――そういえば、今日は夕飯どうしようかな。そろそろ寒くなってきたし、チョコフォンデュとか食べたいなあ。

夕方、誰もいない幹部室でカタクリさんとふたりきり。特別な理由なんてない。ただ単に、今日、私はペロスペローさんから請け負った業務を勤め上げて、その監視役として、カタクリさんが残ってくれている、というだけのことだ。

だが、理由があるといえ、慣れないシチュエーションにドキドキしないわけがない。だって、監視役は大概、ペロスペローさんか、オーブンさんだったから。

取り留めもないことを頭に思い浮かべているのは、妙な考えを頭から追い出し、平静を保つためだった。

正面に座るカタクリさんが、きれいな文字で日誌をすらすらと書いている。
カタクリさんがひとりそこに居るだけで、いつもの机やソファの距離感や風景が、劇的に変わったように感じられる。

華のある人、というのはこうも周囲に彩を与えるのかと、再確認させられるようだった。

睫毛が、日誌を見るために落とされた双眸を隠し、さらに色濃い影を目の下に縁取る。それを目にするだけで、私の心臓は簡単に跳ねた。

――ダメだ、
また見つめているだけなのに、ドキドキしてしまった。またなにか、別のことを考えなければ。

熱くなりそうな頬を手のひらで隠すため、ソファの目の前のテーブルに肘をついた。
体勢を変えた私が気になったのか、ほんの一瞬だけ、カタクリさんの手が止まった。

だが、それも次の瞬間には、またさらりと流れるように文字を書き連ねていく。
何も咎められなかったことに安堵し、小さく溜息を吐いた。

極力、妙な意識をしないようにしながら、じっとカタクリさんが書く文字を追いかける。カタクリさんの延長線上の壁に掛けられた時計を覗き、この状況になり、既に10分が経過しようとしていることに気付いた。

コムギ島に帰らなくても大丈夫なのかという、私からの問いかけは、普段の凛とした態度で「大丈夫だ」という。意外とカタクリさんのこういう優しいとこが、人気に繋がった場合もあるんじゃないだろうか。

惚れた贔屓目で、フォローするようなことを頭に思い描いていると、私の視線にとうとう気づいてしまったらしいカタクリさんが、チラリと視線を持ち上げてこちらを見た。

目があった一瞬、やわらかくなった目元に、心が掴まれそうな感覚を味わった。きゅっと真一文字に口元を引き締め、感情の揺れを耐えていると、カタクリさんは微かに目を細めて、また日誌に視線を戻した。

「どうした、ナマエ。切羽詰まった顔をして」

先程の目と同様にやわらかな声が問いかけてくる。
その心地よさに、またしても胸の奥が鈍く痛んだ。目や声もそうだが、余裕のある態度だとか、彼の纏うやわらかな空気だとか“将星、シャーロット・カタクリ”をかたちどるすべてのものが、私の感情を揺さぶってくる。

心奪われる、というのは、こういうことなのだと、まざまざと思い知らされるかのようだ。

――敵わないなぁ。
恋愛は惚れたら負け、とはよく言うが、惚れていなくても、カタクリさんに勝てる要素が見つからない。もしこれから先、この交流が続いたとしても、この人に勝てるひとなんていないんだろうな。
そんな諦めにも似た感情が、不意に胸の内に浮かび上がってきた。

「うん、カタクリさんってかっこいいなあって………見てました」

ポツリと言葉をこぼす。
聞き取れないほどの小ささではなかったはずだが、宣言というには物足りないほどの声だった。

私の言葉に、カタクリさんの指先が止まる。
ゆったりとした動作で顔を上げたカタクリさんは、少し驚いたように目を丸くしていたが、慣れているんだろう、それほど動揺しているようには見えなかった。

自分から仕掛けたからこそ、逃げも隠れもできない。ならば、と開き直って、私もまたカタクリさんの瞳を見つめ返した。

いつからこんなに、カタクリさんのことを好きになってしまったのか。
そもそも最初は、シャーロット家の最高傑作、全てにおいて完璧で、万国全域にファンが多い人、という認識しかなかったというのに。
初めて一緒に行ったお茶会の試食、あれがすべてのターニングポイントだった。
あの日から、鮮烈に、カタクリさんのことだけを意識し続けている。

今では、カタクリさんの瞳を見つめるだけで、自然と頬に熱が走る程になってしまっていた。
だが、顔を赤く染め上げてもなお、カタクリさんから視線を外すことはできなかった。

唇を引き締めたまま、じっとカタクリさんのことを見つめていると、突然、彼の指先が万年筆を落としたのが、視界の端に入った。それに気を取られていたのも束の間で、翻ったカタクリさんの大きな手が、私の視界を遮るかのように私の目元を覆い隠した。

べったりと手をくっつけられたわけではない。
触れるか触れないか、ぎりぎりの距離だ。
それでも、カタクリさんの手のひらから伝わる体温が、熱い。

「ナマエ、じろじろと見るな……勘弁してくれ」
「ご、ごめんなさい……カタクリさん、私――」

不躾な態度を咎められたのあと、自分を恥じた。
だが、反省の言葉を言い切るよりも先に、カタクリさんの言葉が覆いかぶさってくる。

「いや、怒っているとか、そういうんじゃねぇ」

かざしていた手を引っ込め、自分の頬を掻くようにしたカタクリさんの視線は、私に向けられていない。斜め上の方へと向かっている。
それに気づいた瞬間、あまりにも見つめすぎたことを後悔してしまう。
妙なことを言う前は、かち合っていた視線が、すでに懐かしいもののように思える。

バカなことを言わなければよかった。カタクリさんを困らせるだけなのに、なんてことを言ってしまったんだろう。

熱により、浮かされていたはずの頬が、赤みを失い、青白く変貌するのを肌で感知していた。

目に見えて落ち込んだ様子を見せる私に、カタクリさんが気付いたのか、慌てて言葉を取り繕う。

「すまない、今のは言い方を間違った。ナマエを突き放すようなつもりはなくてだな……その、なんというか」

普段のカタクリさんらしからぬ歯切れの悪さに、内心で首を捻る。
うろたえるような人ではない、と客観的に見て感じていたから違和感しかなかった。

見るな、と言われたばかりなのに、様子のおかしいカタクリさんに、どうしても視線を向けてしまう。

眉根を寄せ、困惑にまみれた表情のカタクリさんの視線が、私へと戻され、また日誌へと落とされる。

万年筆を拾い上げながらも、文字を書くことはせず、それを握り込めたまま、額に拳を押し付けたカタクリさんは、目を伏せて思案するように、低く唸った。

「……ごめんなさい、カタクリさん」
「違う」

カタクリさんの様子を伺いながらも再度、謝罪の言葉を投げ掛けると、今度ははっきりとした声で否定された。その声音は、先ほどまであったやわらかさが失われていた。
ドキ、とまたひとつ、心臓が高鳴る。

「あまりナマエに見つめられると……」
「……」
「どんな顔をしたらいいのかわからなくなる」

低い声で言い放ったカタクリさんが、ゆったりとした動作で顔を上げる。

夕日のせいではなく、耳まで赤く染めあげたカタクリさんに、今度は私が、どんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまった。





楽観的な君

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