パラソルの下で約束を唄う
まどかの晴れ姿を前にして承太郎は幼馴染がどこか遠くへ行ってしまったような気がした。そもそもその兆しはあった。あの五十日にも渡る旅がきっかけだったのだとはっきりと言える。
友人に幼馴染の隣を奪われてから久しい。こんなにも明確に見せつけられると複雑な気分になるがそこでつまらない嫉妬をするほど承太郎も子供ではない。新たな夫婦の誕生を素直に祝うことくらいはできる。それが友人と幼馴染みの幸せなのだからなおさら。
「まだ千里は来てないんだね」
友人たちに囲まれる新婦の姿を微笑ましそうに眺めながら新郎は隣の友人を見上げた。さすがに今日は帽子をかぶっていない。わずかな隙すら見せないほどにきっちりと着こなすスーツはオーダーメイドだろう。派手ではないくせに周囲に埋没することなくしっかりとその存在を明確にさせている。さりげないところでこだわりを見せる男だから。
「あいつも来るのか?」
「有事がなければ大丈夫だって。それに休日待機はなさそうだって言ってたけど……」
あいつが誰を指すのか、確認するのも今さらだ。仲良し四人組、というわけではないが承太郎と花京院とまどかの三人が揃えば四人目は自ずと限定される。
千里が来ると聞いて承太郎が驚くのも無理はないと花京院は思う。彼らの中でもっとも多忙でもっとも休みとは無縁の生活を送っているのが千里だ。なにせ最後に会ったのが日本で高校生を生業としていたときだ。しかもそのときの彼女は留学生として日本にいた。東洋と西洋の血が入り混じる千里は短い留学を終えてからずっと祖父母の住む海外にいる。進学先は国防大学。卒業後は確か陸軍に入ったと聞いている。承太郎が結婚したときは確か長期の任務についていたとかで式を欠席していた(その代わり結婚祝いの品が送られている)。
時折まどかが連絡を取っていたために陸軍に入っていることだけは知っているが、軍人になってからの彼女のことは誰も知らないため、花京院は密かに楽しみにしていた。承太郎が驚いた理由もそこにある。まどかから千里の進路を聞いたときは晴天の霹靂だった。だが彼女らしいとも思った。千里にOLは似合わない。
「もしかしたら来ないかもしれないな」
「いや。どれだけ遅れても来るだろ」
「言うね。でも彼女は多忙なんだ。来れなくても仕方がない」
「花京院、忘れたのか? 千里は約束だけは違えないやつだぜ。あいつが今まで約束を守らなかったことがあったか?」
どれだけ信頼しているのか、確信に等しい承太郎の言葉に一つ頷き、花京院は式場を見回した。彼女が来ればすぐにわかる。平時静寂に溶け込んではいるが、いなければいないとわかるような存在だから、いればすぐに見つけることができる。承太郎とは正反対だ。彼の存在感は強烈に、また鮮やかに周囲に刻み込まれる。
「まだ千里は来ていないみたい」
友人たちの輪から離れて二人の元へ来たまどかの第一声は夫とまったく同じものであったために、承太郎は内心失笑するしかなかった。似た者夫婦とはよく言ったものだ。
あの旅でも承太郎と花京院、千里とまどかは正反対とまでいかずとも、それに近くはあった。先に拳が出るのが承太郎と千里ならば、それを留めるのが花京院とまどかのような。だからかもしれない。間違いなく似た者夫婦だ。
「昨日飛行機には乗れそうだって連絡はあったんたけど……」
「なら大丈夫さ。千里はきっと来る。承太郎もそう言ってるよ」
心配する妻の肩にそっと触れ、花京院は微笑んだ。今日の主役の二人をこれほどまでに待たせるとはまったく千里もいいご身分だ。遠くでポルナレフとアヴドゥルが会話している様子を眺めて承太郎は思う。彼女の登場を待っているものは他にも数人いるのだった。やはり誰が今日の主役かわからない。
ざわりと式場の一部がざわめく。何事かとそちらへ目を向けた者からざわめきに混ざっていくため、その異様な雰囲気が式場全体に伝染していく。イギーの鳴き声が聞こえる。例に漏れず承太郎も原因の根元に視線を走らせた。そして瞠目する。
新郎新婦を差し置いて注目の的になっている人物は周囲の反応も物ともせず、まっすぐ若い夫婦を見据えたまま背筋をまっすぐに歩み寄った。パンツスーツをぴしりと着こなし、踵を揃えて立つ彼女は相変わらずの仏頂面だ。最後に会ったときよりも精悍な顔つきになったような気がする。女らしくなったとは言い難くとも、エジプトを目指していたころの少女はもういない。いるのは一人の軍人だけだ。
「すまない。遅くなった」
深い響きを孕む声。今やその存在感は承太郎よりも強烈だ。なぜなら彼女の服装はドレスではなく濃いグレーのスーツなのだから。華やかさに欠ける服装だけでは留まらず、その服装に恥じぬ振る舞いは緊張感を帯び、式場にはどうしても不釣り合いな異質な存在になっていた。その上真っ白な手袋までしているのだから、ただの客には決して見えない。SPかなにかかと間違われてもおかしくないくらいだ。銃がよく似合う、と言ってしまえばそれまでなのだが。彼女の職業上、違和感はなにもなかった。だが結婚式という場にしてはやはり違う。
最初に我に戻ったのは承太郎である。想定の範囲外、ではない。想像すらしていなかった。そもそも彼女がドレスなんて着るのかと考えていたほどだ。だがどこかで彼女らしいとも思っていた。驚きをごまかすように承太郎は口元に弧を描く。
「かなり遅かったじゃあねえか。時計くらいは読めると思ってたんだが?」
「――今朝つく予定だったが、予定の便に間に合わなかった」
「それで、せっかくの華やかな場にも関わらずドレスもねえってか」
「用意する時間がなかった」
千里のしれっとした様子にそれまでまどかが思わず笑い出す。いくつになろうとも中身は相変わらずだと思ったのだ。驚いていることが馬鹿馬鹿しい。つられて花京院も笑い出した。心外だと言わんばかりに灰色の瞳がじろりと向けられる。
数年ぶりの再会にも関わらず、誰もなにも変わっていない。誰一人として変わっていないことに安心し、安堵してしまったために気が抜けてしまったのだろう。連絡を取っていたとはいえ実際に彼女と会うのは久々のことであったから、誰よりも一番まどかが不安を抱いていた。それを知っているのは胸の内を明かされた夫だけである。勝手に不安がって勝手に安心したなんて言ったらきっと千里は呆れることだろう。
様々な感情が入り交じって滲み出た涙を拭い、ごめんなさいとまどかは謝る。しかし笑いを抑えることはできない。未だに花京院は笑っている。呆れたと言わんばかりに千里が小さく息を吐き出した。呆れた承太郎が「じじいたちに千里が来たことを伝えてくる」とその場を離れる。残されたのは笑い声を上げる夫婦と笑われる千里だ。
彼らの笑いが収まるころには千里の視線も酷く冷ややかなものになっていた。辟易しているようだった。
「すまなかった。あまりにもおかしかったから……少しはゆっくりしていけるのかい?」
「いや、今夜の飛行機で帰る」
「ええっ!? ごめんね、無理して来てもらわなくてもよかったのに……」
「友人を祝うだけのことだ、大したことではない。――とにかく、祝いの言葉を言う時間だけでもあってよかった」
結婚、おめでとう。酷く静かなアルトボイスが祝いの言葉を述べる。言葉数少なく、無駄な行動は一切しない千里とて、友人たちの幸せを祝うことくらいは知っている。そのためならばタイトなスケジュールの合間を縫って海外に赴くことなど造作もないことだ。
そんな友人の事情など露知らず、感極まったまどかが彼女に抱きついた。以前ならばその行為に躊躇いを覚えたはずだったが、今はそんな余裕もない。ただただ大切な友人に、自分たちの幸せを祝ってもらえたことだけが嬉しくて仕方なかった。ありがとうと伝えるだけで精一杯だ。
感極まった様子のまどかや相変わらずの仏頂面を貫く千里を見守る花京院の視界の端にかつての旅の仲間を引き連れて戻ってくる承太郎の姿が映った。少し思案し、近くにいたカメラマンを手招く。せっかくの、そして久々に全員が集まったのだ。記念写真の一枚や二枚撮っても罰は当たらないだろう。