想い出の宝箱を閉めた昨日

 学園に侵入者が現れた警告音が鳴り響き、寮長であるリドルとレオナは、即座に中庭へと駆け付けた。見れば其処には見慣れぬ男の後ろ姿と、それに対面する形でマジカルペンを構える、自身達が可愛がっている一年生の姿があった。そして何より、護るべき存在である異世界の女性の姿。
 そこまで認識したレオナは直様マジカルペンを振るって、リーフショットを放った。次いでリドルも最大火力のファイヤショットを放つ。しかし寮長クラスの高火力の魔法攻撃は、侵入者の男を捉える前に、リドルの放った魔法に負けず劣らずの炎と雷撃に阻まれた。強い衝撃同士がぶつかり合い、大きな爆発生み出した中庭は、一気に騒然となる。襲いくる爆風を風魔法で振り払い、即座に第二撃へと備えた寮長達の眼に飛び込んできたのは、オレンジ色のドラゴンのような見た目のモンスターと、見たことのない黄色の小さなモンスターの姿だった。

 「何だあのモンスターは…!」
 「ローズハート!無事か!」
 「キングスカラーも一緒か。怪我はないようだな。」
 「僕達は無事ですが、一年生達が…っ!」
 「仔犬!」

 寮長二名に遅れてやってきたのは、教職員と副寮長、その他の寮長達である。皆一様にマジカルペンを構え、この辺りでは見かけないモンスター二匹へ警戒の眼差しを向ける。確かな敵対行為に対して、それまで無害そうであった男も警戒を顕にするように目深に被ったキャップの鍔を握りしめる。一触即発のその空気を壊したのは、またもやこの場で最もひ弱とされたはずのユウであった。
 レッドくんお座り!ユウの声に反応した男は、反射的にその場に正座し、モンスター二匹も釣られるように動きを停止する。対して有能と呼ばれた魔法士やその卵達は、一連の流れについて行けずポカンと口を開けて固まるしか無かった。

 「え、は…?え?どういうこと…?」
 「あの人、私の知り合いです。喧嘩を売らない限りは取り敢えず無害です。」
 「え、知り合い?って事は、あの人も異世界の人ってこと!?」
 「エペくん大正解。そういう事です。」

 あわや大惨事。未だ鳴り響く警報に反して場の空気は何とも言えない漂いを見せている。そんな空気を再度ぶち壊すかのように割って入ってきたのは、この学園の最高責任者、ディア・クロウリーその人であった。
 皆さんご無事ですか!?とある意味空気を読まないその叫びは、突然の展開について行けず、何とも言えなくなってしまったクルーウェルの半ば八つ当たりの鞭攻撃により、即座に哀れな悲鳴へと変化していくのだった。


****


 場所を変えて現在学園長室。此処には部屋の主であるクロウリーを含め、トレイン、クルーウェルの両名、及び騒ぎの渦中にあったユウと、ユウと同じく異世界の訪問者である男———レッドと呼ばれた青年が集っていた。
 改めて状況を報告しろ、というクルーウェルの指示に大人しく従ったユウは、先程まで中庭でマブ達と昼食を取っていた事、その最中突然元の世界で知り合いであるレッドが訪れた事を説明した。そのレッドという男は、聞けば何にもない筈の中庭から突如として現れたのだという。

 「どういう事だ?仔犬の世界には魔法が無いのだろう?」
 「ありませんね。レッドくん?詳細を解りやすく説明して。」
 「ワタルさんから捜索依頼を受けて、グリーンと一緒にシンオウに行った。そこで穴を見つけたから入ってみた。そしたらユウがいたから一緒にご飯を食べようとした。」
 「取り敢えず、私と同じく時空の歪みに入ってこの世界に迷い込んできたようです。」
 「待て。待て。今の説明で何が判った?」

 レッドの実に簡潔な説明に、慣れているユウはなんて事の無い顔で要約したが、初めましてのクルーウェルは頭痛が痛いという様子で頭を抱えた。もう一から十まで仔犬が知っていること、理解していることを包み隠さず吐け。そう命じられては、ユウも大人しくわん、と鳴くしかない。
 そうしてこの世界に迷い込む直前の出来事を、なるべく解りやすく噛み砕いて説明をしたユウは、つまり魔法は無いが魔法のような不思議な技を扱えるモンスターの諍いに巻き込まれてこの世界に来たということか、というクルーウェルのまとめに素直に頷いた。再び頭痛が痛いという顔で額を押さえる上司の姿に、ユウは少しだけ同情した。逆の立場なら同じ顔をしていたはずだから。

 「何故そのモンスター達が生み出した時空の狭間が、この世界に通じているかまでは解りません。ですが、恐らくこの世界と私の世界は時空を隔てて繋がっているのだという事は理解出来ます。現に私も彼もこうして狭間から来たわけですから。」
 「つまり、そのモンスターに再度時空の狭間を開いて貰えれば、貴方達は元の世界に帰れるという事ですか?」
 「そうなりますね。」
 「私が今日まで死ぬ気で調査していた時間はなんだったのでしょう!?」

 少しズレた悲鳴を上げるクロウリーへ突き刺さる視線は冷たい。そういう事じゃねぇだろ、と言外に含ませた教員二名の視線には素知らぬフリをして、気を取り直したクロウリーは、早速そのモンスターを召喚出来ませんかね、とレッドへ期待の眼差しを向けた。
 無理。回答は簡潔な一言。まあそうだろうな、とユウも同意するが、ただ、と続けられた言葉に視線をレッドへと戻す。

 「僕は無理だけど。ワタルさんが今この世界と繋げるために色々と動いているみたい。」
 「え。」
 「あと、ユウは本当に覚悟しておいた方が良いよ。ワタルさん、今回は本気でガチギレしてる。」
 「え。」
 「まあ、自分の大事な逆鱗が突如消えたとなれば、しょうがないよね。」
 「消えたのは私のせいではなくて、シンオウ神話達のせいですが?」
 「『疲れました。探さないでください。』」
 「ん゛っ、」
 「ユウでしょ。」
 「はい。」
 「ステイステイステイ。勝手にお前達だけで話を進めるな。説明をしろ。」

 放って置くとまた二人だけでポンポンと会話が進んでしまう。クルーウェルは慌てて会話を中断させてユウへと視線を送った。これもまた説明しろ、という事なのだろうとその視線を受け止めたユウは、先程説明した内容のその更に前提となった出来事を簡略的に説明した。地元のお見合い催促マン共にうんざりしたので、ぶらり一人旅を決行(両親の許可取得済み)したら、従兄に鬼の形相で行方を探られています。簡潔に説明し過ぎたのか、それまで頭痛が痛いという顔をしながらも内容を理解していたクルーウェルが、とうとう宇宙を背負った。スペースキャットならぬスペースヒューマン。
 ところでレッドくんは、此処に来る前にワタルくんに一言伝えてきたの?ふと抱いた疑問を投げかけたユウは、のんびり紅茶を啜っていた兄貴分が、ピシッと音を立てて石化した様子を見て、何も言わずにこっちに飛び込んできたな、と察する。これはワタルくんの怒り倍ドンじゃない?顔は笑顔なのに眼が全く笑っていない従兄を簡単に想像出来たユウは、そっと視線を兄貴分から逸らした。わたししーらない。残念ながら諸悪の根源であるため、説教は逃れられないだろう。

 「…それで。その従兄とやらは、何時こっちに来るんだ。」
 「そもそもどうやってこっちに来るかも解らないので何とも…」
 「ギラティナと手を組んでいたから、反転世界虱潰しにしていくんじゃない?」
 「おっと?星の数ほどあると言われている反転世界の中から見つけるの?砂漠の中からダイヤの欠片を見つけるようなものじゃない?」
 「そこはほら。ドラゴンの嗅覚。」
 「ドラゴンなら何でも出来るって思っていらっしゃる?」

 ドラゴンタイプにも限界ってもんがあると思うの。あと一応あの人種族的にはヒューマンだからね。眼前でテンポよく進んでいく会話を必死に追いかけながら、クルーウェルはユウの姿をマジマジと見つめる。レディへ不躾な視線を送る事は紳士たるもの頂けない事であるが、この数週間で関わってきた彼女はもっと思慮深く冷静沈着で、どちらかと言えばパーソナルスペースは広めな、よく言えば遠慮しい、悪く言えばコミュ障寄りだと思っていたのだ。それがこのレッドという男と会話する際は、イグニハイド生よりハーツラビュル生のようなノリである事に意外性を持ったのだ。
 オタクも身内の中ではポンポン会話を進めるしノリも良いし軽率にふざけたりもするが、そんな内々の事は知らないクルーウェルは、こちらが彼女の素か、と人間観察を続けながらも、何かと話題に上がる従兄へと想像を膨らませた。人間だけどドラゴン。ドラゴンと言えばこの学園———いやこの世界ではとある一人の男を思い浮かべるだろう。マレウス・ドラコニア。何の気まぐれか、現在ここナイトレイヴンカレッジの生徒として在籍している時期妖精王である。名門校の教師として、また大魔法士の一人として名を馳せるクルーウェルですら、本気のあの男には太刀打ち出来るか解り兼ねるほど、強大な魔力を持つ正に孤高の存在。夕焼けの草原の第二皇子として(出席日数や授業態度は考慮しないものとして)、有能な人材と名高いレオナ・キングスカラーでも適わないその存在。そんなある意味、名を聞くだけで恐れられる男と同様にドラゴンと称される異世界の人間はどのような存在なのか。

 「じゃあ賭ける?僕三日ね。」
 「私二日。近い方の勝ちね。買ったら最高級食材買ってもらおうっと。」
 「…やっぱり一日にしていい?」
 「一度ベットしたら、やり直しはききません。」

 すっかり思考の中に潜り込んで、まだ見ぬ従兄という存在に戦慄いていたクルーウェルを放って、トラブルメーカーとなっている二人は、暢気に茶を啜るのだった。因みにずっと相席し、何ならこの部屋の主でもある筈のクロウリーは誰からも相手にされる事なく、すっかり臍を曲げて自席で膝を抱えていたが、やはり誰にも拾われる事は無かった。