紅のルージュ、偽りの貴婦人

 翌日の昼休み。律儀に人数分の飲み物を持参して報告にやってきたセベクは、その気難しい性格に反して割とあっさりマブ達の中に溶け込んだ。エースからは妖精族リスペクトし過ぎ、と若干呆れの眼差しを受けていたようだが、妖精族に対する誇りの強さから、寧ろ胸を張る姿に、マブ達も逆に微笑ましさを覚えたのだろう。あと単純に波長があったのだろうな、とユウは早速手作り弁当に目を輝かせる五人を観察しながらそんな感想を覚えた。
 昨日セベクへ宣言した通り、本日のメニューは鶏の唐揚げ尽くし。スタンダードな白出汁につけたものから、甘辛タレに和えたもの、チーズパウダーをびっしり塗したもの等々。また部位も腿肉に胸肉、ささみの三種類を用意したため正に唐揚げ尽くしという名に相応しいラインナップとなっていた。
 ついでにアクセントとしてタルタルソースや小葱を入れた中華風醤油ソースなんかも用意してある。好きな味付けで楽しんでね、というユウの軽い説明に生唾を飲み込んだ面々は、グリムの元気な、いただきます、を合図に思い思いに唐揚げへと手を伸ばした。

 「あ〜なんか美味そうなの食べてんじゃ〜ん。俺にもいっこちょーだい。」
 「げ、フロイド先輩…」
 「なぁにぃ、カニちゃん。何か文句でもあんの?」
 「いえ、別に…」

 マブ達が一つめの唐揚げに早速食らい付いたところで、のんびりとした口調と共に背の高い青年が顔を覗き込ませる。ゴールドとオリーブのオッドアイな垂れ目が柔らかい印象を与えるが、口許のギザ歯がただのおっとりさんではない事を物語らせる。背の高さに見合う指の長い手が、お重にぎっしり詰められた唐揚げを一つ攫って行こうと伸ばされるが、その前にユウの手にペシンと払われてしまい不発に終わった。
 は?と先程までの緩い喋り方とは打って変わり、ドスの効かせた声音で睨み付けるフロイドの視線は鋭い。しかしもっと凶悪な顔と何度も対峙した事があるユウにとっては何のその。寧ろ作り手であるユウの許可も無く勝手に取ろうとした盗人へ冷たく睨み返すほどに。

 「なあにぃ、小エビちゃん。なんか文句あんの?」
 「むしろ何で文句が無いと思った?人様の物を勝手に盗っちゃいけませんって、ママに教わりませんでしたか?」
 「あ?」
 「相手を睨み付けて怯えさせて云う事聞かせれば良いって?安直過ぎて笑いも起きないね。」
 「…上等じゃん。締められてぇの?」
 「煽り耐性ゼロのバブちゃんは大人しく食堂でご飯食べて頂いてどうぞ。」

 ハッと鼻で笑い軽く手を振って追い払う仕草をするユウへ、フロイドの額に青筋が一つ立つ。それを見逃さなかったエースとデュースが途端に顔を青褪めさせるが、ユウの表情は相変わらず変わらない。此処で暴れられたら砂埃立つからいやだなぁ。そのくらいのテンション。
 間に入ろうとしたジャックとセベクが腰を上げるよりも早く、標的を唐揚げからユウへと移したフロイドの大きな手が、ユウの首許に伸ばされるが、あっさりその手首を掴んだユウが、そのまま捻り上げるように背後に回し、無防備な背中へ膝を落とせば、意外にもあっさりとフロイドは地に這いつくばる事になった。

 「いでででで!小エビちゃん、痛い!いだいっ!!離してぇ!!」
 「ほらほらフロイドくーん?悪い事しちゃった時は何て言うのかなぁ?」
 「テメェ小エビ!!マジで絞め殺すぞ!!」
 「やってみろよ稚魚ちゃん。このまま締めて血抜きしてから油に放ってやろうか?」
 「ゴメンナサイ!!」

 直ぐに煽られて青筋を立てるくせに、言い返されたらあっさり目許を潤ませながら半泣きで謝る姿に、傍にいたマブ達だけでなく、少し離れた位置で立ち止まるフロイドによく似た顔の男と、彼よりも頭半分ほど低い眼鏡の男も、更には中庭に面した廊下を歩いていた生徒達も呆然と固まる。
 怒らせたら手が付けられないと、物騒な方のリーチと名高いフロイドが、彼よりもずっと小柄で華奢なユウに組み付かれ、更には半泣きで必死に謝罪の言葉を口にする姿が理解出来なかったらしい。大きな瞳を更に大きく円くさせながら、フロイド?と呟いた眼鏡の男———アズール・アーシェングロッドは、一瞬ウソ泣きでもしているのかと疑ってしまうくらいには、目の前の光景が信じられなかった。
 素直に謝罪を口にしたフロイドへ、もう勝手に人の物盗らないって約束できる?と念を押せば、約束するからぁ!と先程よりも涙声を滲ませた大きな返事に、ユウは漸くその腕を解放する。ビャッと猫のような素早さで外見がそっくりな男———ジェイド・リーチへと泣きついたフロイドは、小エビちゃんじゃなくてシャコちゃんだったぁ、と、とうとう泣き出す始末。片割れのそんな姿にジェイドも動揺が隠せないのか、慌てた様子でフロイドの背を宥めている。

 「…お前、ほんと見た目によらず凶暴だよな…」
 「獰猛なケンタロスみたいに言わないでくれる?敵対行動の無い人には手を出しません。」
 「ケンタロスって何…」
 「暴れ雄牛。」
 「まんまじゃん…」
 「いや、僕はユウのことカッコいいと思うぞ!」
 「わーも!だげカッコよがった!!」
 「腕っぷしに自信があるのは良いが、無茶するんじゃねぇぞ…」
 「ジャックの言う通りだ。傷でもついたらどうする!」

 大泣きしているのはフロイドの方であるが、マブとして、またレディを優先する夢の国男子として、エースとジャックは呆れ、セベクは心配そうに溜息を吐く。元ヤンのデュースと強い漢に憧れるエペルは、三人とは違う尊敬に似た眼を向けているが。
 この一件は、偶々現場を目撃した生徒達から噂が広まり、物騒なウツボで名高いフロイド・リーチをギャン泣きさせたヤベー奴として、生徒間でまことしやかに囁かれる事となるのだが、正面切ってその事を指摘してくる者はいなかったため、ユウの耳に入る事は無かった。心配性なマブ(主にエース、ジャック、セベク)が再度重たい溜息を溢すのみである。


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 学生にとって逃れる事の出来ない、切り離す事も出来ない一大イベント。そう、定期試験である。ここナイトレイヴンカレッジも例に漏れず期末試験シーズンに突入したらしく、いつも予習復習を欠かさない勤勉なグリムが、更に力を入れて勉学に励むようになった。
 一流の大魔法士になるためには、カレッジの定期試験くらい余裕で突破しなきゃいけねぇんだゾ、と胸を張るその姿に、ユウは全力でフォローバックしようと改めて決意し、グリムが集中して勉強できる環境を整える事に尽力した。そしてそんなグリムに影響を受けてか、はたまた負けず嫌いが高じてか、同じクラスのエースとデュースも、今まで以上に試験勉強に対して真剣に取り組むようになったらしい。伝聞系なのは、正にユウがリドルを通じて聞いた話だからである。
 そしてマブの半分が試験勉強に力を入れるとなれば、残りのマブも当然力を入れるし、そんなマブ達が集えばお勉強会のようなものが始まるのも必然的。図書室は上級生に優先順位が与えられる体育会系が集っているため、他の誰かに邪魔される事なく集中できる環境として、自然とオンボロ寮へと集うようになった。

 「そういや、お前等あの噂聞いた?」
 「噂?」
 「ああ、アーシェングロット先輩の虎の巻か?」
 「それそれ。」
 「俺のところにも話が回ってきたな。当然断ったが。」
 「俺も最初は良いな〜とか思っちゃったりしたけどさ。それでお前等に勝っても何かあんま嬉しくないしー?」
 「フン、他人の力に縋らねばならんほど、僕は落ちぶれていないからな。」
 「でも結構な人が契約したって噂だよね…」

 勉強会の合間の小休憩。当初ユウがグリムの為に糖分補給用として用意したラングドシャは、気付けばマブ達全員分の量にまで膨らんでいた。理由は言わずもがな。グリムだけ狡い、というマブ達の抗議の賜物である。
 そしてそんな小休憩の話題は、現在密かに学園内を賑わせているオクタヴィネル寮についてであった。何でも契約をすれば期末試験を余裕でクリア出来る虎の巻が手に入るとのこと。担保は自身の得意魔法ひとつ。対価はテストで上位30名以上に入ること。
 これについては先日職員会議の中でも最重要議題として上がっていた。オクタヴィネル寮長のアズール・アーシェングロットが、百年分の過去問を全て精査し作り上げた秘伝書らしく、その効力は教員達でも対処の施しようが無いという。まあ確かに、百年も遡って作られた過去問ともなれば、出題範囲がそう大きく変わらない定期試験なんて対処のしようもないだろう。ユウは寧ろアズールのその執念深さにある種感銘を受けていた。
 しかし一見契約者に旨味が強いとみえるこの契約も、当然ながら落とし穴は存在する。それは契約成立の対価。上位30名以内に入る事が条件とされているが、契約者数が30名以内で留まっている訳もない。そうすれば一問当たりの配点の重要性が大きくなるし、言って仕舞えばオール満点でも取らない限り達成が非常に難しい仕様になっているのだ。満点を取れば良い話だが、そもそんな甘い話に直ぐに食いつくような生徒が、日頃から勤勉であるかと聞かれれば当然答えは否。その者の過去最高得点は望めても、満点はそう容易く取れるとは思えない。

 「去年も同様の事案があったというのに、学園長は何の対策もしなかったみたいだしね。」
 「教育者としてそこんとこどうなの?」
 「まあ、表面的には学内の成績アップに繋がるし、それ絡みで学園長にも旨味があったからじゃない?利が無いと動かない人でしょ。」
 「教育者としてほんとどうなんだよ…」

 エースのツッコミはご尤もであるが、此処は利害を何よりも重視する傾向にあるナイトレイヴンカレッジ。この学園長にしてこの生徒あり。最終的に自身の首を絞める事になる学園長へ苦言を呈するだけ無駄な事である。
 因みにこの後日、個別でクロウリーから呼び出されたユウは、何とかオクタヴィネルの横行を(無償で)食い止めて頂けませんかね、と提案される事になるが、全身黒焦げじゃ足りませんでしたか?今度は破壊光線一発じゃ済まねぇぞと笑顔で返した事によりクロウリーから個別で面倒事を押し付けられ無くなった訳だが、それはまた別の話。