「男女間に友情なんてねェだろぉー」

いつもの如くスイートシティーの屋敷内、幹部室でペロスペローさんと、オーブンさんにダイフクさん。それにカタクリさんが顔を合わせていた。

私がその面々に、紅茶を出しているときだった。ダイフクさんの声が室内に響き渡ったのは。

私は即座にいたたまれない雰囲気に包まれたことを実感した。傍らに座るカタクリさんは静かに目を瞑って腕組みをしていた。

一度カタクリさんから視線をはずし、楽しげに兄弟と話しているダイフクさんを見やり、再度そっとカタクリさんの横顔を伺うと、瞼は閉じられたままだが、その眉がいまは微かに寄せられている。

「………男女に友情、ありますよねぇ」

言ったあと、われながらしまったと思った。なぜ上ずった声でこんなことを言ってしまったのだろう。

「……さあな」

瞼を開いたカタクリさんは気だるげな声を漏らす。微かに身じろぎしたことで首元に巻かれたストールが少し揺れた。

いつも不機嫌そうなカタクリさん。
私といるときも、幹部室を出入りしているときも、お酒を嗜んでいるときですらずっと同じ顔をしてる。

「人それぞれなんじゃねぇのか」

至極まっとうな言葉に私は頷いた。
そう、そのとおりだ。そのとおりなのだけども。

「…それより」
「?」
「そろそろ用意しねェと間にあわなくなるぞ」
「え」
「行くんだろ」
「はい、余裕で間にあいますよ。やっぱり浴衣やめて、この恰好で行こうと思ってますし」

花火の時間まであと一時間もある。
今日はスイートシティーでお祭りが催される。プリンのいう穴場とやらまでは、歩いて十分……まだまだ急ぐ必要はない。

私の普段着をじろっと見て、カタクリさんは少し黙っていた。

「……なんだ、浴衣を着るんじゃなかったのか」
「あ、はい。なんだかめんどくさくって」
「……。」

明らかに顔をひそめる彼に、私は無言の圧力を感じて思わず怯んだ。なんだかがっかりしたようなその表情にとまどうけれど、でも…今年はプリンたちとすでに一度着たし…め、めんどくさいんだもん……気合入りまくりみたいで恥ずかしいし……。

なんていうことをふわふわ考えて、やっぱり変だよ、と思う。私とカタクリさんの関係って。

もし彼が付き合いの長い男友だちなら、私もこんな言い訳がましいことを考えず好きなように振る舞っていただろうし相手も私になにも要求してこないはずだ。

だけど決して口説いてくるわけじゃないし…いまだって室内に一緒だけれど、何かが起きるわけではない。まあ、いまはふたりきりじゃないからあたりまえだけどさ。

ただ不意に舞い降りる沈黙が友だち同士では起こりえない重苦しい性質をしている。それだけのことだが、決定的なことでもある。

「カタクリさんこそ浴衣着てくればいいのに。きっと似合いますよ」
「……」
「使用人の方たちに着付けてもらって、今度は着て見せてくださいね」
「……気が向いたらな」
「ええ……」
「……」

すっかりさまり切ってしまった紅茶のカップに手を伸ばして彼が一口飲みこむ。

綺麗な手。
骨格が、がっしりしていて男性的なのにどこか線が細い。

革のベストの下から見える無駄のない肉。しなやかな上半身とやわらかそうな二重目蓋がかっこいいなと思う。

ぼんやり眺めていると目と目があった。
ぎく、とする。

「なんだ」
「い、いえ、べつに……」

うつむいて目を逸らす。
私は話題を捜すために必死だった。
なんだか雰囲気がこわくて。

「おいおい〜、ふたりっきりの世界に入ってんじゃねーよォ」

突如放たれたダイフクさん抑揚つけた声に私の顔に熱があつまる。それを隠すように俯いて私もカタクリさんたちの座っていたソファに腰をおろした。

「そ、そういえば……あの、ワノ国の花火大会も行きました?」
「いや。おまえは行ってきたのか」
「はい、行ってきました。すごい人でしたよ。浴衣だったから息苦しいし人ごみで気絶しそうで、花火もよくわかんなかったなぁー」
「相変わらず祭好きなんだな」

ことん、とカップをテーブルに置いてカタクリさんが腕を組む。彼が黙り込んだから、それでこの話は終わったのだと思った。

「……男と、行ったのか」
「へっ?」
「……」
「え、あ……いえ。プリンと、フランぺたち妹勢…と……」
「……そうか」

そう言った彼が不意に目を細めたので、私はまたすこし赤くなった。

「……男なんていねェだろうがぁ〜」
「なっ……!!ダイフクさん!」
「カタクリぃ、おまえ分かってて聞いてんだろぉ?」
「……」

またもダイフクさんのヤジが飛ぶ。
…うるっさいなぁ、悪かったね、一緒に行く男なんかいなくて!


 ―― “男女間に友情なんて……”


ううん、そんなこと意識したらだめ。変な態度になってしまうだけ。

「あの、屋台でなんか食べたいですね。わたし、ちょっとお腹空いちゃいました」
「そうか。なら少し早めに出たほうがいいな」
「はい。十五分くらい早めに出ましょうか」
「……」
「……」
「おい」
「はい?」

自分の分のコップに手を伸ばして私だけ別に入れた麦茶を口に含むと溶けた氷の水の味がした。

「浴衣、着ろ」

ごくり。
と、麦茶を驚いた喉元が嚥下する。
室内の空気もなんだか一瞬張り詰めた気がして、カタクリさん以外の目線が私に向いている……気がする。

程なくしてカタクリさんも、いつになく赤い瞳で見つめてくる。麦茶を飲んだばかりなのに体温がじわ、と上がるのを感じた。

「でも……」

でも。
……言葉が続かない。
私は目を落ち着きなく辺りに さ迷わせて、カタクリさんの視線に意識を奪われないようこっそりと呼吸を止めた。

だって……
着ろって言われて着たら、なんだか友だち同士じゃ、なくなるみたいで……。

本当はすこし着てみたい、
着ようかなと思ってた。
前回着たばかりの浴衣は洗って和ハンガーに掛けたままだし、下駄も巾着も髪飾りもクローゼットではなくすぐ取り出せるところに置いている。

本当はさっきカタクリさんがここに来るまで迷っていた。着ようかどうしようか。そしていまもまだ、迷っている。

「いまから着たら、花火遅刻するかも…」
「出店は間に合わないかもしれねェな」
「あの……浴衣、好きなんですか?」
「べつにそういうわけじゃねェ」

と、彼は組んでいた腕の先で両手に拳を作った。微かに身じろぎするみたいに。

「……着ろ」
「……」
「見てみたい」

ため息交じりの掠れた声。弱ったふうな眼差し。つい、見とれてしまう。

「……ダイフク、俺はもう行くぞ」
「あっ、俺もちょっくら用思い出した」
「…じゃあカタクリ、あとのことはよろしく頼むよペロリン♪」

すこしの沈黙をいちばんに破ったオーブンさんを筆頭に、ぞろぞろとソファから立ち上がった幹部の面々。あっという間に室内にはカタクリさんと私のふたりだけ。

「……」
「は、はい……。わかりました……」

よく分からない思考のまま思わず頷いてしまい、はっとする。

簡単に了承してしまったが、大急ぎで着付けて暑苦しさと戦いながら涼しい顔をしていなければならない。

だけどカタクリさんの無愛想な顔の中に、微笑のようなやわらかさが浮かんでいて…頑張ろう、という気持ちになった。





*****

「歩けるか」
「はい、大丈夫です」

がやがや、ざわざわ。
むっとする人いきれを抜け、なぜか一緒の場所に立っていたオーブンさんとダイフクさんを横切ってお菓子の木々の暗がりの中を歩いていく。

穴場というだけあってメイン会場の波止場の混雑を思い返せば夜のひんやりした空気が心地よい。

等間隔に植えられたお菓子の木々と、それぞれ距離をとって陣取っているごく少数の人たちのシルエットが暗闇に影絵のように浮かんでいる。

水辺の音がする。ざわざわと波が粟立つ音。
やわらかな下草と太い木の根のでこぼこに下駄を履いた足を取られると、カタクリさんが手首を掴んで助けてくれた。

その手は大きくて乾いていて、骨と血管の感触がして…私の手とは全く性質が違っている。そして同時にいつも着けているグローブが無いことに気がつく。

「ここでいいだろう」
「はい。もう始まりますね、間に合ってよかった!」

海沿いのお菓子の枝と枝の差し交す陰。
潮をはらんだ海風がその手触りと重みをもって私たちの顔を撫でていく。

花火が打ちあがるアナウンスが波止場のほうから響いてくる。住人が騒いでいるらしく遠くから聞き取れない嬌声のかけらがここにも届いた。その異常なノリに圧倒されていたけれど、やがて示し合わせたようにぴたりと静寂に包まれる。

ひゅう、とやかんのお湯が沸くときのような音が夜空を割るように響いた。

ドォン、と心臓に振動を与えるほどの大きな音と共に空一面が金色に包まれる。

バラバラバラ……、花火が砕け名残の光が、垂れ幕のように水面に落ちていった。それを皮切りに次々と小ぶりの花火が同時に連発されていく。

体に響きすぎるその音は、炭酸を一気飲みしたみたいに痛いのにどこか爽快な気すらした。

「すごい!すごくきれいですね!」

大きな声でそう言いながらカタクリさんを見ると目があった。カタクリさんは、わたしを見下ろしていた。花火を見ないで私を見ていたらしい。どこかぼんやりしているような、表情のない瞳をしていた。

「どうしたんですかっ!?」
「………」

花火の音に負けないように声を張り上げる私を見つめたまま、彼がなにか言っている気がする。でもまったく聞き取れず、耳をよせて「え!?」と促すと彼は苦笑いした。

「聞こえないです!!」


ひゅう……
ドォン!
バラバラバラ……

鮮烈な光がシャワーのように夜空を照らし真昼以上に明るい。金色と、白……そして絶えず雲のようにただよう煙。

それがどんなに幻想的でも、カタクリさんは花火ではなくてずっと私を見下ろしている。

いつもは少しこわそうな、目つきの悪い瞳がいま、私を見つめながら花火の光を湛えている。
それは普段よりも大きくて、それでいてまるで感情が籠められているようで……

不意に私はきょうの私と彼がいつもとは違うことを実感した。私は浴衣を着ているし、カタクリさんは私と花火を見に来ている。

そしていつもはあまり目を合わせてくれない彼が、私を見つめてくちびるを開いて、なにか言った。


ひゅう……
ドォン!
バラバラバラ……

彼の言葉はやはり花火に掻き消されたけれど、ストールから見え隠れしたくちびるの動きで理解した。


「きれいだな」


―― “男女間に友情なんて……”
―― “男女間に友情なんて成立しない”


ダイフクさんの声、あの緊張感を思い浮かべたとき、夏の温度を宿した大きな手がふわりと私の体を抱き寄せた。カタクリさんが地面に片膝をついている。

花火が打ちあがる衝撃と、浴衣ごしに彼の鼓動が伝わってきて内側にうっすらと汗をかいた。

顔を寄せてカタクリさんのくちびるが、そっと近づいてくる。

――もう友だちには戻れない。

その瞬間、
背伸びをしながら、そう実感した。





壊れてからも優しいままで