数日前、クラスメイトに告白された。唐突であったために少々面食らいはしたが、千里は断った。気を遣い、言葉を選ぶことを覚えた彼女は簡潔に告げる。残念そうに彼は苦笑し「やっぱりな」呟く。そして、ホストファミリーの男がいるからだろうと言われ、千里は訝しげに相手を見上げた。なぜそこにシーザーが出てくるのか理解できなかったからだ。
聞けばクラスメイトたちの間で千里のホストファミリーはなかなかの男前だと噂されているらしい。街中で千里と共にいるところをよく見られていたようだ。だから千里はガードが固いのだと。さらに話を聞いているうちに噂の出どころを知ることとなる。バールで働いているあのクラスメイトが犯人だった。
「あいつ、千里のホストファミリーに一目惚れしたみたいなんだが、どうやらホストファミリーはきみにお熱のようだからって」
ここは千里を応援することにしたと言っていたよ。おれも好きな女の子の幸せを願って応援することにしよう。彼は言う。まったく意味がわからない。それが千里の感想である。
千里の知る限り件のクラスメイトとシーザーが会ったのは以前マグカップを買いに行った時のことのみだが、それ以降も接触があったのだろうか。街中で見かける程度ならよくあったのかもしれない。
どうやらシーザーは彼が千里に気があると思っていたようだが、それは違うと千里は知っていた。彼女が聞いた限りあのクラスメイトはゲイだ。最初から知ってる。
異性同性関係なくシーザーは好かれやすい。そこには尊敬の念も含まれているのだろう。街を歩けば四方八方から向けられる視線の山。知り合いもとても多いらしく、あちらこちらから声をかけられる。彼の容姿は波紋の力によって若く保たれているし、しかも見た目とは裏腹に年相応の落ち着きと懐の深さを持っている。つまり、非の打ち所がない。シーザー・A・ツェペリは誰からも好かれ、愛される男だ。
その中で千里は考える。今は独身の彼だが、もしも将来その隣に誰かが立つことになったとしたら果たして自分はどう思うのだろうかと。シーザーを慕う女性は多いし、結婚に年齢は関係ない。別に彼が独身を貫く理由もないはずだ。
馬鹿なことだとは自覚している。考えるだけ無意味であるともわかっている。愛の言葉を囁かれても、その可能性を考えてしまう。なにをしようともシーザーの自由だと割り切れるのか、それとも嫉妬の一つでもするのだろうか。
少なくともいい気はしない。きっとそれが千里自身の答えなのだろう。
鏡に映る自分をぼんやりと千里は見つめる。普段は化粧っ気のない少女の顔には幾許かの色彩が乗せられており、髪もまた軽くウェーブがかけられている。まったく見慣れない姿に豹変してしまった自身に、さすがの千里も戸惑わずにはいられなかった。プロの手にかかかれば、とはよく言ったものである。
少しくらいはめかし込まないと言い出したのはシーザーだ。専門の者を手配したのも彼である。どうやら知り合いにいたらしい。
しかしというか、やはりと言うべきか、見慣れない自身の顔には違和感がある。いつの間にか用意されていたアクセサリーが首元を飾っているし、日常ならば決して着ることのないだろう丈の長いワンピースも相まってどうにも落ち着かない。少しばかり気恥ずかしく、またむず痒い。身の置き所がなくて困り果てていた。
それに剥き出しの義手がどうにも不恰好で不釣り合いで落ち着かない。ストールで隠していたとはいえ、外に出るときは少々勇気が必要だった。普段ならばまったく気にしなかったことだろうが、いつもとは違う格好の自分と、自分をエスコートするシーザーの存在が千里を気後れさせる。しかも決して安くはないだろうリストランテでディナーとなればなおさらのこと。
シーザーの手を取り車から降りる。ゆるく曲げられた彼の腕に手を添えてエスコートされる自身が別人のように思えてならなかった。
「いつものきみも十分魅力的だが、特別な日の千里もとても綺麗だ」
出来栄えに満足したのか、テーブル越しにシーザーが微笑む。不思議な人だと思っても口にはしない。シーザーが満足ならばそれでいいかと思える程度には彼女も融通が利くようになっていた。
「千里が義肢をあまり見られたくないと言っていたから店を借り切ったんだが……こんなに綺麗なきみを他の男に見せたいとは思えないから、うん。やっぱり借り切って正解だったな」
唐突なそれに対してまさか、と千里は閉口した。客が自分たち以外にいないと気付いてはいたが、まさか店を借り切っていたなどとは初耳である。いや、薄々予感はしていたが考えないようにしていた。義肢を人目にさらしたくないためその気遣いはありがたいが、そこまでしなくてもと思う。特別扱いされることに喜んでいいのかどうかわからない。つまるところ、やりすぎだ。
「――あなたという人は」
「ん? どうした?」
当然のことながら悪意など微塵もない笑みを前にして、千里はそれ以上を言う気にはなれなかった。呆れる気すらすでに失せている。今更呆れるほどのことでもないのかもしれない。
「あなたには驚かされてばかりです」
わずかばかりの皮肉を含めつつ、せめてもの抵抗のつもりで千里が呟く。しかし彼女の目的に反してシーザーの顔から笑みがこぼれ落ちた。
「嬉しいことを言ってくれる。きみの驚く顔はとても貴重だからな」
精一杯の皮肉もこうして受け流されてしまえば白旗を揚げるしかない。元より勝負にすらなっていないのだが。
考え込むことはすでに放棄している。本来ならば舌鼓を打つべきほどに美味しいのだろう料理の味もわからない。なぜそのようなことになってしまっているのか、千里は理解しているつもりだ。誤魔化すようにスパークリングウォーターを一口飲む。
普段の千里ならばこのような茶番に付き合うことなど決してないだろう。そこまで他人と関わることを望んでいないし、くだらないと思えばすぐに席を立つ。あの五十日にも満たない旅の間だってそうだった。こんなにも人と深く関わることなど、家族以外にあっただろうか。
「……あなたのことがこんなにも頭から離れないなんて」
それは無意識に口からこぼれたものだった。予想だにしていなかった言葉にシーザーは思わず硬直せざるを得なかった。常日頃もてはやされるその整った顔も今は形無し、間抜けそのものだ。
しかし千里はシーザー以上驚いていた。鉄色の瞳を大きく見開く。言い終えてから気付いてしまったのだ。言葉以上に自分は目の前の男に入れ込んでしまっていると。
気まずく視線をそらす千里を眺め、呼吸と瞬きをいくつか。心の整理をするために少しばかり時間をかけて、そうしてようやくシーザーは彼女の言葉を理解した。
「Incredibile!」
額を抑え、天を仰ぐ。胸の中のものをふんだんに含んだ呟きは喜びを隠しきれていない。
全身が発火したようだ。嫌でも緩む口元に、抑えられない感情。いつもの冷静さも格好よさもすべてかなぐり捨てて、笑わずにはいられない。
信じられない。まさにその一言に尽きた。千里のために用意したワンピースもアクセサリーもディナーも、なにもかもが霞んでしまった。それほどまでに千里の言葉がシーザーを支配する。
嬉しくないはずがない。喜ばないわけがない。しかも無意識に飛び出した言葉なのだから、千里の本心に相違ない。意中の人からあなたに夢中と言われて喜ばない男がいるだろうか。
歓喜を噛みしめつつ、シーザーはようやく視線を戻す。だが千里は己の発言に気まずさを覚えてか、そっぽを向いてしまっていた。目に見えて動揺している様子は本当に珍しいことだ。
しかし羞恥だろうか、その頬はわずかに紅潮していた。