面影は遠い彼方へ消えていくもの

 エキシビションマッチを観戦する気は無かったが、最終日の表彰セレモニーくらいは顔を出してやるか。そんな気分でユウはグリムと共に、すべての試合が終了したシュートスタジアムへと足を運んだ。
 未だ興奮冷めやらぬスタジアム内は、年末の真冬というのに熱気に包まれており、関係者パスポートで通された関係者限定区画も、多くのスタッフや同じく観戦に来ていたのだろうリーグ関係者達の歓声で賑わっていた。そのとある一角、スタジアム内が良く見える席に見覚えのある顔を見つけ、ユウはそっとその人物の傍へと歩み寄った。

 「こんにちは、カブさん。観戦に来られていたんですね。」
 「おや、こんにちは。君も来ていたのかい?」
 「今さっき来たところなんです。最後のセレモニーくらいは見ようかなって。」
 「そうなんだ。ああ、よかったら此方にどうぞ。」

 エンジンシティジムのジムリーダー、カブ。先日の交流会で言葉を交わして以来だったが、好々爺とまではいかずとも、物腰柔らかなジェントルマン気質の彼は、特に深入りをする事もなく優しく自分の隣の席を勧める。ユウも有難くその席へと腰を下ろしたところで、初日の開幕セレモニーと同様のMCが、表彰セレモニーの始まりを伝えた。因みにカブの周辺に座っていた他のジムリーダー達から多くの視線を貰っていたユウだが、軽い会釈だけで特に話しかけられる事は無かったので、同じように会釈だけ返すに留めた。
 お待たせ致しました、というMCの言葉を皮切りに、スタジアムがまた一斉に湧く。因みに今回のエキシビションマッチの優勝者は、ワタル。決勝戦のレッドとの試合は、歓声を上げる間もない程に白熱したバトルであったようだが、残念ながら中継も観ていなかったユウはその詳細を知らない。帰ったらマブ達と見よう、と思いながら、早速壇上へと登壇したワタルへと視線を送る。バトル終了後すぐに始まったため、まだ少し気が荒ぶっているのだろう。普段テレビなどでよく見せる爽やかな印象とはまた違う顔を見せていた。そんなワタルに対して、近くに控えていた若い女性スタッフ達が黄色い声を上げている。

 「…ワタルくんって結構モテるんだよね。そう言えば。」
 「ふなあ?」

 ユウのぽつっと溢した呟きに対して、カブを含めた周囲のガラルジムリーダー達は、え?今更?と内心でツッコミを入れたが口に出す事は無い。彼等もまた年代の若いジムリーダーやジムトレーナー達がいるために、最近話題となっている熱愛報道についても知っている。特に恋バナ好きの女性陣が挙ってキバナやダンデ、ネズへと詳細を確認すべく群がったくらいには話題になっていた。まあ、その三名も一人は尊さのあまり天を仰ぎ、一人は全く目許が笑っていない笑みで静かに首を振り、また一人はそんな二人へ怪訝な視線を送るばかりで、核心には辿り着けなかったのだが。
 ユウに多くの視線が向けられたのも、実はこれが理由である。あの熱愛報道は本当なんですか、と尋ねたい気持ち、想像よりも年若い印象のユウに対してこれ合法?大丈夫?と心配する気持ち、等々。しかし空気の読める良い大人達が集うジムリーダーなので、今聞くタイミングではないな、黙って口を噤んだのだ。

 「ワタルとユウがバトルしたら、どっちが勝つんだゾ?」
 「8:2でワタルくんかな。」
 「え!?」
 「え?」

 グリムの何気ない質問に返したユウの言葉は、流石に聞き捨てならず隣に座っていたカブがまず声を上げる。次いで後方に座っていた数名が、あのワタルさんに対して二割?と驚きを隠せない様子で声を溢した。先程まで繰り広げられていた、レジェンドと名高いワールドチャンピオンであるレッドとの壮絶なバトルをこの目で見ていたからこそ、余計に彼等の驚愕は大きい。しかし彼女もまた、ドラゴンタイプ遣いのエキスパートとして優秀なトレーナーだと聞く。その実績などは殆ど公表されていないため未知数だが、あの魔境と名高いカントー、ジョウト地方出身なので、あり得なくないのかもしれない。それでも二割ってマジで?そんな心境。
 つまりユウくんは、十回バトルをしたら二回はワタル君に勝てる実力がある、ということなんだね。感心したように眼を見開くカブへ、失言だったな、とユウは若干後悔しながら、まあ運が良ければですけどね、と苦笑を返す。それでも凄い事だよ、と純粋に敬意の眼を向けてくるカブに対し、あはは、と何とも言えない笑みを返すしかなかった。
 そうこうしている内に今回のエキシビションマッチの優勝メダルを受け取ったワタルへのインタビュータイムが始まる。マイクを通して聞こえてきたテノールに、自然と全員の意識がそちらへと向けられた。

 『まずは今回、この一大イベントを支えてくれたスタッフの皆さんを始め、多くの関係者の皆様へ感謝の言葉を。ありがとうございます。兼ねてからダンデ君より誘いを受けていた今回のイベントは、我々セキエイリーグとしても良い刺激になりました。』

 先程よりも幾分落ち着きを取り戻したのか、いつもの爽やかな笑みに近い営業スマイルでインタビューにハキハキと答えていくワタルの姿を見て、ユウはそう言えば仕事中のワタルについてもあまり知らないな、と思い至る。リーグへの就職を頑なに断っていたし、ポケモンバトルにも大した興味関心も無かったため、仕事中のワタルそのものを見る機会が無かったというのが大きい。
 ワタルが一言話す度にスタジアムに大きな歓声が上がる。それは即ち、それだけワタルの世界への影響力が強いということ。世界的に有名で人気のあるポケモントレーナーである事は周知の事実であったが、今こうしてその現場を目の当たりすると、何だか普段のワタルとは別人のように見えてしまうのだ。とてもじゃないが、ひとの入浴中に侵入してきた男と同一人物とは思えない。
 今回のエキシビションに対する内容を中心にコメントを返していくワタルの手元が、不意に反射し、カメラの角度が変わった事により照明の位置も変わった事で、彼の薬指に嵌められた指輪が反射したのだと気付く。そこまで気付いてユウは、ふと自身の出で立ちを振り返った。動きやすいパンツスタイルに、左手には彼とお揃いのリングが嵌められている。あ、と思い出した時には、もう遅かった。

 「あれ、そう言えばユウ君のそれ…」
 「えっ!?もしかしてワタルさんのお相手って…!?」
 「じゃあやっぱりあの報道はガチってことかい!?」

 カブが思い出したようにユウの左手に視線を落としたのと同時、それまで必死にその話題について口を噤んでいたジムリーダー達が挙って声を上げる。そしてその声量の大きさに、近くにいたジムトレーナーやイベントスタッフ達も振り返り、同様にジムリーダー達が向けている場所へと視線を向けた。
 ざわざわとした驚愕の声は次第に伝播していき、関係者区画に一番近い観客の一部、一番近くに控えていたカメラマンにも話が伝わっていく。このエキシビションを通じてもう一つ大きな話題となっていたそれを、カメラマンはじめイベント関係者が見逃すわけもなく。
 インタビューを受けるワタルのズームや、他の出場選手、観客席の一角等をランダムに映していたスタジアムの大型モニターが、ユウを中心に関係者席を突然映し出す。観客達の歓声の色が変わった事に気付いたMCはじめ、スタジアムの中央に集まっていた出場者達も挙ってモニターへと振り返れば、ワタルとお揃いの指輪を嵌めたユウのズーム映像が。

 「あーあ…」
 「何でこの最終セレモニーだけ顔出しちゃったンすか、あの子…」
 「カメラ外させて!一応!!」

 途端に頭を抱えだすカントー、ジョウト組に対し、乙女の恥じらいを見せるユウリ、唐突な推しのアップに胸をときめかせるキバナ、遠い眼をするダンデとネズ。カオスになり始めた空気にMCがたじろぐ中、今最も注目を浴びていたワタルだけが、これ幸いと爽やか度五割増しの笑みでモニターを見ながらユウへ手を振っていた。その姿が今度はモニターに抜かれる。そうなれば、ユウも無視するわけにはいかなくなり、グリムと一緒にワタルへと手を振り返すしかなかった。利き手でグリムを支えていたため、必然的に指輪が嵌められている左手で。
 ザワリ、と観客を含めスタジアムが一斉にどよめき出す。あれだけネット上を始め、各所で盛り上がりを見せていたワタルの熱愛報道と指輪騒動。その答えと言える存在が突如としてスタジアムの大画面モニターに映し出されれば、そりゃそうなる。肝心なところでポンコツというか、危機感が足りない妹分に、とうとうグリーンは膝をついてその場に崩れ落ちた。因みにこれ、バトル中継からそのまま継続して全国放送されている。つまり。

 「とうとう公認になっちゃったな…」
 「え、待って下さい。もしかしてこの辺も全部竜王様の策略ッスか?」
 「…性格悪すぎ。」
 「はっはっは。人聞きの悪いことを言うな。結果オーライってだけだ。」
 「「ど の 口 が 言 う か !!!」」

 スタジアムに響き渡ったグリーンとゴールドのツッコミに、ユウはただただ遠くを見つめるしかなかった。そのお膝元に大人しく座るグリムもまた、ただただユウの頬へプニプニとご自慢の肉球を押し当てる事しか出来なかった。