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普通の事務かなんかの仕事だと思ったら、代表者が思いっきり海賊だった。

「こんな可愛い子なら、我が万国の看板娘にうってつけだろう〜、ペロリン♪」

なんて言いながら近づいてくるペロスペローさんの姿に圧倒されていたけれど、よく見たらこの国の大半の人が海賊だ。プリンは普通の女の子に見えたのに…。

「ここの仕事はまぁ……大変だろうが、気の良いやつばかりだ。」
「…はい…。」
「ナマエちゃん、と言ったかな?まァ、頑張ってくれ、ペロリン♪」

蛇に睨まれた蛙状態で肯くと、ペロスペローさんはどこかに行ってしまった。面接という段階をすっ飛ばして、ブリュレさんが入社の証としてペロスペローさんから受け取っていたキャンディを寄越してくる。

こうして足を踏み入れて10秒で正式採用が決まったらしい。いまだに蛇の睨みが解けないまま、私は呆然としていた。

目が醒めたら、お菓子の国にいた私。
ツインテールのプリンという女の子に救われて、今こうして、ホールケーキアイランドの首都、スイートシティというところに連れてこられた。

どうやらプリンのお兄様らしいペロスペローさん。彼に挨拶をして「ここで働かせてください」と、(どこかで聞いたことのある台詞を)言えと、プリンに指示されたのだが。

ペロスペローさんはアットホームな職場環境を謳っているらしく、(職場と言っていいのか不明)確かに社員というべきか、家族が運営しているというべきか…とにかく兄弟、姉妹の距離が近めだと思う。

私という異分子がすぐに受け入れられたのがその証拠だ。喋ってみたら皆ぶっ飛んでるけど、確かに気のいい人ばかりだった。魔人を飛び出させる人とか、身体をオーブン化している人とか、物騒な行動が目につくこともあったが、基本的には私の前では控えようとしてくれているらしい。たまにその怪物と化した姿を目にすることがあっても「おっと、ナマエ。いたのか、すまんなァ」なんて気遣ってくれる。

だがシャーロット家の次男にあたるカタクリさんはそうではなくて、血痕のついてボッコボコになった角材を持ち歩いていたり、チェス戎兵(ビッグ・マム海賊団の兵士)を気絶させたり、めちゃくちゃ過ぎて怖かった。怖かったけど、慣れた。慣れって怖い。

ある日、お茶会の名簿に不備を出してしまった。これは気の抜けない職場だ、と今まで生きてきた過程の中で、一番本気を出していた仕事だったのに、いつのまにか気の緩みが出てしまったのだろう。慣れた頃に事故を起こす、とよく言うが、この職場(島?国?)の場合、カタクリさんの制裁に直結している。ついにこの日が来たか、恐れていたのに。

「ナマエ、ちょっと来い」

幹部室という名の立派な部屋に、次男様直々に呼び出されて覚悟を決めた。なるようにしかならないのだ。逃げて助かるわけもない。今日は気の優しい長男、ペロスペローさんが不在なわけだし。

「この不備、お前が出したのか」
「……」
「クラッカーのやつが、自分がやったと言ってお前のことを庇っていたが」

遮光カーテンの隙間を縫う陽射しを背景に、名簿の束を指先でパラパラめくって、カタクリさんは険しい顔をしている。彼が座ることの珍しい机の前で、(この席はペロスペローさんの席のため)私は直立不動で立っていた。

「はい……。私がやりました。以後気を付けます、申し訳ございません」
「自分が何をやったかわかっているのか」
「はい」

怒鳴られたらショック死する自信がある。
目を閉じてその時を待っていたが、カタクリさんは「わかってるならいい」とあっさり言った。

「……」
「仕事に戻れ」
「え、えぇ?いいんですか?」

ずっこけそうになりながら食いつくと、カタクリさんは怪訝そうに眉をひそめる。

「なんだ、よくないのか?」
「いや、だって、私、てっきり殺……いや、殴られるとかかなーって思ってたんです」
「?」

カタクリさんはますます顔をしかめて、そのあとちょっとだけ目を細めた。

あ……かっこいいかも。

ストールに隠されて見えないけれど、笑うと口の端が少し吊り上がるんだな。

「殴られる覚悟でここ来たのか。いい度胸してやがる」

だが、目が笑ったのは一瞬のことで、彼はすぐ真顔になった。真顔は真顔なんだけど、瞳が楽しそうに生き生きしている感じがする。

「人間誰しもミスをする生きものだ。俺はしねェがな。それに甘えねェで自分で落とし前つけようって覚悟を持てるやつはそういない。その根性、俺が買ってやる」
「!?」
「――歯を食いしばれ」
「ギャー!!ちょっ……」

ゆっくり伸びてきた、革手袋の長い指。
それが私のほっぺたを優しくつねった。

「お仕置きだ。気は済んだか?」

ふっと息を吐いてカタクリさんは私を通りすぎて風を切ってどこかに行ってしまった。幹部室にミスした名簿とほっぺたを抑える自分が取り残される。彼の気配が完全に消えてから私は机によろよろ寄りかかった。

胸がバクバクしている。
怖すぎたし、死ぬかと思った。よかった……!!!
カタクリさんの指、ちょっとだけ甘い匂いがしたなぁ……。あと革手袋がひんやりしてたな。

だんだん顔を触られたことにドキドキしてきた。だって優しい感触だったから。カタクリさんは脅かすように不気味な真顔で手を伸ばしてきたけれど、つねった瞬間は既に優しい目になっていた。

痛みは全くなかったのに、指先のいたずらな感触が、ずっと頬を熱くしていた。

いやいや、ドキドキするような相手じゃないのに……。

深呼吸して、気を引き締めて外に出る。
クラッカーさんが、廊下でカタクリさんに蹴られたらしく、お尻を抑えて悶絶していた。





*****

カタクリさんは基本的に全体を監督しているけれど、ふっと姿を消したり、一週間この国にいなかったりする。このところ姿を見ないなと思ったら、なんと顔を見せなかっただけでずっとビッグマム(通称:ママ)と一緒にこの島内にいたということもあったし、神出鬼没でたびたび驚かされる。まさに鬼神のようないでたちだし。

しかし彼がここにいないとき、果たしてどこでなにをしているのかは考えないようにしていた。知らなくてもいいことが世の中にはあるのだ。


「ナマエ、カタクリ知らねェか?」

ダイフクさんに声を掛けられて、私は幹部室にいる旨を伝えた。さっき確か、幹部室のソファで腕組みをしている姿を見たからだ。

「カタクリ寝てんのか、そうか……」
「(いや、目は開いてたような……)お急ぎなら、起きてこられたときにでも伝言しますよ」
「お、頼めるか?」
「はい、メモに書きますね」
「あー、そうだなァ、まず出だしは、for次男」
「え……?forいります?」
「んでな、この辺、薔薇とドクロのイラスト入れてくれ」
「こ、こうですか…?」
「おっ、いいじゃねェか!んで、この文字入れろ。枠は黒く塗りつぶしてな」
「はい……」
「地獄の番犬って意味らしいゼ、俺みたいだろォ?」
「…そ、そうですね」

メモを書き終わりダイフクさんが満足して出ていったのを見届けてから30分ほど経ったであろうか。カタクリさんは相変わらず幹部室から出てこない。急ぎの案件とダイフクさんは言っていたし、もしかしたら一声掛けたほうがよいのだろうか。考えあぐねていたが、とりあえず紅茶を淹れて持っていく体で様子を伺うことにした。

紅茶とメモの載った盆を手に、扉に声を掛けるが返事はない。どうしよう、なんだか急にすごくドキドキしてきた。カタクリさんは、絶対にいる。この中にいる。彼の存在を示す不穏なオーラが、扉ごしにも私を不安にさせているのだ。

かちゃ……と扉は押すだけで簡単に開いた。
中から、ひやりとした空気が漂ってくる。革張りのソファにカタクリさんが座っている後ろ姿が見えた。ローテーブルの上に手つかずの紅茶がある。彼の手元には三又槍が立てかけられていた。

「……」

息を殺しながらそっと近づいてテーブルに紅茶とメモを置く。まだ一息つくのは早い。音を立てないように注意して…気配を感じさせないように立ち去らなければ。しかし好奇心が顔を出してしまった。

見ないように見ないようにと意識していたのについ、ちらとその顔を見てしまったのだ。微かに眉間に皺を寄せて、ただ目を閉じているだけのような乱れのない顔で彼は眠っていたように思えた。長い睫毛が、つややかに目蓋を縁どって彫りの深い顔立ちに華やかに映えている。一度も日に焼けたことがなさそうな生白い肌にコントラストの鮮やかな小豆色の髪と眉。

なんだろうこの人。めちゃくちゃな怖い人なのにこんなに顔は美人で、なんだかもう圧倒された。彼はその風体と性格のインパクトが大きいから顔なんてまともに視界に入ってこなかったけれど、なんでこんなに美人なんだろう。美人である必要なんてまったくないのに本当に無駄に美人だ。

「……!」

びくっと自分の身体が竦んだ。
カタクリさんの瞳が突然クワッと開いて私を射抜いたので。

「なんだ、ナマエか……海賊の寝込みなんかを襲ったら危ねェぞ」

低い声がため息交じりに響く。
なんだかぞわっとした。

「いえ……すみません、よく寝ていらっしゃるから、お声を掛けてよいものかと」
「……寝ていない」
「あ、そ…そうでしたか」
「……ん?これは」
「あっ!ダイフクさんから、お急ぎのご様子で言付かったメモです」
「なんだこの無様な絵は。あいつ、歌もイマイチだが絵はもっとひどいな…なんなんだこれは、豚の絵か?」
「ドクロですよ……描いたの私です……」
「……。」

カタクリさんはメモを眺めながら、よく見たら味わいがある…なんて呟いている。私は気分を害していたが、しかしカタクリさんの気を遣ったとぼけた様子が可笑しくもあった。それで笑っているとカタクリさんが気だるそうな様子のまま私を眺めてうっすら微笑したように目を細めた。

「お前、笑うと可愛いな」
「え?」
「笑っているところを初めて見た」
「そ……そうですか?」
「ああ。むさ苦しい海賊に囲まれて縮こまっていただろう?ようやく慣れてきたか」
「……そうですね、そうかもしれません」
「お前が頑張っているのは知っている。なんでも困ったことがあったら俺に言え」
「はい」
「こんな絵の注文をされたときとか、な」

カタクリさんはまた目を細める。私は男の人がこんなに綺麗に笑うのを初めて見た。懐の深さ、というものを感じたのかもしれない。とにかく彼が酸いも甘いも知った大人の男であり、本当に私が困ったとき頼りになる度量があるのだと安心できる、そんな優しさを見た気がした。

「はい。ありがとうございます。でも、イラストは別に嫌だったわけじゃないのでいいですよ」
「そうか、好きで書いたのか……そのわりに独特の作風だな」
「……ヘタで悪かったですね」
「それでもこれだけ堂々と描く度胸があるんだ、お前もビッグマム海賊団の気風を持っているってことかも知れねェな」
「……」

そんなに言うほどヘタじゃないだろうと思うが私はなにも言わなかった。紅茶の甘い匂いがティーカップからやわやわと漂っている。カタクリさんはメモを握ったまま紅茶を一息に飲み干して立ちあがった。並んで立つと背が異様に高くてびっくりする。

「それはそうと。ナマエ、今夜はヒマか」
「──えっ?!」
「メシに行くか。いい店がある」
「え……?!えーと」

え!?二人で?
いや、それは……とアワアワしている私をよそに、カタクリさんは続けて言う。

「歓迎会でもしよう。なんだ、今日は都合が悪いのか?」
「あ、……、あ、歓迎会ですか。大丈夫です。」

小さく頷いて息を吐き、大きな切れ長の瞳でカタクリさんは天井を仰いだ。

「夜、久しぶりに大勢で繰り出すとするか」
「はい、ありがとうございます。楽しみにしてます!」

カタクリさんは私の肩をぽんと叩いて横目で私を眺めながらゆっくり通りすぎた。「腹を空かせておけ」と言って三又槍を手に取り颯爽と部屋を出ていった。

なんだ、歓迎会か……とほっと安堵のため息をつく。なんだってなんだ、ガッカリしたわけでもないのに──だけど焦った、口説かれてるのかと勘違いしてしまった。

ティーカップを盆に回収して、自分も幹部室を後にする。給湯室に向かってテクテク歩きながら、ふと、もしも、と思った。思ってしまった。

……もしも口説かれていたのだったら私はなんて答えていたのだろうって。付いていくのだろうか?いやぁ、さすがにそれはないなぁ。海賊団の、しかも最高幹部と二人でとか色んな意味で危ないし。まあ、そもそもカタクリさんクラスになると女性に不自由していないだろう。きっといっぱい彼の傍には色んな女の人が。

……ザー、とシンクでティーカップを洗いながら、ふと、自分が猫背になっていることに気がついた。

あれ……
私、やっぱりガッカリしてる?