後悔する暇をください

 普段ならば、昼時に食べる肉の美味しさに目を輝かせていた事だろうが、今はそんな肉の旨味も解らなくなるほど、キバナはテンションと情緒がぐちゃぐちゃになる心地を覚えつつ、眼前に広がる光景にそっと目を閉じて合掌した。隣に立つネズがドン引きした面持ちで彼を見遣っていたが、そんな事は関係ない。俺様の推し達がこんなにも尊い。彼の心境は正にその一心である。
 ミーティング時は突然の推しとの対面に緊張と歓喜で碌に話す事もままならなかったが、段々とその存在を見慣れてきて、無事に昼食時には拙いながらも会話を交わすところまでステップアップ出来た。兼ねてからずっと伝えたかった、憧れと尊敬の念、そしてトレーナーとしても、ドラゴン遣いとしても大先輩であるワタルへの称賛を重ねたキバナは、さぞ喧しかっただろうに、ワタルは嫌な顔一つせずにこやかに、そして称賛を重ねられた時は少し気恥ずかしそうに、キバナの言葉に耳を傾け続けてくれた。
 それだけでも唯でさえ推しだったワタルを更に推す事になる理由になったのに、少し前から眼前で繰り広げられる最推しと、最近推しになりつつある女性の遣り取りに、推すなという方が無理だろう。キバナは今にも昇天しそうな意識を、しかしこんな大チャンスを逃すわけにはいかないと必死に歯を食いしばり、僅かな会話の漏れも赦さぬ面持ちでその光景に耳を傾け、目に焼き付けていた。

 「もう食べないのか?」
 「うん。これ以上は胃もたれする。」
 「フルーツは?」
 「食べる。」

 テラス席で(推定新種だろう)猫型のポケモンと、途中から少しエンジンシティのジムリーダーと食事を摂っていたユウが、空き皿を戻すついでに室内に戻ってきたのが始まり。当然のようにユウから空き皿を受け取ったワタルが、巡回するボーイへ手渡し、代わりにノンアルコールカクテルを受け取って、ユウに手渡したのだ。ユウもユウで大人しくグラスを受け取って飲んでいるし、追加の料理やデザートの確認をしながら、ワタルはユウが所望したフルーツを取り分けて、更にはそのまま彼女の口に運んでいる。その一連の流れがあまりにスマート過ぎて、キバナは最初、何が起こったのか理解が出来なかった。しかし二口目をユウの口許に運ぶワタルの様子を見て、食事どころじゃねぇ、と脳内録画始めたのだ。
 キバナと同様、近くでその様子を見ていたユウリは、乙女の恥じらいと言うべきか、どこか恥ずかしそうに二人の様子をチラチラと伺っているし、ネズやダンデも驚いたように固まっていた。しかしゴールドとレジェンド二人は全く気にした様子を見せない事から、これが彼等の通常運転なのだろう事は容易に察せた。それもまたキバナの心臓を深く抉った。俺様の推しが尊い。この言葉に尽きる。

 「その人は、ワタルさんの恋人なのか?」
 「まだ違う。」
 「まだ。」
 「いくら関係者しかいないからって、もう少し発言に気を付けて欲しいッス。」
 「アンタ一応、スキャンダルとかヤベー立場だろうが。」
 「つうか、ユウももっと否定しろよ。王様が調子に乗るぞ。」
 「ごめん。フルーツ食べる親分を撮るのに忙しい。」
 「おい。」

 ド天然を地でいくダンデの爆弾発言に、一瞬空気が冷えたかと思ったが、ワタルの何とも言えない返答や、カントー・ジョウト組の総ツッコミに、またしてもガラル組は呆気にとられるしかなかった。え、結局恋人なの?違うの?まだって何?いつかはそうなるってこと?ネズの脳内はパニックを極めたし、キバナはとうとう耐え切れず仁王立ちで意識を飛ばした。推しの恋愛報道なんて辛過ぎる以外の何ものでもない筈なのに、推しと推し(になった)の幸せな番関係とか最of高しかない。
 何とも言えない空気が漂う中、暢気にフルーツを口いっぱいに頬張る魔獣と、そんな魔獣を幸せそうな顔で写真に収める妹分の姿に、グリーンは大きく溜息を溢しながら、何度目になるか解らない胃痛を感じた。


******


 穏やかと言えずとも大きなトラブルもなく立食会はこうして幕を閉じた。途中、自力で何とか復活を果たしたキバナが、ワタルとユウの間に挟まれてスリーショットを撮る事になった時に再度引っ繰りかえるという失態はあったものの、ガラル側とカントー・ジョウト側の交流は始終良好に進み、気付けばユウのアドレス帳にガラルリーグのチャンピオンやジムリーダー達の連絡先が追加されていたが、今に始まった事でもないので、そっとロトムに漏洩防止のロックとセキュリティ強化をお願いした。
 一連の交流は、今回のイベント運営本部、及びセキエイリーグ、ガラルリーグの公式アカウントから写真や動画が投稿され、瞬く間に世界中へと拡散されていった。そしてキバナも自身のアカウントで、先のワタルとユウの絡みを映した動画(両名了承済み)を、俺様の推しと推しが尊い、という短いコメントと共に投稿したため、先日から騒動になっていた二人の熱愛報道に更なる信憑性を高める切欠となり、またしてもユウはワタルと共にトレンド入りする事となった。しかし、ガラルリーグも人気者が多いから、また炎上したかな。と、当の本人はまったく見当違いな事を考えていた。
 今後のスケジュールとして、本日の一日休息日を挟んで明日、明後日の二日間でエキシビションマッチを行い、それからバトル後の座談会特別イベント、各地訪問イベントとなる。エキシビションマッチ後、各地訪問時にも合間に自由時間等は存在するが、完全丸一日のオフは本日のみであるため、我慢の限界に達したレッドが、早朝四時という恐るべき時間にまだ寝ていたユウを抱えてワイルドエリア入りを果たした。因みにレッドが侵入してきた気配にも、隣で眠る愛し子が攫われた事にも全く気付けなかったワタルが、犯人であるレッドへの怒りと、不甲斐無い自身への憤りで情緒がこちゃまぜになっていたが、それを知るのは、ワタルから叩き起こされたグリーンとゴールドのみである。グリーンはともかく、全く別室の自分まで正座させられる事に、内心異議申し立てをしていたゴールドであったが、怒髪冠を衝く勢いのワタルの苛烈な表情を見た途端、失神しなかった自身を褒め称えながら、真っ青な顔でグリーンと共にワイルドエリアを駆け回る事になった。
 そんな草木もまだ目覚めていない夜明け前の早朝数時間の騒動を経て現在。必死の形相で誘拐犯を探し回るグリーンとゴールドの様子に、すわ極悪犯罪組織でも侵入したのか、と慌てたリーグスタッフ達の尽力(勘違い)の下、無事に発見されたレッドの脳天にワタルの拳骨が落ちたが、朝方の寒さで寝るに眠れなくなったユウが作った豚汁により事無きを得た。

 「豚汁なんてよく作れたな。材料どうしたんだ?」
 「レッドくんのカバンの中から何かいっぱい出て来た。流石に豚肉は無かったから、正確にはヴルスト汁?和風ポトフ?だけど。」
 「ヴルストどこで手に入れたんだよお前…」
 「その辺にいたオジサンがくれた。」
 「それ大丈夫な奴ッスか…!?」
 「ワイルドエリアでは今カレー作りが流行っているらしくて。そういったトレーナー相手に商売する行商さんだから安全だよ。」
 「何でわざわざカレー作り…?」
 「キャンプ=カレー的な??」
 「そこまでは知らない。」

 色々と疑問は尽きなかったが、無事にお姫様を見つけた事で怒れる竜王様のご機嫌も少し回復したし、朝から走り回った事で疲れた心身に染み渡る和風ポトフヴルスト汁は美味いし、まあいいか。既に思考回路がまともに働かなくなったグリーンとゴールドは、そっかぁ、と生温い笑みと共におかわりを椀いっぱいによそった。諸々文句もツッコミも入れたいがそんな事より朝ご飯がうめぇ。そんな心境。
 先程まで死にそうな顔で慌てふためいていたジョウトチャンピオンとレジェンドの片割れが、今度は仏のような微笑みでスープを味わい始めた事に目を白黒させて固まっていたリーグスタッフも、ここで漸く自分達がとんだ勘違いをしていた事に気付く。超巨悪な犯罪組織が侵入なんて一ミリもしていなかった。なんて恥ずかしい。約一名それほど苛烈な怒りの形相を浮かべていた事は脳内記憶から綺麗にシュレッダーをかけて、引き続きワイルドエリアをお楽しみください、と完璧な営業スマイルと共に一礼し、リーグスタッフはそれぞれの持ち場への巡回、詰所へと戻って行った。

 「ところで、どうして私は目が覚めた途端に広大な自然の中にいたの?ふかふかなベッドの中でぬくぬくと寝ていた筈なのに…」
 「おまえ、おまえ…話を蒸し返すの止めてくれ…」
 「え?」
 「そこの無口ヤローがユウを攫って行ったんだゾ!子分の癖に、親分からユウを盗るんじゃねぇ!」
 「僕もユウと遊びたかった。」
 「ぶなぁっ!まずは俺様とユウの許可を取れ!!」

 ユウの突然の失踪に怒り狂ったのは、何もワタルだけではない。グリムもまた、騒ぎに目が覚めて、何時もすぐ傍にいるはずのユウがいない事に気付き、軽くパニックに陥っていたのだ。こちらの世界とワンダーランドが通じるようになり、それでもずっと傍にいると約束してくれた、グリムにとって唯一無二の相棒であり家族であり、そして何よりも大切な女の子。彼女の姿が見えないと理解した途端、消え失せた筈の恐怖と不安が一気に蘇った。
 あの時、初めて彼女の家族を紹介してくれ、そうして自分もその一員だと迎え入れてくれた日に消えた筈の、ずっと小さな魔獣の胸中に犇めいていた不安。突如として、大好きなユウの温もりに触れる事が叶わなくなるのではないか、という漠然とした恐怖。それらが一気に襲ってきて、思わず息を呑んだ。

 「ユウがどっか行っちゃったかと思ったんだゾ…」
 「心配かけてごめんね。でも、私がグリムの傍を勝手に離れる事は絶対にないから。そんなに不安にならないで。ね?」
 「…ほんとか?」
 「うん。ほら、約束。」
 「ん…」

 指切りげんまんは、グリムの小さな手では難しいため、代わりにこつん、と額を合わせる。ポロリ、と零れた大粒の滴をユウが拭ってやれば、漸くグリムは安心して笑う事が出来た。そんな一人と一匹の遣り取りを見ていたグリーンは、どこか居心地が悪そうに肩身を狭くするレッドへ、これに懲りたら二度とするなよ、と念押しした。おっかない竜王様からの拳骨は平然とする図太い男ではあるが、見た目がポケモンと瓜二つのグリムの涙には滅法弱いらしい。
 今度からはグリムも一緒に連れていく事にする。まったく反省の色を見せないレッドの呟きは、当然ながらワタルの逆鱗に触れる事となり、もう一発脳天に拳を喰らう事になったのだが、一人と一匹の世界に入っているユウとグリムは勿論、グリーンもゴールドも助太刀する事はしなかった。