無気力な体が浮遊して

 ドラパルトに起こしてもらったダンデは、顔を洗い、歯を磨き、朝食用として前日に購入しておいたパンを温め、パンのお伴とするインスタントスープのために湯を沸かしながら、スマホロトムが読み上げる本日の予定に口許を吊り上げた。
 いよいよこの日が来た。待ち望んでいた。以前から何度かチャンピオンとして提案していた夢の舞台。一時期ガラル内で色々とゴタつき、ジムチャレンジにて自身は頂点の座から退く事になってしまった事で、その誘いも止まってしまったが、ガラルリーグの最高責任者として再びこの地に舞い戻る事が出来たため、再度の誘いを掛けたところで漸く承諾を得たのだ。

 ————ガラルリーグVSセキエイリーグのエキシビションマッチ。

 ガラルリーグは他のリーグと違い、所謂四天王と呼ばれるトレーナーが存在しない。だからなのか、中々他のリーグとの交流戦を行う機会が得られなかったのだが、ダンデはどうしても、このポケモンリーグ最高峰と呼ばれるセキエイリーグと勝負がしたかったのだ。運良くリーグ責任者のワタルと知り合う機会に恵まれ、自身がチャンピオンとして君臨していた頃から何度か誘いをかけていた。しかし、向こうも総本山という事もあり中々に多忙で、中でも最高責任者のワタル自身がポケモンGメンとの二足の草鞋のため、互いのスケジュール調整にかなり難航した。
 紆余曲折を経てこの度、待ちに待ったその日が訪れた。本音を言えば、チャンピオンとして迎え撃ちたかったが、リーグ責任者同士でぶつかり合うのも悪くはない。選出メンバーはお互い顔合わせの日まで内密にしておこうと取り決めたため、ダンデはセキエイリーグ側の出場者をワタル以外にまだ知らなかったが、リーグ最高峰に所属するトレーナーともなれば、その実力はお墨付き。ましてやあそこは、魔境と名高いカントーリーグも兼任している場所だ。
 今から当日までが楽しみで仕方ない。この高揚感は、ジムチャレンジ初日のそれに近かった。これから待ち受ける沢山の強者達を薙ぎ払い、食らい付き、噛み砕く。その瞬間を今か今かと腹を空かせる獣の如く。ああ、早くバトルがしたい。

 『ダンデさん!大変です!!』
 「…ん?」

 興奮冷めやらぬダンデを他所に、早朝から着信を告げるスマホ。発信者は今回のエキシビションマッチのリーグスタッフ責任者の名前。おや、と小首を傾げながら応答すれば、開口一番に告げられた言葉に、ダンデは更に首を傾げた。
 その言葉通り慌てた様子で直ぐに来られないか、と聞いてくるスタッフ責任者から、何とか事情を聴き出そうと電話越しに宥める。何か面倒事が発生してしまったのならば、早急にその問題を解決しなければならないからだ。此処まで来てお預けなど、ダンデ自身も耐えられるわけがない。

 『セキエイリーグの皆様がガラルに到着されたのですが、その、メンバーが…』
 「まさか、飛行機が遅れているとかか?」
 『いえ、そうではなく…』

 落ち着きを取り戻したかと思えば、今度はしどろもどろに言葉を選ぶ彼に、ダンデはじれったい思いを抱きながらも、決して急く事はせずに彼の言葉が纏まるまで根気よく待つ。
 そうしていよいよ意を決したように紡がれた言葉を最後に、ダンデの記憶はそこで途絶える事となった。


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 朝のルーティンであるトレーニングを終え、シャワーで汗を流したタイミングで、スマホロトムが着信を告げている事に気付いたキバナは、その発信者がリーグスタッフ責任者であった事に疑問を覚えつつも、即座に応答ボタンをタップした。
 彼がこのタイミングで電話を掛けてくるとなれば、その内容は十中八九、今回のエキシビションマッチの件であろう。ダンデが兼ねてから熱望しており、今回漸くその機会に恵まれた事は、代表選手として選ばれたキバナも良く知っている。そしてキバナもまた、ダンデに負けず劣らずこの日をずっと待ち望んでいたのだ。
 幼い頃に見たポケモンバトルを、キバナは今でも鮮明に思い出せる。ドラゴンタイプのポケモンが圧倒的な強さで相手を退くその瞬間を。その苛烈とも呼べる徹底的な攻撃型のバトルスタイルを繰り広げる、ドラゴンタイプの覇者の使い手を。燃え盛る炎よりも昏い焔の髪色に、一切の妥協を切り捨てた鋭いシルバーグレイの双眸に、キバナは強烈に魅了された。
 こんなバトルがしてみたい。こんな人になってみたい。こんな———ドラゴン遣いの頂点に、立ってみたい。それが、キバナをドラゴン遣いとして奮い立たせた最初の瞬間であった。
 そして今回のエキシビションマッチは、キバナがドラゴン遣いを志す切欠となった、あの苛烈なバトルを繰り広げたドラゴン遣い———ワタルが参戦する。キバナの憧れのその人と正面からぶつかり合い、喰らいつくす事が出来る数少ないチャンス。何が何でも手にしたいと思うのは、当然のことだった。
 だからこそ、リーグスタッフ責任者からの着信には、少し不安感を抱いた。何か急なトラブルで延期にでもなってしまうのではないかと、良からぬ想像を掻き立たせる気がして。

 『キバナさん!大変なんです!!』
 「…ミ゛ッ。」

 しかし、リーグスタッフ責任者から告げられた言葉に、キバナの脳は思考回路を止めた。凡そドラゴンストームと呼ばれる男から出る言葉とは思えない短い奇声を最後に、キバナの記憶はそこで途絶える事となる。


****


 リーグスタッフは激怒した。必ず、かの能無しコンビダンデとキバナをいてこますと決意した。そのリーグスタッフはモブである。しかし今回の一大イベントであるエキシビションマッチのスタッフ責任者に抜擢された、文字通り責任を負う立場のモブである。モブであるが故にトップトレーナー達の心情は解らぬ。しかし予想外の出来事緊急事態には人一倍敏感であった。
 事の発端は、一日前。この度開催される事と相成ったエキシビションマッチの対戦相手であるセキエイリーグ選出メンバーがガラルに到着した連絡を受け、滞在して頂くホテルへの案内とご挨拶を兼ねて、空港までお迎えに上がった。
 そこに待ち受けていたのは、モブである彼ですら良く知るカントーチャンピオンとジョウトチャンピオン、そしてレジェンドと名高いお二人であった。因みに余談だが、この時一緒にいたユウの事は、スタッフ責任者がSNSに疎いオジサンであったため、セキエイリーグ側の担当スタッフだと思っていた。閑話休題。
 並々ならぬ大御所面子に、モブの胃腸は即座に悲鳴を上げた。しかし襲い来る腹痛を何とか堪えて、挙動不審になりそうな身体に何とかガッツを入れ、引き攣りそうになる顔に究極のスマイルを貼り付けて、一通りの挨拶とホテルへの案内、及びチェックインを済ませたのだ。
 スタッフ責任者は遣り遂げた。唯のモブなのに重たいプレッシャーを乗り切った。だからこそ、ガラル側の選出メンバーが引っ繰り返っては面目が立たない、と善意でリーグ責任者であるダンデへと翌朝一番に連絡を取ったというのに。

 ————レジェンドが参戦すると言うや否や、卒倒するとは何事か!

 ヒョェッ、と情けない悲鳴を最後にドターン、と通話越しに音が聞こえ、恐らく傍にいたのだろう、ダンデの手持ちポケモン達の慌てた鳴き声を最後に切れた通話。俺は対面しながらも何とか乗り越えたのに、何で話を聞いただけのアンタが気絶するんだよ。そんな心境で、使い物にならなくなったダンデの代わりに、今度はキバナへと連絡を取ったのだが。
 結果は、ダンデのテイク2だった。ミ゛ッ、とよく解らん奇声を上げてぶっ倒れたらしいキバナの通話をそっと切って、彼は重たい溜息を溢した。全く持って使えない能無しコンビここに爆誕である。スタッフ責任者ことモブオジサンの堪忍袋の緒は、此処でブチ切れる事となった。
 もう知らん。俺はちゃんと報告した。本日は午前中から選出メンバー同士の顔合わせ兼、当日のスケジュール確認を行う事になっているが、どうせ対面したらまたあの能無しコンビは引っ繰り返る事になるだろう。絶対にフォローになんぞ入ってやるものか。
 怒れるバンギラスの心地で、その男は取り敢えず胃薬を服用する事にした。