少しでも大人になりたかった

 頻繁な反転世界を通じての行き来は、ギラティナへの負担になるかもしれない、というユウの懸念は、グリムを通じてギラティナ本人(本ポケ)より否定され、むしろもっと利用して逢いに来て欲しい、と可愛いおねだり攻撃まで喰らったため、ユウは当初の予定よりもかなり頻繁に元の世界との往来を繰り返していた。それこそ、サムの店で取り寄せてもらうよりも安価で早く手に入るから、と地元の食材や調味料をちょっと近所のスーパーへ買い出しに行くくらいの頻度で。
 そして今日もまた、業務を終えるなり早々に反転世界への穴へと飛び込んだのだが、それには訳がある。シロナから差し入れが届いた、と母から連絡を受けたのだ。以前より従兄のワタルを通じて交流があったシロナであるが、今回の異世界転移騒動を通じて、彼女の考古学研究社としての知的好奇心を擽ったようで、彼女からの猛アピールによりこの度連絡先の交換に相成った。
 それから歳の差こそあれ、ユウにとっては割と希少な同姓の友人というか、姉のような存在のシロナとは、相性の一致もあり頻繁に連絡を取るようになった。今回も事前にシンオウの新鮮な魚介が手に入ったから、少しお裾分けするね、と要約するとこのような感じの連絡を貰っていたため、ユウは特に疑問に思う事なく、お返しを考えないとなぁ、くらいのテンションで帰省した。勿論、相棒のグリムと共に。

 「ただいまぁ。」
 「おかえり。丁度良かったわ。ユウに話があったのよ。」
 「うん?」

 シロナさんからのお荷物は冷蔵庫に冷やしてあるわよ、という母の言葉と共に出されたカフェオレにお礼を返しつつ、ユウは母の、話がある、とい言葉の続きを大人しく待つ。私達暫く家を空けようかと思って。想像していなかった流れにキョトンと固まるユウを他所に、彼女の母親はそこに至るまでの境地を語り始めた。
 曰く、ユウが異世界で新たな一歩を踏み出した事に影響を受けて、ママとパパも何処かへ旅行したい気持ちになってきた。しかしそんなママ達の(特にパパの)変化を敏感に察知した(母にとって)義兄二人が、何かと理由を付けては家に押しかけてきたり、逆に本家に呼び出してきたりするようになった。最初こそ相手をしていたけれど、ママは勿論パパもいい加減鬱陶しく感じてくるようになったので、ちょっとストレス発散、気分転換、夫婦水入らずゆっくりしたい。母の話をざっくりまとめるとこんな感じ。
 ユウに刺激を受けて旅行したくなる気持ちは分かる。しかしそこから先が既におかしい。何故40も過ぎた末の弟に構ってもらいたくて兄二人がズカズカと弟の愛の巣に入り浸るのか。何故自身達の巣へ引き戻そうとするのか。ブラコン拗らせ過ぎだろう、というツッコミは、このフスベの住人であれば皆口を揃えて今更と応えるであろうが、ユウもそれに倣いすっかり遠い目をしていた。

 「…何か、ご愁傷様です?」
 「問題は此処からよ。」
 「まだ問題があるの?どうやって伯父さん達を出し抜くか作戦立てたいってこと?」
 「それはトランセルの硬くなるよりも容易な事だから問題ないわ。寧ろ問題があるのはユウの方よ。」
 「うん?」

 簡単なんだ、というツッコミも最早不要である。何かと過干渉、束縛が激しい兄二人であるが、そんな兄二人を幼少期から相手していた父は、二人の急所の突き方が上手い。そして母はそれ以上の上手である。何時の時代も、何処の世界でも妻の方が夫より勇猛であるし母は強し、なのだ。五歳児のような駄々っ子のおっさん二人を掌で転がす事くらい容易なのだろう。ユウはこれ以上深く考えることを放棄し、今度は母の方が同情の眼差しを向けてきている事に素直に首を傾げた。
 私達が長期間家を空けると聞くや否や、ワタルくんが喜色満面の笑みでユウの荷物を引き取りに来るって言い出してね。しかし母の紡がれた話の続きにユウは、おっとぉ?と超急展開を向け始めた話の流れにそっとカフェオレの入ったマグをテーブルに置く。荷物を引き取りに来るとはどういうことか。即ち一時的にユウの帰る場所を自分の巣へ移そうと画策しているという事である。答えを導き出すのに三分もかからなかった。カップラーメンすら作れない短さ。いやいやそうではなく。

 「…もしかして、これ幸いと自分の巣へ引き込もうとしている??」
 「もしかしなくても引き込もうとしているわね。むしろ今から攫いに行くから身一つで待っていろ、って勢いだわ。」
 「とりあえずシロナさんからのお荷物とポケモン達のケア用品だけ引っ提げて向こうに帰ろうかな。」
 「そんなユウちゃんに残念なお知らせです。」
 「残念ならいらないです。」
 「ワタルくん、既に我が家にいます。」
 「暇なの??チャンピオン兼Gメンという職業は、実は暇なの?」
 「ニャースの手も借りたいほどクソ忙しいな。」

 スパン、と小気味良い音を立てて居間と廊下を繋ぐ障子が開かれる。因みにユウの自宅は、伝統あるフスベの一族という事もあり、純和風の造りになっている。文明の利器は惜しみなく導入しているため、シックな和モダンテイストを味わう事が出来る素敵なあったかい我が家だ。
 そんなあったかホームにそぐわない笑みを浮かべる男が一人。いうまでも無くワタルが不気味なほどニッコリと綺麗な笑みを浮かべながら障子を開けた訳である。つまり先程までの会話はすべて筒抜け。三秒で理解したユウは即座に抵抗の意志を捨ててハンズアップした。

 「そんなに多忙なら、こんなところで油を売っていないで、仕事に集中していた方が良いのでは?」
 「仕事より何より大事な存在が、また何処ぞへ行方を眩ませないよう、先にリードを付けた方が良いと思ってね。」
 「私の信頼度ゼロじゃん。」
 「残念ながら前例があるからな。」
 「半分は不可抗力じゃん?」
 「半分は故意であると認めるという事だな?」

 ダメだ逃げられない。そんなテロップが音を立てて脳内に現れる錯覚を覚えつつ、ユウは大人しく、荷物纏めてきます、と引き下がった。因みに一連の流れを静観していたグリムはそっとユウの顔へご自慢の肉球をプニプニと押し付けていた。不甲斐無い親分だから護れなくてごめんな、そんな意味を込めて。出逢って数日と満たない関係性であるが、野生の本能が強く残るグリムは、ワタルは絶対に逆らってはいけない存在として既に確立している。手持ちポケモン達と全く同じ反応である。
 そんなこんなで向こうへ持っていきたい私服やワタルの家(暫定)に持っていく荷物を纏め終えた頃には、すっかり日も暮れ夜行性のポケモン達の囁きが静かに響き渡っていた。入れ違いで帰宅した父からも、哀れみの眼を向けられたのだが、それに気まずさを覚えるのはユウとグリムのみで、渦中の根源であるワタルは露知らずという様子でさっさとユウを自分の巣———ゆくゆくはユウの巣にするつもりでもある———へと連れ帰るのだった。


****


 ユウの寝床を自室にするかワタルの寝室と共にするかでひと悶着起きたが、そんな諍いを阻むようにワタルの仕事用緊急連絡がけたたましく鳴り響き、ドラゴンらしいおっかない表情で大きな舌打ちを一つ溢してから、ワタルは足早に家を後にした。因みに連れて来られた新居は、彼等の実家があるフスベと、ワタルの職場であるポケモンリーグがあるセキエイロードの丁度中間地点に当たる山一つをすべて私有地とした超豪邸であった。ポケモン達もタイプ問わず好きなだけ駆け回れるといっても過言ではない広さだ。
 そんな一大強制イベントを経て翌日。ワタルが緊急招集で家を空ける事となったので、転居早々一人で夜を明かす事になったユウは、何の迷いも無くベッドを自室として与えられた一室へと設置した。運んでくれた力持ちのポケモン達に感謝を伝えつつ、グリムも交えて朝食を楽しみ、昼食用の弁当も作ってからツイステットワンダーランドへ戻ってきた。

 「まあ、こんな感じ。」
 「なるほどね…」
 「何というか、その…ご愁傷様、か?」

 時は進んで現在昼休み。天気が良かったため中庭にてレジャーシートを引いて、すっかりイツメンとなった五人と一匹で昼食を囲んでいる。実は昨夜エースから連絡が入っていたのだが、急な引っ越しやら何やらでバタついて応答出来ず、折返しする余裕も無く寝落ちしたのだ。その事にユウが気付いたのは、翌朝出勤してからのこと。少しだけ不貞腐れた様子のエースに首を傾げ、その理由を聞いてから、というのが正しい。
 エースの様子に同様に首を傾げていたエペルとジャックも交えて昨晩の濃厚なあらましを説明し終えたユウは、疲れを含ませた溜息を一つ溢してから、代わりに今朝握ってきたお握りをひと齧り。シロナからお裾分けという名目で送ってもらった新鮮な魚介類の中の一つである、鮭とイクラが贅沢に使用された逸品である。

 「ふな!焼き鮭の香ばしさと脂の旨味、そこにイクラの濃厚な味とプチプチとした食感が合わさって最高なんだゾ!」
 「ふふ、相変わらず120点満点の誉め言葉をありがとう。」
 「120点満点の飯テロ、の間違いだろー!今日は俺もライスにしたのに何でこんな腹減ってくるんだよ…」
 「奇遇だなエース。僕も全く同じことを考えていた…」
 「俺も。」
 「僕も…鮭ってサーモンの事だよね?焼き鮭はムニエルみたいな?」
 「ムニエルはどちらかと言うとバターや香草が強く主張するけど、これは塩だけの味付けだから、真の意味で鮭本来の味が楽しめるよ。」

 ユウの影響を受けてすっかり魚介類のおいしさに目覚めたらしいマブ達は、一様にグリムへ羨まし気な視線を送る。自分達は事前にお願いしないと用意してもらえないその逸品は、グリムは無条件に何時だって食べられるのが心底羨ましい。そんな気持ちを込めて。
 そんな四人の背後、スッと人影が落ちる直前、気配に気づいたジャックがまず初めに振り返った。その瞬間、ピシッと空気が凍りつくような感覚を覚え、ユウは咄嗟に左手を自身の太腿へと移動させた。いつでも頼りになるポケモン達を呼び出せるように、それはユウのこの17年の間で染み付いた癖のようなもの。

 「今サーモンという単語が聞こえたが…」
 「…?」
 「ま、マレウス・ドラコニア…先輩…」

 ジャックだけでなく他の三名も呆気に取られるように、しかし何処か強い緊張感を持ちながら身を固くしている。それだけ声を掛けてきた男がヤバイ存在という事だろうか、とユウはまじまじとその姿を観察する。スラリと縦に長い出立ち、ミッドナイトブルーの長い髪を他靡かせ、切長のライムグリーンの双眸がその顔の美しさを際立たせている。極め付けは頭頂部から生える立派な二対のツノ。獣人族のものとは、また違う湾曲したそれは、ユウの見慣れないものだった。
 人の子はサーモンが好きなのか?静かな声音で尋ねられた言葉の意味がよく解らず、ユウは数拍間を要したが、サーモンは好きなので大人しくYESの意味で一つ頷く。そうか、と相槌のような返事をするなり、この長身の男は黙り込む。結局何の用なんだコイツ、と思わず思ってしまう程にはコミュニケーション能力が乏しい印象だった。

 「すまないが、一つ分けてくれないだろうか?」
 「?おにぎりですか?」
 「それは、おにぎり、というのか…」
 「分けると私のご飯が無くなっちゃうので分けられないですね。」
 「お、おいユウ…!」
 「悪いことは言わねぇから献上しとけって!」

 慌てた様子でユウを宥めるように説得し始めるマブ達に、ユウはますます眼前に立つ大男へ不信感を募らせる。歳上であろうが割と太々しい態度でいる事が多いエースですら、冷や汗を掻きながら何とかこの状況を切り抜けようとしている様子に、これは唯ならぬ存在か、と何と無く察するがそれはそれ。
 今日はあまり準備にかける時間が無く、また具材にした焼き鮭とイクラを存分に楽しみたいという考えから、大振りのおにぎりとちょっとした副菜しか用意していないのだ。つまりおにぎりがメイン。これを誰かに譲ってしまうと、ユウの昼食はちょっとした副菜のみになる。ひもじすぎる。
 そういう訳なのでごめんなさい、とペコっと頭を下げたユウへ、大男は、そうか、とまた静かに相槌のような返答を返した。表情も変わらず読み取れないほぼ無のまま。しかしユウは、その殆ど動かない表情筋が僅かに変化した様子を見逃さなかった。加えて声音も心なしかションボリしていたように聞こえた。つまり物凄く読み取りにくいが、彼はこの学園では割と珍しい部類に入る素直なタイプなのだろうと察する。さすがの洞察力であった。

 「焼き鮭とイクラはまだストックがあるので、明日で良ければひとつお裾分けしましょうか?」
 「…ほう?」
 「ゆ、ユウ…」
 「その腕章、ディアソムニア寮の方ですよね?知人がいるので、その人経由でも良いですか?明日逢う予定があるんです。」
 「お前、僕のことを知らないのか?」
 「…?初めましてですよね?」
 「ユウ!」
 「おま、まずいってそれ…!」

 ナチュラルスタイルで上からの物言いをする男に、ドラゴンタイプのような性格しているな、と思いつつも空気は読めるため口にしなかったが、マブ達の反応を見るに、どうやらその存在を知らない事が万死に値するらしい。え、そんなに?と軽く引きながらも、取り敢えず謝罪を口にすべきか、とユウが口を開き掛けたところで、それまで殆ど表情を変えなかった男が突如、高笑いの如く腹を抱えて笑い出した。
 え、こわ。思わず出た感想は、慌てて口を塞いできたジャックの大きな手の中に溶け消えたが、眼前の男の笑いは止まらない。何が彼の琴線を刺激したのか。マブ達はいつその存在の逆鱗に触れることになるか、とヒヤヒヤした面持ちで、ユウとグリムは奇行とも取れるテンションの落差にドン引きでその様子を眺める。

 「この僕を知らないとは。なるほど。その態度もそれ故か。」
 「全世界俺のこと知っていて当然だろうがアーン?ってタイプの方ですか?」
 「「ユウ!!」」
 「率直に言ってヤベー奴なんだゾ。」
 「「グリム!!!」」

 だんだんコントみたいな展開になり始めてきたな。マブ達は未だ顔色を真っ青にさせているが、眼前の男から怒りのオーラは感じ取れないため、彼等が危惧するような展開には早々ならないだろう。そう判断したユウは、ジャックの手を口許からそっと外して食事を再開させた。その事に眼前の男は更に笑い声を上げたが、既にユウの中ではbgmと化しているため、特に指摘する事はなかった。