夜明けとともに没落してね

 この学園の生徒は、ストレスを溜め過ぎではないか?思わずそう遠い目をしてしまいたくなる気持ちになりながら、ユウは翌日配布する予定のプリントの綴じ作業を黙々と熟していた。
 先日のリドルに続き、今回のレオナ。この学園の寮長は、みんな心に何かしらの闇を抱えていないと成り得ないものなのだろうか。学園全体の風習や、生徒達の様子から、みんな仲良しウルトラハッピー♪とまではいかずとも、もう少し心穏やかに学生生活を送ったって罰は当たらないだろうに。何だかこれまで関わってきた寮長が、人間に辛辣を舐めさせられて世界に絶望し人類皆敵と思っている不遇なポケモン達のように思えてきた。
 ユウのそんな憂いを帯びた溜息を見逃さなかったルチウスは、なーお、と一鳴きしてその身体をユウの手元に摺り寄せた。何辛気臭い溜息吐いているんだ、お猫様崇めるか?と言わんばかりの様子に、ユウは有難くそのフワフワでサラサラな毛並みを堪能した。ユウの日々の努力の賜物により、グリムもフワフワのサラサラな愛くるしいボディと毛並みを手に入れているが、ルチウスも中々なものだ。きっと飼い主のトレインの努力の賜物だろう。
 喉元擽れば、心地よさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。何時ぞやのレオナの時と同様、耳の後ろを優しく揉み解してやれば、その場でゴロンと横になり先程より大きく喉を鳴らし出す。大変可愛らしいがそこに寝転ばれると作業の邪魔になるため、失礼します、と内心で断りを入れてからルチウスの身体を持ち上げた。
 膝の上に乗せてまた優しく撫で続ければ、自由気ままに愛されて生きるお猫様。そのままスヤスヤと夢の中へ旅立たれた。膝の上に得た思わぬ天然湯たんぽに、ユウは先程よりも気分が向上している事を自覚しつつ、プリント綴じの作業を再開させる。それはユウの膝の上で腹を見せて寝転ぶルチウスを目撃したトレインが、手にしていた大量の書類や書物を床にぶちまけられるまで続くのだった。


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 出逢いは鶏南蛮。以降も肉系のおかずを見るたびに、物欲しそうに見つめる視線に根負けし、とうとうお重を用意し始めたユウは、可愛らしい友人、基マブ達の歓声を受けながら、今日も今日とて中庭にておかずを詰めに詰め込んだお重を広げていく。今日のメインは巻き寿司。この間こちらの世界で始めたSNSことマジカメにて、色鮮やかなカルパッチョを見かけてから猛烈に寿司が食べたくなって仕方なくなったのだ。何でも揃うと豪語するだけあって、新鮮な魚も朝一番であれば手に入ると知り、早速その翌日に開店突撃をかましたユウは、新鮮なサーモンを一匹仕入れる事に成功したのだ。
 たっぷりの子持ちであったサーモンの、脂の乗ったピンク色の身と筋子を丁寧に解して薄めの醤油出汁に付け込んだいくらを贅沢に使った巻きずし。ほぼ軍艦と呼んでも良いかもしれないその出来に、ユウは我ながら頑張ったと自画自賛したが、対してその光景を見遣ったマブ達のテンションは一気に駄々下がりしていった。

 「え、生魚…?ユウは生魚食べるのか…?」
 「生魚は、臭いが、その、な…」
 「は〜〜〜??朝一番獲れたて締めたて下ろしたての鮮度1ですが?絶対美味しいサーモンなのにこの不評?良いです。私とグリムで美味しく頂きます。さようなら。」
 「待て待て!待って!すみませんでした!!」
 「地元が山間部の田舎だから、生魚に馴染みが無くて…えっと、美味しいん、だよね?」
 「美味しくないものをわざわざ人様に提供しません。」
 「ゴメンナサイ…」

 微妙な反応を見せるマブ達に、ユウは心底心外だと言わんばかりの様子でお重に蓋をしようするが、慌てたマブ達によってそれは阻まれる。唯一ユウが作るものは何でも美味しいと絶大な信頼を寄せているグリムだけが、早く食べないのかと、今にも涎を垂らさんばかりの様子でユウの『よし』を待っていた。きちんと躾けされた魔獣なので、待てもお手も出来ます。
 生魚はあまり食べる機会が無いというマブ達に、これがカルチャーショックか、と嘆きながらも、騙されたと思って一つ食べてみるといい、と未だ疑いの眼差しを向けてくるマブへ向けてユウは胸を張る。特に匂いに敏感なジャックからの懐疑な眼差しが酷い。グリムへは謝罪を伝えつつ食べて良いよ、と伝えれば、早速ユウが絶賛したサーモンの親子巻きへと手を伸ばした。

 「ふな!サーモンのまったりとした脂と、イクラのプチプとした食感が絶妙にマッチして良い食感を生み出しているんだぞ。それに甘酸っぱいご飯と噛み応えのある海苔が合わさって最高に美味いんだぞ!」
 「流石グリム。アレだけ不味そうに見えたのに、一発で美味そうに思えてきたわ。」
 「エースクン最低。」
 「ああ、マブが作ってくれた飯を不味そうとか…流石に僕もどうかと思う。」
 「グリムの感想を聞いてから一斉に手を伸ばしたお前らにだけは言われたくねぇんだけど?」
 「ほら、ジャックも食べてみて。新鮮だから生臭さ無いよ。」
 「…おう。」

 全員最低だ馬鹿野郎、と罵りたい感情はグッと堪えて、未だ渋る様子のジャックへと再度勧めれば、恐る恐ると大きな口へ巻き寿司を放り込んだ。心配そうに下がっていた眉がみるみる驚きに持ち上がり、そしてキラキラとした感動の眼差しで、モグモグと咀嚼しつつユウを見つめる。コレはあまりの美味しさに驚きが隠せません、という表情。
 結局アレだけやいのやいのと騒いでいた他のマブ達も、一変して美味い美味いと声を上げる。生魚ってもっと生臭くてベチャベチャしたものかと思ってた、とはエースの言。恐らくあまり馴染みの無い食べ方故、適切な処理もされていない鮮度の落ちた魚を食べたのだろう、と予想を立てたユウは、マブ達の可愛らしい笑顔に絆されつつ自身もしっかりと久しぶりの寿司へと手を伸ばした————が。

 「え?」
 「ん?」
 「…うま。」
 「は?」

 ユウが手を伸ばした巻き寿司は、横から伸びて来た大きな手に横取りされ、そのまま手の持ち主の口へと放り込まれた。赤いキャップに同じく赤のベスト、黒いシャツを身に纏った、ユウ達よりも幾分歳上の青年。その姿に、ユウはポカンと口を開けて固まり、他のマブ達は見慣れぬ存在に固まった。
 え、誰?というエースの疑問の声を皮切りに、まず最初に警戒態勢に入ったのは、野生の勘が鋭い獣人のジャックとグリムだった。急いでユウを抱き寄せ己の背後に隠したジャックと、いつでも火を吹ける体勢で警戒を顕にするグリム。それに次ぐように喧嘩慣れしたデュースが拳を構え、少し遅れる形でエースとエペルがそれぞれマジカルペンを構えた。

 「誰だテメェ!どっから入ってきた!?」
 「…そこ?」
 「はあ?舐めてんのかしばくぞこの野郎。」
 「デュースの悪語がヤバい。でも同意。何も無い空間から現れるってなに?転移魔法?」

 モグモグと咀嚼しながらも、何もない中庭の空間を指差す青年に、柄が悪かった嘗ての姿を全面に出すデュースとそれに呆れながらも同意するエースが一歩前に出る。何処の誰かは知らないが、聴覚や嗅覚が優れているグリムやジャックが傍にいながら全く気付く事が出来なかったとなれば、それだけ手練れという証拠。一年で魔法もまだ未熟な自分達が何処まで通用するか解らないが、魔力を持たない無力な女の子であるユウは何よりも優先して護らなければならない、という共通認識のもと、マブ達はいつでも魔法を放てるようマジカルペンを握る手に力を込めた。
 しかしそんな彼等に静止を呼びかけたのは、対面する男ではなく、護るべく背後に隠したユウその人であった。その人知り合いです、という言葉の意味が一瞬理解出来なかったジャックは、は?と後ろに隠したユウを見下ろす。もう一度、その人知り合いです、と繰り返された言葉と、男の、ユウ、と彼女を呼ぶ声が重なったのとほぼ同時。彼等の頼れる先輩達の叫び声と、雷鳴と大火力の炎が迸った。