こんな感情が生まれなければ

 一頻り笑って満足したらしい男は、明日逢う予定というディアソムニア寮生について尋ねてきた。ユウは彼が知人の事を知っているかわからなかったため、髪色等のルックスを伝えれば、どうやら彼も知り合いだったらしく、その知人経由で渡す事で良いと了承を得た。その了承も、許す、という随分と不遜な態度であったが、ドラゴンタイプの扱いを心得ているユウは、はいはいありがとねー、というテンションだ。
 そうして話が止まったところで、満足したのかクルーウェルが使用した時以来、久しいテレポートで何処かへ姿を眩ませた男を見送り、マブ達がドッと疲れたように崩れ落ちた。

 「おま、おまえ…ほんっと恐ろしいな…」
 「そんなに?」
 「あの人はマレウス・ドラコニア。一応三年生だが年齢は不詳だし、何でこの学園に通っているのかも分からないような凄い存在なんだぞ…」
 「荊の谷の時期国王でもあるからな。」
 「つまり王太子殿下?レオナ先輩みたいなものでは?」
 「レオナサンも凄か人だけど…何というか、あん人は格がちげってか…」
 「ハハーン?つまりラスボスっていうヤツだな!俺様知っているぞ!やっぱヤベーヤツだな。」
 「グリムはマジで自重って言葉を覚えろ。不敬で処されるぞ??」
 「やべーやつじゃん。」

 そのくらいで不敬と処すなら、こんなところで暢気に学園生活送らないで下さい。イマイチ温度感が掴めていないユウとグリムに、マブ達はまたどデカい溜息を溢したのだった。


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 そんな昨日の出来事を掻い摘んで話せば、隣に立つミストグリーンの髪色を持つ偉丈夫が、アンティークゴールドの眼を鋭くさせながらユウを睨み付ける。時刻は放課後。西日が射し込みだす時間帯のオンボロ寮のキッチンにて、ユウは先約のあった彼と共に昨日出逢ったマレウス・ドラコニアのために焼き鮭とイクラの握り飯をこさえていた。
 貴様若様になんて態度を!と声を大にして批難する様から、彼が話の中で何度か出す若様が、あの人だったのかと納得する。どんな人物か全く知らなかったが、話の節々からどれだけ彼がその『若様』を崇拝し心酔していたかは見て取れたため、ユウはこっそり失言したな、と数分前の自身を呪った。面倒な気配が見えたのである。
 ユウが話半分で聞き流している事を機敏に察知した偉丈夫———セベク・ジルボルトは、聞いているのか!とまたも声を大にして指摘しようと口を開いたが、その前にユウの手によって放り込まれたサーモンのせいで黙って咀嚼するしかなかった。サーモンは彼の大好物であるため、突然口に放り込まれても怒る気にはなれなかったらしい。鋭い視線は止まないが。

 「逢った事も話した事も無い人が突然自分の背後に立ったと思ったら、お前の昼飯少し寄越せ、俺が許すって言われた時、セベくんならどうする?」
 「背後に立った時点で伸す。」
 「つまりドン引きながらも代替案を提示した私はかなり慈悲深いのでは??」
 「若様に対しては当然のことだ馬鹿タレ!」
 「だって初めましてだったから若様だって知らなかったんだもん。」
 「若様を知らない事がまずあり得ん!!海よりも深く!夕焼けの草原よりも広く知れ!」
 「ガチ勢じゃん。」

 不遜な物言い、態度ではあるがユウはこの男が嫌いではない。寧ろギャンギャン吠えながらもツンデレな一面を見せるその姿に微笑ましさすら覚えている。彼をみて思い浮かべるのは、今では立派なスパダリに成長した手持ちポケモンの一匹、リザードンだ。
 彼とは卵の頃からの付き合いであるが、ヒトカゲの時は無邪気で人懐こく、何処に行くにしてもユウの後を追いかけるような愛らしさがあった。リザードに進化して、人間で言うところの思春期に入ったらしく、ユウの事をよく突っぱねて一匹狼を気取っていた。しかしユウが本当に離れてしまったり、危険な目に遭っているとなると、途端に気を引こうとそばに寄ったり、率先して前に出て護ろうとしてくれた。恥ずかしさから素直になれない時期であっただけで、ユウへの親愛の大きさは変わらず、寧ろ長く時を共にするほどに大きくなっていたのだ。素直に言えなかっただけで。まあ、リザードンにまで進化した今、リザードの頃の自分は黒歴史です、といった態度で苦虫を嚙み潰したような顔をするのだが。
 そんなわけでセベクのこの不遜な言動も、しかしその中に見せる他者への配慮も、ユウからしてみれば、はいはい、思春期あるあるですね。その不遜さ正にドラゴンタイプ。ボーテボーテマーベラス、といった具合に生温い笑みと共に流されるのだ。
 そしてそんな物怖じしない様子や、何処か強者たらしめるオーラを隠し持っているユウに対して、セベクも一目を置いている。普段は『人間』と徹底して妖精至上主義の排他的な一面を見せる彼が、こうして時間を見つけてユウに逢いに行くくらいには気に入っている。恐らくドラゴンタイプに好かれやすい気質も大いに働いている。今や彼の中で幼少期から共に育ったシルバーと並ぶ(本人は決して認めないが)、親しい友と呼ぶに相応しいほどに、ユウとセベクの関係は良好だった。

 「まあ、そういう訳だから。これ若様へ献上してきてね。」
 「任せろ。というか、昨日の詫びも含めて他にも何か作れ!」
 「何か…?あ、マドレーヌあるよ。昨日作ったやつの残り。」
 「残り物を献上する気か!!」
 「いらないなら、別に良いけど。」
 「…貰ってやらん事も無い。」
 「ちゃんと若様にも渡してね。セベくん一人で食べちゃダメだよ?」
 「解っている!!」

 童扱いするな!とプンスコ怒るセベクへ母親の如く、はいはい、と軽い謝罪を返したユウは、昨晩作って個包装していたマドレーヌを取り出す。バター風味のプレーンとチョコレート、それからキャラメルの三種類。セベクがその細身の体躯(筋肉は別として)に似合わず大食漢である事を知ったユウは、セベクのために少し多めに紙袋へと移し替えて、若様用とセベク用で別々に包装したものを手渡す。
 残り物だけど、味は保証するから、寮の人達と良かったら食べてね。二人分とは別に更に多めに梱包した紙袋も手渡したユウは、敢えて残り物を強調して笑みを深める。それを聞いたセベクは、根に持っているじゃないか、と気まずそうに小さくなりながらも大人しくその紙袋を受け取った。
 そもそもセベクとの出逢いは、馬術部の部活動中の事だった。馬術部に所属していながら馬に怯えられているという壊滅的な状態のセベクが、乗馬の練習中に馬が暴走し、制御できなくなっていたところを通りかかったユウが馬を宥め、落ち着かせたという出来事があったのだ。
 本物の馬に触れ合う機会は無かったが、ギャロップの背に乗って走る経験はあったこと、また動物全般の扱いが、ポケモン達と同様のもので通用することから、ユウにとっては何てことの無い出来事であったが、これがセベクの琴線に触れたらしい。それまで碌に会話も無く、擦れ違っても話しかける事も目を合わせる事も無かったというのに、その日を境にセベクから積極的に声を掛けられるようになったのだ。
 それから交流を深めるにつれ、セベクの性格や内面に触れ、リザードと重なるところに気付き、今の関係に収まっている。セベクはユウの事を素直じゃないながらにも、大事な友人として特別扱いをしているが、ユウはどちらかと言うと思春期に入った息子或いは孫を見守るような眼であるが。

 「そうだ。マブ達から若様にお許し頂けたかきちんと報告しろって言われているから、若様の反応今度教えてね。」
 「マブ…ああ、いつもの四人の事か。相変わらず心配性だな。」
 「セベくんもどっこい。」
 「それは貴様が危なっかしいからだ!!そんな細腕で何箱も積み重ねた荷物を持つなど!折れたらどうする!」
 「折れんて。」

 不遜な態度で妖精至上主義な男ではあるが、やはり彼も夢の国出身者。レディの扱いは心得ている。女の子はお砂糖とスパイスと何か素敵なもので出来ている、を地でいく世界のため致し方ない。そのせいでユウが大荷物を抱えていると、何処からともなく駆けつけてくるマブやセベク、或いは周囲の生徒達によって諫められてしまうのだ。
 こちとら軽石持ったヨーギラス抱えられるんだぞ?という反論は当然ながら通用しない。軽石を持っていないヨーギラスは、腰をやられそうなので試していないが、恐らくユウの腕力ならば持ち上げられると思う。伊達に大型が多いドラゴンタイプを相手にしていない。しかし此処は夢の国。女の子はナイフとフォークより重たいものは持たない存在なのである。そんな阿呆なというツッコミは邪道の極み。

 「まあ、いい。明日昼休みに結果を報告してやろう。」
 「あ、昼休みいつもマブとご飯食べているんだけど、セベくんも来る?明日のメニューは鶏の唐揚げ尽くしです。」
 「…行く。」
 「はーい。多めに用意しておくね。中庭に集合で。」

 その気になればこの偉丈夫を持ち上げる事すら出来る逞しさを持つユウであるが、心配されたり気を遣われたりするのが嫌いなわけではない。寧ろこれ幸いと甘え上手な一面もあるため、にへら、と気の緩んだ笑みを浮かべる彼女に、セベクもそれ以上の苦言は逆に空気を読まないものだろう、と溜息を一つ溢すだけに留めたのであった。