どこまでリサリサに話したかといえば、ほぼすべて千里は話した。ほぼすべて、というのも千里は必要最低限でかつ確信のあることしか言わない。ゆえに最小限の情報がリサリサに伝わった。それでも重要な部分はしっかりと伝えていたために、リサリサも効率よく理解することができた。超常現象を容易に信じることはできないが、そのような荒唐無稽なことを千里が言うとは思えなかった。むしろ冗談を言うタイプではないと思ったのが正直なところだ。
結果、千里はエア・サプレーナ島に滞在することを許された。ただし期間限定の、とある財団の要人と面会するまでの間の処遇が確定しただけである。千里の話をすべて鵜呑みにしたわけではない。しかしそれが真実ならば、DIOの問題はリサリサだけでは対処できない問題であるため、彼を頼れば力になってくれると確信があった。ただ現在彼はメキシコの山奥に行っているはずだ。千里と引き合わせるのがいつになるかわからない。
一番最初に波紋の才能はないとリサリサから言われた千里は彼女の指示で師範代二人と組手を繰り返す日々を送っている。そうしてすでに一ヶ月が経過していた。左目が見えないと千里は伝えていない。言ったところでそれがどうした、その程度の問題であるからだ。ハンデがあるからといってそのような扱いを千里は望んでいない。
それまで波紋使いと相対したことのなかった千里にとって、波紋は未知の力である。資料から得た知識はあっても百聞は一見に如かず、実際に相手をしてみてわかることの方が圧倒的に多い。体術をそこまで専門的にしてきたわけではない千里は毎回毎回叩きのめされるばかりだ。だがさすがに波紋戦士用の修行は強要されていない。その代わり千里自身の取り決めで組手にスタンドは使わなかった。そもそも拳対銃では勝負にならないし、最終的に実戦で役に立つのは自分自身だとわかっているからだ。
焦る必要はない。この時代であの男を仕留める算段を得られそうならば、無理に元の時代に戻る必要もない。リサリサがそれと千里を引き合わせようとしている。
「筋は悪くないが、まだまだ甘い! 左側が隙だらけだぞ!」
ロギンズからのありがたくもないお言葉を頂戴しながら千里は背中から海へ落ちた。これも何度目のこととなるかわからない。泳ぐという行為にも慣れたものだ。水面に浮かび上がって髪を掻き上げる。わかりきってはいたが、やはり接近戦となると片目は不利だ。左側に隙があると知られれば当然狙われる。どうにか左から打ち込まれる波紋を帯びた蹴りを受け止めたはいいが、勢いに押し負け吹っ飛ばされた。目に見えない力は厄介だ。それに手加減されているともわかっている。こちらに来てから負けてばかりだ。だがこの程度で根を上げていては強くなれない。どんなに迂回しようとも、彼女の行きつく先にはあの忌々しい吸血鬼がいる。
陸に上がれるところまで泳ごうとしていた千里に船上からシーザーが声をかけた。彼は学校帰りである。塔から綺麗な弧を描きながら海に落ちる千里を見て、船頭に船を近づけるよう指示をしたのである。水面から灰色の目がシーザーを見上げる。冬の海の冷たさに唇が真っ青になっている少女や手を伸ばせば水の中から伸びた手がそれを掴んだ。引き上げた千里は特に厚着もしていない−−ありふれた白いシャツと黒のパンツ、しかも裸足だ。シャツは海に落ちて濡れたせいでグレーのタンクトップの色と胸の形をくっきりと浮かび上がらせている。それを見たシーザーが顔を赤らめることはなかった。なぜならすでに見慣れた姿、彼女はよく海に落とされるためである。そして千里もそのような姿を他人にさらして恥ずかしがるような性格ではない。恥じるよりも肌にシャツがまとわりつく不快感を前にして、躊躇いなくシャツを脱ぐ。タンクトップとパンツの姿になりながら、船の縁でシャツを絞った。寒いなんて一言も言わない気丈さはさすがだが、これでは風邪を引きかねない。シーザーは自身の上着を千里にかける。彼女は反応をしない。
「師範代は容赦がないな。千里が熱を出したらどうするつもりなんだ」
指先までが氷のように冷たい千里に、シーザーは顔を顰める。波紋が使えれば多少の寒さもカバーできるのだろうが、あいにく彼女は波紋が使えない。師範代たちは女の子に対して容赦がなさすぎる。相手が波紋の使い手でなかろうと、遠慮なく波紋を撃ち込んでいくのだから。一般人たる千里がこてんぱんにやられて当然である。なぜなら彼女は波紋の戦士ではない。
温めるようにしっかりと自分の手を握るシーザーのことなど千里はすでに諦めていた。彼はそういう男なのだと、理解するのにそう時間は必要なかったのである。手を握られる程度、大したことではない。別に死ぬわけでもないのだし、害もないのだから好きにさせておけばいいと判断したのである。それよりも早く熱いシャワーを浴びたいと思う。千里とて生身の人間なのだから風邪くらいは引く。だが風邪程度で寝込んでいいほど暇ではない。
「きみは女の子なんだから無理に戦わなくてもいいんだ」
何度目になるかわからない台詞を口にし、シーザーは千里の様子を窺う。男物の上着を肩にかけたびしょ濡れの少女は船の目指す先をじっと見つめているばかりだ。やはり話を聞いてはもらえないと彼は内心苦い息を吐き出した。千里のことは詳しく知らない。ただ、リサリサから彼女が島に留まることを聞いたのみである。
スージーQとは正反対の寡黙な少女。人の話はちゃんと聞いているようだが、人に興味を持とうとはしない。今だってシーザーに手を握られていようともまったく意に介さない。言われたことはやる。自主性がないわけではない。しかし自ら他人と関わろうとはしなかった。なにか難しいことを考えているように見えた。だが決して彼女がそれを他人に話そうとはしない。心を許しているとか許していないの次元ではないとシーザーは気が付いていた。彼女にとってすべてが瑣末、路傍の石なのである。
「明日から人に会いにローマに行く。しばらくきみに会えないのは寂しいな」
そう言ってみたところで千里の心を捕らえることはできない。冷えきった体を温めてやろうと僅かに波紋を流してみても、その行為に慣れきってしまった彼女が今さら反応を示すこともなかった。千里の視線はやはりエア・サプレーナ島に向けられており、なにを目指しているのか、またなにを睨みつけているのかやはりシーザーにはわからなかった。海辺で拾われてから一ヶ月、やはり彼女は心を他人に向けようとはしない。