僕ら宝石みたいに嘘を飾りたてて
命の灯火が消え去るその刹那まで決して千里は諦めはしない。諦めた瞬間に思考が停止してしまうからだ。両腕と片足が潰され自力では満足に動けない状態だろうとも、圧倒的な力を有す邪悪な吸血鬼を前にして手も足も出ず嬲られるままであろうとも、戦意を失う理由にはならない。敵意と憎悪が痛覚を麻痺させ、鋭く研ぎ澄まされた殺気が彼女を突き動かす。生や死といった観念を捨て去っている千里の鋭い瞳は最後の最後の最後の最期まで敵の喉笛から決してそれることはない。いつ、どこで、なにが起こるかなど誰にも決してわからないからだ。例えばそう――絶体絶命の危機に陥ったその瞬間、第三者たちの手によって救い出されることもある。
その瞬間、なにが起こったのかすべて千里の目は見ていた。エメラルド色の礫も、砂の雪崩も、薄紅色の少女も。塗装の剥がれかけた屋根の上で自身の体に起こった異変もすべて彼女は覚えている。傷を癒すまどかの表情も千里はしっかりと見ていた。癒える怪我と消える痛覚。ようやく満足に動くようになった手を持ち上げれば彼女の顔は泣きそうに歪んだ。しかしうっすらと冷や汗を浮かべて無理矢理笑みを浮かべている。
なぜ助けたとは言わない。万全の状態に戻れたことでまたあの吸血鬼と戦えると思えば、彼らの行動は決して無駄なことではなかった。そういう意味では千里も彼らに感謝している。言えば非難されることは目に見えているため決して口にする気はなかったが。
すでに千里の四肢に感覚は戻っていた。肋骨も折れ肺に突き刺さって呼吸もままならないはずだったが、問題なく呼吸ができている。痛覚はなくなっていたがそれでも余韻は残っているのか起き上がれば体が軋んだ。傷が癒えたといえども血を失っていたことは確かだ。脳への酸素の供給はまだ完全ではないらしく、起き上がった瞬間に目眩が千里を襲う。咄嗟に彼女の体を支えたのは花京院だった。
花京院の腕に体を預けたまま千里は五本の指を握り、開く。十全動くことを確認してからスタンドを発現させる。その一挙一同をまどかはじっと見つめていた。千里から戦意は失われていない。死にかけてたくせに未だに意識を保ち続けているほどに強靭な彼女の精神はまだ折れていない。そして再び死にに行くつもりだと同時に理解する。
だがまどかも心に決めている。次彼女が勝手な行動をしようものなら、足を折ると。一度それを躊躇って後悔したのだから、二度目は決して躊躇わない。痛みを伴ったって彼女は学ぼうとしないのだから。自他問わず彼女は痛みに鈍感すぎる。
「千里の感じたこと、思ったことを教えて」
まどかが問いかける。声が震えないよう意識したつもりだったが、思った以上に冷静な声が出た。何を、までは言わない。それだけで相手に伝わっているとこれまでの経験で分かっていた。
本当はその体を労るべきなのだろうが、優しくできる自信はなかった。今すぐ罵倒したかった。馬鹿と。なんて無茶なことをと。生きてくれていてよかったと。きっとそれは花京院もイギーも同じだ。仲間の無事に安堵しつつ千里を非難したいのを我慢していることだろう。しかしまだその時ではない。安心するには早すぎる。
千里は声を出そうとした。だが喉の奥から出てきたものは声ではなく二酸化炭素だけである。そして彼女は胸を押さえて咳き込んだ。つい先ほどまで肺には肋骨が深々と突き刺さっていたのだ。傷がなくなろうとも体はダメージを覚えている。死んで当然の大怪我だったのだから、本調子に戻れないのも当然だ。
花京院が咳き込む彼女の背中をさする。喘鳴の合間に千里は声を絞り出す。
「――かくしょうは、ない」
「確証なんてなくたっていい。ぼくたちには圧倒的に情報が足りないんだ」
ゆっくりでいいから話してくれ。花京院は言う。この中で誰よりも戦い慣れた千里の感じ取ったことならばその情報も的確なものだろう。そういう意味では誰もが彼女を信頼している。結論を導き出していようとも確証がなければ決して口にしないその生真面目さも相まって、千里の推測の正しさを裏付ける。
「DIOのスタンド能力はわかったの?」
「おそらく、じかんをとめる。でなければ、せつめいがつかない」
「確証がない、というのは?」
「あくまでも、すいそくのいきだ。どれだけ、じかんをとめられるのか、わからない。しゃていきょりも、はかれなかった。たいこうさくも、まだない」
千里は先ほどまで館の中で繰り広げられていた戦闘を思い出す。おそらく自身の推測が合っているだろうと思っている。だが対策はない。故に余人にそれを話すのは躊躇われた。敵の能力を伝えたところで勝ち目がなければ意味がない。その特殊なスタンド能力を前にして正攻法では勝てないとわかっていた。自分のスタンドでは勝ち筋を見出せていないことも千里にとっては致命的であった。
「ばけものだった」
だが。彼女は続ける。
「殺せる。あのおとこは殺せる」
人間であることから逃げ出した男が、人間であることに耐えられなかった弱い存在が、人間でありつづける自分たちに勝てるはずがない。千里は胸中に吐き出す。勝てずとも次は負けない。
ぞくりとまどかの背中に冷たいものが走った。思わず花京院を見る。彼も同じものを感じたのだろう、目を見開いてまどかを見返していた。イギーも同じ表情だ。DIOは殺せる。そう告げた千里の瞳から光は失われていない。一人で起きていられないほどのダメージを受けているくせに次こそは仕留めると言わんばかりに爛々としている。
「いや、ありがとう。それだけわかれば十分だ」
花京院が無理矢理彼女の言葉を終わらせたのも、また彼女が単独行動に走ることを恐れたからだ。万全に戻った今、千里は再び一人で走り出すだろう。そんな予感があった。彼女を支える腕に力が籠る。今度こそ逃すわけにはいかなかった。まどかもイギーも身構える。
しかし彼らの行動に反して、千里は全身から力を抜いた。完全に花京院に体を預ける。「しかし一人では勝てない」感想を告げるように、当然だと言わんばかりに千里は言った。
そして彼らは先ほどとは違う意味で瞠目する。彼女がそのようなことを言い出すなど。死にかけて初めて意識したのだろうか。しかし思い直す。千里はいつだって合理的だ。一人で戦うことに固執しているわけではない。どうやったって一人で勝てないのなら誰かの力を借りようと考えてもおかしくはないだろう。だがあの千里が。そう思わざるを得ない。
「今更虫のいい話だろうが、力を貸してほしい」
「……ッ! 当然じゃない。わたしたちは仲間だもの!」
仲間たちの中で誰よりも千里を信頼していた少女が一番最初に言葉の意味を理解した。満面の笑みを浮かべる。これまでの態度がどうであろうと仲間が助けを求めているのなら、助けない理由はない。それにどんな心境の変化があったかわからずとも、頼ってくれることがとても嬉しかった。笑顔を抑えきれないまま、仲間たちに目を向ける。
「ね。花京院くんもイギーも、わたしたちと一緒に戦ってくれるよね?」
そんな笑顔を見せられてしまっては断れるものも断れない。イギーが鼻をフンと鳴らした。とうの昔にそのつもりだったようだ。言いたいことはたくさんあれど、花京院も同意見だ。ようやく千里の心の氷が溶け出したような感覚は少しばかりくすぐったい。少女たちの覚悟を前に男の自分が乗らないわけにもいかないだろう。口元がにやけるのを抑えきれない。
「そりゃあ初めて聞いた千里の頼みだ。断る理由なんかないだろう」
彼らの言葉を前にして千里が息を吐き出す。ありがとうと呟かれ、彼らはさらに破顔した。
まずは承太郎たちと合流すべきだと意見はまとまり、花京院が千里を背負う。そうして三人と一匹は仲間たちの元へと向かった。