奪われ続けた乙女の微笑み

 翌朝、朝食を済ませたタイミングで昨日同様、クロウリー、クルーウェル、トレインの三名が訪問してきた。登校時間前に今後の対応について話したい、という話は昨日の内に受けていたため、ユウも仕度を済ませた状態で待機していたので問題は無い。すっかり綺麗になった談話室に三名を通して、購買で購入した紅茶を出す。ユウはどちらかと言うと珈琲派であったが、この世界は紅茶文化が盛んのようで、事実購買も珈琲豆よりも茶葉の方が充実していた。
 早速ですが、と紅茶を一口嚥下して話を切り出したのは、この学園の最高責任者であるディア・クロウリーであった。この世界の常識が赤子以下であるユウを始めから名門校の学生として身を置かせるには流石に無理があると判断し、まずは学園の雑用係として雇用。給金も発生するため、その給金で生活費を賄って欲しい。初任給が支払われるまでの一月は、学園長の責任の下、生活費を支給するためそちらで生活して欲しい。元の世界への帰り道は学園が責任をもって探すため、暫し時間を貰いたい。雑用係として働く傍ら教員一同でこの世界の基本的な常識や文化などを教えるから、都度学んで教養をつけるように。これが学園側から提示する保護条件だった。
 てっきり役所等に保護申請されるものだと思っていたユウは意外にあっさりとした条件に目を瞬かせたが、思えば昨日の学園長の言動から、何としてもユウの存在については世間にひた隠しにしたい印象が見て取れた。つまり、身の回りの生活や安全を確保するから、役所に届けは出さないで欲しい、と言ったところだろうか。雑用係などと名目は打っているが、給金が発生し、きちんと労働者として雇用する以上、戸籍は必要となるためこの三名の内一名の養子となるが誰が良いか、というトレインの問いかけには、学園長以外ならどちらでも、と返す。学園長が膝を抱えてさめざめと涙を流していたが、ユウにとっては今後の生活が懸かっている以上、信用が少しでも置ける存在が良いに決まっている。理由を端的に述べれば、クルーウェル、トレイン両名は納得した顔で頷いた。

 「ならば、私の養子という事で良いだろうか。年齢的にも無理はないだろう。」
 「俺の妹として戸籍に入れば良い。昨日のインテリアセンスは中々なものだ。躾ければより良いレディになるだろう。」
 「貴方好みの、でしょう。」
 「さてレディ?どちらを選ぶ?」
 「どっちでも良いです。これ以上長引くなら、サムさんにお願いしに行きます。」

 面倒事の気配を察知したユウは、早々に視線を雇用契約書へと移していたため、結局正攻法の一発じゃんけん勝負の勝者となったクルーウェルの養子、というよりほぼ義妹として戸籍を取得する事に相成った。デイヴィスが嫌になったら、いつでも私のところに来ると良い、とトレインが念を押すあたり、彼もまだ完全には諦めていない様子だった。
 出逢って二日目。共に過ごした時間は半日にも満たしていないにも関わらず、随分と信頼を置いてくれるものだ。その事にも驚きを見せていたユウだが、身寄りのないレディを保護するのは紳士として当然のこと。問題児が何かと多いこの学園で、珍しく素直で礼儀正しい女の子ともなれば可愛がりたくなるのも当然、という理由になっているのか解らない理由の下、ユウは晴れてナイトレイヴンカレッジで教鞭を奮う大魔法士達の庇護下に入る事となった。


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 生徒達には、各寮の寮長を通じてユウの存在が周知される事になったようで、日中に学内をうろついても特に生徒達から絡まれる事は無かった。それどころか、大荷物を抱えて移動していれば、さり気なくサポートに入ってくれる等、教員も紳士であれば生徒も紳士であった。
 しかし紳士的な対応は女性であるユウのみに発揮されるようで、教員達が問題児ばかり集まると頭を抱えていた理由がよく解るほど、ユウは生徒間で衝突しあう現場を頻繁に目撃した。肩がぶつかったから、なんてのは良い理由な方で、目が合ったから、とか、何となくそんな気分だったから、という実に不明慮な理由で喧嘩が勃発する事もままあった。
 目と目が合った瞬間にバトル始めちゃうバトル中毒者達の集いかな、なんて感想を抱きながらも、これまでの生活でガラの悪い連中に絡まれる事に慣れていたユウは、特にそんな生徒達に怯える事もなく、与えられた仕事を的確に熟していった。その手際の良さ、器量の良さ、そして屈強な男達に囲まれようが、激しい殴り合いの応酬をしている現場に立ち会おうが、ケロリとした様子で過ごす姿に、次第に生徒達も一目置くようになったようで、中には逢えば気さくに声を掛けてくるものまで現れ始めた。
 そんなある日の早朝。生徒達の登校時間よりも早く始業しているユウは、グリムと共にメインストリートの落ち葉清掃を行っていた。体格的にもユウと同様に労働を熟す事は難しいと判断した事、またユウの強い要望によりグリムは一生徒として特例で入学が認められることになったのだが、部活などに所属しているわけでもなく、また寮もユウとグリムの一人と一匹という事もあり、授業前の早朝や授業後の放課後の仕事は二人で熟す事が多いのだ。落ち葉清掃一つとっても、グリムにとっては例えば風魔法の練習になる、と気に入っているようで、喜んでユウの手伝いを行っている。何よりユウと共に過ごせる事に大きな喜びを抱いているようで、ふなふなと機嫌よく風魔法を繰り出す姿は、元の世界で共に過ごしてきた、愛する手持ちポケモン達を連想させて、ユウにとっても喜ばしい事だった。

 「そういえば、この七つの像は有名な人なの?」
 「グレートセブンっていう、偉大な魔法士だってトレインが言っていたぞ。昨日の授業でもグレートセブンの歴史について教えてもらった!」
 「へえ。ちゃんと勉強していて偉いねぇ。あとで私にも授業お願いします。」
 「ふな!任せるんだぞ!」

 エッヘンと胸を突き出すように腰に手を当てるグリムの可愛らしさにノックアウトを喰らいながらも、箒を掃く手は休めずに、ユウは着々と仕事を済ませて行く。あとは集めた落ち葉を纏めて捨てるのみ。その段階になったところで、背後から聞こえた調子の良い声に一人と一匹は振り返った。
 グレートセブンも知らねぇの?小馬鹿にした様子で笑う明るいテコラッタの髪色をした、目許にハートのスートを描いた青年の姿。制服姿ではあるが、腕に取り付けられた腕章から、ハーツラビュル生である事が伺える。登校時に話題の女の子が最近クラスメイトとなった魔獣と共に雑談している姿を見て、からかい交りに会話に参加しようとした青年であったが、パーソナルスペースが広めであるユウには、突如現れたかと思えば馬鹿にしたような声音で嫌味を言う陰険な生徒、という印象しか与えず、明らかな弱者にマウント取って楽しいですか、という鋭い一言に声を詰まらせる事となった。

 「何だよ、ちょっとからかっただけじゃん!」
 「見知らぬ同年代っぽい人に、そんな事も解らないの馬鹿じゃーん、て指を指して笑われたら、貴方はどう思いますか?」
 「そいつをぶっ飛ばしたいと思います。」
 「つまりは、そういう事です。」
 「俺別に馬鹿とも言っていないし、指もさしてないだろー!?」
 「でも内心こいつら馬鹿だな〜って思ったし、指さして笑う勢いだったでしょう?」
 「ちょっとだけ。」
 「つまりは、そういう事です。」
 「ごめんって!」

 パーソナルスペースは広いが、それなりにノリは良いユウのため、初めましての青年相手でも会話は割とテンポよく進んでいく。そしてその会話を聞いていたらしい青年がもう一人。耐え切れずブフッと空気を噴き出したその人は、ミッドナイトブルーの髪色にスペードのスートを目許に描いていた。スートを描くのが昨今の若者の流行なのだろうか。少しズレた感想は、やはりユウの心内に留まったため、誰かに聞かれる事も指摘を受ける事もなく流れて行く。
 聞けばスペードのスートを入れた青年も、ハートのスートを入れた青年同様ハーツラビュル生であり、しかも同じ一年生、同じクラス、そして同室だという。仲良しじゃん、というユウの感想には、声を揃えて、気持ち悪い事を言うな、と否定してきた。仲良しじゃん。
 彼ら二人———エース・トラッポラとデュース・スペードは、グリムともクラスメイトのようで、異例の入学を果たしたクラスメイトと、話題の女の子を見かけたため声を掛けたという。うーん、思考が陽キャ。しかし今やこの世界の相棒となったグリムが、クラスメイトとも良好な関係を築けているのだと知って、ユウは微笑ましさを覚える。

 「それより、そろそろ行かないとマズいんじゃないか?予鈴鳴ったぞ。」
 「ばっか!それを早く言えよ!!」
 「ふな!ユウ、行ってくるんだぞ!」
 「はい、いってらっしゃい。気を付けてね。」

 バタバタと慌ただしく駆けて行く二人と一匹の背を見送って、ユウは掃き集めた落ち葉をビニールにまとめる。あとはこれを焼却炉に持っていけば早朝の仕事はひと段落。この後は、クルーウェル先生の実験準備のお手伝いと、昼前にトレイン先生の資料作成のお手伝い。昼食を挟んだら、温室の掃除や指定された植物の手入れ等が待っている。意外に忙しない一日ではあるが、数年前にはカントー、ジョウト、ホウエン、シンオウを一通り巡る旅も経験したユウにとっては、左程しんどさは無い。フィジカルもメンタルもある程度鍛えられている彼女だからこそであるが、この世界の一般的な女性にしては中々ハードな一日らしく、クルーウェルやトレインを始め、多くの教員から何かと労わりの声は掛けられるし、少し休憩すると良い、とお茶やちょっとした菓子を勧められる事もある。
 文化が違えば価値観も違う。問題児だらけの生徒を纏めながらも、教鞭を奮い、自身の研究に励み、更にはユウに基礎を教える先生達の方が余程重労働じゃないかな、とユウは感じたが、それに助けられている身であるため、余計な言葉には口を噤み、早速空き時間でこの世界の歴史について簡単に解説してくれるトレインの言葉へと耳を傾けるのだった。