固く閉じられた清楚な乙女

 ワタルの公式アカウントから、今回の一連の騒動に関して纏めたものが投稿された瞬間、世界中へとその投稿が拡散されていった。決まりきった辞世の句に続き、ワタルの言葉で今回の騒動に関する言葉が書き連ねられたそれは、ユウとはまだ婚約関係というより婚約(仮)であること、しかし自分はユウに対して将来を考える程の感情を抱いていること、今回話題となった出来事(主に指輪騒動)はすべて、双方の合意の下で行われたこと、今回も含め、あくまでこれはプライベートに関する事なので、リーグを始めリーグ関係者への取材や過度な囲い取材や追っかけなどは控えて欲しいこと、そして何よりもユウに対して一切の合意のない取材行為等は認めない、と、要約するとそんな内容だった。文書こそ、読みやすさ重視のために入力されたものであったが、最後にワタル本人の直筆の署名を残す辺り、その本気度が窺える内容で、一方的なアンチを除き、ワタルに対する印象は変わらず評価するものが多く、中には、ワタルの願望ユウを番にする事が叶う事をお祈りしています、といったコメントも寄せられた。
 この文書は、ワタルの公式アカウント以外にも、リーグアカウントから引用リツイートされたり、各出版、放送局でも取り上げられたりと、その騒動の大きさを物語らせていたが、それでもそれ以来、ユウの周りに記者やパパラッチ、話題目的の過度なファンやアンチがうろつく事は無かった。それだけワタルの発言力の影響が大きいのだと、痛感しつつもユウは取り戻した平穏に漸く肩の力を抜く事が出来た。意外にも人見知りでパーソナルスペースが広い彼女にとって、見知らぬ人間が周囲をうろつく環境が、知らぬ間にストレスとなっていたのだ。

 「…今回は、いっぱい迷惑をかけちゃってごめんね。グリム。」
 「ふな?」
 「感覚が優れているグリムにとっても、ストレスだったでしょう?でも、変わらず傍にいてくれて、グリムの言葉に沢山救われたのも事実だから。ありがとうね。」
 「俺様はユウの親分なんだゾ。親分が子分を護って、導いてやるのは当然の事なんだゾ!」
 「うん。これからも頼りにしているね?」
 「ふな!任せろ、だゾ!!」

 グリムと頬を寄せて笑い合うユウの写真が、彼女のアカウントにてアップされる。当然それをアップしたのは彼女のロトムであるが、ユウの事が大好きで堪らず、過激派とも呼べるロトムは今回の騒動と、それに付随して最近態度がデカくなってきているアンチ対策として、今回の写真より、彼女と親しい者以外、一切のコメントを受け付けられない設定へと変更した。
 ワタルとの関係について祝福や称賛の声をコメントする者も多かったが、ユウ自身がワタルを現時点でそういう対象としていない以上、肯定的なコメントもまた、ユウにとって要らぬストレス要因になると考えた結果だった。元よりユウは知人以外のコメントについてはあまりチェックしない性格であったため、それに対して、あまりダメージだのストレスだのは感じていなかったが、無い事に越した事は無い。過激派はごく僅かな可能性さえも徹底的に排除するガチっぷりなのである。

 「ロトムも色々とありがとう。今日から、いつも通りロトムも好きに投稿して良いからね。」
 『マスターをサポートするのがロトの仕事!このくらい当然ロト〜!』

 もしも、今後彼女の害となるのならば、ワタルすらも排除する。そんな感情を内に秘めているロトムは、マスターの笑顔こそ至福であり、マスターの健やかな日常こそ己の存在意義だと自負している。彼女に対して苛烈で重たい感情を抱いているのは、何もワタルだけではないのだ。


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 そんなドタバタな年末を経て、ガラルで新年を迎えたユウは、ワイルドエリアのナックル丘陵にかかる大橋上空、カイリューの背に乗って撮影した初日の出の写真をアカウントにアップし、新年の挨拶をコメントに残す。家族やフォロワーを中心に残るコメントを眺め、時折それに返信をしつつ、アプリを切り替えて同じ写真をマジカメにもアップした。

 『Happy new year!今年もよろしくな。』
 『新学期が始まったら、またオンボロ寮で集まろうぜ。』
 『今度こそウィルさんが逃がしてくれないだろうから、一緒に腹括ろうね。』
 『そっちも良い天気みたいだな。風邪引くなよ。』
 『良い景色だ。今度は僕達も連れて行ってくれ。』

 デュース、エース、エペル、ジャック、セベクと、マブ達のコメントに続き、各寮の親しい先輩達や学園関係者のコメントが連なっていくコメント欄を流し読みしたユウは、起きれると駄々を捏ねて、やはり朝方で耐え切れず寝息を立てるグリムの背を撫でつつ、ありがとう、とポツリと一人言葉を溢した。
 ありがとう。私の世界を、私を受け入れてくれて。それはグリムへか、マブと呼べる五名へか、それとも、あの学園の親しい知人達へ向けたものだったのか。誰に聞かせるでもなく霞む朝焼けに溶け消えた言葉だった。


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 新年一発目は、ワイルドエリアから生中継となった訪問イベント。ポケモン達を過度に刺激しないよう、必要最低限の機材とスタッフで訪れたのは、ワイルドエリアの中でも比較的に穏やかな天候、ポケモン達が集うららか草原だった。
 綺麗な初日の出を拝む事が出来たくらいに天候は良好であったが、季節は真冬。カントー、ジョウト地方よりも緯度が高いガラル地方の冬は、特に冷え込む。ましてや此処は草原と呼ばれる木々の無い広い空間。遮蔽物が無いため吹き抜ける冷たい風をダイレクトに浴びる事となるのだ。

 「…寒ィ…」

 まず音を上げたのは、寒さにとことん弱いグリムだった。モコモコの帽子を被り、グリムサイズのニットウェアを着てマフラーを巻いているのに、今もユウのダウンコートの中に潜り込んでその身を震わせている。
 ユウもそんな親分がこれ以上身体を冷やさぬように、と撮影の邪魔にならない少し離れた場所で早速身体の温まるスープ作成に取り掛かっていた。新年なのでせっかくだからお雑煮にしようと、レッドの持ち物から幾つか拝借した食材や調味料でぐつぐつと煮込んでいく。どういうチョイスで選ばれた食材と調味料なのかは不明だが、乾燥餅が入っていたため、ユウは有難くお雑煮のメインの具として使用した。寒くても食欲は無くならないグリムのリクエスト通り、彼のお椀には三個ものお餅が入っている。

 「この間食べたミソスープとはちょっと違って、甘いんだゾ?色も違う?」
 「これは白みそとみりんを使っているから全体的に甘めなんだよ。この間の味噌汁は合わせ味噌だから、どちらかと言えば茶色気味だったかな。」
 「ふな、こっちもこっちで美味いんだゾ!あったけぇスープが冷えた身体をぽかぽかにしてくれて最高なんだゾ〜。」
 「んふふ。お口に合って何より。お餅で咽喉を詰まらせないようにだけ気を付けてね。」


 みにょーん、と熱が加わって良く伸びる餅に注意を促しつつ、別のコンロで温めていたケトルの湯が沸いたことを知らせる音を聞き、ユウは火元からケトルを下ろす。エネココアの粉末を入れたアウトドア用のマグに熱湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜればあっという間に完成。この一杯は、グリムと同じく寒さに強くないカイリューへと手渡した。
 バウ、と嬉しそうに一声鳴いて、焚火の直ぐ傍に腰を下ろし、両手でマグを持って熱を逃がしつつゆっくりとエネココアを呑むカイリューの姿の何と可愛らしい事か。ユウは即座にその様子を数枚写真に収めてから、漸く自分も雑煮に手を伸ば———そうとしたところで。

 「…僕の分は?」
 「何でいるの。撮影は?」
 「今丁度CM入ったところ。ねえ、僕も雑煮食べたい。」
 「俺も食べたい。」
 「俺にもちょーだい。」

 先程までカメラに向かって様々なトークやら何やらをしていた筈のレジェンドコンビとジョウトチャンピオンがグリムの隣に並んで手を出してくる。CMと言っても精々数分程度のものだろうに、その間にこの雑煮を食べるつもりか。そもそも寒さに震える親分の為に作ったもので量も左程ない。そう断ろうとユウが口を開きかけたところで、背後から重低音が微かに聞こえてきた。
 振り返れば生唾を呑んで一心に鍋を見つめるユウリと、音の出処である腹を擦りつつ微苦笑を溢すダンデの姿。貴様らもか、と内心でちょっと遠い眼になったユウは、そっと更に背後にいるワタルへと視線を送った。その視線を受けたワタルが心得たと言わんばかりに一つ頷き、この番組の制作者であるスタッフへと声を掛ける。急ではあるが食事シーンを挟むのはありか、と交渉する為である。
 いくつかの会話とスタッフ同士での軽い打ち合わせの後、無事に許可が下りたようで、それを知らせるハンドサインがワタルから送られてきたのを見て、ユウは追加の雑煮を製作すべく乾燥餅を開封するのだった。