真っ赤に染まる目尻に接吻

 温室の清掃や植物の手入れは、数多く任せる仕事の中でも頻度が高い方だ。今日も今日とてユウはクルーウェルの指示の下、温室にて育成している植物の手入れと雑草取りに勤しんでいた。草ポケモンや虫ポケモン達にとって、此処は憩いの場となるだろうな、なんて事を考えつつ、ひたすらに雑草取りに勤しむユウの背後にユラリと忍び寄ったのは、先日同様ライオンの獣人だった。
 おい、と掛けられた声に振り替えれば、見覚えのあるその姿に、またサボタージュか?等と思いつつも特に指摘する事も無く、何でしょう、と返事をする。声を掛けてはきたが、その先の言葉が続けられることはなく、暫し沈黙が二人の間に流れた。

 「、あの…?」
 「…この間の。」
 「はい?」
 「俺の寝込みを襲ってきた時のアレ、何だ?」
 「…ああ、耳のマッサージですかね?」

 寝込みを襲うとは大変語弊があり遺憾の意であるが、許可なく他人のデリケートな部分に触れてしまった事は事実のため、ユウは喉元まで出かかった文句をグッと呑み込んでから事実のみを口にする。ヘッドマッサージも少し行っていたが、余計な事は言うべきではないだろうと口と噤み、それが何か、と続きを催促した。
 ユウの直ぐ目の前まで足を進めた男———レオナ・キングスカラーは、眼前に座り込むユウをじっと見下ろす。一見華奢でその辺の女とそう大差ない、彼から言ってしまえば草食動物に値する出で立ちではあるが、時折見せる何処までも冷静で、ある種冷酷とも言っていい鋭い眼差しや、相手の言動をジッと観察する姿は、狩りをしている肉食獣のそれに似ている。
 マジフト部の見学に来ていた時も、そんな眼をしていた、と思い出したレオナは、自分から声を掛けたというのに、言葉の続きが見つけられず、そっと視線を彼女の手元に移した。先日、彼女の気配に気付く事が出来なかった事への悔しさや、それ以上にマッサージと呼ばれた手付きが心地よかったのでまた経験したいという欲求、そして部活動見学の際に見せた鋭い眼差しの正体など、彼女への興味は尽きないのに、素直に言葉に出来ない性格故に言葉は続かない。次第に不審な眼を向けてくる女へ舌打ちをしたい気分に駆られるが、自身が反対の立場であれば、同様の視線を向けるだろうし、それ以前に相手にする事なくシカトしたはずだ。そう思いなおしてグッと堪える。

 「…お前は何者だ。」
 「はあ?」
 「ただの草食動物かと思えば、気配無く忍び寄って来やがるし、時折見せる視線は肉食獣の狩りのようにも見える。イマイチお前という存在が掴めねぇ。」
 「掴んでどうするんですか?」
 「…別に。ただの興味だ。」

 的を射ない言葉の数々ではあるが、少なくともこの眼前のレオナ・キングスカラーという男は自分に興味を持っているらしい。そう結論付けたユウは、取り敢えず雑草取りのために着用していた軍手を外し、その場に正座をしてからポン、と自身の膝を軽く叩いた。
 怪訝な顔で眉根を寄せる男へ、取り敢えずこちらに寝転んで下さい、と催促すれば、今度は驚いたように鋭い双眸を見開かせる。お前は馬鹿か?と言わんばかりの顔には気付かないフリをして、さあ、と再度促せば、あまり無下に出来ない性格なのか、渋々と言った様子で男はユウの膝の上へ頭を乗せるようにしてゴロンと横になった。
 触れますよ、と断りを入れて先日同様、獣耳の付け根辺りをそっと包み込んだユウは、ゆっくりとコリを解すように指圧を繰り返していく。最初こそビクリと反応を示したが、次第に心地よい感覚が広がっていったレオナは、ゆっくりと大きく息を吐き出して身体の力を抜く。痛みや不快感を覚えない程度の力加減で丁寧に耳の付け根辺りを解される感覚は、何度味わっても心地良い。

 「この間の部活動見学で思ったのですが、レオナさんは、どちらかと言えば頭脳派ですよね。加えて警戒心も強い。だから常に周囲に聞き耳を立てているから、人より耳の疲れやコリが酷いんだと思います。」
 「…何故そう思った。」
 「プレイスタイルや、周囲の人達との交流を見て、何となく。あとちょっと気難しい性格で、甘え下手ですね。これは先程の会話で察しました。」
 「…、」

 もう一度やって欲しいなら素直にそう言えば良いのに、というユウの言外に含ませた意味を的確に捉えたレオナは、不満を露わにさせるように威嚇音を慣らすが、直ぐに丹念にマッサージで解されてしまえば、次第に猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。
 恐ろしいまでの鋭い観察眼に目を見張るが、どれも的を射ているため反論は出来ない。レオナは閉じていた瞼を持ち上げて、眼前に移る反転したユウの双眸をジッと見つめた。現在、その双眸に鋭さや冷酷さは滲んでおらず、どちらかと言えば穏やかな、慈愛に近い柔らかさを纏っていた。知人とも呼べない程度の関係性である自分へ、何故そんな眼を向けるのか。興味はあれど、やはり素直に尋ねる事が出来ない年頃の二十歳児は、フン、と鼻を一つ鳴らす事しかなかった。

 「この間、仲良くなった子達に聞いたんですけど、今度のマジフト大会?には出場されるんですか?」
 「当然だろ。サバナクローは将来プロを目指す奴等も、その排出率も多い。謂わば今度の大会は、プロチームに自分を売り込む絶好の機会だ。逃すわけもねぇ。」
 「レオナさんは、プロ選手になりたいんですか?」
 「…どうせ、一番欲しいモンはどう足掻いても手に入らねぇよ。」

 それまでの気怠さを含ませつつもハッキリとした口調とは打って変わり、感情の乗らない冷たい呟きが空気を震わせ、ユウは一瞬マッサージの手を止める。すべてを諦めたような絶望に近いその声音は、いつぞやの兄貴分の一人が見せていた空気に酷く似ていて、つい重ねて見えてしまったのだ。咄嗟に誤魔化すようにヘッドマッサージへ切り替えたが、その機敏に鋭く気付いたレオナは、ハッと先程よりも侮蔑の色を含ませた嘲笑を見せた。
 その仲良くなったお友達とやらに、俺の事でも聞いたのか?王位継承権を失った、永遠に王には慣れない第二皇子だとでも?自嘲に近い声音で吐き出された内容は、ユウの全く与り知らぬものだったが、どうやらユウの咄嗟の誤魔化しは、彼の地雷を踏みぬいたらしい。

 「こうして無防備に俺に触れて来るって事は、俺のユニーク魔法までは知らねぇって事か。」
 「ユニーク魔法?」
 「『王者の咆哮』。対象を干からびさせて砂に変える。呪いの魔法だ。」
 「?呪いなんですか?物理的に砂にしているのではなく?」
 「ア?」
 「ん?」

 呪いの捉え方に齟齬が生まれ、それまでの冷たい空気が霧散する。本当に理解できない、という顔をするユウを見て、レオナは厭味ったらしいそれまでの自分が少し恥ずかしく感じて、ぐっと眉根を寄せた。直ぐにそこも解すように親指で優しく指圧されてしまえば、文句すら言葉に出来なくなる。溜息を一つ溢して、神経質になるのも馬鹿らしいと全身の力を抜いた。
 呪いじゃなくて物理だ。対象の水分を干からびさせて何でも砂にする。百聞は一見に如かず、とユウが抜き取った雑草の束を乱雑に握り締めて呪文を唱えれば、瑞々しい緑色だった植物はみるみる枯れ果て、そのまま細かな砂粒に変わり土の上へと零れ落ちた。その一連の変化に驚きを見せたユウは、目を大きく見開いてそっと砂に変わった元雑草を撫ぜる。サラサラとした感触は、不純物の混ざらない紛う事なき綺麗な砂だった。

 「…すごい。これってどんなものでも砂に出来てしまうんですか?」
 「大抵のものはな。」
 「大きな岩石も?水も砂に出来ますか?」
 「…。あぁ。」
 「へぇ…それなら、酷い水害や険しい土木作業の場で大活躍ですね。」
 「は?」
 「濁流も、人力じゃどうしようもない大岩も、この指先一つでサラサラの砂に出来るなんて。奇跡の魔法みたいで本当に凄いです。」

 不幸の象徴。危険な魔法。そう揶揄されてきたレオナにとって、ユウの感想は正に青天の霹靂だった。何でも砂に変えてしまう恐ろしい魔法を、奇跡の魔法など。嫌味も良いところだが、その双眸は純粋な眼差しで感嘆の色を全面に出している事が伺える。
 無知も此処までくればいっそ清々しいな。何も知らない、何の価値観もない、正にであるユウだからこそ、レオナも知らずの内にその内面を吐露してしまう。このユニーク魔法が自国でどれだけ恐れられ、忌み嫌われているか、王になる一心で努力を続けてきたというのに、生まれた順番が遅かったからという理由だけでその権利を奪われ、皇太子も生まれた今、その夢は絶望的であること。ならばせめて、得意のマジフト大会でその功績を刻み付けようと思っていた矢先に現れた、絶対的な存在に、その細やかな夢さえ踏み躙られたこと。夢や希望を抱くだけ無駄で、いくら努力しても抗えない絶対的な才能の前に、今更何を見出せというのか。

 「…あなたは、王になりたいのですか?」
 「誰だって一番になりたいと思うもんだろ。」
 「私には、貴方が王になりたいようには聞こえませんでした。一番になりたい。それは、王になりたい、というよりは、誰かに認めてもらいたいという風に聞こえます。」
 「…何だと?」
 「ご両親の期待も、国中の視線も、お兄さんである第一王子、現国王に持っていかれ、その息子さんに引き継がれ。そうしてマジフト大会でも、その絶対的な存在?の人に注目を取られて。誰も自分に見向きもしてくれない、と言っているように聞こえました。」
 「…お前に何が解る。」
 「解りませんね。貴方とこうしてお話をしたのは、今日が初めてです。でも、貴方には貴方なりの考えがあるのだろうから、これはあくまで私個人の見解です。王になる事はそんなにも大事ですか?、仮に王になりたいとして、それは自国ではないと駄目ですか?
 「…は?」

 ユウの言葉の意味が理解できなかったレオナは、真剣な顔つきで見下ろしてくる女の双眸をポカン、と見上げる。王は絶対的な一番。その一番を渇望する自分にとって、大事以外の何物でもない。本当に?自分の国を自分のモノにしたいと思う事の何が疑問だ。本当に?彼女に問われているわけでもないのに、次第にレオナの中で自問自答がグルグルと回り出す。自分は、己は、レオナ・キングスカラーは、本当は何をしたかったのだろうか。何を得たかったのだろうか、と。
 王になりたいのならば、何も自国に拘る必要はない。それこそ自国でなければならないのならば、こんなところで怠けていないで、クーデターでも何でもすればいい。そうでなく単に王になりたいのであれば、自身の強みと相性の悪い自国などとうに切捨てて、例えば水害に悩まされる湿地帯の国や、土壌の整備が滞っているような国に行けばいい。そういう国が無いのならば、そういう土地で建国してしまえば良い。一国を築き上げる事が並大抵なものでは無い事は理解出来るが、悪戯に不貞腐れて時を消費するより余程建設的だろう。
 結局のところ、彼が望み焦がれているものは承認欲求に近いそれだった。幼い頃から努力を重ねても、周囲や実の両親ですら、常に兄と比べていつも兄を優先してきた。そんな幼い頃の周囲からの愛情不足と、生まれながらにして生粋の甘え下手、皮肉な性格が相重なり、今のレオナ・キングスカラーという男が形成されているのではないか。ユウのプロファイリングはそう結論付けた。

 「誰にも見てもらえていない。誰にも注目してもらえていない。誰にも必要とされていない。そう思っているのなら、とんだ被害妄想ですよ。それが事実だとしたら、貴方は今こうしてこの学園に在籍していないでしょうし、寮長なんて座に君臨などしていないでしょう。」
 「、」
 「友人から貴方の事を聞きました。マジフト大会で司令塔として実力を持つ凄腕のプレイヤーである事、寮長として、群れのボスとして相応しい才覚を持つ人。憧れの人であると。貴方が纏め上げるサバナクローという不屈の寮は、何とも思わない存在をトップに赦すような人達の集まりですか?誰よりも、高みを目指す不屈の精神を持つ人達なのでしょう?」
 「…俺は。」
 「そして貴方は、そんな不屈の精神を持つ生徒達の長。誰よりも不屈の精神で立ち上がる群れのボス。そんな貴方が、誰にも認められない憐れな存在とは、私には思えません。」

 人生はいつだって不公平だ。生まれた順番が違うだけで、ただ第二皇子だったから、とそれだけで。何時だって兄と比べられ、何時だって兄を持ち上げるダシにされて。そうささくれていた感情の奥底が、ジンワリと解れていくような感覚をレオナは覚えた。