いたのだろうと千里は実際とは違う答えを導き出す。どうせ知られて困る情報でもない。それよりも改めて誕生日プレゼントをもらう必要性を見出せない。マグカップを始めたくさんの物を買い与えられたし、ついこの間は寒くなるからとマフラーをもらっている。加えて誕生日プレゼントだ。シーザーの性格的にクリスマスプレゼントも別途用意するだろうとなんとなく予想できた。これだけ物をもらうようなことを千里はした覚えがない。申し訳ないと思うより先に理解ができなかった。
シーザーは眉尻を下げ、苦笑を漏らす。千里の感情の読み方は慣れてしまえば簡単だ。千里には欲がなく、物をもらって喜ぶほど無垢でもない。必ずそこに意味を見出そうとするから、彼女は贈り物ばかりするシーザーの行動を理解できずにいるのだ。
「それだけ千里のことを大切に思っているのさ。それにきみはおれの命の恩人だ」
「恩返しのつもりならばやめてください。――それにわたしは一度あなたを見殺しにしようとした。感謝される義理はありません」
「なら、きみのことが好きだから、と言ったら納得してくれるか?」
千里は視線をそらし、閉口する。その言い方は卑怯だと思った。好きだの嫌いだのと個人の感情が混ざれば冷静な話し合いは不可能だ。それに彼女はそんな感情を知らない。年頃の少女ならば誰しもが夢見るだろうそれを一度たりとも抱いたことがなかった。
シーザーと一緒にいるところをクラスメイトに見られた際、彼が好きなのかと問われたことがある。千里は言葉短くそれを否定した。ハンサムな彼が独り身ならもったいない、狙えばいいのに。別のクラスメイトにも言われたが、その感覚は理解できなかった。人間は感情で動く生き物だと知っている。だがもったいないだの、狙うだの、人間を物のように扱うことまでは同意できなかった。
「――あなたは、いつもそうやってわたしをからかう」
「からかってなんかいないさ。千里に対してはいつだって誠実でありたいからな」
それ以上は呆れて言葉にならなかった。千里は皿に残る温野菜をフォークで刺す。嘘ではないことは考えずともわかる。だがそれに対する答えを千里は持ち合わせていなかった。関心を失ってしまえばそこでおしまいである。だから千里はシーザーの快活な声に含まれた緊張にも、そこから来る震えを押し殺そうとして机の下で強く握られる拳にも気付くことも当然なかった。平和な生活は彼女の感覚を鈍らせる。
「……きみは」
形だけの苦笑を浮かべてシーザーが呟いた。千里はシーザーとの間に明確な一線を引いている。それはやはりストイックを通り越して無言の拒絶なのだろう。どれだけシーザーが自身の気持ちに素直になり真摯に向き合おうとも彼女は見向きもしない。