わかりたくなかった残骸

 マブ達との楽しいランチタイムを楽しんだユウは、意気揚々と午後の仕事に取り組んだ。ミステリーショップでの品出し、飛行術用の箒の手入れ、次の会議資料の作成等々。タスクは多いが生来の手際の良さや的確な処理能力を存分に発揮し、最後のトレインの研究室での書類整理を終えたところで、業務終了の定時時刻の鐘が鳴った。

 「ではトレイン先生。本日はこれで失礼しますね。」
 「ああ、助かった。ありがとう。気を付けて帰るように。」
 「はい。お疲れさまでした。」
 「お疲れ様。」

 ユウが先日のマジカメ投稿を受けて、多くの生徒から狙われている事を教師陣も当然ながら把握している。それとなくサポートを入れる予定であったが、ポケモン達の協力の下、生徒達から逃れているユウを見て、逆に余計な世話となるだろうと早々に判断した有能な魔法士達は、せめて一人きりの環境下にならぬよう、自分達の目の届くエリアでの仕事を多く頼むことに留めた。それさえも機敏に察したユウからの、せめてもの礼だと手渡されたスコーンは、現在トレインの小休憩の紅茶のお伴となっている。
 丁寧な洗練された所作で一礼したユウは、手元のスマホで退勤処理を行うなりトレインの研究室を後にする。昼休みにマブ達と放課後改めて合流する約束をしたため、足早に合流場所である鏡舎へ向かうが、その道中で当然のように姿を現した人影に、やはり把握していたか、と面倒くさそうに肩を竦ませた。

 「やあ!今朝ぶりだね。」
 「どうも。」
 「では、参ろうか?トリックスター。」
 「お断りしたはずです。」
 「こちらも申した筈さ。悪いが諦めてくれ、とね。」

 今朝と同じ言葉を返したところで、同じ展開になる事は容易に想像がついた。仕方なくユウは直ぐ脇で浮遊していたスマホロトムに、マブに連絡入れて、とだけ伝えて上着のポケットへしまう。対面に立つルークが行動を起こす前に踵を返して走り出せば、ワンテンポの遅れと共に狩人との追いかけっこがスタートした。
 走る速度は緩めず、インカムを右耳に装着すれば、グループ電話に応答してくれたマブ達が次々に所在確認や他の先輩達の情報共有が入ってくる。手短にルークに追われている事を伝えれば、エペルとジャックが声を揃えて、マジか、と溢した。同寮のエペルとサバナクロー寮のジャックは、ルーク・ハントという男の執拗さや狩人しての実力をよく知っているからだ。
 大丈夫かよ、と心配の声を上げたジャックへ、問題ないよ、と返したユウは、廊下の角を曲がり、階段を駆け下りる。放課後という時間帯から、生徒の姿もチラホラとあるが、その間を器用にすり抜ける姿に、ルークの口許は益々愉悦に吊り上がった。獲物が逃げれば逃げるほど、狩人としての血が騒ぐ。あの素早い獲物を的確に仕留めた時、彼女はどんな反応を示すのか。

 「ボーテ!素晴らしい身のこなしだよ、トリックスター!!」
 『おい今ルーク先輩の声が聞こえたんだが?』
 「流石狩人の異名を持つ人だね。ずっと一定の距離を保って追いかけてきている。」
 『ほんに大丈夫が?』
 「うん。とりあえず適当に振り切る。」
 『ルーク先輩相手に適当に振り切れるのかよ…』

 通話越しに聞こえたのだろう、ジャックとエペルが心配した様子で声を掛けるが、ユウは特に焦る事も無く階段を下りた先の廊下を走り抜け、反対側の階段を駆け上がる。上へ下へと奔走するも、背後の狩人の気配は消えない。手鏡越しに確認した背後のルークは、愉しそうに口許を歪めているが、その双眸は絶好の獲物を前にした狩人そのもので、何時の間に取り出したのか、その背には弓と矢筒が背負われていた。
 現在走っている廊下の突き当りを曲がり、その先にある階段を更に駆け上がれば、使用用途は不明だが幾つかある尖塔の一つに辿り着く。行き止まりになるがユウの狙いはその尖塔の部屋の大窓。この時間は換気のためにゴースト達が大窓を開けているのだ。
 対してルークもまた、彼女が向かっている目的の予想を立てていた。階段を上がったり下がったりしているのは自身を振り切ろうとするため。闇雲に走り回っているようで、何処か目的地を定めて走っているのは明確。しかしこのルートを進めば辿り着く先は何処も行き止まりの筈だ。思慮深く洞察力も鋭いユウが、自ら袋小路に迷い込むような手を打つとは思えない。

 「何か明確な意図があるのだろうね。」

 魔力を一切持たない彼女には、魔法を使える不思議な魔獣を多く従えていると聞く。その姿を実際に目にした機会は、ルークはまだないが、彼が敬愛するヴィルが一度、同じ世界の魔獣を見た話は聞き及んでいる。寮長クラスの魔法をあっさりと相殺した炎の魔獣と雷の魔獣。さて彼女はその魔獣をどのように扱うのか。次々に湧いてくる好奇心と探求心に、ルークの心情はかつてないほど高揚感に湧き上がっていた。
 段々と絞られていくルートに、ルークはユウがとある尖塔に向かっている事に気付く。このまま尖塔に入れば、螺旋階段を登り切った先の小部屋が一つあるのみ。そこに何かがあるのか。考えを巡らせていたルークは、しかし尖塔の入口のドアを潜り抜けたところで、ユウの真の目的を目の当たりにする。
 螺旋階段に射し込む美しい色彩。それを生み出しているのは、壁一面に広がる大きな開閉式の窓のステンドグラス。その大窓がこの時間は換気のために開いている事をルークも知っていたが、問題はその先。数十メートル先を走る魔力を持たないレディが、何の迷いも無くその窓から身を飛び出したのだ。
 急いでその窓に駆け寄り落下先を見遣るが、確かに身を投げ出して落ちて行ったユウの姿はない。代わりに頭上から聞こええ来た獣の咆哮にルークが顔を上げれば、マンダリンオレンジのドラゴンのような見た目をした魔獣の背に乗るユウの姿を捉えた。

 「これは…何と狩り甲斐のある獲物だ…!」

 窓枠に足を掛けて慣れた動作で弓を番えたルークは、魔獣の右翼に狙いを定めて矢を放った。ルークの魔力が込められた矢は、通常の弓が放つスピードを遥かに凌駕した速度で一直線に狙い定めた右翼へと突き進むが、その鏃が右翼を貫く直前に見えないシールドに阻まれて動きを止める。眼を見開くルークの視線の先、魔獣の背に跨るユウの前にもう一匹、今度は随分と小柄なライラックの軟体動物のような魔獣が二本の触覚をユラユラと揺らめかせていた。
 続く二射目も見えぬ壁に阻まれ、三射目を番えた時には既に射程圏内を超えてしまい、ルークは小さな舌打ちと共に構えを解く。彼女に追いつくためにはルーク自身も飛行術を用いる必要があるが、生憎手元に箒は無い。ディアソムニアの寮長や副寮長のように浮遊する術を持たぬルークとの追いかけっこは、そうして幕を閉じた。


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 鏡舎は多くの生徒達が行き交う場所であるが、その分監視の目も届きやすい。ユウの状況を逆手に取ったマブ達の機転により、現在鏡舎には体育教師のバルガスが監視役として立ち会っているため、他の生徒は手を出せない状況だった。一足先に集合したマブ達は、ルークを撒いた、という報告に一瞬宇宙を背負いかけたが、続く鏡舎の外からの生徒達の悲鳴にバルガスと共に駆け付ければ、丁度マンダリンオレンジの魔獣の背から降りるユウの姿があった。

 「ユウ!」
 「あ、みんな。お待たせ。」
 「マジでルーク先輩から逃げ切ったのか…」

 信じられん、という様子で呟くジャックの言葉に、うん、と返事を一つ返したユウは、ドラゴンと呼ばれたマンダリンオレンジの魔獣———リザードンの背を撫でる。甘えるように顔を寄せてきたリザードンの頬をひと撫でし、その鼻先に口づけを一つ送ってから、ありがとね、という労わりと感謝を込めた言葉を伝えてから、手元のボールへと戻した。
 どうやって逃げ切ったの、と興味津々の様子で駆け寄ってきたエペルへ、この十数分の追いかけっこをざっくりと説明したユウは、窓からフライハイ、の件でセベクの眉間に縦皺が出来た事を察知してそっと口を噤む。しかし時すでに遅し。危ないだろうが、と声を張るセベクの声量にグリムとジャックが咄嗟に耳をペタンと倒した。

 「いくらリザードンがいるとは言え、万一があったらどうする!」
 「あい、ごめんなさい…」
 「良いか、次からは絶対に一人でそんな真似をするんじゃないぞ!空を飛ぶ時は僕達がいる前でしろ!」
 「…つまりマブ達の前であればフライハイしてもオーケー?」
 「地 上 か ら 飛 べ !!!」
 「あいすいません…」

 5セベク程の声量で真正面から怒られたユウは、キーンと耳鳴りを覚えながら大人しく小さく縮こまる。二次被害を受けたグリムとジャックから、余計に怒らせるな馬鹿野郎、と苦言を頂き、また他のマブ達からも、一言余計、とツッコミを喰らって更に小さく縮こまる。
 唯一同伴していたバルガスのみ、例のドラゴンのような魔獣に対してはノータッチか、と遠い眼をしていたが、すっかりポケモンいう異世界の魔獣の存在を見慣れ、また馴染んでいるマブ達には当然気付かれる事は無かった。リザードンの存在に驚き腰を抜かして悲鳴を上げた生徒達だけが、バルガスに同情の眼を送っていた。