あれが泥船だと知っていたよ

 グリーンの指摘通り、下心が無かったと言えば噓になる。昨日急ごしらえで用意したリングをそっとなぞりながら、ワタルは控室のソファに腰を下ろし思考を巡らせた。
 ユウは無意識に他者を引き込み、自分の味方———とまではいかずとも、敵にしないよう上手く関係性を築く事に長けている。意外に人見知りのある気質のため、己の懐に入れた途端、これまででは見た事が無いほど甘えたで気の抜けた一面を見せてくる。そういった彼女の性質をよく理解しているワタルにとって、ワンダーランドは正に警戒すべき対象だった。彼女の話によれば、こちらの世界に比べ随分と女性を大切にする文化が根付いており、真実の愛とやらを賛美する傾向にある世界。こちらからしてみれば、ある種、御伽噺のようなそれを地でいく世界では、きっとユウという存在は少し異質で、それでいて目が離せない、心惹かれる存在となってしまうだろうと危惧していた。外れてほしい予感であったが、そういう時程よく当たる事は、これまでの経験上嫌というほど味わってきたので、グリムからユウの現状を聞いた途端、独占欲は爆上がりしたし、あそこが野外ではなく、増してグリーン達を始めとした同席者がいなかったら、その場で既成事実を作っていただろうと確信出来る程には、ワタルの心情は荒れに荒れまくった。
 既成事実は直ぐには難しくとも、彼女に手垢をつける馬鹿が現れないよう、迅速に牽制するべきだと判断した上で、まずは指輪の購入を検討したが、それもどうせユウ本人からバッサリと切り捨てられる———筈だったのだが、意外にもユウは指輪に対して否定的では無く、それどころか付けても構わないとまで言い退けた。枕詞にそれでワタルの気が済むのならば、が入るのだが、都合のいい聴覚をしているワタルは、ユウが自分との指輪に対して否定的では無いという事実しか捉えなかった。便利な聴覚である。閑話休題。
 それからのワタルの行動は早かった。急拵えであること、また結婚指輪については兼ねてから決めていたデザインがあること、そして何よりまだ婚姻届けも出しておらずメディアへの公表もしていないことから、婚約指輪(仮)となる指輪にしようと、シュートシティで最も有名なジュエリーショップへと飛び込んだ。最初はネームバリューのあるワタルの突然の訪問に目を白黒させていた店員も、ワタルの口八丁に乗せられるがまま、特別待遇として約半日足らずでオーダーメイドリングを完成させた。職人泣かせであるが、そこは流石老舗の看板を背負うだけの実績があるジュエリーショップ。ワタルの望み通り、シンプルながら世界に二つとないデザインのペアリングを閉店間際に納品する事に成功した。
 ユウが起床する少し前に自身の薬指と彼女の薬指に嵌めたそれは、急拵えと言えど小さいながらダイヤモンドも埋め込まれた、誰が見ても婚約指輪ですね、と回答する代物だ。それが、幼い頃からずっと番にすると狙っていた愛しい女の指に飾られている。その事実が堪らなくワタルを高揚させた。エキシビションマッチという絶対に遅れることが許されない一大イベントという名の大仕事が入っていなかったら、その場で頭から美味しくいただいていた程には、テンションが昂りまくっていた。
 そうしてユウの了承も(ある意味強引に)得て、牽制するならば大々的に、をモットーとするワタルは世界中が注目している一大イベントの場で、あからさまにこれ見よがしにそのリングを嵌めて出場したのだ。控室に戻るやネット上を確認した結果、ワタルの目論見通り、イベントの盛り上がりに比例するように、ワタルの左手に輝く指輪についての議論も白熱している。
 しかしここで一つ誤算が生じた。ワタルが企てた計画では、今頃ガラル観光を楽しむユウを(恐らく)追っているだろうパパラッチが、ユウの左手に輝く自分とお揃いのそれを見つけ、メディアで速報として流し、更にネット上に確信を持たせる予定であったのだが、待てど暮らせど一向にそういったネタが上がらない。これは一体どういうことか。気になったワタルがユウのアカウントへとアクセスするも、キルクスに到着したのだろう街の風景写真とB級グルメの写真くらいしか見当たらない。いつもならばロトムが撮影したユウの写真の一枚や二枚が投稿されても不思議ではないというのに。

 「…悟られたか。」

 流石に今回はユウの迂闊な発言に食らいついたあまりに性急すぎる計画だったし、元来人見知りで目立つことが好きではないユウの事だ。ワタルが大々的に指輪の存在を公表したとなれば、彼女はそれをひた隠しにする事だろう。ネット上で熱愛報道だの何だのと既に騒がれていたと知れば猶更のこと。
 まあ、ファンの中には熱愛報道の件と絡めて、やはりワタルの相手はユウで確定だろうとする声も多数上がっている。今回はこれで良しとしよう。こちらでしっかりと既成事実を作ってしまえば、ワンダーランドではその結果を流すだけで良い。真実の愛とやらを賛美する世界ならば、その風習に則るまでのこと。

 「…ここまで全部竜王様の作戦通りだったって事が判明したな。」
 「何スかあの悪どい笑み…あれのどこが正義の味方なんスか…魔王でしょうどうみでも。」

 ユウの投稿に評価ボタンを押しながら、口許を吊り上げたワタルの顔は、完全に獲物を目の前にした捕食者のそれであり、その顔をバッチリと目撃した、同じ控室で出番を待つグリーンとゴールドは声を殺しながらドン引きしていたし、レッドに至ってはユウの完全なる拉致計画を脳内でシミュレーションし始めた。
 因みに余談であるが、ワタルの指輪の存在に同じく気付いていたガラル組は、別室にてキバナが推しの祭壇を築き上げようとしていたし、ダンデは昨日同様笑っていない笑顔で全てをスルーしたし、ユウリは少女漫画をドキドキしながら読む乙女の如く、ネット上に乱立し始めた熱愛報道記事を読んでは顔を赤らめて、と忙しなかった。唯一昨日の出来事を全く知らないネズだけが、異常な反応を見せるチームメイト達へ胡乱な目を向けながらドン引きしていた。完全に余談である。


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 ホテルを出てすぐ、グリムが異様な気配を探り当て、それを即座にユウへ伝えた事で、ホテルからパパラッチが既に張り付いている事に気付いたユウは、即座にブティックショップへと駆け込み、一通りの変装グッズを揃えて一旦ホテルへと帰還した。
 普段ユウが着るものよりもちょっと安上がりで男性らしいもの、ストロベリーキャンドルの自毛が隠れるように、デュースの髪色よりももっと暗い夜色のミディアムマッシュヘアのウィッグを被り、化粧も男性らしい骨格を意識したマットタイプで揃えた。準備すること小一時間。パッと見では男性に見えるだろう姿にフォルムチェンジしたユウは、寒いところに行くことも考慮して、グリムにもモコモコの上着とニット帽を被せて再度ホテルを出た。
 入り口を張っているらしいパパラッチに出くわしたが、一瞬こちらを見て直ぐに向こうが視線を外したこと、何処かへ連絡を取って一旦その場を離れたことから、男装したユウだと気付いていない事を悟り、足早にアーマーガータクシーへと乗り込んだ。写真を撮る時も最新の注意を払い、スマホロトムへも一時的に独自投稿を禁止させた。グリムとの自撮りツーショットは専らワンダーランド側のマジカメの方へ投稿し、ポケスタへは風景は食べ物などのありきたりな写真に留める徹底っぷり。何が何でもパパラッチや世間に特定させまいとするユウの強い意志が見えていた。
 因みにユウの男装経験だが、実はこれが初めてではない。数年間各地方を旅していた頃も、歩けば問題ごとに巻き込まれることが多かったため、変装スキルは割と序盤で身に着けたものであり、母親曰く、男装姿のユウは若かりし父親にそっくりとのこと。確かに髪型を似せれば父親、薄っすらであるが血筋であるワタルとも似て無い事もない。
 更に余談だが、マジカメには普通に諸事情で男装しているがユウである事を公表した上で普通に自撮り写真やロトムが撮影したベストショットなどをバンバン投稿したため、マブ達はまた面倒ごとに巻き込まれているのか、と頭を抱えたし、完璧な男装スキルにNRCの一部は目を白黒させたし、主にRSAと思わしきレディ達から非公認のファンクラブが設立した報告のリプライが飛んだし、美とファッションとメイクに抜かりが無いフォロワー500万人の奮励寮長は、新学期に絶対に今度こそあの子ジャガを捕まえてみせると決意を新たにしていた。こちらも完全に余談である。