聞き飽きた切実な言葉の束

 夕飯を終え、食後の一服をまったりと楽しんでいた。見せたいものがあると、少しの時間離席したワタルがリビングに戻ってきた際、やけにニコニコとした様子ではあるな、とユウは感じていたが、余計な詮索はしない方が身のためだと気付かないふりをしていたのに。
 スッと差し出された書類に否応が無しに視線を落とせば、それは何かの契約書のようだという事が見出しから読み取れた。思わずすぐ下の詳細を確認してしまえば、有能寄りのユウの頭はすべてを理解する。特にCM出演という単語が印象的な説明文。ざっと要約すれば、弊社の商品CMに出演してくれませんか、というお誘いという名の契約書だった。

 「ナニコレ。」
 「契約書。」
 「見ればわかるよ…何でこれを私に見せてきたのって意味。」
 「先方の依頼は、俺と君の出演らしい。」
 「ん?」
 「20〜30代の女性をターゲットにした化粧品のCM出演依頼だ。俺と、ユウの。」
 「…私一般人なんですが?」
 「はは。俺だって厳密には芸能人ではないが。まあ、君がただの一般人という枠に既に収まっていない事は察しがついているだろう。」

 もう随分と昔からその顔も名前も世間に知られているだろうに。ニッコリと笑みを深めさせたワタルに、ユウはそっと視線を逸らす。まあ確かに各地を巡る度にその地方で起こった問題事に巻き込まれ、その都度跳ねのけてきた自覚はある。毎回ただジムチャレンジの旅をしていただけの自分が、何故その地方で暗躍していた犯罪組織にこうも巻き込まれねばならんのだ。トラブルに巻き込まれる運命にでもあるのだろうか。
 それとは別に、ポケスタ等の所謂SNSを通じてユウの顔と名前は世間に広く知られている。何せ世界的に超有名人な男が従兄で、彼と交流のある同じく世界的に有名な各地方のチャンピオンやジムリーダー達と顔見知り、且つ今ではレジェンド等と呼ばれている二人が兄貴分なのだ。彼等のアカウントによく映る女の子ともなれば世間が放って置くわけもない。ユウも特に拘りは無かったため、モザイク処理や顔出しNGにしているわけでもない。
 そして何より、彼女はフスベが誇る優秀なドラゴン遣いの一人。本人が自称している訳ではないが、当然その実力はお墨付きであるし、世界レベルで言ってもワールドクラスに入る実力トレーナーだ。ぶっちゃけてしまえば、本気のバトルをすればワールドチャンピオンと名高いレッドすら打ち負かす事もあるほどに。だいたい3回に1回くらいの勝率。
 そんなユウは、ワンダーランドでは学生と同世代の未成年という立場であるが、こちらの世界では既に成人済みでもある。因みにこちらの世界は15歳で成人となる。そんなポケモントレーナーとして世界レベルの実力保持者であり、周辺の人々が挙って著名人、そして美醜で言えば美に分類される顔立ちとルックス。これだけの要素が揃っていれば、イメージを大事にする大企業が放って置くわけも無く。以前、毎日のように芸能プロダクションからスカウトが来ていた時期があったが、実はそれ等すべてがユウの眼に入る前に、周辺の人々がシャットアウトしていただけである。まあ、そのせいでユウ自身は、大した人間ではない、と自分をかなり過小評価しているきらいがあるのだが。

 「どういった撮影にするかは、後日改めて説明があるようだが。どうする?」
 「やる訳ないじゃん。」
 「嫌か?」
 「というか、ワタル君だって今までこういうの全部断っていたよね?何で急に?」
 「実はこのオファー、先日の君の友人とのツーショットが切欠らしい。」

 先日の友人とのツーショット。それで思い出すのは、マブ達とお泊り会をした時にロトムが(一部ユウの断りなく)挙げていた数枚の写真だろう。化粧品会社からのオファーとなれば、エペルとのメイク写真以外考えにくい。
 本当はそのご友人と二人で出演して欲しい、という依頼が当初のそれだったんだがな。流石に異世界の況してや、あちらでは未成年の子に依頼するわけにもいかないだろう。そこで俺に白羽の矢が立ったというわけだ。此処に至るまでの概要をざっと説明したワタルへ向けるユウの眼は未だ訝しげであった。この大手化粧品会社がユウに目を付けた理由は、今の説明で納得出来たが、エペルの代わりにワタルが出演する理由が未だ不明瞭なままだったから。

 「エペくんの代わりにワタル君が出る事になる理由は?普通に断ればいいのでは?」
 「実はこの会社、リーグのメインスポンサーの一つでな。」
 「それがもう全てじゃん。ぶっちゃけエペくんの方がついでじゃん。」
 「という訳だから、頼めないか?」
 「因みにそれ拒否したらどうなる?」
 「今後のスポンサー契約に響く可能性があるから、それなりの仕事をユウにやってもらうかもしれない。」
 「つまりイエスかはいか喜んでしか選択肢無いじゃん!!」

 五体投地でもしそうな勢いで天を仰ぐユウに反し、ワタルの笑みは変わらない。契約ごとだしリーグ関係の仕事とも言えるから念のため確認はしているけれど、ユウの言う通りこれはほぼ決定事項。契約書のサインこそまだであるが、ワタルは既に先方に色良い返事をし終えている。
 次の打ち合わせは二週間後だから、そのつもりで。さっさとサインしろという副音声と共に差し出された万年筆を親の仇の如く睨み付けたユウだったが、それで事態が一変するわけもなく、いやいやながら契約書の署名欄にサインをするのだった。


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 二週間なんていう時間はあっという間で、ユウがどれだけ嫌がろうが時間は等しく進む。そんな状況下であっても教職員の補佐の仕事は疎かにしないし、撮影に向けてコンディションもしっかり整えていた。ポムフィオーレ寮長が目の色を変えるくらいにはしっかりと。
 一度、同寮のエペルを通じて、先日の彼とのツーショットも踏まえて話がしたい、とアポイントメントを取られたが、対応が絶対に面倒だと解っていたので、ちょっと今手が離せないです、とあっさりキッパリお断りした。同じく面倒事を予感したエペルも、断っておくね、と即決してくれるくらいには。
 そんなこんなで二週間後、場所はタマムシシティのとある商業ビルの一角。今回スカウトしてきた化粧品会社の本社ビルの会議室にユウとワタルは訪れていた。内心は死んだ顔だが、表にそれを出す事はしない。例えその会議に化粧品会社の社長自らが参加していたとしても、だ。

 「以上が本件のコンセプトになります。つきましては、このコンセプトに合わせて撮影を行いたいと思うのですが、お二人は何かご希望などはございますでしょうか?」
 「いえ、特には。何分、経験があまりないモノですので。」

 余程コンセプトイメージからかけ離れていなければ、ある程度の要望は聞いてもらえるようだが、ユウの第一にして最大の要望は『撮影したくない』の一点であるため、それが叶わぬと言うのならば、もうあとは野となれ山となれ。うふふ、と淑女らしい笑みで持って同じく要望なしと答えたワタルに賛同するように頷いた。
 では撮影は翌週に行わせていただきますので、よろしくお願い致します。細かな調整や今後の予定を確認した後、本日の打ち合わせはお開きとなった。わざわざエントランスまで見送りに来た今回のプロジェクトのリーダーとその直属の上司からの手厚いお見送りを受けながら、正面玄関の自動ドアを潜ったのと同時に、ユウは馬鹿でかい溜息を一つ。殆ど座ってニコニコと笑っていただけなのに阿呆ほど疲れる。

 「私CMだけしか聞いて無かったんだけど?」
 「先方がどうしても、というからな。」
 「それ言えば何でも赦されると思っていない?」
 「はは。」

 ははっ、じゃ無いんだわ。しかしワタルに文句を言ったところで後の祭り。CMのみだと思っていた今回の仕事、何と広告用と雑誌用の撮影も含まれていた。
 ワタルも知った様子で話を聞いていたから、敢えて事前説明しなかったのだとユウは即座に理解した。確かにそんなてんこ盛りになれば絶対に断っていた。何ならワンダーランドに逃亡していた。ユウ自身でも簡単に予想が付くのだから、ワタルが予想出来ないわけがない。
 今回取り扱う商品はリップグロスとアイシャドウ、アイライナーとファンデーションの四種。それぞれユウとワタルをイメージしたカラーで各種二色ずつ展開する。ジェンダーレスとして売り出す予定の商品らしい。ユウは今回の打ち合わせでもらった商品カタログをパラパラと捲りながら、帰路をのんびりと歩く。

 「撮影日、仕事の方は問題ないか?」
 「元々おやすみの日だから大丈夫。寧ろそれはワタルくんの方では?」
 「俺も余程の緊急事態が発生しない限り問題ないよ。」

 いっそその余程の緊急事態でも発生して、撮影が無くなって仕舞えばいいのに。嫌なことを目前に控えた子供のような心境で、ユウはもう一度重たい溜息を一つ吐き出した。