予定通り、次の休日にシーザーと千里はクリスマスの準備のために買い物へ出かけた。だが買うものはそれだけに留まらない。シーザーお気に入りのチーズやココアに浮かべるマシュマロ、新しいコーヒー豆なども一緒に買うものだから自然と荷物が増える。しかしそのほとんどを千里は持たせてもらえない。許されるのは軽いものをいくつか、それ以外はすべてシーザーが持ってしまう。
果たして自分が彼の買い物についていく必要があるのかと千里はまま思う。千里の役割と言えばウィンドウショッピングに付き合ったり、どちらがいいかと問われて答えたりするくらいのものだ。物欲に乏しいから欲しいものも特にない。荷物持ちとして見られていないためにいつもシーザーの少し後ろを歩くばかりである。時折女性に声をかけられる姿を眺めるときもあるが。
早々にクリスマス関係のものを買い終えてしまった千里は紙袋一つ持ってシーザーを追いかける。祖父母へのクリスマスプレゼントは目ぼしいものがなかったためもう少し他の店を見て回るつもりだが、クリスマスカードはシンプルなものを購った。シーザーへのプレゼントは特にサプライズを狙っているつもりはないために直接彼から好みを聞いて買うつもりでいた。やはり買うなら当人が欲しいものを買った方がいい。
レジ越しに店員と話し込むシーザーの後ろ姿をぼんやりと眺める。チーズを買いにきたのだから目的は明確なのだが、先ほどから真剣に話し込んでしまっているため会計を済ます気配がない。しかもかなり早いスピードのイタリア語であるから千里は聞き取れず、話の内容を理解できなかった。ゆえに話の終わりがわからない。仕方なしに店内をゆっくりと見回す。
「かわいいシニョリーナを放置してチーズにお熱だなんて、なあ。まったく困った人だ」
別の店員が千里に話しかける。灰色の瞳がシーザーから店員へと向けられた。あの様子だとおそらく長引くだろうから。店員が差し出す試食用のオリーブの塩漬けを一つ千里は口にした。嫌いな味ではない。こういう味がワインと合うのかと考えるも、あいにくワインの味はわからない。
「きみだろう、ツェペリさんの家にホームステイしてる子ってのは。何度も自慢されたよ。とっても素敵で魅力的な女の子だ、って」
自身もオリーブをつまみ、店員が微笑む。
「ほら、腹が立つけどあの人見た目がいいから女の子にはよく言い寄られるんだが、本命の子は今までいなかったみたいでさ。だけどやっと得心がいったよ」
熱弁をよそに千里はオリーブの種を紙ナプキンの中に吐き出してゴミ箱に捨てた。大粒の種が入ってはいるものの味は好みの部類に入る。いくらでも食べられる、というわけではないがたまに食べたいと思うかもしれない。
自身に対するシーザーの感情表現が日に日にストレートになっていることに千里は気が付いている。イタリア人は感情表現が豊かすぎると学校でよくよく学んでいたため、シーザーも地が出てきたのだろうとくらいにしか思わなかった。そう思うよう努めているのかもしれない。なぜなら千里はそれに対する答えを持っていない。
いつか買おうと思う日が来るかもしれないと、オリーブの品名を聞こうとして千里が口を開きかけるも、それよりも先にシーザーが割って入った。千里の肩に手を置く。
「おいおい。おれの目を盗んで彼女を口説くのはやめてくれないか」
「それは酷い言い草ですね。どこかの誰かさんがこのシニョリーナをほっといてるからお相手をして差し上げていただけだってのに」
「ほう……? そういえば聞いたぞ、結婚したんだってな。だが他の女性ばかりを気にかけてたら奥さんに愛想を尽かされると思うんだが?」
「それが残念、おれはうちのカミさんに大変夢中でしてね。それに彼女もおれ一筋だから、天地がひっくり返ったって愛想を尽かされることはありませんよ」
盛大に惚気てみせる店員を前にしてシーザーはにっこりと大げさすぎるほどに笑んでみせ、千里の肩を抱き寄せる。彼女の左肩に触れた際、上着越しに硬質なそれの感覚を得るも顔色一つ変えることはなかった。彼女がそれをどう思っているのかは知らない。シーザーにとっては大切な千里の一部であることには変わりないが。
「愛しい人に夢中なのはおれだって負けないさ。なにせ寝ても覚めても考えるのは彼女のことばかりだからな」
この話題になればシーザーはいくらでも強気になれる。本人に面と向かって告げるための言葉を持っていなくとも、それが他人に自慢しない理由にはならない。
シーザーがそれを自覚したのはそう昔のことではないがつい最近のことでもなかった。恋心を知らないほど無垢ではない。だがそれでも自覚するまでに時間がかかってしまったのは恋愛に手慣れてしまっているためか、はたまたその感情が恋愛という枠組みにはまりきらなかったためか。
半世紀という時間をかけて肥大しすぎた感情を突き詰めれば結局一つに集約される。好きではなく愛していると言うのだろう。恋人のように初々しく甘酸っぱい毎日を送りたいのではなく、家族のように当たり前の存在としてともに人生を歩むことを欲している。いい年してなにを今更と思わないこともなかったが、残念ながらこの感情は抑えきれないものだとシーザーはとうの昔に学んでしまっていた。
「これは困ったホストファミリーなことで。ステイする側も苦労しそうですね」
「まさか、学生の本分を邪魔するつもりは毛頭ない。彼女の意思を尊重するくらいの理性は残っているんでな」
ちらりとシーザーは千里に目を向けた。彼らの会話を聞いているだろう千里は大人しくシーザーの腕の中にいる。彼女の語学力ならば二人の話すスピードについていけないだろうし、知っている単語単語が聞き取れる程度だろうから話の内容にはほとんどついていけないはずだ。店員もそれに気づいているようだ。しかし千里は勘が鋭いため雰囲気でなんとなく感じているかもしれない。
一体なにを考えているのだろう。想像を巡らせてみるも千里の表情はまったくヒントにならないため、やっぱりシーザーにはわからない。だから少しくらいは気にしてくれているだろうかと期待してみる。
「そういえば千里、オリーブを試食していたみたいだが気に入ったのなら買って帰ろうか?」
「チーズはもう買ったのですか?」
「いや、会計はまだだ。――そのオリーブの塩漬けももらおう。チーズと一緒に包んでくれ」
レジにいるもう一人の店員に目配せをしながら店員が苦笑する。棚から瓶詰めのオリーブを一瓶とオイルサーディンの缶詰を一つ取ってレジに置いた。千里に向かってウインクしてみせる。
「こいつはおれからシニョリーナへのプレゼントだ。ツェペリさんに泣かされたりしたらすぐに言うんだぞ」
「おいおいおい変なことを言うんじゃあない。きみだって奥さんを泣かせたりしたら承知しないぞ」
言い合う二人の男を尻目に千里はシーザーの腕の中から抜け出した。手早く会計を済ませる。
男二人を一瞥して店員は苦笑した。陽気な会話は別に珍しいことではない。しかし国民性の違う外国人から見たらまったく違うように映るのだろう。例えば目の前の少女。これまでの様子を見る限りだとシーザーの口説き文句に対してあまり真に受けず流しているように思える。きっと苦労していることだろうと紙袋にシーザーがオーダーしたものとは違うチーズを一つ入れた。千里が目を瞬かせた。
「これはおまけだ。ツェペリさんの相手は大変だろうが頑張れよ」
「――ありがとう、ございます」
紙袋を受け取り、少女はわずかに破顔した。表情筋が動いたことに彼女自身は気が付いていない。その後ろでは二人の男はなおも言い合いを続けている。