つまらない物語も微笑んで

 白熱した戦いで盛り上がっていたはずのエキシビションマッチは、気付けばあの有名なドラゴン遣いにしてワールドクラスのポケモントレーナであるワタルの熱愛騒動へと切り替わっていた。それまで各ネット上で盛り上がるのみであったそれは、各週刊誌や芸能報道番組へと広がり、突然の問い合わせが殺到したセキエイリーグは、過去最高のパニック状態に陥っていた。
 鳴り止まない外線に入口へと集うマスコミ連中。次々と襲い来る波にカリンは額に青筋がピキピキと立った事を自覚する。オドレあの腐れ外道ロリコンドラゴンがぁ…っ。ロリコンとドラゴンで韻を踏むな、とは彼女の鬼の形相を前に流石のキョウも茶化す事が出来なかった。

 「ここまで来たら、流石にリーグとしても何かしら通知を入れんと、世間は納得せんだろうなぁ。」
 「ワタルの所為だ。あいつにすべてやらせればいいのでは?」
 「馬鹿言わないで頂戴!!そんな事したら、それこそあのクソドラゴンの思う壺よ!!」
 「じゃあどうするんだ?よもや『そんな事実一切ございません。』を貫くとは言うまいな?明らかに婚約指輪と取れる揃いの指輪を嵌めいている姿が、全国放送で流れたんだぞ?」

 あああぁぁぁっ、と発狂するカリンをどうどうと宥めるシバは、もう少し言葉を選べ、とキョウへ呆れの視線を送る。しかしキョウのいう通り取り繕えるレベルはとうに過ぎ去っている現状、何とかしてこの状況を打破する案を考えねばならないのも事実。
 まったくもって人騒がせな一族だ。頭を抱えるシバを他所に、お嬢も荒れるだろうなぁ、とキョウは一人愉しげに顎を擦った。


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 ホテル前に押し寄せる報道陣をカーテンの隙間から眺め、ユウはすべての表情を削ぎ落して黙々と荷造りを始めた。もうワンダーランドに帰る。私はクルーウェル先生の妹だ。クルーウェル先生のお家に帰るんだ。そうブツブツと呟きながら、荷物をバッグに詰め込む姿は正に修羅の如し。流石のグリムもプルプルと黙って震えるしかない。

 「誰が何処へ帰るって?お前の帰る処はひとつだろう?」
 「うるさい。こんな騒ぎになった世界にいられるか。」
 「ユウ。」
 「ワタルくんの命令はもう聞かない。その偏屈な独占欲が少しは満たされるならって優しさを見せた私が馬鹿だった。」
 「…ユウ。」

 指輪一つで満足するならって考えがそもそも甘い事に漸く気付いたユウは、ワタルから醸し出されるオーラがどんどん不穏になっていくのもそっちのけに、荷造りの手は止めない。明日からガラル各地へ歴訪イベントが待っているのだが、そんな事は知ったこっちゃない。もともと自分の出演は一切無いのだから、いようがいまいが関係ないだろう。そんな心境。
 対してワタルの内心も非常に穏やかではない。せっかく世間へも間接的に周知して、あとはリーグを通じて結婚を前提としたお付き合いの中ですと公表するまでの段階に来たのに、このタイミングでワンダーランドなんぞに行かせるわけが無いだろう。しかもどこぞの誰とも知らん男の下に帰るだと?ふざけるなお前の帰る処は常に俺の処一択だろうが。そんな心境。
 ふなぁ、と間に挟まれたグリムがとうとう音を上げ、半泣きで隣の部屋へと飛び込む。子分とワタルがやべーんだゾ!びええ、と泣くグリムの背を優しく撫でて宥めるレッドは、今こそユウとグリムの完全拉致計画を実施すべきじゃないかと、グリーンへ視線を向けた。余計に泥沼化するから絶対止めろ。黙って首を横に振るグリーン。視線で会話が出来るレジェンドコンビである。

 「ユウ。いい加減にしなさい。急に押しかけてもご迷惑になるだけだ。」
 「ちゃんと連絡してから行くもん。クルーウェル先生がダメならマブの処に行く。セベクが茨の谷に来ても良いぞって言ってくれたし。」
 「…俺が、赦すとでも思うか?」
 「何度も言わせないで。ワタルくんの意見も命令ももう一切聞かない。」

 バチっと鋭い睨み合いが始まり、ドラゴンVSドラゴンの静かな、しかし苛烈な戦いの火蓋が切って落とされた。グリムを抱えてそっと様子を伺いに来たレジェンドコンビが揃って身震いするくらいには、重たい空気。因みにゴールドは早々に部屋に籠った。ギャロップに蹴られるのも巻き添え食うのもごめんッス。しかしそうは問屋が卸さない。強制的に合鍵で部屋へ突入したグリーンが、他人のふりを決め込むゴールドの首根っこを掴んで部屋から引きずり出した。死なば諸共だ。そんな副音声が聞こえた気がする。
 静かな睨み合いを続けるユウとワタルに、グリムは震えながらも、いい加減にしろ!と声を上げた。怖すぎてボロボロに涙は零れ落ちるし、ご自慢の三又の尻尾は完全に股の間だけれど、それでも親分。子分を宥めて落ち着かせるのも自分の役目、と己を奮い立たせる。

 「だいたい、ワタルもワタルなんだゾ!子分は目立つのが嫌だってずーっと言っていたのに、今回のはやりすぎだゾ!子分も!何でもかんでも向こうに行けばいいって話じゃねぇ!!」
 「…、」
 「グリム…」

 ちゃんと話し合いをして、きちんと折り合いをつけるべきだ、と訴えるグリムの言葉に、荒ぶるドラゴンがどちらとも落ち着き出す。おお、とグリムの雄姿を称え、拍手を送るレジェンドコンビとゴールド。端的に言ってカオス。しかしそのお陰で、張りつめていた空気が一旦プツンと途切れた。
 泣きながらもユウに抱き着くグリムを必死にあやしながら、ユウは先程よりも鋭さを抑えた視線をワタルへと送る。親分が無くから仕方なく話し合いはしてやるけど、お前の要望は絶対に呑まねぇからな。言葉にするならこんな感じ。対するワタルも多少の気まずさを覚えながらも、ワンダーランドには絶対に行かせねぇからな、という気持ち。さて、互いの落としどころをどうするか。

 「…ユウは、俺のものになるのが嫌なのか。」
 「私別にワタルくんのこと、そういう意味で好きなわけじゃないし。」
 「……今後、そういう意味で好きになるつもりは。」
 「今のところない。」
 「……」

 うすうすそんな気はしていたが、はっきり言葉にされると結構傷つく。地味にショックを受けるワタルを他所に、ユウは攻撃の手を緩めず更なる追い打ちをかける。これまでずっとワタルくんに譲歩してやったのに、何で私ばかり我慢を強いられなきゃならないの。その一言はワタルへ会心の一撃となったし、急所に当たった。そうなのだ。自覚がある。自分のこの激重な感情でこれまでユウを縛り付けてきた事も、これからもそうする事が赦されて当然だと思っている自分がいる事にも。
 黙ってソファに沈むワタルの姿に、ユウも流石に言い過ぎたか、と言い淀んで、それから一呼吸おいてゆっくりと彼の足元へと擦り寄る。

 「ワタルくんは、そんなに私が良いの。自分で言うのも何だけど、ワタルくんよりかなり子供だし、いい人なんてそれこそごまんといると思うけど。」
 「…幼い頃から、お前しか見ていなかったんだ。今更、他に目を向ける気にもなれないさ。」
 「どうしても?」
 「ああ。」
 「…んー、じゃあ、とりあえず。今回の事は、ちゃんと弁明して。今の段階でワタルくんのお嫁さんになる気は無いから、そこもちゃんと否定して。ただワタルくんにとって大切だって事は、言いたかったら言っても良いよ。でも、私の周りをウロチョロさせるような事はさせないで。この三日間も結構パパラッチとか鬱陶しかった。あれ凄い嫌。」
 「…、それはつまり。いずれは俺のものになってくれるという事か。」
 「まあ、私がワタルくんの事を『そういう意味』で好きになったら、いいよ。」

 ガバッと顔を上げるワタルに対し、視線を逸らさず真剣に見つめるユウの顔に嘘はない。現状彼女がこんなにも嫌がるのは、そういう感情が無いのに、世間からそういう関係だと決定づけられ、そうして彼女の周囲を探られる事に耐えられなかったからなのだろう。そこまで的確に察したワタルは、分かった、と一つ頷いて、早速荒れまくっているだろうセキエイリーグへと連絡を取った。今回の騒動に対する表明と、今後について公式ホームページはじめSNS各所で発信していくことを伝えたワタルは、一旦連絡を切ってユウを抱き寄せる。
 今回性急になりすぎた事は悪かった。謝る。額を合わせて謝罪するワタルの声音が、取り繕ったものでも裏があるものでもないと読み取ったユウは、しょうがないから赦してあげる、と同じように鼻先を擦り合わせた。

 「…いや、あの空気でそういう感情は無いってどういうことなの?」
 「俺もうユウが分からねぇッス…」
 「次は絶対に攫う。決めた。攫う。」
 「やめて…っ!俺が殺される…っ!」

 すっかり蚊帳の外にされたレジェンドコンビとゴールドの、そんな呟きがあったとか、無かったとか。一件落着になりそうな空気に、俺様頑張ったんだゾ、とグリムだけが誇らしげに胸を張っていた。