韋駄天

これの続き。


「あれはレイコが小学校一年生の時でした」

トイレの洗面台で、私は鏡越しにマサキさんを見つめながら語り出す。娘のレイコと三人で食事に来たはいいものの、マサキさんの地味アプローチにまるで気付かない馬鹿娘を見兼ね、口を挟まずにはいられなくなったのだ。 合コンの途中で化粧直しにお手洗いへ行く女子達の如く、我々は内緒話を展開する。

「レイコの初めての運動会って事で妻が張り切ってましてね、でもレイコの奴が微塵もやる気ないから妻はブチ切れ寸前だったんですよ」

もう何年も前の事を鮮明に思い出せるくらい、それは印象深い出来事だった。今日のためにカメラを新調した妻の怒りは深く、あまりの恐ろしさに何とかレイコにやる気を出させようと、私はある作戦に出たのだった。

「それで私がこっそりレイコに、短距離走で一位になったら千円やるって言ったんです」

まさか、という顔をするマサキさんに、私は頷く。

「今でもレイコの母校では、伝説の走りとして語り継がれてますよ」
「千円で…」
「つまり何が言いたいかというと、レイコは金で釣れる」

実の娘に言う言葉じゃないと思いつつも、事実を捻じ曲げる事はできない。レイコは堕落の次に金が好きな女…いや、堕落のためにこそ金が必要なのだ。こつこつと貯め続けた金銭は全て後の無職生活のため…どこまでもストイックニートマンなのである。逆に働いた方が楽でしょ。
最低な恋愛アドバイスを授ける私に、マサキさんは心当たりでもあったのか、特に否定はせず深く頷く。

「確かに…わいみたいな怪しい奴から豪華客船のチケット普通に受け取ったしな…」

怪しい自覚あったのか。
一見して一般人のマサキさんであるが、レイコと初めて会った時はどうやら様子が違ったらしい。初対面の印象を聞くと、トラウマ、って言うもんな。何があったか知らんが。

「マサキさん…今や教科書に載るレベルの人ですし…正直レイコとは全く釣り合い取れないとは思うんですけどもね」
「いやいや…わいからすればレイコみたいにポケモン戦わせられるのは羨ましいもんですよ」

戦わせてるっていうか戦って頂いてるっていうか。まぁ我々ポケモン大好き研究者からしたらトレーナーってちょっと憧れたりするもんだからな。とはいえ若くして大成しているマサキさんも私からすれば雲の上の人…そんなお方がレイコみたいなクソニートを気にかけてくださっているとは…やっぱ天才ってちょっとおかしいんだろうな…才能の代償はでかいよ。
切なさを覚えていると、マサキさんは最低アドバイスを真剣に受け止めた顔をしつつ、しかしそれでも楽な道は選ばないという決意を見せた。

「でもやっぱり…そういうんやなく気にかけてもらいたいというか…」

実父の前で言うことやないですけどね!と照れ隠しに笑われ、あまりの健気さに涙腺が緩みそうになった。人間らしさを見せつけられた感動とは裏腹に、金でしか心が動かない娘を恥じる。
そうなんだよな…最後はやはり心と心…千円で本気出すレイコとは大違いですよ。小学生とはいえ千円て。つってもそれも昔の話…いろいろ旅をした今、ニート以外の部分は成長したはず。何だかんだでレイコも金とかじゃなく、本当に好きになった相手を選ぶような気がするなぁ。


「三十万円!」

前言撤回。戻っていきなり価格を叫ぶ娘とは。

「…何が?」
「当たったんですよこれが!」

どうやらトイレに行ってる間に何か起きたらしい。マサキさんと共に席に戻ると、レイコが興奮気味に携帯を凝視していたので、嫌な予感を覚えつつ尋ねた。するとレイコは壁を指差したため、恐る恐る視線を向ける。そこには、一万円以上ご飲食の方に抽選でプレゼントがその場で当たるキャンペーン、なる広告が貼ってあり、一等がロレックスの時計だった。瞬間、全てを理解する。
つまりそれが当たったと。こんなところで運使うからいつも世界の危機とかに巻き込まれるんじゃないの?

「一等当てるとは…持っとるなーレイコ!」
「今ヤフオクで見たら同じ型のやつが三十万だって!」
「ていうか父さんの奢りなんだから父さんにくれよ」
「レディースだから私のでしょ」

そしてがめつい。何一つ正当な理由なく自分のものにしようとする精神、微塵も理解できない。当たってすぐヤフオクで値段を調べるところもカスだな。やはり金…結局お前はそうなのかい。大体売るならレディース関係ないでしょ。例えメンズだったとしても、私が引いたくじで当たったんだから私の物、という主張をしたに違いないよ。ジャイアンじゃねーか。
そうはいくかと私はレイコに理詰めで勝負を挑もうとした。所詮は小卒のニート、こちらの正当性を主張すれば何も言えまい。黙らせるため暴力に訴えてきたらもう勝利だね。実の娘を刑務所にぶち込む覚悟すらしていたが、ふと思いついて私はレイコから時計を奪う。

「じゃマサキさんに差し上げて」
「えっ」
「いや何でだよ」

レイコがすかさず手を伸ばしてきたため、私は背を反ってそれを避けた。あぶねぇ。秒で取り戻そうとしてきた…油断ならんこの女。機敏なニートは、マサキだってレディースなんかいらないだろ、と指摘してきたが、そこに全ての答えが存在するのである。
私はマサキさんへ手を伸ばし、三十万のロレックスを魔法の言葉と共に差し出した。

「好きな人への贈り物に是非」

三回くらいウインクで合図をしたら、彼はようやく気付いたみたいにハッとした。鈍感通り越して失礼極まりない娘に代わり、せめてもの罪滅ぼしとしてフラグのお膳立てをしようと思ったのだ。
普段はそうでもないのに、恋愛事情に自分が絡むと途端に思考がとんでもない方向へ飛ぶレイコである。まさかこんな身近な人に思いを寄せられているとは想像もしていないのだろう、そこで!好きな人に贈ってくださいと言って渡した時計を!自分に贈られたら!それはどう考えたってそういう事だと気付くはず!さすがのレイコも!さすがのクソニートも!さすがの小卒鈍感ボケ倒しがめつい女もな!何故こう育った。

干物女とはいえレイコも決して悪人ではない。結婚適齢期の男の恋路を邪魔する事がどれだけ重大なことであるか熟知しているため、しょうがねぇな…と呆れ顔をしつつ三十万は諦めてくれた。大体お前ダイゴさんからいくらするかもわからないオーダーメイドの時計もらってたでしょ。石がたくさんついてるやつ。これに合う服なんて持ってねぇよ!って言ってたけど、三十万の時計もお前には充分持ち腐れだからな。ニートがロレックスなんかつけてたら職質されますよ。

時計を受け取ったマサキさんは礼と共に深々と頭を下げ、緊張した面持ちで封を開けた。現れたロレックスの輝きに、貧しい国ジャパンで生まれ育った私とレイコは目を細めたけれど、これの百倍の値段はするカメラを普段レイコに使わせている事はなるべく黙っておきたい。逆に壊しそうだから。
想像より小振りで嫌味のないデザインは、普段使いにも良さそうでなかなか好印象である。お前も本来ならそういう時計をして会社に行ってる年頃だろうに…何故真っ先に売る事が思い浮かぶのか…父さんは悲しいです。使わなくなったお前のランドセルを中古店に売り飛ばした金でサファリに行った父さんは本当に悲しいよ。親子そっくり。

しばらく考え込んでいたマサキさんだったが、ようやく決心したのか突如レイコの腕を掴み、ときめきのあまり私は両手で顔を覆いながら一部始終を見守った。恋愛映画みたいでドキドキだったが、実の娘だと思うと普通に気味が悪くて気分は落ちていく。誰が娘の恋愛模様見たがるんだよ。無理みが強いわ。
しかし個人的にマサキさんの恋は応援したい。最後まで見届ける決意を固めていれば、マサキさんはロレックスをレイコの腕に付け、その間バカ娘は状況が読めていないのか、半口を開けながら死んだ魚の目をしていたので、居たたまれなさに思わず眉間を押さえた。顔。黙ってればそれなりに可愛い顔が黙っててもアカン事になってるぞ。お願いだから表情筋気をつけて!

「…なんで?」

時計を付けられたレイコは苦笑気味に尋ね、すぐさま外そうとした。鈍感通り越してKY。

「別に気遣わなくていいよ」

三十万くらいポケモン勝負で稼ぐから好きな女に渡しなよ、とレイコはマサキさんに微笑みを向け、なんでこんなところで優しさ見せつけるの?と父は項垂れた。
何なの?さっきまでめちゃくちゃがめつかったのに突然の慈愛。文脈から察しろよ!どんな球を投げても湾曲してしまう状態に、やはり鈍感夢主は脅威であると身にしみて感じた。
すごいなこいつ。普通このタイミングで渡されたら、マサキ私のこと好きなんじゃ…?って思う事ない?私が時計に執着したから気を遣って譲ってくれたんだな…に行き着く思考回路、絶対何かの疾患があるだろ。鈍感夢主腫瘍とかできてる。医者行け。
すまんマサキさん!と心の中で土下座をしたが、彼の目はまだ死んでいなかった。今日こそは進展させると言わんばかりに、時計を外そうとするレイコの手を掴んで、真剣な表情を見せた。
旅ばかりでろくにカントーにいないレイコである。いやまぁそれは私のせいなんだけど、たまに故郷に帰ってる時くらいはチャンスを掴みたい、そういう気概を感じる眼差しだった…青春だ…女の趣味は本当に悪いと思うけども。

「…別に気ィ遣ったんとちゃうで」

真面目な声色に、ようやくレイコも真っ直ぐマサキさんを見つめた。
その顔だよレイコ!その顔可愛い!すごく可愛い!私に似て本当可愛い!天使みたい!親バカ。

「…レイコに似合うと思っただけや」

ホームランが決まる音がした。私は思わず呼吸を止め、二人の間に流れる青春の空気に水を差さないよう景色と一体化する。
完璧。今のは完璧だった。ポケスペでもルビーくんがサファイアのために作った服を渡す時、きっと君に似合うと思う、っていう手紙を添えてたから殺し文句としては最高ですよ。
神展開に興奮さめやらない父をよそに、レイコは無言で時計を見つめていた。無言という事は何か考え事をしている可能性があり、そうするとまた超思考に頭が飛んでいる気がして、これ以上のトンチンカンは頼むから勘弁してくれよ!と全力で祈る。
レイコ…お前があまりに残念思考だと、この先お前が本当に誰かを好きになった時、持ち前の鈍感さで擦れ違い、傷付く事も出てくるんじゃないかって…父さんちょっと心配だよ。お前がモテる理由は確かにわからん、多分ポケモン勝負が強いっていう足が速い子はモテる理論でしかないと思うけど、それでもそんな韋駄天を好きだって言ってくれる人の事、ちょっとは真剣に考えてほしいと思う…お前のためにも…フラグの立ちやすさなどのためにもな。
もはや見ていられなくて俯いていれば、レイコはとうとう口を開いた。

「メルカリで売るか…」
「おい」
「嘘だよ」

結局金!という展開になるかと思いきや、レイコは笑えないジョークをすぐに訂正したので、思わず顔を上げた。そこには満更でもなさそうな様子で微笑む娘の姿があり、そういえばこいつ褒められるとチョロいタイプだったな…と半分呆れながら思い出す。金よりも手に入れたいものがある、それは承認欲求…はっきりわかんだね。

「ありがとう」

時計をつけた手で頬杖をつきながら、レイコはマサキさんに微笑みかけた。今のはずるいな、と失笑し、親でも可愛いと思う娘の笑顔にマサキさんがどうなったかは、あえて言うまでもないだろう。