氷漬けのマネキンのように

 ユウのロトムは、ユウの事が大好きである。大好きだからこそ、色々なユウの姿や表情を記録として残しておきたいし、多くの人達にもその大好きなワンシーンを見て欲しいと思っている。それが、ユウの仲の良い人間達であるならば猶更に。しかしスマホに入り込むに至って、一応のネットリテラシーは持っているつもりだった。ユウが嫌がるような写真や動画はネットにアップしないし、個人情報等を特定出来てしまう物などは当然映すわけもない。彼女の近しい人間達に迷惑がかかるような行為も当然弁えている。
 早い話が、ロトムは彼女の事が大好きであり、そんな大好きな彼女をより多くの人間に自慢したくて、SNS等をメインに(独断と偏見で)広めているが最低限のモラルは守っている。ポケモンであるロトムですら遵守出来ているのだから、そもSNS等のネット社会を生み出した人間達は遵守出来て然るべきとすら思っている。
 だからこそ、そんな出来て当然の最低限のモラルすら護れない人間———中でも知能が発達している筈の、所謂大人と呼ばれる人間達が、彼女の生まれ持った個性や環境を一方的に非難する事に対して我慢ならぬ怒りを覚えていた。自分に破壊光線を放つ事が出来たら、そんな人間達に片っ端から、かのカイリューパイセンの如く顔面にぶっ放してやりたいくらいには憤りを覚えていた。
 ロトムはポケモンである。しかしスマホに入る事が出来る唯一のポケモンである。他のポケモン達よりも、より深く人間達の営みに触れ、その中に渦巻く様々な感情を見る事が出来る。即ち他のポケモン達よりも人間をよく知っている。人間とはどういう物なのかを理解している。

 ————ワタル様の仕事にまで付いていくなんて、ストーカーかよ。
 ————いくら親族だからって、馴れ馴れしい。身の程を知れ。ブスが。
 ————ワタル様を使って、他のジムリーダーやリーグの皆様に媚び売っている売女。

 ロトムがユウとワタルの許可を得てSNSにアップした空港でのツーショット写真に寄せられた多くのコメントの中に混じる誹謗中傷。今回のガラル同伴は、ユウが強引に付いていったのではなく、ワタルから一緒に来てくれと誘われたものだし、ユウは(ロトムの審美眼になるが)一般的な人間の雌よりも綺麗な顔立ちだし、他のジムリーダーやリーグ関係者に媚びなんて売っていない。寧ろ面倒事やら何やらを引っ提げて向こうからユウを囲んでくるくらいだ。そう、これらのコメントは、すべてユウへの嫉妬や羨望が生み出した、一方的な言いがかり。荒唐無稽な話である。
 知名度が上がり、世間にその存在が知られれば、それだけ粗探しや一方的な誹謗中傷が起こる事はままある。世界的に有名で人望の厚いワタルですら、アンチが存在するのだ。立場的には一般人でしかない彼女を、よく思わない連中が多いのは不思議な事ではない。
 しかしロトムはポケモンである。それも、ユウに自身の運命を託した手持ちポケモンである。いくら人間をよく知っていても、他のポケモン達よりも理解が深くても、彼はポケモンなのだ。ポケモンは基本、群れを一番に想い、同族へも多くの慈悲や配慮をする生き物だ。こんな、同じ種族なのに一方的に攻撃をするのは、人間だけである。だからこそロトムは赦せなかった。

 『マスターのこと、何も知らないくせに好き勝手いう人間なんて嫌いロト。』
 「ぶな…オメーの気持ちは分かるけど、それが人間っていう生き物だって子分が言っていたゾ。だからそんな小ちぇえ奴等なんて無視すれば良いんだゾ。」
 『でもムカつくロト!』
 「そんな奴等が何も言えなくなるくらい、子分の事を自慢してやれば良いんだ!オメー等が馬鹿にする子分は、こんなに凄くてかわいくて、人気者なんだゾ!って自慢してやれ!」
 『それは良い考えロト!やっぱり親分は頼りになるロト〜!』
 「へへん!俺様だからナ!」

 つい零れてしまったロトムの愚痴を拾ったグリムは、気にした様子も無くスマホ越しにロトムの頭を柔らかい肉球でポムポムと叩く。器の小さい生き物など歯牙にもかけず、ただ自分が信じたユウを想い続ければ良い、と。
 匿名の蔭に隠れてしか物を言えない連中等、所詮はその程度の存在で、いずれ多くに淘汰される運命なのだ。ならばそんな小さな存在など目に留めるだけ時間の無駄であり、そんな奴等を黙らせるだけの魅力を発信していけば良い。そう言ったのは、SNSで500万ものフォロワーを抱えるトップモデルだった。グリムは始め、その言葉の半分も理解出来なかったが、今ならばわかる。例え少数の小さな者が何を言おうとも、ユウはユウで、世間もそんなユウを認め焦がれている。そしてそんな彼女の傍に寄り添い、理解し、助け合い、慈しむことが出来るのは、群れの一員として許された者のみなのだから。
 彼等のそんな遣り取りをこっそりと盗み聞いていたワタルは、そっと安堵の息を溢してから、機内の座席でワタルの肩に頭を預けて眠るユウとのツーショットを、自身のアカウントに投稿した。その投稿は瞬く間に世界中へ拡散され、彼の仕事仲間を中心に彼等をよく知る者達から、『独占欲バリ高ドラゴン』、『新婚気取りかよ』、『今度は誰への牽制だ』、『竜王様の出張に強制連行されるお嬢が不憫でならんな』等々、冷やかし半分、ユウへの同情半分のコメントが押し寄せてきたが、その大半が『羨まけしからん』といった心情を含ませたものだとありありと伝わってきたので、ワタルは大満足で機内Wi-Fiを切断して、隣で眠る最愛の番(予定)に寄り添うように眼を閉じる。
 因みにワタルのスマホロトムが、寄り添って眠る二人の写真をこっそり二人の両親へチャットで送った事で、本家当主からの怒りと嫉妬が入り混じったスタンプと、嫌がらせのワン切連打攻撃が入ったが、スマホロトムが写真を送信するなり即座に機内Wi-Fiを再度切断したため、通知で叩き起こされる事態は免れた。代わりにガラルに到着するなり、阿呆みたいな量の通知が入ったが、それに腹を立てたスマホロトムが本家当主を着拒ブロックしたため、ワタルへは大したダメージにはならなかった。


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 SNSのコメントは親しい人達の通知しかオンにしていないユウは、ロトムが厭忌するほどの誹謗中傷について詳細はあまり知らない。そういった声がある事は認識しているが、エゴサーチをするような性分でもないため、基本的にはスルーの姿勢なのだ。
 だからこそ、トレンドに自分の名前が挙がった時は、とうとう炎上したか、なんて軽い気持ちであっさりと流してしまったのだが、SNS内はそれどころではない。ユウのアカウントで(スマホロトムが)ワタルとのツーショット写真と共に、これからガラルでお仕事です、と言った内容のコメントを投稿したかと思えば、数時間後にワタルの公式アカウントで、機内の座席にて撮影したのだろう、ワタルの肩に頭を預けて眠るユウとのツーショットが投稿されたのだ。
 以前から従兄妹という親族関係にしては、やたら親密過ぎる距離感や匂わせに一部のファンは、もしやこの二人デキているのでは?とまことしやかに噂されていたのである。今回の投稿はそんな彼等にある種の確信を与え、一部界隈では薄い本がとても分厚くなる事態が発生した。
 そしてそんなコアなファンだけでなく、ゴシップ記事を生業としている一部出版社や大衆的なファンもまた、ここ最近、同棲を匂わせる投稿や今回の投稿を見て、一部の物好きによる妄想でしかなかったもしやが、事実ではないのかと思い始める事となった。

 「ここまで全部ワタルさんの作戦だったとしたら、どう思います?」
 「純粋に怖い。」
 「…」
 「レッドさん、目逸らさないで欲しいっす。」

 ネットニュースでは既に多くの『熱愛報道!?』という見出しのゴシップ記事が乱立している。SNS上でも二人のアカウントの投稿をスクショして並べた画像が多く出回っている。そうなれば当然、現代っ子のゴールドや、彼に歳が近く仲も良いレジェンド組もその内容を知る事になる。
 ネット上でのお祭り騒ぎなど露知らず、と言った様子で見慣れぬ街並みを写真に収めるユウと、そんなユウにピッタリと付き添って周囲をさり気なく牽制しているワタルの姿を見た三人は、遠い目になりながら、一定の距離間で二人の後に続く。これで空気を読まずにユウの下へ駆け寄れば、『竜王様』と書いて『ワタル』ないしは『独占欲塊ドラゴン』と読む男から絶対零度の視線を喰らう事になるだろう。ドラゴンタイプの癖に氷タイプの技を使うとは何事か。因みに空気は読むものでは無く吸うものだ、を地で行くレッドは、即座にユウの下へ駆け寄ろうとしたが、当然ながら保護者係のグリーンに首根っこを引っ張られて止められていた。

 「オレもう帰って良いっすか?」
 「ダメに決まっているだろ。お前も道ずれだっての。」
 「今回のエキシビション受けたのって、絶対ワタルさんがユウと旅行するための口実っすよね?」
 「あと多分実家関連。」
 「はあああ。オレ等完全に巻き込まれ事故じゃないっすか。」
 「ねえ、ユウとワイルドエリア行きたい。」
 「レッドは少し黙れ。」

 ワタルに体よく利用された事を察しているゴールドは早速帰りたがるし、我関せずのレッドはこれだけ止めているのにユウへの突撃を諦めていない。何で俺毎回こんな損な役回りなわけ。グリーンは一人内心で涙を流した。これから起こり得るだろう様々なアレコレを想像して、そっと胃のあたりを擦る。トイレ行く?と変な優しさを見せるレッドには、八つ当たりの意も込めて頭を叩いておいた。