人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ

「荒唐無稽ね。子供騙しにもならないわ」

 千里の言葉を聞いたリサリサの第一声はそれだった。小馬鹿にするように、また蔑むように見下す女の視線を浴びながら千里は面倒だと思った。シーザーも真に受けていない様子であり、これは煩わしいと思わざるを得ない。だが想定の範囲内であったことには間違いない。
 千里は端的に、そして単刀直入に超常現象を信じるかと尋ねた。無駄に言葉を選ぶより、その方が簡単だったからだ。信じてもらえるとは思っていない。頭のおかしい少女だと思われようとも、それでこの話題が終わればそれでよかった。下手に嘘を積み重ねて無駄な熱量を消費したくない。

「ならばこれ以上は時間の無駄です」
「そう……ならば力尽くでも聞き出さなくてはならない。あなたが敵かどうかをね」
「先生!」

 三者共々当たり前の反応だ。千里は保身を望まないし、リサリサは警戒を解かない。シーザーに至ってはどちらの味方につくべきか決めかねている。波紋の使い手が二人とスタンド使いが一人。互いの手の内は知られていない。

「とりあえず吸血鬼、ではないようだけど」

 それは冗談だったのか本気だったのか。どちらにしろ、その一言に千里の片眉が器用に跳ね上がった。心底不愉快だと右目が語る。そして忌々しげに彼女は吐き出した。

「あのような不愉快な生物と一緒にしないでいただきたい」

 初めて露わにした感情。シーザーもそこでようやく少女がただの一般人ではないことに気が付いた。彼女も吸血鬼の存在を知っている。その異形たちにはシーザーやリサリサの力が有効な対抗策だ。ならば千里も波紋を扱えるのかと思ったが先ほどの様子からどうやらそうでもないらしい。波紋使いでなく吸血鬼と関係がある少女の正体がさらにわからなくなる。
 目の前の少女が吸血鬼に対して並々ならぬ憎悪を抱いていると察したリサリサは眉を顰めて唇を固く引き結ぶ。彼女の両親は吸血鬼に殺され、その吸血鬼と舅は相討ちだったと聞いている。また彼女の夫はその吸血鬼が作り出したゾンビに殺されている。師は愚かなことに吸血鬼と化して消滅し、自身の守る秘石も間接的にだが吸血鬼と繋がる。少女もまた身内を吸血鬼に殺されたのかとリサリサは考えたが、それにしてはあまりにも鋭い瞳。まるで手負いの獣ようだと彼女は思った。少なくとも子供がしていい瞳ではない。

「その目、穏やかじゃないわね」

 灰色の隻眼がリサリサを見上げている。未だベッドから起き上がった状態ながらもすでに臨戦体制に入っている少女には素直に感心した。だがまだまだ甘いとも思う。リサリサとて伊達に年を食っているわけではない。数日ぶりに目覚めた少女の体が万全に動くはずがなかった。急に動けば体は軋み、痛みを伴って悲鳴を上げるはずだ。ゆえに、リサリサが千里を押さえつけることはさほど難しいことではなかった。波紋を使うほどのことでもない。

「−−その吸血鬼の名を教えなさい」

 シーザーの諌める声を聞き流しながら少女の頭をベッドに押し付ける。リサリサやSPW財団から隠れて存在する吸血鬼がいるのだとすれば、それはなにも知らないで生きる人々の脅威となる。それだけは絶対に防ぐべきだとリサリサの正義が叫ぶ。
 簡単に押さえつけられてしまったことに歯を噛み締めながらも、それを教えるべきか否か千里は逡巡しなかった。あの憎むべき男はこの時代、大西洋の海底で眠っているのだ。これをチャンスと言わずしてどうするのか。元の世界で読んだ資料に具体的な座標も書いてあったことを彼女は覚えている。ゆえにサルベージ船より先んじて棺桶を引き揚げることができれば遠い未来、わざわざエジプトに向かう必要がなくなるのだ。男の存在自体を認めず、その存在を跡形もなく消し去ることができるのならば彼女は躊躇しない。卑怯だろうが関係はなかった。そのためなら多少の屈辱も甘んじて受けることはできる。

「DIO」

 口にするだけでも嫌悪すると言いたげな口振りで発された名を聞いて大きく目を見開いたリサリサをシーザーは訝しむ。それも彼が理由を知らないためである。瑞々しい果実のような女性らしい唇をわななかせつつも努めて冷静を保とうとしているが、リサリサは自身の感情を押し留める自信はなかった。その名を聞いて冷静でいられるはずがなかったのである。
 髪の間からぎょろりと千里の目が彼女を見上げる。リサリサの様子を伺っているらしい鉄色に揺らぎはない。嫌な目をするとリサリサは思った。

「それは……ディオ・ブランドーのことですか」
「昔はそのような名だったようですが」

 淀みなく答える少女の言葉に少し思案したのち、リサリサは一つの結論を出した。頭を押さえつける手の力を緩める。跳ね起きた千里を一瞥し、シーザーへと目を向ければ困惑した様子の彼と視線が交わった。彼に聞かせるには少々難しい話になる。

「シーザー、席を外しなさい。わたしは彼女と話さねばなりません」
「先生! 彼女がまだ敵だと決まったわけでは……」
「安心なさい。ただ話をする必要があるのです」

 納得した様子ではないながらも素直に部屋を出ていく弟子の後ろ姿を視界の端に映しながら、リサリサは千里と向き直った。抜き身の刀とも手負いの獣とも称することのできる少女から未だ戦意は喪失されていない。身構える姿も様になっている。

「自己紹介がまだだったわね。わたしはリサリサ、この島の主です」

 今度は千里が大きく目を見開く番だった。彼女がエリザベス・ジョースター。ジョセフ・ジョースターの母、つまり空条承太郎の曽祖母。なぜ彼女がここにいるのかまでは千里も知らない。知っているのは資料上の情報だけだ。
 そこで彼女はようやく波紋の存在を思い出す。吸血鬼に絶大な効果を持つ技術。目の前の女がそれの使い手だと資料にあった。そして同時に祖父の友人であったあの男も同様だと思い出し、そのためスタンドを出しても驚かれなかったことや不思議なシャボン玉について納得をした。

「あなたの名前、聞いてもいいかしら?」

 拒否権はないと威圧され、千里は思考を止めた。いつ元の世界にもどれるかはわからない。慌てたところで状況は好転しないだろう。だが吸血鬼を殺す手段を得られるかもしれない。利点があるのならば無駄に抵抗する意味はないと彼女は理解している。

「千里」

 それにしばらくは衣食住に困らないだろう。