力は弱さの中でこそ十分に発揮される

「お客様用の部屋を用意しておいて、ってリサリサ様が言ってたから手伝って」

 近日中にこの島に新たな滞在者が訪れることを示唆した主人の指示を思い出しながら、スージーQは新たな客人のための部屋の窓を開けた。いつも綺麗にはしているが、来るとわかっている人物のために改めて掃除くらいはしておきたい。これまでだったら彼女一人の仕事だったが、今は一人手伝いがいる。

「布団をバルコニーにかけておいて。あ、枕はよくふるっておいてね」

 スージーQの指示の元、千里は手際良く布団を干す。その動きに合わせて深緑色のマフラーがふわりと揺れた。こちらに来たときの服は千里の部屋のクローゼットにしまわれていたが、マフラーだけは修行のとき以外はつけていることが多い。単純に海水に濡らしすぎると駄目になってしまうからだ。それ以外では防寒と、やはり首の傷を隠すためである。
 日常の仕事は基本的にスージーQの役目だが、たまに千里も手伝っている。食事屋根付きの宿を提供してもらっていると思えば安いものだ。力はスージーQよりある。パワーアンクルのお陰もあって、この一ヶ月で筋力は確実に上がっている。
 考えてみれば半世紀前に飛ばされて一ヶ月、エジプトを目指す旅の期間を足せば大体五十日、さらに言うならばあの屑に等しい親に祖父母の元から引き離されて二ヶ月が経過している。初めは肩に着かない程度だった髪の長さも肩に充分届いており、その長さを鬱陶しがった千里は軽く後ろで髪を括っていた。暇を見つけて短くしようとは思っているが、修行の苛烈さを前にするとなかなかその時間も取れずにいる。一度、スージーQに鋏を借りようとした際、理由を尋ねられて答えたのだが、そのとき彼女から猛烈に反対を受けた。曰く、「せっかく伸びた髪を切るなんてもったいない!」とのことらしく、髪の短い女性が珍しくない時代だろうにどうやら彼女に取って髪を切るという行為は言語道断なものらしい。結果、千里は鋏を借りることができなかったわけだが。

「新しく来る人ってどんな人かしら」

 新しいシーツを広げながらスージーQは小首を傾げた。千里も詳しいことは聞いていない。なんとなく若かりしころのジョセフ・ジョースターが来るのではないかとは思ったが、確証はなかった。なにせ資料には彼らの私生活までこと細やかに書いてあったわけではないからだ。ゆえに千里はスージーQが将来ジョセフの妻となることも、承太郎の祖母であることも知らない。しかしこれから起こるであろうエイジャの赤石を巡る争いにジョセフは参加する。その登場はそう遠くないことだろう。資料によれば少なくともまずはローマのコロッセオでシーザーとともに柱の男たちの目覚めに立ち会うことになっていたはずである。
 万が一ジョセフ・ジョースターその人が現れたら歴史はどうなるのだろうと思わないこともなかった。この時代にいないはずの千里と五十年早く出会うことによって将来的にタイムパラドックスを起こす可能性もある。千里の存在がすでに未来で確定されているものなら、歴史の自己修復力によって大した影響を及ぼさないとも考えられた。だがどちらにしろ千里にとって大した問題にはならない。この時点でもとの時間軸に戻ることなどそこまで切望していない彼女にとって必要なのは力とDIOの目覚めを阻止することである。
 しかし若かりし頃の彼がどのような人物だったのか、想像はそう難しくないように思えた。六十を超えてなお、あのユーモアに溢れる性格、孫には伝わらなかったらしいウィットに富んだジョークなどを思い出せば、明るく、また賑やかな人物に違いないだろうと千里は思っている。一方でシーザーと馬が合うとは思えなかった。さらに賑やかに、いや騒がしくなるのかと思うと新たな客人を歓迎する気にはならなかった。それはジョセフに限ったことではない。そもそも彼女は馴れ合いを好まない。

「千里、ちゃーんと仲良くできる? シーザーのことだってまだ慣れてないことくらい私にはお見通しなんだから!」
「……」

 スージーQからの視線から逃げるように千里は顔を背ける。そもそも千里が他人と馴れ合うことがないだけなのだが、彼女はそこを勘違いしている節がある。「千里はクールでシャイだから、キザなシーザーが苦手なのよね」などと、思い違いも甚だしい独自の理論を披露したほどだ。スージーQにどう思われようが気にするほどではないと千里は思っているが、それでも随分とほだされたものだと思っている。これも彼らとの旅路が影響しているのだろう。たった二十日程度ではあったが、あの経験は確かに千里の人となりに影響を及ぼしていた。また常に気を張る必要のない環境とスージーQという同性の緩衝剤の存在もあってか、存外馴染むまでにそう時間は必要なかった。

「そういえば明日リサリサ様とヴェネツィアに行くんだっけ? だったら買ってきてほしいものがあるんだけど、いーい?」

 千里がふるった枕を受け取り、敷いたばかりのシーツの上に置いてぽんぽんと叩きながらスージーQが問いかける。その目的は聞いていないが、確かに千里もリサリサからそれを言われていた。付き人ついでの買い出し予定であるから、スージーQの頼みを断る道理もない。なにを買ってくればいいのかと千里が視線だけを向ければ彼女は少し恥じらいつつ、それでも同性に告げるためか遠慮はなかった。

「下着とー、この前買ってきてくれたドルチェとー、あと口紅も切れちゃいそうなのよねェー。それとそれと……」

 指折り数えだす少女に千里が少々うんざりしたことは否めない。この年頃の少女は総じてそうなのか。スージーQの生態は、それまで男ばかりの中で生活してきた千里には理解し難い部分が圧倒的に多かった。床に落ちているシーツを拾い上げ、千里は少女をちらりと見やる。元の時代の男たちも理解に苦しむ部分が多かったが、負けず劣らず彼女も不思議な生き物だ。

「――リストにしてくれ」
「あっ、そーよね! 今夜中に渡すからッ!」

 どこまでも天真爛漫で限りなく底抜けな明るさを前にして千里は少々眩しさを覚えた。