薔薇色のカーテンに身を包んで

 ユウとの交渉に失敗したどころか、とんだ返り討ちに遭ったアズール・アーシェングロッドは、ユウからの忠告を受けて、今年のイソギンチャク騒動に関しては事を大きくする事はせず、既に契約済みの生徒にのみ、契約違反者に対して二ヶ月間の無賃労働を課すだけに留めた。意図せず、クロウリーの望み通りに事が運び、当人は面倒事が一つ解決した事に一安心しつつ、来るウインターホリデーに向けてこっそりと観光雑誌に目を通していた。因みに業務中であったため、それに気付いたユウが、バカンスに行くんですか、と尋ねた事によりトレインの耳にも入る事になり、雷を落とされていたが。
 そしてウインターホリデーとなれば、生徒達の多くも一時帰省をする期間となる。定期試験を終えて日夜勉強漬けだった日々からも解放された生徒達は、皆意気揚々と帰り支度を始めている。テスト返却も終わってしまえば、いよいよナイトレイヴンカレッジはウインターホリデーの空気に包まれていた。

 「教職員も休みになるんだろ?ユウは向こうに帰るのか?」
 「うーん。特に何も決めていないけど、多分そうなるんじゃないかな。」
 「じゃあ、次逢うのは年明けだな。」
 「そうだね。よいお年を。」
 「気が早くね?」

 そうしてここ1−Aもまた、来るホリデーにクラス内が湧いていた。担任であるクルーウェルの手伝いとして課題配布を行っていたユウに声を掛けたのは、当然ながらエースとデュースのハーツラビュルコンビである。課題用のテキストの分厚さにげんなりとした様子ではあるが、他の生徒達同様、ホリデーへの楽しみは変わらないらしい。

 「ホリデー期間中は鏡も停止するから、気軽に行き来出来ねぇしなぁ。」
 「まあ、何かあれば電話やネットは通じるから。」
 「エース、課題サボるんじゃねぇゾ。」
 「何で俺だけ?デュースは?」
 「…終えられるだろうか…」
 「リモートで勉強会でもしたら?」
 「それいいな!」

 早速リモートの日程決めでわいわいと盛り上がる相棒とマブ達に微笑ましさを覚えつつ、ユウはこの後の予定を脳内で再確認する。各教室でのHRが終了したら、学年ごとに鏡舎へ移動、生徒全員の帰宅を見送ったのち、学園内の軽い点検を経て、教職員も随時業務終了となる。
 本来ならば大人数故、時間こそかかるも、そう問題は起こらないはずの最終業務であるが、何といってもここはナイトレイヴンカレッジ。一癖も二癖もあり、悪知恵ばかり無駄に働かせるヴィランの素質がある生徒が多く集う学園。整列一つにしても何処かしかで騒動は起こるし、お利口さんに順番に並ぶなんて事も時には難しかったりするのだ。


****


 予定調和というべきか。割り込みされただの、後ろの奴に押されただの、早速騒動を起こそうとしている生徒達を宥めつつ、ユウは鏡舎にて帰宅する生徒達の見送りに勤しんでいた。口論から殴り合いに発展しそうな場合は、問答無用で喧嘩両成敗とし、難癖をつける生徒には軽く解らせながら幾ばく。開始数十分で既に疲労困憊の域に達しそうになっていた。

 「何で一列に順番に並ぶ事すらままならないの…」
 「ナイトレイヴンカレッジだからナ。」
 「エレメンタリースクールでも、もっと大人しくお利口さんに整列出来るよ…」
 「ナイトレイヴンカレッジだからナ。」

 グリムの言う通りに、結局二言目にはナイトレイヴンカレッジだから。そういうところだぞ。そう頭を抱えたのは、なにもユウだけではない。毎年この作業に追われている他の教員はもっと前からそう常々思っているのだが、この教師にしてこの生徒あり、ともいうべきか。彼等もまた学生時代に似たような道を歩んできただけに、強く言う事は出来ないらしい。
 殆ど学園にいない四年生を除き、三年生から順番に案内をしていって、生徒も殆ど少なくなってきた頃。整列案内をするほどの長蛇の列でもないので、鏡の前で最終点呼役を請け負っていたユウは、告げられた名前に名簿から視線を持ち上げる。

 「ジャック。風邪ひかないようにね。」
 「当たり前だろ。お前こそ、あんま無理すんなよ。」
 「うん。また新学期にね。」
 「おう。…ホリデー中も、連絡するから。」
 「楽しみにしている。」

 たくさんのサボテンを抱えたジャックと軽い挨拶を交わして、鏡を潜る背中を見送る。その後も続々とやってくるマブ達に一声ずつ言葉を交わしながら見送り、とうとう最後の生徒を見送ったところで、帰宅する生徒全員の見送りが完了した。
 人数に相違が無いか名簿を再確認していたユウへ、ご苦労様でした、と声を掛けたのは、アロハシャツにペストマスクという、何とも不気味なアンバランスを生み出していたクロウリーである。ホリデー前から南の島へとバカンスに行く計画を立てていた事を知っていたユウは、浮かれているなぁ、と生温い目でキャリーケースを引き慌ただしく鏡を潜っていくクロウリー見送る。教員達がまだ残っているのに、最高責任者がいの一番にバカンスへ飛んでいくのは如何なものなのか、というツッコミは、最早愚問なのだ。


****


 トレインやクルーウェルを始め、世話になった教員達へ一通り挨拶を済ませてから、ユウもギラティナと共に元の世界へと帰省した。昼過ぎには終了する、という予定通りに無事学園での今年最後の仕事を終えた事に一安心を抱きつつ、ユウはグリムと共に本日のランチの準備に取り掛かっていた。
 無事に一学期乗り切ったグリムへのお祝いと、ユウへの労りを兼ねて、夜はリッチにレストランでディナーを取る事にしているから、昼はお家で簡単なものを。そんな理由で本日のランチはツナとホウレン草の和風パスタである。

 「ユウ、お帰り。」
 「ただいま、ワタル君。それからおはよう。今起きたの?」
 「ああ。カイリューが教えてくれた。」
 「そっか。緊急連絡で明け方まで仕事だったんでしょう?お昼食べる?」
 「何も食べていなかったんだ。助かる。」

 昨晩、ポケモンGメンとして緊急招集に行っていたワタルが帰宅したのは、今朝方の事である。一晩中ポケモンの乱獲を行っていた犯罪組織の捕縛に勤しんでいたため、碌に食事や仮眠も取れず、帰宅するなり泥のように眠った、と彼のスマホロトムから連絡を事前に受けていたユウは、形式上ワタルに確認はしたが、最初から彼を頭数に含めた分のランチを用意していた。
 ユウをディナーに誘ったのもまたワタルであったため、無理をしていないか気がかりであったが、今晩のために無理やりでも仕事を朝方までに終わらせたのだと言われてしまっては、苦い笑みを溢すしかない。彼が今晩の外食を楽しみしている事が、ありありと解ってしまうだけに、苦言を呈する事も出来ないのだ。

 「ホリデー期間中はずっとこっちにいるだろう?」
 「うん。グリムは課題とかあるけど、私は特に何も無いから。」
 「それなら、俺の仕事の付き添いをお願いしても良いか?」
 「付き添い?」
 「以前から、ガラル地方のリーグからエキシビジョンマッチの誘いを受けていたんだ。今回でGメンの大掛かりな仕事もひと段落付いたし、お互いのリーグ交流の観点からも受けようかと思ってね。」

 ガラル地方でも色々と騒動があって、この間それも漸く終息し、チャンピオンも代替わりしたから復興も兼ねて丁度いい機会だと、ワタルの説明を受けながらユウはスマホロトムに表示された画面を覗き込む。カントー・ジョウト地方よりずっと北東に位置するガラル地方は、最近メディアでも多く取り上げられていた注目の場所である。何でも地方の中心部に広大な国立公園があり、多くのポケモン達が野生と同じような環境で保護されているエリアがあるとか。
 エキシビジョンマッチとして誘われているのは、カントーチャンピオンからワタル、ジョウトチャンピオンからゴールド、そして特別枠でレジェンドと呼ばれているレッドとグリーンの四名。ホテル等はホスト側のガラルリーグがすべて手配しているが、エキシビションマッチだけでなく、ガラル各地に訪問して交流会という名の小旅行も兼ねている。当然仕事として動く事も多いが、自由行動出来る日もあるから、秘書というか世話役として同行して欲しい、というのがワタルの言である。

 「私は別に良いけど、何時から行くの?」
 「クリスマス明け、年末イベントとしてエキシビションマッチを行い、新年イベントとして各地訪問を行うから、まあ、年末年始、だな。」
 「つまり実家への帰省拒否の体のいい言い訳ってこと。」
 「はは、仕事熱心と言ってくれ。」
 「はいはい。まあ、今年はお父さんもお母さんも長期旅行でいないから、煩いのしかいないだろうし。…イブキちゃんは拗ねそうだけど。」
 「拗ねさせとけば良いさ。」
 「も〜。ご機嫌取りに駆り出されるこっちの身にもなって。」

 リーグ同士の更なる発展や交流の切欠となる重要な仕事、と言えば聞こえはいいが、その仕事を受ける大半の理由である、フスベ延いては実家への帰省を避けたいためである事が明け透けな日程だが、ワタルと同じくお見合い催促だの、古臭い年寄り共の要らぬお節介や慣習だのに辟易していたユウも、帰省出来ない理由があるのは有難い。今年はフォローに入ってくれる両親も不在のため猶更に。
 実は、ユウの両親がいない事で淋しさと独占欲が爆発した本家当主とその弟———即ち父親と叔父から、ユウを絶対に帰省させろ、と脅迫紛いの連絡を鬼電の如く受けていたワタルが、仕返しとしてユウを独占しようとしている裏事情がある事は、画策したワタル本人と、鬼電を受けたスマホロトムが挙って口を閉ざしたため、ユウが知る事は無い。
 せめてもの慈悲として、ガラルでの新婚旅行()の写真をたくさんSNSで発進してやろう、と内心でせせら笑うワタルは、世間での彼のイメージである正義のヒーローとは真逆の、ヴィランそのものだった。