沈んだ恋を散らせましょう

 教員も基本的には生徒と同じ時間帯で昼休みに入る。例外として食堂で働くゴースト達や購買のサムは、昼食を求めてやってくる生徒や教員を相手に商売となるため、逆にこの時間帯が割と忙しかったりするが、雑用がメインのユウもまた、この時間帯に昼休憩となっていた。
 食堂も自由に使用して良いと許可を得ているため、せっかくだからと伸ばしたそこは、全学年の生徒を余裕で収容出来る程度には広いため、中々の賑やかさを生み出している。食堂で毎日食事する者もいれば、テイクアウトにして教室や中庭など各々好きなところで食事を楽しむ者もいるらしく、席は疎らではあるが空きはあるようだった。事前にグリムと待ち合わせたユウは、今朝ぶりのエースとデュースも一緒に昼食を摂るという誘いに了承して、食堂の長テーブルの一角へと腰を下ろす。本日の日替わりランチであるハンバーグを選んだグリムの分と、自身のミートドリアが乗った大きめのトレーを軽々と運ぶ姿に、エースとデュースは一瞬呆気に取られたようだが、直ぐに持ち直して、意外に力持ちだな、と感想を溢した。ユウにとってはなんてことの無い重量であるが、この世界の女の子はあまり重たい食器類等は一度に持たないから、というワンダーランドあるあるを聞いてユウは、この世界の女の子は箸より重たいものは持たないのか、なんて少し方向が違う感想を抱いたが、当然内心であるため誰に拾われる事も無かった。

 「あれ、そこにいるのは、ウチの可愛い一年君と話題の雑用係チャン?」
 「…?」

 椅子に座ってはテーブルに届かないグリムのため、手足をウェットティッシュで拭いていたところで、背後から明るい声音で声を掛けられる。振り返れば、オレンジの長い前髪を額辺りで一纏めにした、エースやデュースよりも小さなダイヤのスートを描いた青年がにこやかに片手を振っていた。その隣にはアイビーグリーンの髪を短く切り揃えたクローバーのスートを入れた眼鏡を掛けた長身の男性。どうやら二名ともエース達と同様ハーツラビュル生であるようだ。今日はハーツラビュル生によく話しかけられるな、なんて事を頭の片隅で考えつつ、ユウは会釈を一つ返す。風貌から恐らく先輩なのだろう事は見て取れた。
 オレ達もお隣いい?と軽やかな口調で問いかけてきたダイヤのスートの先輩へ、断る理由も無かったため、どうぞ、と返してユウはグリムに少しズレるよう声を掛ける。悪いな、と軽い謝罪と共に腰を下ろしたクローバーのスートの男性は、トレイ・クローバーというらしい。ハーツラビュルの三年生で副寮長を務めているとは、本人からの自己紹介によって判明した。ユウのはす向かいに座ったダイヤのスートを入れた青年は、ケイト・ダイヤモンドと言い、トレイと同じくハーツラビュルの三年生らしい。気軽にけーくんって呼んでね、と言われたので、けーくん先輩よろしくお願いします、と返しておいた。

 「そういえば、ユウちゃんって異世界から迷い込んだって聞いたけど、マジな話?」
 「マジな話ですね。」
 「え〜!異世界って本当にあるんだ…けーくんびっくり。」
 「私は魔法が本当に存在していた事にビックリです。」
 「ユウちゃんの世界には、魔法無かったの?」
 「無いですね。代わりに科学技術が発展していたと思います。」
 「へ〜。」
 「そんな事よりもケイト。今日火曜日だが大丈夫か?」

 日替わりランチにしたらしいケイトがハンバーグへ手を付けようとしたタイミングで、トレイが放った言葉にピタリとその手を止めた。あちゃ〜、という顔を隠さず、もっと早く言ってよトレイくん〜、と悲嘆の声を漏らす姿に、火曜日だとハンバーグはダメなのか?とグリムが疑問を投げかける。
 ハーツラビュルには厳守すべきルールが810条もあるらしく、煩悩より多いな、と零れかけた感想は、流石に空気を読まなさすぎか、と判断したためユウの口から零れ出る事は無かった。何故火曜日がダメなのか、何故ハンバーグが駄目なのか。明確な理由は解っていないが、ハートの女王が取り決めた法律であるため、そのハートの女王の厳格な精神に基づいたハーツラビュルでは、護るべき寮内のルールとして定められているらしい。要は伝統のような類か、と納得したユウは、まだ手を付けていないドリアを、宜しければ交換しますか、と差し出した。

 「ユウちゃん助かった!ありがとう〜!」
 「いいえ。食べる前ならセーフですよね?」
 「そうだな。法律は『食べてはならない。』だからな。な、リドル?」
 「…次は無いよ、ケイト。」
 「は〜い…」

 実はケイトとトレイに次いで、もう一人近付いてくる影に気付いていたユウは、些かわざとらしく笑顔でケイトの無実を騙った。深紅の髪色を持つ二人よりも随分と小柄な彼こそが、ハーツラビュルの現寮長であるリドル・ローズハートであるとは、トレイの言葉だ。誰よりもルールを遵守しており、ルールに反する行為が大嫌いなのだという。典型的な品行方正の大真面目君、と言った様子の彼とは、あまり馬が合わないかもしれない。ユウは内心そんな印象を抱きつつも、表に出す事なく、肉汁溢れるハンバーグへとナイフを通した。
 彼女が生まれ育ったフスベの街もまた、数十年前までは伝統を重んじた厳格な一族が治める小さな田舎町であるため、今もなおそういった色が濃く残っている。現当主があまり伝統を重んじ過ぎない、時世やその時々の状況に合わせて柔軟に考えや対応を変えられる器であるため、今でこそ街全体の厳格な精神はそれほど強くはないが、一部の年寄り共は、今もなお男尊女卑や家父長制度を押し通している。その被害によく遭っていたユウにとって、『過剰なルール』や『時代にあまりにも逆行した伝統』はあまり好きではなかった。
 まあ、雑用係として身を置いている以上、左程関わる事も多くはないだろう、と結論を付けて、早速お口の周りが凄い事になってしまっているグリムの世話を焼くべく、紙ナプキンへと手を伸ばしたユウは、この時の自身の考えが後のフラグになる事をまだ知らない。


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 昼休憩を終え、グリム達と再び別れたユウは、温室へと足を運んでいた。
 錬金術等で使用される植物の一部は此処で育てられているようで、許可があれば生徒達の個人的な栽培も行う事が出来るらしい。本日午後一番の仕事は、この温室の掃除と錬金術で主に使用する植物の簡単な手入れ作業である。事前に一通りクルーウェルから説明を受けていたユウは、特に迷う事も無く午後も淡々と与えられた仕事を熟していった。
 掃き掃除を進めて行く途中、茂みの隙間からチョロンと覗かせる動物の尻尾のようなものを見つけ、つい好奇心から恐る恐る様子を覗かせれば、可愛らしい尻尾に反して随分と上背がある青年が気持ちよさそうに日向ぼっこに乗じていた。昼休みはとうに終わっているのだが、堂々とサボタージュだろうか。まあ、自分には関係のない事だと結論付けて、ユウは早々にその場を離れた。例の生徒が寝転んでいた辺りにも落ち葉などが散乱していたが、掃除は彼が何処かへいなくなってからでも間に合う。
 しかし一通りの掃除を終え、植物の手入れを終えてもなお、件の生徒が目を覚ます事は無かった。随分と熟睡しているようである。何時までも彼の起床を待つ訳にもいかないため、ユウは仕方ないと溜息を一つ溢してから、再度そっと彼の方へと忍び寄った。起こすのは最終手段にしようと、手早く周囲の落ち葉を拾い集め、時折変に抉れている芝を慣らしていく。割とガサガサと袋の擦れる音などもしていたが、件の生徒は未だ夢の中のようであった。
 改めて全体像を見遣れば、先程見えた可愛らしい尻尾と同様、キューティクルが綺麗な長い髪の上にチョコンと乗った獣耳が見える。形状的にライオンかな、と判断してそっと彼の脇にしゃがみ込めば、穏やかな寝息が僅かに聞こえる程度。ピクピクと耳は周囲の音を拾うために少し動いたりしているが、尻尾の動き等からも、彼が割とリラックスしている状態である事が見て取れた。

 「…、」

 再度好奇心に負けたユウは、そっと可愛らしく動く耳へと手を伸ばした。勿論、雑草取り等を行っていた軍手を外した素手の状態で。フワリと手触りの良い毛並みと人肌程度の温もり。反して思ったよりも硬さのあるそれは、一見して解りにくかったが随分と凝っている様子だった。聴覚が優れている種にとって、耳は重大な役割を持ち、五感の中でも多用される事が多いため、割と凝りやすいとはよく聞く話だった。事実、彼女の手持ち達で聴覚が優れている種のポケモンは、耳の付け根が凝りやすく、よくユウがマッサージして解してやったものだ。
 彼もまたそういう感じなのだろう、と結論を付けて、ついいつもの癖でコリを解すようにマッサージを行ってしまった。流石に起きるだろうか、と青年の反応を伺ったが、ユウの予想に反して本人は未だ夢の中にいるらしい。というより、先程よりも更にリラックスした様子である。マッサージが功を奏したらしい。反対の耳も同様にマッサージを行ったところで、遠くから聞こえる鐘の音にユウはそっと耳から手を離した。

 「毎日シャンプーの時に、付け根を解すように指圧してあげると、コリが解れやすいですよ。」

 定期的にヘッドマッサージ何かも行うと、血行が良くなってなおオススメです。ワンポイントアドバイスのようなものを落としてその場を去った彼女の背を、パチリと目を開けたライオンの獣人が見つめる。彼が寝ていた事に嘘はない。事実それまで心地良い気温と、耳元を優しくくすぐる絶妙な力加減に彼はぐっすり夢の中にいたのだ。しかし次第に、気温はともかく耳元の感触はおかしくないか、と疑問に思い、ユウが反対の耳に触れた辺りで既に彼は起床していた。ただ、彼自身が予想していたよりも近い位置にユウが居たこと、臭い等からその相手が今学園内で話題になっている女性であった事を知り、起きるタイミングを逃したライオンが、ずっと寝たふりを通していたのである。
 しかし野生ポケモンも多く見てきたユウにとって、彼のその場凌ぎのその行動は筒抜けであり、掃除も終わった事だしこれ以上傍にいる理由もないと、その場を離れたのである。ユウの姿が完全に見えなくなった頃を見計らって、ライオンの獣人———レオナ・キングスカラーはバツが悪そうな顔でゆっくりと上体を起こした。
 耳のマッサージが意外に心地よかった事も、片耳を完全にマッサージされるまで一切その気配に気付けなかった事も、彼にとっては何処か悔しいものではあったが、自然と鼻孔をくすぐった薫りは、落ち着きを覚えさせる心地良いもので、存外嫌いじゃないと思えてしまったのが、何よりも癪に障ったのである。