「うるっさい!好きとか簡単に言わないで、クラッカーさんのバカっ!」

幹部室の外から飛び込んで来た大声が、幹部室内にさえもいやに響く。
その声の主が誰のものなのか判断できないわけがない。

にわかに跳ねる心拍数を押さえ込みながら、運ばれて来たばかりの紅茶を手に取り一口喉に流し込んだ。

程なくして扉が開き、へらへらと機嫌良さそうに笑うクラッカーと、顔を赤く染め柳眉を逆立てたナマエが、幹部室の入り口をくぐり入ってくる。

いまナマエは、クラッカーの島に臨時的に住んでいる。その二人が連れ立ってここに来るとこは、珍しくないため、今更どうこう思わないが、先ほどのナマエの言葉が耳に残れば、意識せずにはいられない。

俺と同様の考えを抱いたものが少なくないらしく、幹部室のソファに座っていた全員の視線が、彼女に集まっていることを知る。

一方、幹部会の最中ということに、気にした素振りも見せずに入り込んできたナマエは、ダイフクやスムージーに手を翳して応え、俺やオーブン、ペロス兄に対して頭を振って軽く会釈する。
そういうところは雑にしない辺り、律儀な彼女らしかった。

手慣れた様子で、ペロス兄の机の上から手配書や書類を取りまとめたナマエは、普段ならばダイフクあたりと軽く会話をしてから、幹部室を出ることが多いのに、今日は床を靴先で叩くような勢いで、扉へとまた足を向ける。

堂々と遅れて登場したクラッカーがソファに座ると、そんなナマエの背中に向けて、また三日月の目を隠さずに笑っている。

「おい、ナマエ。さっきの話の続きはもうしねーのか?」
「もういいってば!絶対にしません!」

律儀にも、クラッカーの座る真横まで踵を返し、勢い良く食って掛かるナマエに、先ほど聞こえた彼女の言葉を思い出す。

──好きだ、と言われたのだろうか。クラッカーに。

耳まで赤くしたナマエの顔と、楽しそうなクラッカーの様子に、一つの仮説が頭を掠める。

もしその言葉を言われたとして、今の彼女の表情があるのだとしたら、ナマエはクラッカーのことが好きなのか?それで戯れに、クラッカーに好きだと言われて「簡単に言うな」と、怒っているのか。

ありそうな想像に、胸が軋むような痛みが生まれ、誤魔化すように小さく溜息を吐き出す。

傍目から見れば、じゃれ合っているようにしか見えない二人に、観念して向き直る。

「おい、あまり幹部室で騒ぐんじゃねえ」

次男として、将星のトップとしての体裁を保てる範囲内の言葉を選び、彼女へ投げかける。
イチャイチャしているのを見せつけられたくないという願望を見透かされないそうに、気をつけたつもりだったが、普段以上に言葉が尖った感は否めない。

何か言い返しそうに、口をまごつかせたナマエだったが、キッと眉を上げ、そのまま俺に対して、頭を下げて幹部室を飛び出して行った。

反して、彼女の背中に向かってヒラヒラと手を翳して見送ったクラッカーは、相変わらず目尻を下げて笑っていた。

「あー……おもしれぇ」

感慨深げに溜め息を吐いたクラッカーは、目の前の紅茶に口を付けて、そしてまた笑った。
兄弟ながらに、なかなかひどいことをするやつだ。

あんなにムキになっていたナマエを、まったく意に介さないクラッカーは、まさに手玉に取っているだけのようにしか見えない。

ようやく俺たちの視線に気付いたらしいクラッカーが、こちらへ視線を投げ掛けてくる。
まるで同意を求めるかのように「なぁ」と、首を竦めたクラッカーに、俺とペロス兄はまた、溜息を吐き出した。

「あまりナマエちゃんを揶揄うのはやめてくれ、ペロリン」
「いやぁ、ついかまいたくなっちまってなぁ」
「反応がいいのはわかるが……アイツの血管が切れてぶっ倒れても責任は負えねぇぞ」

俺の言葉に「たしかにな」と、クラッカーはくつくつと笑う。普段は割とあっさりとした性格のナマエだが、彼女の中にある地雷を踏みしだくと、途端に激情型に豹変する。
その変わりっぷりは、たしかにクラッカーにして見れば、面白いのかもしれない。

役得だとも、特権だとも言ってもいいのだろう。
ナマエがあんな風にムキになるのは、いつもクラッカーの前だけだった。年齢の割にクラッカーがガキで、同じ島に住んでいて、接点が多いからこそ、気のおけない友達と言える仲になったのかもしれない。

そして、もしかしたらその二人の形を、ナマエは変えようとしているのかと思うと、胸の奥がチクりと痛んだ。

「兄貴だってそういうのないのか?」
「は?」
「ナマエ、かわいいだろう?」

付け足されたその言葉に、ナマエをからかってみろと、唆されていることに気付く。

クラッカーの言う、かわいいというのは容姿のことではなく、クラッカーに見せるその反応のことを言っているのだろう。

ああいう表情を見せられることに、優越感を抱いたりしないのだろうか。
───こちらは劣等感を刺激させられるだけだというのに。

既に幹部会は終盤を迎えようとしていたが、まだ会話を続けたそうな素振りを見せたクラッカーに、そのままナマエのことを考える。

クラッカーに示されたように考えてみたが、俺が好んでナマエを揶揄うような言動を取ることはまったく考えられない。
俺がナマエを前にした時は、揶揄ってやりたいという嗜虐心よりも、守ってやりたいと思えるような庇護欲を煽られるだけだった。

気が強いところもあるけれど、時に素直に俺を見上げて来る、真っ直ぐな双眸を前にすると、ただ抱きしめてしまえたら、などと柄にもないことを思ってしまうことさえあった。

そのような心情をクラッカーに吐き出せるはずもなく、ただ「俺はお前じゃねぇ」と、曖昧に否定することしか出来なかった。

「まぁ、いいか……」

ポツリと零したクラッカーは、ソファの背もたれに豪快に両手を伸ばして背を預けた。

「そうか。とにかく幹部会には遅刻するな」
「わかってるって」
「なら、いい」
「あ、でも」
「……でも、なんだ」
「カタクリの兄貴も、ちょっとつついてみたらいいぜ」

不穏な言葉を残し、ソファから立ち上がって幹部室を出て行く背中に、何か反論の言葉を返そうと思ったが、何も言葉は出てこず、眉間に深く皺を刻むだけに終わった。



幹部会を終えて、島に戻ろうと外に出たとき、ドーナツを持ってスキップしているナマエの背中を見つける。

周りに知っている顔がいなそうなことを確認すると、彼女の方へ足を向けた。

「おい、今いいか」

ナマエは俺の声に振り返りざま、まっすぐに俺の顔を見上げて目を丸くする。

「え、どうしたんですか?カタクリさん」

改まって向き合ってはみたものの、取り立てて何かしらの会話を用意していたわけではなかった。

ただ、幹部室でのクラッカーとナマエの様子に、ただならぬものを感じ取ってしまい、その不安に駆けられての行動に過ぎないのだが、まさかクラッカーに言われるがままに、揶揄いの言葉を投げ掛けるわけにもいかない。

言葉を探して、考えあぐねてみたものの、取り立てて良い会話の取っ掛かりが見つかるはずもなく胸の前で腕を組んだ。

「最近は──その、家族からの依頼で変わったことなどはないか」

久しぶりに顔を合わせた息子に声を掛ける父親のような言葉しか捻り出せなかった自分に呆れたが、生真面目に答えようとするナマエは、小さく首を捻って、空いた手を自分の口元に持っていく。

「うーん、特に変わりはありませんねぇ」

難しい仕事を与えられてるわけでもないし、と続けたナマエは、普段よりも少しだけ話しにくそうに、俺から視線を逸らした。

言い淀むだけならば気にしないが、微かに頬を朱に染めた様子に気付いてしまい、口内に溜まり込んでもいないツバをゴクリと飲み込む。

ナマエの中で変わったことが、あるのかもしれない。その答えは、幹部室に入る前のあの大きな声に詰められているのではないのか。

あとの幹部会の最中も、頭を掠めて集中できないなんてことはなかったが、一度気にしてしまうと、聞かずにはいられないような焦燥に駆られる。

聞くなら、今しかない。

「──ナマエ」

唇が普段以上に震えた。
俺の言葉に、先ほど以上に丸い目をしたナマエの瞳は、まるでビー玉のようだった。

「……え?」
「少し、聞きたいことがある」
「え、はい、それより今、ナマエって……」

微かに手を持ち上げて、こちらを指差したナマエの発言に、自分が今しがた普段のように名前を呼ばず「ナマエ」と呼んだことを知覚させられる。彼女の名前を、本人の前で口に出したのは初めてだった。

「いや、うっかり……すまない」
「ううん、全然かまわないんですけど……」

名前で呼ぶつもりがまったくなかったのに、何故か突然呼んでしまったのは、クラッカーに対するせめてもの対抗心だったのかもしれない。

バツが悪いのは、俺だけではないらしく、ナマエもまた、俺から顔を背けて右掌で、口元を抑え、ドーナツの袋の持たれた左掌で目の横と頬をそれぞれに隠す。

浮かぶ熱を抑えこむようなその仕草の愛らしさに、胸が締め付けられるような感覚が走った。

コホンと、身内にくすぶる羞恥心を誤魔化すように咳払いをし、もう一度ナマエを見る。

「俺は、あまりこういうのは得意じゃねぇ」
「えぇ、あ、はい」

同意の言葉を残したナマエは、チラリと目線を持ち上げ俺の顔を一瞥し、またチラリと地面の脇に視線をやった。

──コイツ、今俺のことを顔で判断しやがったな。

ピクリとこめかみに怒りが浮かび上がりそうになったが、極力、冷静を保つように声を抑えて、先ほどから何度も頭を過ぎる疑問を言葉にした。

「お前、クラッカーのことが好きなのか」

これ以上情けない質問はないだろう。
解っていたが、聞かずにはいられなかった。

宣言したとおり、この類の話は得意な性質ではないからこそ、白黒ハッキリさせたい。

もしも、本当に彼女の気持ちがクラッカーへと向いているというのなら、邪魔立てするわけにはいかないのだから。

「ハァ!!?」

軽く視線を落として彼女の言葉を待っていると、耳に甲高い声が響く。

想像もしていなかった声音に驚いていると、ナマエが俺を、信じられないものを見るような目で見上げている。
丸っこい目は変わらないのに、呆気に取られたその表情に、何か言葉を間違えてしまったのかと危惧してしまうほどだった。

「ちょっと、なんでそんなこと……!!?」
「さっき、見たときにチラッと思っただけだ」
「チラって……」

俺の言葉を反芻したナマエは、呆れてものが言えないかのように額を抑えて俯く。

苛立っているのか、爪先で3回地面を叩いたその仕草に、彼女になぜそんなマネをさせなければいけないのかと、こちらにも苛立ちが沸き起こる。

なにか一言、進言してやろうかと口を開きかけた途端、ナマエが制するように掌をこちらに翳した。

「あのねぇ、カタクリさん……私は別にクラッカーさんのこと好きだなんて、一言も言ってないし、勝手に見切りつけるのやめてほしいんですけど」

翳した手を翻し、自分の眉間を抑え、瞑目するナマエは、溜め息混じりに言葉を零す。

彼女の言葉を耳にしても、いまいち信じられなくて首を傾けた。

「そうは言うが……お前はさっきクラッカーから告白されていたんじゃねぇのか」
「さっきって?」
「お前ら二人で幹部室に来たときに叫んでいただろう」

苛立ちを隠さない彼女の言葉につられて、自分の言葉も次第に、尖ったものになっていく。

違う。
苛ついているのは、彼女のせいではない。クラッカーに嫉妬しているクセに、まっすぐにナマエへ向き直ろうとしない、自分に腹が立っているだけだ。

八つ当たりをしていることに気付いたが、それでもここまできて、今更、彼女に愛を告げる空気などあるはずもなく、ただ眉根に力を込めて立ち尽くすことしか出来なかった。

額から手を外して、俺を振り仰いだナマエは、幹部室に入って来たときよりも柳眉を逆立てる。

「アレは!クラッカーさんに好きだって言われたんじゃなくて! 私の好きな人が、カ──」

言い止して、唇をわなつかせたナマエは、俺に対して怒鳴る言葉を探しているように見えた。

唇を尖らせて固まったことと、チラリと聞こえた彼女の言葉に、続けられるべき言葉に期待した胸が、確信も得ないままに跳ね上がる。

だが、残念ながら待てど暮らせど、ナマエの口から「カタクリさん」と言葉が続けられることはない。
そうなると、その相手というのは、自ずと答えが出て来る。彼女と親しい間柄の兄弟を思い浮かべた。

「そうか……カトウか」

意外なところに居たもんだと、溜息を吐き出した。

だが、思い返せば茶会などで、彼女とカトウが話している時は、朗らかに笑っていて、クラッカーや俺に対して見せたような、怒った表情を向けたりはしていないように思える。

──それが答えなのか。

「……ハァ?」

諦めるものだと感情を抑えていたものの、またしても耳に飛び込んで来た、つんざくような声に、思わず目を細めてしまう。

視線を落とせば、目に見えて怒った様子のナマエがいて、片手に持たれていたドーナツの袋を投げつけんばかりの剣幕を見せた。

「ホンットに………なんにもわかってない!」

地面に向かって心情を吐き出すように叫んだナマエは、キッと面を上げ、俺を睨みつけてくる。その苛烈さに気圧されて、半歩退いてしまう。

「カタクリさんなんて……」

ボソリと低い声で唸るナマエに、「大嫌い」と続けられるのではと、眉根を寄せる。

好かれていないことを思い知らされたばかりなのに、追い打ちをかけられるのではと、奥歯に力が入る。

「カタクリさんなんて!!」

何か謝ったほうが良いのではないかと思ったが、情けなくも手を翳して、待ったをかけることしか出来ず、また、それを承知してくれるほど、ナマエは優しくなかった。

「悪い、俺が悪かった。ナマエ──」
「大好きなんて!絶対に言ってやらん!!」

これ以上言わないでくれ、と続けられるはずだった俺の謝罪の声は、鮮やかにナマエの怒声によって無視される。

いーっと歯を剥きだして、敵愾心を向けたナマエは、真っ赤な顔で睨みつけてくる。その瞳が羞恥に潤むと、ビー玉のようだと思った瞳が海に荒れる波のように見えた。

それ以上の言葉は告げず、駆けて行ったナマエの背中を見送った俺は、目を瞬かせることしか出来ない。

何を言われたのか理解する間もなく、背後から聞こえて来きたダイフクの「カタクリ!ペロス兄が探してるぞー」という叫び声に、反射的に城の中へと戻る。

城内に入ると、不意に先ほどのあの場から駆けて行ったナマエの姿が脳裏をよぎる。

使用人がカシャン、カシャンとカートを引く音が、やけに耳を熱くさせた。





好きなんかじゃない

良好な天気、最悪な機嫌