無秩序の噂を涙にかえて

 ユウがいの一番にキルクスに来た理由は、単純に温泉に入りたかったからである。ジョウト地方にも有名な温泉街は存在するが、せっかく観光に来たことだし、寒い日が続いているからとグリムの賛同も得られたので、嬉々揚々と現地入りした———までは良かったのだが。

 「まさか、キルクスの入浴スタイルが水着着用での温水プールのようなものだったとは。」

 ユウが想像する温泉とは、地元ジョウトや近隣のカントー、ホウエン等で知られているお風呂スタイルである。入浴時に水着の着用どころかタオルでの入浴もタブーとされている。中には混浴の温泉もあるが、大体は男女で別れ、大浴場スタイルもあれば個室貸切スタイルもある。そんな温泉だ。しかしキルクスというかガラル地方では、水着の着用が必須、男女混浴で、温泉に浸かりながらワインや食事、ゲームなんかを楽しめるリゾートスタイル。長く浸かる事に重きを置いているのか、湯の温度は正に温水プールと左程変わらないぬるま湯だった。
 これには期待を大きくしていたユウもガッカリで、ポケモンと入浴可能な施設まで調べたというのに、殆ど楽しむ事もなく早々に施設を後にした。此処でゆっくり浸かるくらいなら、ホテルの猫足バスタブにたっぷり湯を張ってのんびり浸かる方がまだマシ、という程に期待外れだった。これがカルチャーショックか、と内心ゲンナリしつつ、腹が減ったんだゾ、というグリムの要望に応えるべく、近くのステーキハウスへと足を運んだ。

 「ユウ、ワタルが映っているんだゾ!」
 「ああ、エキシビションマッチの中継映像だね。」

 モニターの周囲は多くの観戦客で埋まっているため、少し離れた席に座り、注文したステーキに舌鼓を打ちつつ、ユウ達の視線は自然と皆が集まるモニターへと向かう。グリムの言った通り、現在ワタルとキバナによるドラゴンタイプ同士の白熱したバトルが繰り広げられているようだ。キバナがフライゴン、ワタルがハクリューで戦況はワタルが押している様子。聞こえてくる実況解説によると、先程ワタルのハクリューによる竜巻が直撃し、フライゴンの体力を大きく削ったとか何とか。
 部位の違うステーキをそれぞれ注文したため、切り分けたステーキの半分弱をグリムの皿へと移しながら、ユウは観戦客の声に耳を傾ける。ガラルでのドラゴン遣いと言えば何と言ってもキバナだが、やはり元祖というべきか、チャンピオンワタルには適わねぇな。ワタルに勝てるとしたら、それこそレジェンドクラスじゃないと厳しいんじゃないのか。いやいやウチのダンデや新チャンピオンのユウリちゃんだって引けを取らねぇと思うぜ。等々。そんな会話で盛り上がりを見せる観戦客が、モニターから流れる実況者の決まったああぁぁ、という叫び声に言葉を止める。ユウも視線をモニターへ戻せば、ハクリューによる冷凍ビームが直撃したらしいフライゴンが、眼を回して倒れている光景が映っている。

 「ドラゴンなのに、氷の技を使えるのか?」
 「基本的には難しいけれど、ハクリューは数少ない氷技を扱えるドラゴンタイプだよ。フライゴンは氷技に対して相性が四倍だがら、まともに喰らったらまあ無事じゃ済まないだろうね。」
 「氷がダメなドラゴンなのに氷が使える…でも、ハクリューが氷の技を喰らったら、ダメージが大きくなるんだよな?」
 「そうだね。」
 「ぶなぁっ!ややこしすぎるんだゾ!!」
 「それがポケモンバトルの難しいところ。単純なタイプ相性だけで決着がつかない所以だね。」

 シワシワのピカチュウのような顔でモソモソとステーキを咀嚼するグリムへ、ユウは苦笑を溢しながら頭を撫でる。ワンダーランドの実践魔法でも水や火等の属性相性はあるが、此方のポケモン達に比べればかなり単純なため、グリムが音を上げるの致し方ない。此方の世界の住人ですら、その複雑さに一流のトップトレーナーになれる者が一握りなのだから。
 ワタルがスゲー奴って言われる理由がちょっとわかったんだゾ。少しずつ此方の世界の文化や価値観を覚え始めたグリムの言葉に、ユウは先程とは変わり穏やかな笑みを浮かべる。自分の相棒と自称するくらいには大切な存在となった彼が、少しでも自身が生まれ育った世界を理解してくれることが、嬉しくて堪らなかったのだ。

 「ここでキバナはキョダイマックスか。まあ、残るはジュライドンだけだもんなぁ。」
 「対してワタルの手持ちはあと三体…ここで一気に仕留めんと、逆転は厳しかろう。」

 それまでフィールドにズームよりだったカメラが一気に引き、スタジアムを突き抜けそうなほど巨大化したジュラルドンの全体像が映し出される。でけぇ、と思わず溢すグリム同様、ユウも成程これがキョダイマックス、とその勢いに少し圧倒されていた。モニター越しでもこの迫力なのだから、対面ともなるとその威力は測り知れないだろう。
 決して小型ポケモンではないカイリューが小さく見えてしまう程、キョダイマックスしたジュラルドンはデカかった。高層ビルと遜色ない高さに、ガラル特有のダイマックス、それを凌駕するキョダイマックスの強さに改めて感心したユウは、それでもこの勝負はワタルの勝利で終わるのだろうと確信していた。
 カメラに抜かれるワタルの表情は、キョダイマックスをしたジュラルドンを前にしても揺らぐ事は無い。普段の穏やかな印象とは変わり、鋭い視線で相手を見据えた彼は、カイリューへと的確に指示を送っていた。どうやら各トレーナーにピンマイクをセットしているようで、技の指示やトレーナー同士の会話内容なんかもよく聞き取れる仕様らしい。決めるぞ、というワタルの声と共に放たれたのは、お馴染みの破壊光線。通常のそれよりも格段に威力が強い破壊光線は、キョダイマックスの効果で一時的に体力を増幅したジュラルドンでも防ぎ切る事は適わず、その巨体を大きく仰け反ったかと思えば、みるみる光が収束し、元のサイズへと戻ったジュラルドンが先のフライゴン同様、眼を回して倒れる姿が映し出される。

 『ジュラルドン戦闘不能!よって勝者はワタル!まずはセキエイリーグが一勝を上げました!!』

 実況者のその言葉にスタジアムが一斉に湧き立つ。店内もトップレベルのバトルに歓声を上げる者や、地元トレーナーの敗北により落胆の声を溢す者などで溢れ返った。
 そんな観戦客の声をBGMに、先に食事を終えたユウは、グリムが食べ終わるのを待ちながら、スマホでワタルへとメッセージを送る。初戦突破おめでとう、という短いものであったが、きっとワタルはそれでも十分喜ぶことだろう。ユウの確信通り、試合終了後、控室に戻ったワタルは、ユウからのそのメッセージを見て穏やかに頬を緩ませていた。


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 時間が許す限り彼方此方と観光を楽しんだユウとグリムは、ワタルとの当初の約束通り、夜にはシュートシティへと戻ってきていた。丁度エキシビションマッチの初日も終了したタイミングだったらしく、帰宅ラッシュにぶち当たってしまったが、何とか人波を躱してホテルへと戻った一人と一匹は、疲れた身体を癒すべく、スイートルームに相応しい大きな猫足バスタブへ早々にドボンと浸かる。

 「あ〜やっぱ、お風呂はこうでなきゃね。」
 「ふなぁ、生き返るんだぞ〜」

 変装するために自然と濃くなったメイクも落としてスッキリしたところで、乳白色に濁るお湯を肩に掛けつつ、ユウはゆっくりと足を伸ばす。とろみのある入浴剤は保湿、保温効果に優れ、同じく風呂桶に張った湯に浸かるグリムも気持ち良さそうに丸まっていた。
 エキシビションマッチは初日の今日を含め、残すところあと二日。大晦日の最終日に決勝戦が行われ、表彰セレモニーを経て、新年早々各地への歴訪イベントへと続く。出場者組は中々にハードスケジュールだなぁ、とユウがぼんやりと今後の予定を思い出していたところで、突然バスルームのドアが開く音がし、次いでシャワールームの開く音が聞こえてきた。
 直ぐにシャワーの流れる音が続き、個別となっているシャワールームのスモークに水滴が付着していく。ん?とユウが首を傾げている間に、手早くシャワーを済ませたのだろう見慣れた赤銅色の髪から水滴を溢しつつ、ワタルがシャワールームから出てきた。

 「半分譲ってくれ。」
 「何でナチュラルに入ってきてんの?お風呂入っていたの気付いていたでしょ。」
 「ああ。だから急いでシャワーを済ませてきた。」
 「何で???」

 信じられん、とドン引きするユウを他所に、ワタルもユウの後ろに回るように湯に浸かる。途端に嵩が増した湯が耐え切れず氾濫する。ユウは流れていくお湯を虚しく見つめつつ、プカプカと浮かんでいたグリムの入る桶が流されぬようしっかりと抱えながら、堂々と背後に座る男へと睨みを一つ。
 せっかく広いお風呂なのに狭くなるじゃん。年頃の娘の入浴中に堂々と侵入してきた不埒な男への叱咤ではなく、ツッコミどころは其処か、とワタルは内心吹き出しかけたが、自分にとっても都合が良いので、グッと堪えてユウの柔肌を楽しむように腕を回す。俺も早く湯に浸かりたかったんだ、と白々しい言い訳は、当然ながら彼女を納得させるものでは無かったが、長年の経験でこれ以上は無駄だと判断したのだろう。溜息を一つ溢したユウは、諦めたように重心を後ろへと傾け、ワタルへとその背を預けた。

 「それより、昼間はメッセージをありがとう。観ていてくれたんだな?」
 「たまたまお昼で入ったお店で中継が流れていただけ。ハクリューの最後の方とキョダイマックスくらいしか見ていないよ。」
 「キョダイマックス凄かったんだゾ!ぶわーってでっかくなって、カイリューがめちゃくちゃ小さく見えたんだゾ!」

 本来であれば、年頃の娘の入浴に堂々と侵入する男という警察案件であるにも関わらず、一番拒否せねばならないユウが早々に諦めた事で、そういった性のあれやこれやに疎いグリムが指摘できるわけもなく。ユウが良いなら良いんだぞ、を素でいくため誰からもツッコミが入る事は無くスルーされていった。此処にグリーン以下カントー、ジョウト組がいたら速攻お縄についていたというのに。こればかりはあのレッドでも絶対に妨害した事だろう。
 誰もツッコミを入れないから、何も起こらない。そんなわけで会話はそのまま流れていき、ユウとグリムの本日の観光日記の如く、あそこが楽しかった、あれが美味しかった、今度はどこそこに行きたい、といったような至極穏やかな会話が、年頃の男女が混浴する浴室に静かに反響していく。平然と侵入を果たした自分も大概だが、それを早々に赦してしまうユウのある意味で無防備過ぎる姿に、何処とは言わないが竜王の竜王たる場所がムラリと来たが、グリムもいるし、流石にそこまで性急な行動は抵抗を喰らうだろう。沸々と独占欲とその他諸々のヤバい程に重たい感情を滾らせたワタルは、それでも表面上は穏やかに、そうか、よかったな、と相槌を返す。
 絶対に今回のガラル遠征期間中に、自分の最愛なる番として世間に公表してやろう。そう決意を秘めたワタルを他所に、ユウは今日の思い出を楽しそうに話すグリムの声に耳を傾けながら、今日の夕飯はグリムが好きなピザでもデリバリーしようかな、と考えを巡らせた。まったくもって危機感の足らない女である。