嘘と劇薬
 まるで生き急いでいるように見えた。自身の誇りを取り戻すためだけを支えとして一心不乱に敵を目指す少女の姿を見てまどかはいつも思うのだ。――目的を失ったとき、一体千里はどうするのだろうと。
 誰かを守るためでも自身の成長のためではない。復讐だけを糧としてひた走る千里の目的はきっと達成されることだろう。なぜなら仲間たちの目指す先はみな同じだからだ。だから彼らは太陽が沈む前に西を目指す。

「この旅が終わったら千里はどうするの?」

 シャワールームから出てきた彼女への第一声を間違えたと気付いてももう遅い。タオルの下からいぶかしげに向けられる灰色の視線。まどかは少し罰が悪そうな笑みを浮かべた。考えていたことがそのまま口をついて出てしまったのだ。

「わたしとかは高校生に戻るだけなのかなって思ったら、千里はどうなんだろうって思っちゃって……ほら、わたし、千里がこの旅に加わる前のことなんにも知らないから……」

 まとまらない思考のままぽろぽろと零れ落ちる言葉は酷く情けない。口を開けば開くだけ襤褸が出る。思ったことを素直に口にしてしまうこの性格を悔やんだことはこれまでだって何度もあったはずなのにも関わらず。
 こんなことを言うつもりじゃなかったのに。後悔しても遅く、しかし事実しか口にしていない。実際、まどかは千里についてほとんど知らない。知っているのは出会ってから実際に彼女が目にしたことばかりだ。好きなものはおろか、誕生日だって知らない。ファミリーネームも知らない。同い年くらいとは推測しつつも年齢すらも知らないのだ。きっと知っていることより知らないことの方が圧倒的に多い。
 勝手に喋っているだけのはずなのに次第に悲しくなってくる。寂しいとも言い換えられるかもしれない。長らく旅の仲間として付き合っているはずなのに、まどかは千里のことをほとんど知らない。

「――無駄なことだ」

 静かに鼓膜を震わせる声は千里のものだ。その言葉ははっきりと聞き取れても、それの意味するところはわからない。先のことを考えることが無駄なのか、目的以外のことを考えることが無駄なのか。彼女はいつも圧倒的に言葉が足りない。

「無駄なこと……無駄なこと、かなあ……」

 だから返事がないとわかっていても聞き直すしかなかった。もっと千里の言いたいことを汲み取れればいいのに。まどかはいつも思う。仲良くなれたと思っているのはいつも自分だけのような気がしてならない。
 千里はがしがしと乱暴に頭を拭く。水滴がカッターシャツを濡らそうとも気にする様子はなかった。まどかは至極真面目に話しているにも関わらず取り合ってもらえない。それは拒絶なのだろうか。そうだったら、悲しい。それを認めたくなくて、否定したくてまどかは言葉を続ける。たった数歩分しか離れていないはずなのに酷く遠い。

「ねえ、友達のことを知りたいと思うことはいけないことなの?」
「……」
「ねえ千里……」
「――今すぐわたしを殺さなければ、死ぬぞ」

 唐突だった。ようやく返ってきた言葉は決して想定できるものではなく。頭を拭いていた手をぴたりと止めて、冷たい瞳がまどかを射抜いた。ぴりぴりと空気が緊張を帯びる。カチャリ。小さな音と共に千里の右手がまどかに向けられた。その手の中にはグロッグ17。セーフティーなど当然外されている。
 殺意を込めた瞳が本気を物語っている。そもそも千里は冗談を好まない質だから、ふざけてまどかに銃を向けているのではないのだろう。
 返答次第では殺す。そう言われているように思えても、まどかの答えは決まっていた。

「そんなこと……できるわけない」

 自分が殺されるとわかっていても、仲間を殺せるはずがない。仲間のためなら非情になれても仲間に対して非情になれるはずかなかった。それに。

「それに、わたしのスタンド能力、千里だって知ってるでしょう?」

 ワンドオブロータス。まどかの分身はずっと彼女を護り続けてきた。これまでも、これからも。銃弾程度ではそう易々と死にはしない。
 千里は失望の色をわずかに浮かべて銃を消した、ようにまどかには見えた。なんの意図をもって彼女がそんなことをしたのか図りかねたのだが、言葉が足りない彼女が詳しく説明するはずもなかった。
 しかし足りない言葉をさらに重ねようと千里が思ったのは、この辺りではっきりさせる必要があると判断したからだ。生ぬるいメンバーの中でも一等生ぬるい考えを持った少女の生ぬるい意見に嫌気がさした。仲良しこよしの友達ごっこをしたがっているらしい彼女への牽制でもある。千里は仲間も友人も欲していない。必要なのは力とあの男の首だけだ。

「――いつ敵に捕まるとも、敵に回るかもわからない」
「それは……敵に仲間の情報が流れないため、ってこと?」

 違う。否定の言葉。そのようなありきたりなことを今更言うはずがないだろう。喉奥で毒突く。それに必死に情報を隠したところで無駄だとも知っていた。千里はかつての敵だったのだからよく知っている。彼女の主人だった男は手に取るようにジョースター一行の動向を把握していた。
 行く先々で敵と遭遇することからも簡単に推測できることだろうに。そこまで考えが至らないのかと思うとやはり忌々しさを覚える。

「人は弱い。情がわけば甘くなり、判断を誤る」

 なぜ彼女が敵味方問わず容赦がないのか、まどかはなんとなく理解したような気がした。同時に敵に回れば躊躇わず銃を向けると暗に言っているのだとも。それが誰であろうと、まどかであろうと同様なのである。誰かが人質になろうとも千里は迷わず人質を見殺しにするのだろう。彼女の目的は味方の救済ではなく敵の殲滅なのだから。だから仲間に対して平気でそれを言う。
 千里は心の底から仲間を信頼していない。していたとしても味方でなくなる可能性を常に考えて同行している。同行を選んだ理由だって目的地が同じであることとSPW財団の後ろ盾を加味してのことなのだろう。利用価値があるからこそ同行を選んだだけで決して仲間を欲して旅路に加わったわけではない。
 それはやっぱり本当に信頼されているとは言えないんじゃあないか。一抹の寂しさがまどかを襲う。一朝一夕で信頼を築くことはできないとわかっていても、これだけ同じ時間を過ごしてもなお信頼されていない。酷く悲しいことに思う。そしてなぜここまで頑に味方を信頼しようとしないんだろうとも思った。孤独は非常に辛いものだとまどかは知っている。

「それで千里は辛くないの? 疑ってるばかりじゃ疲れちゃうでしょう?」

 答えはない。グレーの瞳もすでにまどかを映してはいなかった。千里はタオルで頭を拭いている。これ以上まどかと問答する気がないと態度が告げていた。
 それを当たり前と捉えているか否かの違いだけだが隔たりは大きい。生まれと育ちが大きくかけ離れて違ったために、少女たちの思考は違った。一人で生きてきたという点では似通っているかもしれないが、それでも全然違う。
 違うからこそ、このままではいけないとまどかは思う。孤独の中に身を沈める千里の心をなんとしてでも溶かさなければいけない。せっかくの同性の仲間と仲良くしたいと思うのは当然のことだ。世界は広いのだと教えてあげなければ。

「わたしは、千里のことを絶対に裏切ったりなんかしない」

 強い意志の籠った双眸を向けられ、胸の内でため息を一つ。そういう意味ではない、と訂正する気は失せていた。風邪を引きそうなほどに生ぬるい。だがこれ以上の問答も無駄である。呆れることだって時間の浪費でしかないのだから。
 利用価値がなくなったところで一行から離脱しようと千里が考えているなど、まどかは露とも思っていないだろう。また絶対に仲良くなりたいとまどかが心に決めているなど、千里は思いもしていないだろう。少女たちの考えるところは平行線をたどるどころかまったくの別ベクトルに向けられていた。だがこの勝負にもならないような根比べで軍配が上がるのがまどかなのだと、今の彼女たちにはあずかり知らぬところである。