ピンヒールで踏みにじるように

 今までも業務中に生徒から声を掛けられる機会はままあった。例えばユウが大荷物を抱えているとき。例えば土地勘が働かず目的地への道程に迷っていたとき、等々。しかしある日を境に、ユウの姿を見るや満面の笑みで、或いは恥ずかしそうに少しモジモジとさせながら声を掛けられるようになったのだ。最初こそ気にしていなかったユウだが、それが毎日ともなってくれば流石に気付く。
 現在放課後の購買。何でも揃うを謳っているミステリーショップ。本日は月に一度の棚卸という事もあり、人手が欲しいという店主サムの要望によりユウが駆り出されたわけである。膨大な量の品々を把握するのは至難の業であるが、そこは800以上ものポケモン達のタイプや名前、生息地等を頭に叩き込めるスペックがあるユウは、此処でも大活躍を見せていた。同じく膨大な量の品々のそのすべてを管理、把握しているサムですら、目を見開いて驚きを露わにするほどには。小鬼ちゃんのスキルが本当に計り知れないよ、とは驚愕の眼で固まる店主の言である。
 そんな棚卸作業中であっても、来客はあるもので。本来なら棚卸日は営業時間の短縮や休業日にする等の措置を取るのだが、今回はそれが出来ない理由があった。学生や教職員がこのミステリーショップと肩を並べるほど利用する頻度が高い食堂が、急なトラブルにより営業停止に追い込まれたからである。報告を受けたクルーウェルの話では、何でも水道管が破裂してキッチン内が水浸し状態らしい。点検作業に力を入れて来なかった最高責任者であるクロウリーは、当然ながら各先生方に締め上げられていた。

 「あ、あの…!万年筆のインクってどこですか!?」
 「そちらのステーショナリーコーナーの上段にございます。」

 そして何故か品物の所在確認を行ってくる客が多い。先程の生徒が尋ねた万年筆のインクの場所など、これでかれこれ13回目である。マジカルペンを使用するこのカレッジでインクは必需品であるため、一年生ですらまずその陳列場所を覚える程にはよく買い足す品である。当然、この問いかけをした13名の生徒もその陳列場所を知っていたはず。それにも関わらずユウに場所を聞いてくる。それはつまり。
 みんな小鬼ちゃんと少しでもお話しする機会が欲しいんだろうねぇ。棚卸作業の手は止めず生温い笑みを浮かべるサムの言葉が真意だった。幾らこの世界に疎いユウであっても、あからさまな態度の変化には機敏に勘付く。そしてそれが主に人魚や獣人、妖精族の生徒であることも。

 「もしかして、この間の一件が理由でしょうか…」
 「もしかしなくても、その一件が理由だよ。彼等は種族的にも強い女性に魅かれやすいから。」
 「強い…?確かに弱くはありませんが、あれを強い…?」
 「おや。小鬼ちゃんは自覚無しかい?」
 「いえ、おっかないとか凶悪とか言われた事はよくありますが、強いは…」

 何かニュアンス違くない?とユウは思うところだが、そこは異世界の所謂カルチャーショックみたいなもの。感性の違いからくるものだから仕方ない。ちなみにドラゴン遣いが前面に出ている、先のアズールとのやり取りの時のようなユウに対して『おっかない』と言ったのはグリーンで『凶悪』と言ったのはレッドである。因みにゴールドからは『ちびるかと思ったくらいには怖い』である。強いどころの騒ぎじゃなかった。
 しかしまあ概ね好意的に受け取って貰えているのならば、悪い事ではないな、と思考を前向きに切り替え、ユウは14回目となるインクの陳列場所を応えるために完璧な営業スマイルを見せるのであった。


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 食堂での水道管トラブルを受け、学園全体の一斉緊急点検を執り行う事になった。余程締め上げられたのだろう、クロウリーの背後の羽根が所々剥げ堕ちていたが、点検作業は外部の専門家にそれぞれ委託しているため、基本的にユウが行う事はない。食堂は既に修理、及び点検を完了させているため通常営業に戻っており、それに伴い購買の来客数も普段通りに落ち着きを取り戻している。
 寧ろ、一斉点検に入る関係で、教職員も本日は業務を短縮でお願いします、という学園長の指示により、ユウの仕事も通常よりかなり早く終了する事になった。久しぶりに街にでも出ようかな、なんてつらつらと考えながら寮への道程を歩いていたユウのスマホが着信を告げたのはそんな時。
 電話口はジャックで、一斉点検のせいで殆どの部活が休みになり、サバナクローでマジフトの練習に駆り出されたから、人手とあと出来たら差し入れが欲しい。そんな要望。恐らく八割は差し入れのおねだり。急に悪い、と耳と尻尾をしょんぼりさせている事がわかる声音に、ユウは押し上がってくる感情をグッと堪えつつ了承の言葉を返して通話を終了させた。私のマブがこんなにも可愛い。グリムとマブにはいっとう甘いと自他共に認めているユウは、早速冷蔵庫の中身を思い出しながら、差し入れとなる品々を算段立てるのだった。


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 先の購買でのヘルプ業務の時に痛感していたが、マブの可愛さにすっかりその事を失念していたユウは、サバナクロー寮に到着するなり受けた熱い歓迎に思わず一歩退いた。寮の二階から『ようこそサバナクローへ♡』という観光地によくある横断幕を掲げられた時は、流石に少しの恐怖を覚える程には。代表で出迎えに来てくれたジャックが、死んだ目で謝罪を口にしてきた時には、サバナクロー寮生を片っ端から刈り上げてやろうかと考えたが、ジャック自身に止めてくれと言われたため大人しく引き下がった。

 「想像以上にサバナクロー生からの圧が凄い。」
 「獣人が殆どだからな…。念のため俺の傍を離れんなよ。」
 「私のマブがこんなにもスパダリ…いっぱいお肉焼くね。洋梨のコンポートも持ってきたよ。」
 「…おう。サンキュ。」

 別にお前のためじゃねぇ、と言おうとして、しかし以前それを言って彼女からワシャワシャと撫で繰り回された経験を思い出したジャックは、素直に礼を伝えるに留める。素直になり切れない性格上、視線を横に逸らしながらであったが、尻尾は喜びを全面に表していたので意味はない。ん〜〜〜!!とユウが内心で身悶えるだけである。マブ可愛い。
 本日の差し入れは、お肉大好きが多く集うサバナクロー寮生、及びマジフト部員向けのガッツリメニュー。肉巻きおにぎりから始まり、唐揚げやメンチカツ等々。最早差し入れではなく夕飯のメニューである。因みに部活動後に出来上がる計算で角煮と焼き肉用のお肉も持参している。デザートが洋梨のコンポートとアップルパイなのは、完全にマブ贔屓だ。

 「あとスポーツドリンクも作って来たけど、いる?」
 「助かる。あとその荷物も持つ。」
 「ありがと。こっちは調理で使うから、ボックスの方お願い。」
 「…何か、急なのに色々と頼んで悪かった。」
 「いいよー。私が好きでやっていることだし。寧ろ頼ってくれて嬉しい。」

 マブに頼られて嬉しくない訳が無い。にへら、と気の抜けたその笑みは、マブやグリムにのみ見せる笑顔である事は、ジャックも既に知っている事なので、また少し気恥ずかしそうにしながらも、おう、と同じような笑顔を返した。
 業務都合で入口近くまで訪れた事はあったが、寮内に踏み込むのは初めての経験だったユウは、談話室の滝や開放的な空間に感嘆の声を上げる。夜はライトアップされてもっと綺麗だぜ、という言葉と共にジャックから見せられた写真に、夕飯として多めに作るからここで食べて行っていいか、と尋ねるくらいには気に入っていた。それを盗み聞きしていた寮生が軒並みガッツポーズを掲げたし、ラギーは即座にレオナへ許可を求めに走っていった。
 因みにユウが行くのだから当然付き添いでグリムも来ている。マジフトの練習に参加できること、今日のご飯がお肉メインな事でテンションマックスになった彼は、先程からずっと小躍りが絶えない。めちゃくちゃ可愛い。ふなふな、と可愛い笑みを浮かべながら容器に踊る姿は、即座にユウのスマホに動画と写真として大量に収められることとなった。