気づかなかった屈辱の居場所

 悔しいです、と半泣き状態になりながらもリベンジに闘志を燃やすユウリに、ユウは微苦笑を溢しながら、未だ凄いと跳ね回るグリムの背を撫でる。ユウは特別バトルが好きというわけではない。寧ろどちらかというと苦手な方だ。自分の指示一つでポケモンが傷つくかもしれないという事実が、何となく彼女に苦手意識を植え付けてくるのだ。
 ユウは幼い頃からポケモンが好きだった。初めて手にしたポケモンは、父から譲り受けた卵で、孵ったのはミニリュウ。父のカイリューと母のカイリューの間に生まれた子供だった。そしてミニリュウと共に暮らすようになって僅か数日後、今度は街のはずれで一匹のピチュウと出逢い、そのさらに数日後に拾った卵から孵ったヒトカゲと出逢った。ピチュウは共に遊んでいる内に懐かれ、ヒトカゲは世話をしている内に自然とユウの手持ちになった。今やそれぞれカイリュー、ピカチュウ、リザードンと成長を果たしている。
 幼い頃からずっと一緒にいた三匹は、ユウの手持ちの中でもかなり古参で、種族は違えど兄弟のようによく一緒にいる。当然、信頼するユウを護るため、互いに切磋琢磨しレベルもかなりのものである。割とバトルが好きな個体だったのも相まって、ユウが特にポケモンバトルに意欲が無くとも、自分達だけの力でメキメキと成長してきたと言っても過言ではない。そうして、そんな古参組の姿を見ていた他の新参達もまた、倣うように自らを鍛え上げていった。旅の途中メンバー同士でバトルする事もあれば、休憩するユウの傍らで野生ポケモン達と野良バトルのような事もしてきた。
 ユウはポケモンバトルがあまり好きではない。それは、手持ちである彼等もよく理解している。自分達がバトルで傷を負えば、彼女はいつも悔しそうに、申し訳なさそうに治療をする。自分の指示の甘さを悔い、それにより彼女自身ではなくポケモン達が傷つく事を一等嫌う。それを理解している。だからこそ彼等は、彼等の意志で自分達を鍛え上げた。ユウが悲しまないように。ユウの指示通りに動き、その指示で的確に敵を倒す事が出来るように。すべては、彼女の悲しむ顔を見ないようにするため。
 だからこそ、彼等は一般的な統計で定められている命中率を、その威力を遥かに凌駕させる技を毎回放つのだ。だってユウがその技を使えというから。その技で、敵を倒してくれと指示するから。それに全力で応え、その一撃で敵を倒し、彼女の笑顔を見る事こそが自分の喜びだから。一途に、苛烈に、そうして忠実に。これはユウが強いた事ではない。ユウと共に過ごし、ユウの優しさに触れ、ユウからの愛情を一心に受け、そうして群れの一員となった彼等の意志。同調意識ではなく、自然と、みなそう思い、そう行動するようになった。

 「…僕も、バトルしたくなってきた。ユウ、」
 「ぜーったい嫌。こうなると分かっていたから、きみたちの前でバトルしたくなかったのに。」
 「まあ、バトルジャンキーのレッド君が、目の前でこんなバトル見せられて、我慢なんて出来るわけねぇよなぁ。」
 「そういうグリーンくんだって、目の色変わってるッス。」
 「そら俺だって?叶うならユウちゃんと本気のバトルしてぇし?」
 「ぜーったい嫌。」
 「ほんとに?」
 「無理。」
 「1on1でも?」
 「却下。」
 「そこを何とか。」
 「しつこい。」

 ユウへ甘ったるい声で胡麻をするグリーンと、無言で強請るレッドの姿に、ゴールドは諦めたように溜息を一つ溢す。これはユウがイエスと言うまで絶対に引かない奴だし、何ならイエスと言わなければ明日のエキシビションマッチもサボタージュしかねない勢いだ。セキエイリーグ最年少ではあるが、ジョウトチャンピオンとしてその座に君臨するだけの実力と実績を持つゴールドは、的確に状況を判断し、隣に立つワタルへと視線を送る。重たい溜息と共に頭を抱えている姿から、彼もゴールド同様レジェンド組の我儘を察しているのだろう。
 ユウ、と声を揃えて擦り寄るレジェンドコンビに対し、ユウの反応は冷めていく一方である。一人赦せば全員を赦さざるを得なくなる。だからこそ一人として赦したくなかった。今回はユウリの可愛さと、何よりも相棒であるグリムの可愛らしいおねだりに根負けしてしまっただけであるが、やはり心を鬼にすべきだったかと後悔してももう遅い。

 「ぴぃか。」
 「ぶ、」
 「ふな?バトルしてやるのか?」
 「え。」
 「ピカチュウとイーブイが、バトルしてやっても良いって言ってるゾ。」
 「え。」

 そんなユウの後悔に対し、手持ちポケモン達は互いにアイコンタクトを送り、レッドとグリーンのそれぞれの相手として、イーブイとピカチュウが名乗りを上げる。バトルしてもいい。ただし1on1の一回きり。もう一回、リベンジは一切なし。これを条件として。そうグリムを通じて声を上げた二匹に、マスターであるユウは驚きの様子を見せるも、二匹の様子に何を目的としているのか察し、大きな溜息を一つ。これは彼女が諦め、妥協したサイン。

 「二匹が乗り切って事は…?」
 「はぁ。まあこの子達がこうまで言っているからね。その条件をそちらが飲むなら、いいよ。」
 「よっしゃ!そう来なくちゃな!」
 「絶対、負けない。」
 「じゃ、先行はお前に譲ってやるよ。レッド。」
 「いいの?」
 「ピカチュウもさっきバトルしたばかりだからな。少し休憩をさせてやらねぇと。フェアじゃねぇだろ?」

 不敵に笑うグリーンに対し、ユウはそっと視線を外す。ピカチュウとイーブイの様子から、それは要らぬ世話だろうという事を的確に察知しているからだ。そも、彼等は二人が想像するような白熱するバトルをしてやる気など、更々ない。それは、ユウの期待に応えるため。一撃必殺でさっさと終わらせる気しかないのだ。
 これはちょっと荒れるだろうな。この先の展開を何となく予想出来たユウは、もう一度隠れて溜息を一つ。続けて審判役を買って出たワタルも、そんなユウの様子に異変を察知したようで、内心でレッドとグリーンクソガキコンビへざまあみろ、と親指を下げてやった。

 「勝負は1on1。どちらかが倒れた瞬間でバトル終了だ。いいな?」
 「ん。」
 「はぁい。」
 「ユウはイーブイ。レッド、お前はどうする?」
 「とうぜん、この子。」

 そういってレッドが放ったボールから飛び出したのはピカチュウ。ユウのピカチュウよりも一回り大きく、好戦的な目をした通称黄色い悪魔だった。両者ポケモンを出し揃えたところで、ワタルの合図がかかる。勝負、という掛け声と共に、レッドが技の指示を出すべく息を吸った、瞬間。
 ゴオッ、と凄まじい音と閃光が放たれ、レッドのピカチュウは成す術なく宙へと打ち上げられる。レッドが息を呑み、彼にしては珍しく少し声を荒げてピカチュウの名を呼ぶが、ピクリとも動く事はない。審判役のワタルが駆けよれば、ピカチュウはその場で戦闘不能となっている事が確認された。

 「ピカチュウ戦闘不能。よって勝者イーブイ。」
 「な…」
 「何スか…今の…?」

 唖然と固まるのは何もレッドだけではない。レジェンドと、今しがたガラルチャンピオンを打ち負かした少女とのバトル。一介のトレーナーであれば興味が湧かない訳がない。そんなワクワクとした心境で第二試合となったバトルを見守っていたガラルメンバーも、久しぶりの妹分とのバトルに心を躍らせていたカントー組も、みな一様にあんぐりと口を開けて固まるしかなかった。
 ワタルの開始の合図と共に、レッドが先手を打とうと動こうとしていた事は誰もが気付いていた。しかしそれが指示として彼の口から言葉が紡がれる前に、勝負がついてしまったのだ。状況をまったく理解出来なかったユウリとホップは、ダンデへどうなってこうなったのか、と解説を求めたが、そのダンデもまた一瞬の出来事で状況が把握出来ていなかった。そんな中、ずっとユウを見ていたキバナが徐に口を開く。

 「レッドさんが指示を出す前に、ユウさんが指示を出していたんだ。」
 「え、でも何も…」
 「ユウリとの時もそうだったろ。あの人は、ハンドサインだけでポケモンへ的確に指示を出せるんだ。」
 「技を出すタイミングならともかく、どの技を出すかもハンドサインのみで?余程の鍛錬が必要となるぜ?」

 事実、キバナのいう通りユウはバトル開始の合図と共にイーブイへとハンドサインを送っていた。イーブイは彼女に背を向ける形ではあったが、元々この作戦を立案したのはイーブイの方。それを的確に汲み取り、了承し、そうして合図をしただけに過ぎないユウのハンドサインは、実質パフォーマンスのようなもので、イーブイにとってもそれは指示というより許可。敵を一瞬で、且つ一撃で確実に屠る行為に対する許可を取っただけに過ぎないのだ。
 そうして許可を得たイーブイは、バトル開始前から体内に溜め込んでいたエネルギーを、バトル開始合図、そしてユウの許可を意味するハンドサインと同時に一気に放出した。技名で言えば破壊光線。ノーマル技とはいえ、体躯が小さいイーブイでは放つことが非常に困難なはずの大技。それをあれだけの威力で、更にはあの短時間で放つ事が出来るのは、恐らくユウのイーブイだけであろう。同じく破壊光線を使用するポケモンを多く所持するワタルも、こればかりは適わないと首を横に振る程度で化け物じみている。

 「約束通り、バトルしたよ。はい、次。」
 「いやいやいやいや!何なの!?お前のポケモン本当何なの!?」
 「次、するの?しないの?」
 「いやするけど!するけどさ、見てよレッド君のこの顔!瞬きしてたらバトル終わりましたって、あんまりにあんまりじゃね!?」
 「1on1の一回きり。もう一回、リベンジは一切なし。これがバトルをする条件。もう忘れたの?やめる?」
 「はいすみません。やめないです。おねがいします。」

 回復の薬により復活したピカチュウ共々スペースニャース顔で固まるレッドを端へと追いやったグリーンは、吞まれそうになる空気に深呼吸を一つすることで何とか堪え、それまでの目付きを変えて真正面からユウを見据える。普段はマイペースな妹分ではあるが、アレもまた苛烈なドラゴン遣いの一族の一人。一筋縄でいかないことは周知の事実だし、レジェンドと名高いレッドを持ってしても、少しの隙でも見せてしまえば一撃で喉元に嚙みつかれる。それは今のバトルで証明されたも同然。ならば、己がすべきことはただ一つ。
 グリーンのボールから放たれたのは彼の相棒と呼ぶに相応しい存在であるピジョット。素早さと高い飛行力では、ユウも先手を取ることは厳しいだろう。しかし油断は禁物。高揚しそうになる感情を何とか抑えて冷静を保つグリーンは、ピジョットへ油断しないよう声をかける。

 「ピジョット!急上昇!」
 「…、」

 ワタルの開始に合図と共に、グリーンは即座に指示を飛ばす。高い瞬発力で素早く上空へ飛翔したピジョットに対し、ユウのピカチュウは動かない。先ずは間合いを取る事に成功したと悟ったグリーンは、不敵に口許を吊り上げ、そうして遠距離からの攻撃で相手の形勢を崩すため、ピジョットへエアスラッシュを指示する。
 繰り出された風の刃にピカチュウが跳躍で回避したところを狙って、もう一度エアスラッシュ。しかしそれはピカチュウの身体を切り裂く前に、彼のアイアンテールで相殺される。そう簡単に攻撃は入らないか、と次の手、その更に次の手まで考えを巡らせていたグリーンは、視界の端にユウの右手を捉えた。その右手がゆっくりと頭上に持ち上がり、そうして静かに振り下ろされた、刹那。
 雷鳴が轟き、ピカチュウの赤い頬袋から全身にかけて一気に電流が巡る。稲妻として放出されたそれは、即座に頭上へと昇っていき、そうして上空飛行していたピジョットの背へと瞬く間に撃ち落された。技名で言えば、かみなり。命中率70%と言われているそれを、的確に、しかも飛行しているピジョットを確実に貫いた。

 「んな…っ!?」
 「…ピジョット、戦闘不能。よって勝者ピカチュウ。」

 力を失い地面へと墜落したピジョットは、たった一撃で戦闘不能へと追い込まれた。レジェンドと呼ばれ、その実力も世界的に認められているグリーンの手持ちポケモンが弱い訳がない。それはレッドの手持ちポケモンも同様の事である。しかしその両者とも、たった一撃で打ちのめされた。それが意味するのは。
 なんて威力なんだ。ポツリと溢したのはダンデだった。破壊光線もかみなりも、見たことがある技だ。どちらも電気タイプやドラゴンタイプ、大型のノーマル技が使えるポケモン達を見た事があれば、一度や二度どころじゃないレベルでよく見かけるメジャーな技だ。しかし、どちらも必中の技ではないし、かみなりに至っては何度も言うように70%の確率なのだ。ポケモンの技で三割外れるというのは、なかなかに痛いものがある。統計的に7割とされているが、実際のバトルの場面では7割どころか5割当たればいい方である。ましてや相手は素早さのある飛行タイプで、滑空している状態だった。通常であれば4割を下回っていてもおかしくはない状況。だというのに、あの凄まじい一撃を、的確に、しかも急所へと撃ち落した。レジェンドと名高いグリーンのピジョット相手に、まぐれの一発はあり得ない。

 「ユウさんって、何者なんだ…」
 「俺様の推しが強すぎてヤバい。」
 「あんなに凄い人なのに、どうして世界大会とかに選出されないんでしょう…?」
 「ユウ本人がバトルをそんな好きじゃないからさ。」
 「え。」
 「さっきのあれも、ユウの意志というよりは、どちらかというとポケモン達の意志だろうね。」
 「え。」

 あんな凄いバトルするくせにバトル嫌いって何。トレーナーの意志じゃなくてポケモンの意志って何。再び宇宙を背負うことになったユウリは、一周回って、ポケモンバトルって何だっけ、と知能レベルが三歳児レベルまで低下した。
 そしてレッドと同様、一撃必殺であっという間に勝敗がついてしまったグリーンもまた、呆然と宇宙を背負うしかなかった。みんな揃ってスペースニャース。視線を逸らすユウをよそに、当事者であるイーブイとピカチュウはどこか誇らしげに胸を張っていた。ポケモンだってドヤ顔する。

 「ユウはバトルをしたくない。だが悪ガキコンビレッドとグリーンは、そんなユウを絶対に逃す気がない。となれば、彼等が選んだ選択肢は一つ。バトルをしてやる。ただし一撃必殺さっさと仕留めるだけの一方的なバトルで。というわけか。」
 「それをユウじゃなくて、ユウのポケモン達が考えたって事ッスよね!?あんな可愛い見た目して、えげつねぇこと考えている…」
 「あの子達は、普段は割と温厚だが、事ユウが絡むと途端にドラゴンタイプも裸足で逃げ出すほど苛烈になるからな。」
 「ひぇ…どっかの竜王様じゃあるまいし…」
 「ん?」
 「何でもないっす!!」

 みな信じられない光景に唖然としているが、ワタルとしては冷淡で勇ましくドラゴンらしい一面を持つユウの姿を久しぶりに見る事が出来たし、クソガキコンビをギャフンと言わしめたしで、割と上機嫌な結果だった。見るからに機嫌が上昇した様子のワタルを見て、グリムはそっと、もう子分にバトル見せてとか軽率に言わないようにしよう、と心に決めた。親分は優秀なネコチャンなので、学習能力も高いのだ。