夜に轟く星の呼吸
よくも、まあ呑気なものだ、と無感動に千里は思った。ホテル内ならまだしも、野営で見張りを立てることもなく全員が寝袋にくるまって眠っているこの警戒心のなさ。人間の三大欲求に素直なことをとやかく言うつもりはなかったが、サマーキャンプではないのだと彼らはわかっているのだろうか。人間は酷く鈍感だ。イギーがいるだけまだましだと言えるかもしれないが。
砂漠は見晴らしがいいとは言い難い。砂の山や谷が視界を遮る。それでも街中よりは隠れる場所がないから索敵は比較的容易だ。逆に考えるならば敵の襲撃に対して身を隠す場所がないわけだが。どちらにしろベッドのない場所など呑気に寝るには適さない。
火を絶やさぬよう、たき火に枝を放り込む。ぱちぱちと枝のはぜる音、誰かの寝息やいびきばかりの静かな夜。到底眠れるはずもなく、千里は手の中でライフルを転がし、時たまスコープを覗き込んで周囲を見回す。今のところ、敵影はない。
切りつけるような真冬の寒さとはまた違うが、砂漠の夜は冷える。太陽のある昼間は暑く、なければ寒い。湿気のない気候だからこその気温差だ。マフラーを口元まで引き上げ、紫外線避けのマントを一層体に巻きつける。やはり寒さというやつには一向に慣れることができない。
「やっぱり、起きてた」
誰かの寝返りを打つ音かと思ったそれは、まどかが寝袋から抜け出す音であった。女の子が体を冷やすものじゃあないと、まどかの寝床はたき火の近くだった。目を開ければたき火の向こう側で千里が自身のスタンドを握って起きていることを認めて、彼女は起きることにしたのである。疲労が溜まっていても眠気が一向に訪れなかったのだ。
「見張り代わるから少し寝たら?」
まどかを一瞥しただけの灰色の瞳は炎の中に落とされる。マフラーの下で薄い唇が引き締められるも、彼女からは見えない動きだ。
寝たら、とまどかは言ってみたが、それで素直に睡眠を取るような友人ではないと知っている。寝袋は人数分あるのに決して使わないから、今はイギーの布団がわりになってしまっている。彼女が横になるのはベッドがあるときだけだ。野営のときは必ず座ったまま仮眠を取っている。少しくらい横になった方が疲れも取れるんじゃあないかとまどかは思うのだが、千里は地面に寝転がることをしない。敵襲にいち早く対応するためだといつか言っていたような気がする。
千里の表情はどこか固い。いつもとなにが違うのかと問われてまどかに明確に答えられる自信はなかったが、それでもやっぱり、固い。冷えた夜風が吹く。まどかはふるりと身を震わせた。寒いといえば寒いが、それでもまだ許容範囲だ。その向かいで千里の表情がまた固くなる。見落として当然なほどの些細な変化をまどかは見落とさなかった。直感が囁く。
「千里、もしかして寒いの苦手?」
いつも通り答えはなかった。しかしわずかに寄せられた眉間の皺が雄弁に語っている。それに灰色の視線をそらされた。やはり、そういうことなのだろう。意地を張ってるのかしら。そう思うと少しだけおかしくなる。
コーヒー飲もうかな。わざと呟いてみる。寒いならコーヒー入れてあげようか、なんて言っても返事がないのは明らかだからだ。意見を求めるのは無粋だし、用意してしまえば結局受け取ってくれると知っている。千里の扱い方はなんとなくわかってきている。
SPW財団の後ろ盾のおかげで水も食料も不足しない。だから砂漠越えなんて普通なら一筋縄ではいかないだろうに、コーヒー豆もミルもある。砂漠のど真ん中で挽きたてのコーヒーが楽しめるのもSPW財団の恩恵だ。千里が絶やさずたき火を燃やし続けていたおかげでお湯を沸かすことも容易だった。まどかは慣れた手つきでコーヒーをいれた。用意するコーヒーはもちろん二人分。
「熱いから気をつけてね」
ステンレス製のカップから湯気が立ち、香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。まどかがそれを差し出せば、千里は意外にも素直にそれを受け取った。やっぱり寒かったんだ。くつりと小さく笑ったまどかに怪訝そうな灰色の瞳が向けられる。なんでもないと嘯いて、まどかは彼女の手を思い出す。一瞬だけ触れ合った彼女の指先は固く、かさついていた。よく見れば火傷や切り傷なんかもある。華奢なまどかの手とは全然違う。刻み込まれた傷の数だけ戦い慣れている証拠なのだろう。それでも承太郎や花京院に比べれば白く、細い。紛うことなく女の子の手だ。当然といえば当然なのだけれど、共通点を見いだせたような気がしてまどかは少し嬉しくなった。日常の千里は女の子としてのそれに欠けていたから。
火傷しないようにゆっくりとコーヒーを飲みながらまどかは湯気と炎の向こう側にもう一人の女の子を見る。ライフルを肩に置き、コーヒーを飲む表情は相変わらずだが、それでも眉間の皺の数は先ほどよりも確実に少なくなっている。炎に照らし出された表情もどことなく和らいでいる、気がする。なんだか珍しいものを見たような気がした。