獣のように跨がった夜明け前

 昨晩の学園長襲撃騒動は、瞬く間に全生徒へと伝わったらしく、しかし犯人は見つからず現場に駆け付けた教職員も、当事者である学園長自身も何が何だかわかっていないため、噂に尾びれや背びれが付きに付きまくって、何処までが真実なのか解らないような噂が、都市伝説のようにまことしやかに流れ始めた。
 当然そんな愉快———否、痛ましい騒動が起こったともなれば、生徒達は挙って犯人探しや事件の究明に走る。そして注目を浴びれば浴びるほど、楽しい事が大好きなエース・トラッポラ始め、マブ達がそれに食いつかない訳も無く。早朝から鳴り響く通知音に叩き起こされたユウは、寝ぼけ眼でスマートフォンの新着画面を確認した。
 昨晩突如襲撃してきた犯人について心当たりはないか。唯一鏡を通す事なく学園長室に行けるユウが真犯人だったりする?朝から寮長達も大騒ぎしているよ。また変な事に巻き込まれたり怪我してたりしねぇよな。上から、デュース、エース、エペル、ジャックである。これだけメッセージが届いているのに、心配のコメントを寄せてくれたのはジャックのみである。君しか勝たん。あとその真犯人、今私の隣で寝ているぜ。眠気に勝てなかったユウは、そのメッセージを最後にスマートフォンの電源を落として再び夢の中へ旅立った。グリムの子供体温に加え、今日はワタルという筋肉と書いて天然湯たんぽと読むもある。そして現時刻は朝六時。昨晩就寝したのが一時近かったため、圧倒的に睡眠時間が足らなかったのである。
 しかしそんなユウに反して、メッセージを受け取った一年生達は阿鼻叫喚の嵐である。犯人が隣で寝ているとはどういうことだ。まさかグリムなのか、から始まり、電源を切った事で一切連絡が通じず、また既読も一向につかないユウに痺れを切らしたマブ達が、挙って自寮の寮長へと報告に走ったり、そこから各教職員へ報告が上がったり。直ぐにでもオンボロ寮に駆け付けて事実確認を行いたいが、此処で邪魔をするのが教員という大魔法士達によって設置された防衛魔法だった。

 「Shit!誰だこんな強固な防衛魔法を施した輩は!」
 「先生達じゃん!!」
 「Bad Boy!!幼気なレディが猛獣共の巣窟で暮らす事になったのだから、このくらい当然だろう!」
 「文句を言ったのも先生じゃん!?」

 クルーウェルを先頭に、ハーツラビュルからはリドル、トレイ、ケイト、エース、デュースの五名が、サバナクローからは、レオナ、ジャックの二名が、ポムフィオーレからは、ルーク、エペルの二名がそれぞれオンボロ寮へと駆け付けていた。因みにポムフィオーレ寮長であるヴィル・シェーンハイトは三日ほど前から仕事のため学園外におり、サバナクロー寮の実質副寮長ポジションであるラギー・ブッチは朝食作りや洗濯等に忙しいため此処にはいない。
 クルーウェルが何度チャイムを鳴らしても、家主はうんともすんとも応答しない。当然である。彼女は今絶賛夢の中だ。因みに朝方であるため、朝陽に弱いゴースト達も出てくる事はない。最悪、防衛魔法の反動を喰らってでもこじ開けるべきか。そんな考えさえ浮かんだタイミングで、唐突に玄関のドアがガチャリと音を立てて開錠した。

 「…うるさい…」
 「あ!アンタ昨日の!」
 「早朝にすまない。ユウはいるだろうか?」
 「…まだ寝てる?」
 「昨晩の襲撃事件の犯人が、彼奴の隣で寝ているってのは、どういう意味だ。」
 「…そのままの、意味。」

 昨日の昼休みに突如として現れた黒髪で赤いキャップがトレードマークの青年———レッドが顔を覗かせたと思えば、彼からも彼女と同様肯定の言葉が出てくるし、その割にはのんびりとした態度で、せっかちな性格のリドルは苛立ちを募らせる。
 あんなナリであんな性格の男ではあるが、学園長は学園長。此処の長である。そんな男が気付く間も無く襲撃されたとなれば、相手は相当の手練れである事は想像に易い。そんな危険人物が、か弱いレディと共にいて、ましてや寝所すら共にしている可能性があると知り、居ても立ってもいられないというのに。リドルほど感情を顕にする事は無いが、同衾の可能性という点でレオナの心情もまた穏やかではない。もしかして無理矢理寝所を共にしたとかじゃねぇだろうな、という疑いの眼差しである。

 「…もしや、昨日話していた従兄とかいう男か?」
 「うん。」
 「え。いとこ?」
 「クルーウェル先生、どういう意味でしょうか?」

 レッドの落ち着いた様子や、自分以上に慌てた様子の寮長二名を見て、幾分か落ち着きを見せたクルーウェルは、ふと昨日の会話を思い出した。もしや今回の騒動の真犯人は、件の従兄が関係しているのではないか、と。そんな鋭い観察眼を持ったクルーウェルの予想は見事に的中したようで、一旦は安心出来るか、と胸を撫で下ろす。
 説明をしろ、と言わんばかりの視線をものともせず、仔犬が起きたら職員室に来るよう伝えてくれ、とレッドに伝言を残し、今すぐにでも寝室に駆け込もうとするマブ数名の首根っこを引っ掴んで退却した。この場における最高責任者のクルーウェルが撤退を選択した以上、生徒達もそれに従うしかない。不服という顔を隠さない寮長二名はクルーウェルに鋭い視線を送り、ユウやグリムの安全が気掛かりなマブと上級生数名は、チラリとレッドへ視線を送る。その視線を受けたレッドは、大丈夫、という意味合いで軽く手を振ったが、出逢って一日足らず、または初対面の彼等にそんな意思が伝わるはずもなく。名残惜しそうに帰って行く背中を見送った兄貴分の一人は、末っ子が存外この世界でも愛されている事実に軽く頬を弛めた。


*****


 二度寝をタップリ楽しんだユウは、普段より少し遅めの朝食を摂ってから、レッドが受け取った伝言通りに職員室へと一番に向かった。白黒の人が来いって、という実に簡潔な伝言であるが、白黒というワードからユウが思い浮かべる人間はただ一人。デイヴィス・クルーウェルであり、呼び出しの要件も十中八九、昨晩の学園長襲撃騒動に関する事だろう。
 数回のノックをしてからそっと開いた扉の先、最高責任者がダウンしたことでもっと騒然とするかと思ったが、予想に反して職員室内に慌ただしさは感じられない。寧ろ何処かのんびりとした空気すらあって、ユウは少しだけ戸惑いに足が止まる。

 「仔犬、こっちだ。」
 「先生。おはようございます。」
 「お義兄様と呼べ。おはよう。よく眠れたか?」
 「はい。」

 軽い冗談を挟みつつも、差し出されたカフェオレを有り難く受け取り、ユウは勧められた椅子へと腰を下ろす。早速だが、という切り口で始まった事実確認調査は、凡そユウの予想通りのものだった。
 昨晩の学園長襲撃騒動に始まり、便宜上真犯人と呼ぶ存在はお前の従兄で間違いがないか、と確認され、柔な作りでは無い一室を丸々瓦礫と化す力は、例の魔法のような技を使う魔獣の仕業か、といった確認や、何故学園長を襲撃したのか、という理由確認など。前二つにはそうです、と肯定し、理由に関しては、私の当初の扱いに関する抗議とお礼参りでは、と答えて置いた。アッサリ納得された。

 「まあ、俺が彼の立場なら、馬鹿鴉を肉体的にも精神的にも社会的にも抹殺しているだろうからな。」
 「それもうほぼ死では?」
 「当然だろう。目に入れても痛くない、可愛い妹が酷い目に遭わされかけたと知って、怒らない兄はいない。」
 「兄では無く従兄ですけどね。」
 「似たようなものだろう。」

 成程そういうものか。と納得しかけたユウだったが、昨晩のワタルとの会話を思い出して、せやろか?とシンキングフェイスになる。あれ完全に自分のお気に入りの番候補第一位(なお既に逆鱗扱い)を自分の腕の中から掻っ攫った腹いせと八つ当たりじゃなかろうか。しかしそれを言葉にすればまたややこしい事になる、と判断してそっと口を噤んだ。
 それよりも今後の事だが。アッサリ見捨てられたクロウリーに内心でプギャりつつ、はい、と再度頷いたユウは、まあこのまま順当に進めばそのまま元の世界に帰ってお終いだろうな、と予想を立てる。元々イレギュラーな存在であったわけだし、帰還方法が見つかった以上、此処で保護する必要も無くなるのだから。

 「お前さえよければ、このまま此処で就職するのはどうだ?」
 「え?」
 「数週間とは言え、仔犬の働きは素晴らしかった。お陰で俺も手を付けられなかった実験に時間を避けたし、他の先生方も絶賛の嵐だ。それにグリムの面倒も見ないといけないだろう。」
 「…えーっと?帰れ、という話では無いのですか?」
 「もちろん仔犬が帰りたいと言うのならば、引き止めはしない。しかし働き口の選択として是非前向きに検討してもらいたい、という話だ。」
 「…取り敢えず、一旦持ち帰らせて頂きます…?」
 「ああ。先ずはご両親にしっかりと無事である事を報告する必要があるだろうからな。」

 しかし予想に反して、クルーウェルの言葉は今後の雇用契約に関するものだった。てっきりさっさと荷物を纏めて帰りなさい、となるかと思っていただけに、豆鉄砲を食らったポッポのように固まったユウは、何とか定例文を返しつつ職員室を後にした。入れ違いですれ違ったトレインからも、是非残ってくれると嬉しい、と言われるほど、彼女の存在は、日々多忙な教職員の助けになっていたらしい。
 その事実をジワジワと実感したユウは、弛む頬を何とか噛み締めて堪えるが、眼前に見えた人影にすぐさま表情を改めた。自分が嬉しくとも、それも悪くないと思おうとも、この竜王様が黙ってはいないだろうから、と。

 「話は済んだか?」
 「うん。行き来が出来るなら、このままここで働かないかって。」
 「…まさかとは思うが、承諾していないだろうな?」
 「一旦持ち帰りますって言ったよ。お父さん達にも話さなきゃだし。」
 「持ち帰る必要は無いだろう。今からでも断ってきなさい。」
 「何で?」
 「…別にユウが働く必要は無いだろう。」

 言外に俺が養ってやる、と言わんばかりの表情を見せるワタルに対して、ユウの視線は冷たい。外への出稼ぎは男の仕事。女は家の奥深くで家事をこなし家庭を守れ。そんな典型的な亭主関白気質な考えをいっとう嫌うユウは、自身の人生の選択肢を他人に定められる事を何よりも敬遠する。それを知っており、且つ自身も同様の考えを持つワタルは、決まりが悪そうな顔で視線を逸らした。自分がそう言われて腹が立つと言うのに、ユウにそれを強いるのは間違っている。解っているが、己の目の届くところに、安全な己の巣の中に居て欲しい、という欲求も拭えない。
 働きたいなら、リーグで働けば良いじゃ無いか。不貞腐れるように吐き出した声音は、五歳児の駄々のような色だったが、ユウにその気が無い事は百も承知の上である。何度誘いを掛けても一向に頷かれた事は無かったから。

 「リーグはいや。」
 「何故。」
 「暇さえあれば、相手しろ、調整に付き合えって、バトルさせられるのが目に見えているから。」
 「…、」

 否定は出来ない。と言うよりも、ワタル自身が誰よりもそう強請る事は目に見えている。先程よりも更に決まりの悪い顔をしつつ、取り敢えず荷物も相棒達も回収したいから、一旦は帰るよ、というユウの言葉に、さてこれからどうやって自分の下に引き止めようか、とワタルは今後の予定に思考を切り替えた。