たくさんの疑問符が続く日

 魔法の世界、ツイステットワンダーランドに不運にも迷い込んでから早数週間の時が過ぎた。日々与えられる雑用の仕事にも慣れてきて、その中でやりがいも見出してきた頃。午前の仕事が予定よりも早く終わったため、ユウは中庭へと足を伸ばし、無人のベンチへと腰を下ろした。現在は授業中であるため、辺りに人の気配はなく静寂を保っている。
 天気も良く、小春日和のような温かな気温のため、気分転換も兼ねて外で自習に励もうと考えた結果、この中庭を選んだ訳だが、腰を下ろしてトレインから授かったテキストを開いたとほぼ同タイミングで背後から掛けられた声に、ユウは場所を選び間違えたか、と内心で溜息を吐いた。ゆっくりと振り返れば、深紅の薔薇にも負けない深い紅色の髪を持つ美少年のような出で立ちの姿。聞き間違であれば、というユウの期待は外れたのだった。

 「こんにちは。」
 「うん、こんにちは。君は確か、ユウ、と言ったかい?」
 「はい。何か御用でしょうか?」
 「少し話をしたかったんだ。今時間はあるだろうか?」
 「…少しなら、どうぞ。」

 授業中では?というユウの疑問を汲み取ってか、急遽自習になったから問題ないよ、と先手を打った深紅の美少年———リドル・ローズハートは、失礼するよ、と一言断りを入れてユウの隣へと腰を下ろした。
 話をしたかった、という彼からの提案を待つようにユウがリドルからの言葉を待っていれば、手元にあったテキストに気付いたらしく、勉強中だったかい?と申し訳なさそうな声色で謝罪の言葉が伝えられる。それに対して、大丈夫ですよ、と当たり障りのない言葉を返してから、催促するように、お話しとは何でしょうか、と続きを促した。

 「最近、君の相棒———グリムと言ったかな。彼から、ハートの女王の法律についてよく尋ねられてね。どうしてそんな事を聞くのか、と問いかけたら、君の影響を受けて、と言っていたから。」
 「はあ…?」
 「知らない事を知るために、学ぶために学び舎はある。何気ない日常の中で抱いた“何故”を紐解いていくために、勉学は存在する。そう君から教わったから、彼はこの間の食堂での出来事で抱いた何故を知りたくなったらしい。」
 「…ああ、そういう事ですか。」

 リドルからの言葉を受けて、ユウは雑用係初日の食堂での出来事を思い出す。火曜日はハンバーグを食べてはならない。その法律を始めて知った日のこと。その場では、グリムは特に何もいう事は無かったが、その日の晩、夕食を終えて寝るまでの自由時間で彼はユウに疑問を投げかけたのである。何故ハンバーグを食べてはならない、というルールがあるのか、と。
 グリムという魔獣と一つ屋根の下で暮らすようになったユウは、彼に様々な事を教えるようになった。それは学術的なものというよりは、人々の生活や文化、ものの考え方といったような類のもの。人間社会一年生のグリムには、学術的な知識以前に、人の営みそのものについてもあまり詳しくは無かったのだ。寝たいときに寝て、食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べる。過ぎ去る日々を精一杯生き抜く事に重きを置いていたグリムにとって、人の営みでは当然のことであるルールマナーといった規則が存在しない。しかし、一生徒として人間社会に入る事を選んだ以上、最低限の常識は身に着けておかなければ、周囲から排除されてしまう。世界は違っても、基本的な人の営みは変わらないため、ユウは持ちうる知識で、なるべく嚙み砕いて解りやすくグリムへと教えを解いたのだ。
 何故人はルールを作るのか。何故そのルールに則って生きるのか。野生動物の間でも法律ルールとして専門書が残されている訳ではないが、所謂不可侵の領域というものは存在する。例えば、むやみやたらに相手のテリトリーに入り込んではいけないとか、他人の番に無作法に手を出してはならない、など。自然界の中で様々な種が共存していく上で暗黙の了解となった事柄等に置き換えつつ、ユウはグリムへ人とは何かルールとは何か等を伝えていった。
 そうした事を繰り返していく内に、グリムの疑問にユウが答えられない内容も出て来たのだ。例えば、この世界に独自に存在する価値観やルール。その一つに今回の『ハートの女王の法律』が挙げられた。解らない事を解らないままに済ませてしまう事も出来る。しかし、それでは本当の意味でその国の文化や、その文化で営みを続ける人々の考え方は知る事が出来ない。ならばどうするべきか。

 「解らないのならば、調べればいい。沢山本を読んで、沢山その歴史や文化に触れて、そこに生きる人々と会話を重ねて。自分の中に芽生えた何故を一つずつ解消していけばいい。それこそが真の学びであり、そうして育んでいった知識常識は、いつしかあの子の在り方価値観を形成してくれるはずだから。せっかく様々な国、様々な環境が集まった名門校に入学したんですから、一辺倒な考え方や価値観に固執し過ぎるのは、勿体無いでしょう?」
 「様々な考え方…」
 「こういう物と昔から定められてきたのだから、それを継続するべきだという考え方すべてが悪いとは思いません。伝統や先人の教えは時に大切に護るべきものです。でも、その価値観ばかりに縛り付けられては、今を生きる人々が全く見えて来なくなるじゃないですか。」
 「今を、」
 「そうであるべきそうあってもいいにする。そうしなければならない本当にそうなのかと見方を変えていく。そうして人々は学び続け、より良い発展へと繋げていく。そうしてそれが、歴史として後世に語り継がれていく。人の営みとは、そういうものでは無いか、という私の持論を伝えただけですね。」
 「…でも、遵守すべきものだからこそのルールであって、それをなんでもいいになってしまったら、それこそ破綻してしまわないかい?」
 「だからこそ、学んでいくのではないでしょうか。本当に遵守すべきものは何かそれを探すために。」

 本当に大切なもの、護るべきもの、貫き通すもの。それらは一人一人違うもので、全く同じという訳ではないだろう。自分の中に絶対揺るがない一本芯を通すもの、それを信念と呼ぶかは人それぞれだが、それはその人の価値観を形成してアイデンティティとなっていく。そして人それぞれ違うからこそ、時に対立もするし驚愕もする。逆に共感を覚える事もあるし、より深く知りたいと興味に繋がる事もある。
 それぞれの価値観の中で、それでも人々は自分ではない誰かと共に生きていきます。その中で一方的に得をする者、損をする者、自分の思い通りになる者、ならない者は必ず現れるし、そこから生まれる軋轢や対立だって逃れられないものです。それでも、時に寄り添い、時に衝突し、そうして自身の中にある揺るがない一本を伝え学び合う事で、人々は日々成長し、より強固なコミュニティを形成していくものだと思っています。此処まで持論を展開したユウは、少し話しすぎたかな、と呼吸を整えるように、テキストと共に持ち歩いていたボトルウォーターを取り出して、酷使した喉を労わるように数口嚥下した。

 「…君の話を聞いて、改めて実感したよ。僕が今までどれだけ一辺倒な考えに固執していたのかが。うん、君と、君達に出逢えて良かった。話を聞けて良かった。」
 「そうなんですか?」
 「うん。僕の母はとても厳しい方でね。常にこうあるべきこうならなければならないと言われ続けてきたんだ。それが正しいと思っていたし、それが出来ない者は赦してはならないとまで思っていた。だから、ハートの女王の法律もすべて暗記して、それを遵守する事こそが正しい在り方だと思っていた。」
 「なるほど。」
 「でも、グリムから疑問を投げかけられて、僕は答えられなかった。だってそれが当然そうあるべきと思っていたから。でも、それではいけないんだよね。改めて考えたら、何故ハンバーグが駄目なのか、何故火曜日なのか、なんて全く分からなかった。」
 「グリムは、貴方にご迷惑をお掛けしませんでしたか?」
 「とんでもない!むしろ新しい考え方をもらう、いいきっかけになったよ。感謝したいくらいさ。」
 「そうですか。」

 でも、ハンバーグの質問の時、煮込みハンバーグは良いのか?肉詰めはセーフか?という問いかけは、少し笑ってしまったね。初めて出逢った時よりも憑き物が取れたようなスッキリとした顔つきで、歳相応に笑うリドルの姿は、ユウが初めて印象を受けた、あまり関わりたくない、というそれからは外れていて、ユウも漸く穏やかな笑みを返す事が出来た。
 これからも、よかったら沢山教えてあげて下さい。頭を下げてそうお願いしたユウに、こちらこそ、よろしく頼むよ、とリドルも頷いた。何処か緊張して張りつめていた空気は霧散し、穏やかな時間が二人の間に流れる。
 このやり取りが、後のハーツラビュル生の在り方や考え方に大きく影響を与える事になるとは露知らず、ユウはせっかくだから、と勤勉な優等生である先輩へと、早速テキストを見せてこの世界について学ばせてもらう事にしたのだった。