届かない愛があるなんて知らなかった

 女性一人と魔獣一匹で暮らす事になった元オンボロ寮は、内装リフォームに伴い防犯面もかなり強化された。偏に教員の眼が届き切らない寮内で事件が発生したら大変だ、という学園側の保身によるものであったが、一流の大魔法士達によって練り上げられた防犯魔法は、宿主、つまりはユウの許可を得ていない者は、たとえ爪の先であっても侵入は赦されない。王族の私室や重要文化財などを数多く収容する国立美術館も裸足で逃げ出すレベルの防犯措置が施されているわけだが、一点だけ欠点が存在する。それは、この世界に暮らす人々ならまず思いつかないし、考えの範疇から必然的に切り離されるもの———即ち、魔力が無い者には全く効果を示さないのである。
 さて何故こんな話になったかと言えば、このオンボロ寮、爪の先であっても許可のない侵入は赦されないが、来訪者としてチャイムを鳴らす事は当然ながら赦されている。しかし何度も言うが此処に暮らすのは、魔力のマの字もない無力な女性と、まだまだ赤ん坊に毛が生えた程度の無知な魔獣である。来訪者を装ってオイタを働く輩が出ないとも限らない。その辺りも考慮して、全寮の(一応定められている)就寝時間以降に来訪する者に対しても不法侵入者と同等の防犯能力を発揮させるのだ。そうして現在二十三時。就寝時間から一時間程経過している夜更け。唐突にオンボロ寮の来訪を告げるチャイムが鳴り響いたのだ。

 「…今チャイム鳴ったよね?」
 「お嬢さん。危険だから無視するんだ。防犯が強化されたとは言え、此処は大魔法士の卵がゴロゴロ集まっている。重箱の隅を突くように、隙を突いてくるものがいるかもしれない。」
 「うーん…凄い連打されている。何ならガチャガチャ言っているんだけど、ホラーですか?」
 「ふなっ!ユウ絶対出るんじゃねぇぞ!」

 今では気前のいい紳士なオジサマとなったゴースト達だが、ファーストコンタクトはその悪戯気質から怯えさせる行為をしてきた事で、グリムは少しホラー耐性が弱体化してしまったらしく、今もユウの懐で僅かな震えを見せている。しかしドアの向こうの名も知らぬ存在は、未だ諦めという言葉など知らぬとばかりチャイムとドアノック、ドアの開閉を試みていた。流石にこの状態で知らぬ存ぜぬを突き通して夢の中へ旅立てるかと聞かれては、ユウの答は当然ノーだ。
 止めておいた方が良い、と引き留めるゴースト達に、スコープから覗くだけだから、と宥めてそっと気配を殺してドアへと忍び寄った。そうしてゆっくりとドアスコープを覗いた先、つまりこの怪奇現象とも呼ばれる不気味な音の発生源を確認して、ユウはすぐさまドアを開錠した。

 「ユウ!無事だったか…!」
 「ワタルくん…」

 ドアの開錠音を聞くなり、蹴破らん勢いでドアを開けたその存在は、ユウのよく知る男———従兄のワタルその人であった。挨拶などをする間も無く抱き寄せられ、逞しい腕の中へと閉じ込められる。いつでも魔法を放てる状態で構えていたグリムやゴースト達も、予想せぬ展開にポカンと口を開けて固まるしかなかった。
 お嬢さん、知り合いかい?いち早く状況を察したゴーストの一人が、警戒モードを解いてユウへと問いかける。従兄です。腕の中から解放される事なくその問いに答えたユウは、一旦離れてもらおうとワタルの背を軽く叩くが、要望は呆気なく棄却され、そのまま抱き上げられたかと思えば、足早に寮を後にしようとして来たので、慌ててドアのヘリに捕まってストップをかけた。

 「ちょっと!どこ行くの!?」
 「決まっているだろう。家に帰るんだ。」
 「待って、待って!もう遅いから、諸々は明日話そうよ!」
 「眠いなら寝て良いぞ。ちゃんと連れて帰るさ。」
 「違うって!というか、家に帰るとは言っているけど、それどこの家!?私の家!?」
 「ああ。これからユウの家にもなるな。」
 「待って!レッドくーん!!助けて!!」
 「ふなぁぁ!オメー、ユウをどこに連れて行く気だ!」

 家に帰る。確かにワタルはそう言ったが、長い付き合いで鋭く察知したユウは、ヘリに捕まった手に力を籠める。このまま帰宅したら最後、恐らく本当の家———謂わば両親が待つ実家にすら帰る事が出来なくなる。そんなユウの危機察知能力は、物の見事に的中していた。この男、家に帰るとは言ってもユウを実家に帰す気は更々なく、自身が新しく買い取った土地に建てた新居へと連れ帰ろうとしていたのである。
 そんなに見合いが嫌ならば、さっさと俺の籍に入って穏やかにゆっくりと暮らしていけば良いさ。人当たりの良い爽やかな笑顔でとんでもない発言を噛ます男の足を止めたのは、ユウがヘルプを求めたレッド———ではなく、こちらの世界ですっかり相棒となったグリムの炎だった。流石に敵対組織の構成員の顔面に破壊光線を放つ男であっても、推定:新種ポケモンのような愛くるしい見た目をしたグリムに酷い事は出来ない。そしてユウも、ワタルが咄嗟に足を止めたタイミングを逃す事なく、軽い身のこなしでその腕の中から抜け出した。

 「…ユウ。」
 「いや声ひっくぅ。顔怖いよ。」
 「…ユウ。」
 「待って、落ち着いて。ビークール。クールにいこう。話し合いは大事だよ。」
 「…。」
 「話し合いは大事って言ってんのに、何でそこで黙るの!」

 因みに先程まで必死に助けを求めたレッドは、客間と化した一室でとうの昔に夢の中へ旅立ったため、今現在も助けは来ない。二十一時には就寝して、翌朝五時には起床する超健康優良児のため仕方ない。二十代半ばにして既に爺のような生活スタイルである。
 とにかく一旦落ち着いてお話ししましょう。未だ警戒から毛を逆立てて唸り声を上げるグリムを抱き上げたユウは、ワタルの右腕を引いてリビングの中へと通した。ちなみにこのオンボロ寮、つくりは西洋風そのものだが、ユウの強い要望により室内完全土足厳禁である。靴を脱がせてしまえば、早々無理な行動は起こせまい、と考えての提案だったが、ワタルがその気になれば靴の一足や二足平気で捨てるため、何の抑止力にもなっていない。

 「レッドくんから軽く話は聞いていたから、遅かれ早かれ迎えに来るだろうな、とは思ったけど…まさか当日とは思わないじゃん?」
 「…あんな書置きを残されて、ジッとしていられると思うか?」
 「別に、ちょっと疲れたからそっとしておいてって意味だし、そんな大慌てするほどでもなくない?」
 「それ本気で言っているなら、今すぐここで既成事実作ってやろうか。」
 「めっちゃ怒るじゃん。」

 長い付き合いだし、また今回も街の重鎮共からの圧に耐えられなくなったな、程度の考えでいてくれているとばかり思っていたユウは、反して眼前に座る従兄から放たれるオーラが過去に見ないほど冷たく鋭いもので、思わず怯むように足を抱えた。自身が想像していたよりも遥かに心配を掛けさせてしまったらしい。流石に空気は読めるユウであるため、大人しく反省の色を見せる。ごめんなさい、と静かな謝罪を受けて、ワタルは漸く大きく溜息を一つ吐き出し、凍える程に張り詰めた空気を僅かばかりに弛緩させた。
 もう二度としないでくれ。力なく呟かれた言葉がどれを指すのか。ユウには判断しかねたが、取り敢えず次どっか行くときは、もう少し詳細な書置きしておくね、と返した言葉にまた目許が全く笑っていない爽やかな笑みを向けられたため、大人しく5W1Hを遵守します、とソファに正座した。空気が若干弛緩したとはいえ、これ激おこぷんぷん丸超えてムカ着火ファイヤーエクストリームだ、と考えを改めた結果だった。

 「それで、此処は何処なんだ?」
 「場所的な話?世界的な話?」
 「とりあえず場所から世界、その他諸々知っている事全部。」
 「ツイステットワンダーランドっていう愛と魔法の世界の賢者の島っていう離島にあるナイトレイヴンカレッジという名門魔法養成学校の中のオンボロ寮です。」
 「魔法?」
 「この世界、みんな魔法を使えるのが当たり前らしい。医療も化学も全部魔法ありき。」
 「…ほう?」
 「それで、魔法の中でも特に秀でた魔法とかを扱える…魔法士?を養成するためのスクールが此処。因みに全寮制の男子校。」
 「は?」
 「怒らんといてもろて。此処に落っこちたのは不可抗力です…」

 魔法の世界というワードに驚きを見せていたくせに、続く男子校というワードを聞いた途端表情のすべてを削ぎ落すワタルへ、ユウは慌てて弁解を述べる。シンオウ地方までは私の意志ですが、そこから此処までは完全に不可抗力です、と此処に至った経緯を掻い摘んで———は赦されなかったため、一から十まで事細かに報告した結果、取り敢えずこのワンダーランドに何の音沙汰も無く迷い込んだことに対しては、理解を得る事に成功した。
 それで?先を促す言葉に、この世界に迷い込んでから今日に至るまでの出来事を幾つか話した結果、再び表情を冷たくさせたワタルは、先ずはその鴉とやらを焼いてから、レッドに説教だな、と結論を出した。鴉ことディア・クロウリーが、これから顔面に破壊光線を放たれる運命になる事を当然ながら予期できる訳もなく。魔力持ちに対しては完璧な防犯設備を誇る名門校も、そもそも魔力という概念が無い異世界人にしてみたら防犯のポの字もないため、堂々とメインストリートを闊歩した後、学園長室へと足を踏み入れる事に成功する。
 就寝前の晩酌と洒落込もうとしていたラフな格好のクロウリーの前に突如として降り掛かる黒い影。大魔法士として培った咄嗟の防衛魔法も虚しく、竜王と名高い男の相棒と呼ばれたカイリューの強烈な破壊光線は、クロウリー諸共学園長室を一瞬にして瓦礫の山にした。遅れて鳴り響く警報。宿直の教師始め、教員棟に籠っていたオフモードの教職員が挙って学園長室へ駆けつけた時には、既に犯人の姿はなく、防衛魔法のお陰で何とか一命を取り留めながらも、すっかり黒焦げになった最高責任者が瓦礫の中から発見されるのみだった。