先日のナマエの発言依頼、まともに彼女と向き合うことが出来ていない。

幹部会のときに紅茶を出してくる彼女に声を掛けることは、いままでもしたことがなかったし、幹部室にいても意識して、ナマエが俺を避けているように見えて、おいそれと近づくことが出来なかった。

いっそ彼女の住む島まで足を伸ばしてみようかと考えたものの、目ざといクラッカーに見つけれれて、またナマエのへそを曲げられては堪らないと思うと、二の足を踏んでしまう。

──大好きなんて!絶対に言ってやらん!!

そう叫んだナマエの言葉を、好意的に受け止められないほど鈍くはない。

だが、その意味を掴みとり損ねたまま、ナマエが逃げたものだから、触れて良いのか悪いのかの判別がつかず、宙ぶらりになってしまっていた。

今はまだ大丈夫だが、任務に身が入らなくなってしまうのも、時間の問題なのかもしれない。

幹部会が終わり、新聞をテーブルの脇に置きながら、意識せずとも吐いた溜息は、数知れず、ついに俺の目の前に座るダイフクに咎められる。

「おい、カタクリ」

辛気臭いとでも言いたいのだろうか。
ソファに背中を預けた状態で紅茶を飲んでいたダイフクが、おもむろに背中を離し、膝に両肘を付けて、指を絡める。

「お前、なんでずっとナマエのこと避けてんだぁ?」
「避けてなど──」
「いないとか言うなよ。誰の目から見ても露骨だぜ」

ダイフクの言葉に委縮してしまい、足を組み直して胸の前で腕を組む。

自分でもわかっていることだった。
ここ半月程度ではあるが、ナマエと全く喋りもしなければ、目も合わせていない。

ナマエを探せば、尖った鼻先がそっぽを向いている姿しか見つけられない。
意図して無視されているのが目に見えていて、気にしないようにと意識はしているが、惚れた女に冷たくされると結構堪える。

俺が避けているのではなく、ナマエが俺を避けているのだと正解を伝えようかと口を開きかけたが、改めて言葉にすることが憚れて黙りこんでしまう。

「……告白でもされたかァ?」

紅茶でも飲んで落ち着かせようと、カップを口に付けた瞬間、唐突に紡がれたダイフクの言葉に思わず咽てしまう。

「あ、あっさり言うな」

目を逸らして答える俺を、ダイフクは鼻白んだような目で見る。

アレを告白だと受け止めていいものか、それは俺には解らない。どう考えても、自惚れが含まれてしまって、正常に判断がつかないからだ。

ただ単に、怒らせただけだとも言えるのだと、何度その可能性に蓋をしたことか。

戸惑う俺を尻目に、ダイフクは目の前に置かれた菓子を口に含ませながら、俺に質問を投げ掛けてくる。

「フッたのか?」
「だから……そういうわけじゃあ……」
「そうなのか?ナマエ、お前のことやたらと睨んでるぞ?」
「……」
「お前はチラチラ困ったツラしてナマエのこと見てるしよ」
「…いや──」
「クラッカーじゃなくても気付いてると思うぜ」

なぜそこでクラッカーが出てくるんだ。
そう言い掛けて、ナマエとのあの事件があった日の、ここでのことを思い出す。

──もしかしてあれは、クラッカーがナマエに「カタクリ兄さんが好きなのか?」と、揶揄ったのだろうか。

また自分にとって都合のいい想像を思い浮かべたことに恥じて、持ったままだった紅茶のカップをテーブルに置く。

「でぇ?なにがあったんだよ」

間髪入れずに話を進めて来るダイフクに、こいつは鬼だと改めて思う。さすがにプリンを投げ飛ばしただけのことはある。

じりじりと額が気になるのは、きっとダイフクの視線が刺さっているからなのだろう。

「……大好きなんて言わないと言われた」

ポツリと、ナマエに言われたままの言葉を口にする。
相談する気なんざサラサラなかったはずが、簡単にダイフクに告げられたことで、本当は誰かに判断して欲しかったのだと知る。

ナマエが知ったら、烈火のごとく怒るのだろうなと、キュッと眉根に力を込める。せっかくくれた言葉を粗末に扱っているように感じられて、胸がほのかに痛んだ。

「そりゃ好きだと言ってるのと一緒だろーが。で?」

またもや、さらりと流したダイフクに、感傷に浸るような心境だった自分がバカらしくなる。

──やはり相談なんかするんじゃなかった。

相談というよりも、ダイフクに流されているだけのような気がするが、もう他に何も告げることはない。幸い、ナマエとの間に起こったことも、先程の発言で打ち止めだしな。

「終わりだ」

簡潔にそう告げると、ダイフクは片眉だけ持ち上げて、俺を睨めつける。

「ハァ?」
「だから、それで終わりだ」
「……さすがに何か言い返したんだろう?お前」
「いや、何か言おうとしたが……俺が反応する前にナマエがいなくなった」

ダイフクが、またソファの背もたれに背を預けて、両手も背もたれに伸ばす。

「カタクリ、おまえ……とんだバカだったんだな」

呆れたような口ぶりに、ムッと唇を引き締める。ダイフクは大きく肩で息を吐き、片眉を吊り上げて口を開いた。

「アイツは口が達者だからって年下の、しかもオンナに言い負かされてたら世話ねェぞ」
「だが、何も言い返す隙もなかった」
「そのあと、何度もツラ合わせてるんだろォ?」

鋭いその一言に、言い返す言葉が見つけられず口を噤んでしまう。

「放ったらかしにしてるのが、お前の結論だって思われてても知らねーぞ」

追い打ちを掛けるように続けられた言葉に、気圧されて、ダイフクから視線を逸らす。
それは一番、俺の中で気にかかっている部分だった。

ナマエから何も追及されないのをいいことに、吟味しているのだと装って、真正面から向き合うことから避けていた。
逃げ出して、遠回りして、辿り着く彼女への想いは「好きだ」というもの以外、何物でもないのに。

「それは……ダメだ」

俺の零した言葉を耳にしたダイフクは、ニヤリと笑う。

「だったらもう、やるこた決まってんだろ」
「そうだな……」
「隠れようとしたところで、そのデカイ身体は隠せねーぜ」

ケラケラ笑うダイフクを横目に、意を決する。
耳を塞いで、自分を守るような真似はぜず、ナマエにぶち当たるしか道はない。

立ち上がったダイフクの手がこちらへ伸び、労わるように俺の肩を叩く。ひとつ軽く頷いて、決意をしたことを態度で示すと、ダイフクは白い歯を見せて笑った。

「何も言わずに抱きしめてやれよ」

コロッと行くだろ、最高傑作なんだからよ。と、こともなげに続けたダイフクに、明日こそはナマエに話しかけると宣言しようとしかけた口を閉ざす。

──本当に、コイツはダメだ。



翌日の幹部会は散々だった。
ナマエの姿が目に収まると同時に、ダイフクの声で頭の中に「抱きしめろ」と、響いたからだ。

おかげで必要以上にナマエに、顔を向けることが出来ず、幹部会を終える頃には、益々彼女と距離が開いてしまったのではと、危惧してしまうほどだった。

各々、部屋から出て行く中、ナマエの姿がないか視線を巡らす。
見当たらないナマエに、早々に帰ってしまったのだろうかと、諦めに塗れた溜息をひとつ吐くと、不意に廊下から声が聞こえて来た。

「カタクリ!」

ダイフクの声だ。
そう判断するのも束の間で、入り口を見ると、ダイフクと一緒にひょっこりと顔を覗かせたナマエの姿が目に飛び込んでくる。

──いた。

「ほらよ」と、ダイフクに背中を押されて、俺の目の前に来る。
無理やりに背中を押されて、幹部室に入るかたちになったナマエが、「痛い!」とダイフクに怒鳴っていたが、ダイフクはケラケラ笑いながら、幹部室を出て行った。

ふたりきりの空間で、ソファに座っている俺を一瞥したあと、ぷいっと背を向けた彼女に、声をかけるよりも早く、手が伸びた。その場を立ち去ろうとするナマエの手のひらを掴む。

昨日、ダイフクに言われた言葉に従ったつもりはなかったが、反射的に体が動いてしまっていた。
引き留められる格好となったナマエが、こちらを振り返ると、その動きに合わせて髪がふわりと舞う。
そういうさりげない所作が、胸に甘い痺れをもたらした。

驚愕に目を見開いたナマエは、俺を見上げたまま、その場に足を縫い留める。
振り払われるかと思った手が離れないことと、潤んだ視線がこちらへと向けられたことに、内心でかなり焦ったが、行動を起こしたからにはもう進む他に道はなかった。

「ナマエ」
「……なんですか?」
「少し時間をくれないか」

俺の言葉を受けたナマエは、きゅっと唇を結び、俺から視線を逸らした。

話す気はないということだろうか。
繋ぎ止めたい一心で、反射的に手に力を入れると、ナマエの肩が小さく揺れる。

「痛っ」
「あ、すまない」
「……別に、いいですけど」

咎めるような声に、心が折れそうになる。
もう放した方がいい。そう思い、手から力を抜いた瞬間だった。

「……だから!」
「?」
「いいってば」

真一文字に口元を引き締めながら、それでも緩やかに握り返された手に、言葉で肯定されるよりもずっと、安心することが出来た。

気付けば先程から俺は、ナマエの手を握ったままで、彼女はその場に立ち尽くしていて、この手を引いたままでいいのかどうか逡巡する。

だが、手を放すことでナマエがこの場から、離れていってしまってはいけないと、自分に理由を言い聞かせて、その持つ手を緩めずにいた。

ナマエが手を放す素振りをみせないのをいいことに、何をやっているんだろうな。

じっと繋がれたままの俺とナマエの手を見つめていると、ナマエが不意に口を開いた。

「……で、なにを話すんです?」

切り出された会話に、閉ざしていた口元を更に結んでしまう。

そもそも、自分から話したいと言っておきながら、黙りこんでいるなど、どうかしている。
そう思いながらも、どのようにして先日の話を聞けばいいのかわからなかった。言葉が無駄に、空中に押し留められるようだった。

痺れを切らしたのか、小さく唇を尖らせていたナマエが、口を薄く開く。

「……私からずっと視線反らしてましたよね」
「それは……すまなかった、としか言いようがねぇ」
「謝らなくてもいいんですけど……」

私も最近避けてたし、と、ごにょごにょと続けたナマエに、やはり避けられていたのだと知る。

勘付いてはいたものの、改めて本人に言われるとそれなりにショックを受けてしまう。思わず視線を落とすと、ナマエの顔がこちらへと向く。

怒っているのか、少しだけつり上がった眦に見つめられると、にわかに心臓が跳ねた。
久しぶりにナマエと、正面から向き合っていることを自覚し、狭くなっていた視野が広がる様に感じられた。

震える唇に叱咤し、小さく息を吐くと、観念して言葉を口にする。

「この前のことだが」
「そういう話するの………」

漠然としか紡がれない言葉よりも、雄弁な俺の表情を目にしたナマエは、心底嫌そうに顔を歪める。

彼女が顔を赤く染め上げているので、ガン垂れているとしか言えないその視線さえも愛おしく思えた。

「今さら蒸し返さないでくださいよ」

気丈な物言いではあったが、その声は微かに震えていた。
それが羞恥によるものなのか、怒りによるものなのかは判別が出来ない。

「すまない……だが、俺がどうにも……自惚れてしまっている」
「──好きじゃないです」

直接的な言葉を避けた俺の言葉とは対照的に、ナマエの言葉は痛いほどに、まっすぐだった。

自然と眉根が寄った。
──好きじゃない、か。

よくも、まぁこんなにも自信をもって問いただすような真似ができたもんだ。
日常のほんの一部で関わっているだけの間柄、しかも幹部とその部下という立場だからこそ、他よりも関わり合いが多くなっただけなのに、どうして自惚れようなどと思ったのか。

この前の言葉も、好きだと肯定するものではなく、好きだなんて言わないと否定に塗れたものだったのに。

抵抗するように、手の力を抜こうとしたとき、ナマエに包まれていた手のひらに、更に力が加えられた。

「……まだ途中なんだもん」

微かに聞こえてきた声に、聞き返すよりも先に、キッと柳眉を逆立てたナマエが面を上げて叫んだ。

「そんな風にしつこく聞かれると確定したくなくなる!」

途端にヘソを曲げる子供のような言い訳に、思わず面食らってしまう。そんな俺に益々顔を赤くしたナマエは、舌を打ち鳴らしそうな面持ちで、言葉を吐き捨てる。

「だからもうその話はなかったことにしてください!」
「ナマエ……」

俺から視線を反らしながらも、縋るように繋がれた手のひらは放される気配がない。

諦めなくても大丈夫なのだろうか、と先ほどまで紡がれていたナマエの言葉を反芻するが、どう考えても自分にとって、都合のいい言葉にしか置き換えできなかった。

いま、ナマエの途中にある感情が確定したとき、どのような形になるのか。それは俺がいま彼女に抱いているものと同じものになるのではないか。

「もっと……自信持って言えるようになったら、私から言いますから」

彼女なりの矜持がそうさせるのだろう。
口元を結んだまま、俺を見上げたナマエの瞳に決意の色が映えた。

もうこれ以上は追及しないほうがいいだろうと、薄々感じたが、好きな女にここまで言われて黙ったままではいられない。
なかったことになんて出来るはずがない。
この握り締めている手が、答えではないのか。

「お前は怒るかもしれねぇが……」
「え?」
「俺はお前が好きだからな」

その言葉に、一瞬、呆けたように目を丸めたナマエが、緩々と口元を綻ばせたのも束の間で、表情を一変させたナマエは、歯を食いしばり、耳まで赤らめて怒りを示す。

「うぅぅ〜…うるさい!カタクリさんのバカっ!」

涙目になって叫んだナマエは、俺の掴んだ手を振り払おうと腕を振るう。だが、彼女の細い腕で抵抗されたところで、俺の力の方が遥かに強く、その動きは緩慢に塞がれた。

告白をしたつもりだった。なのにうるさいと言われ、バカとまで言われ、悪態をつかれた。
腹を立ててもおかしくない状況だったが、好きだと言葉にしたことで、すんなりと情愛が身内に広がっていく。

悔しそうに俺を見上げるナマエの手を引くと、簡単に彼女は俺の胸の中に納まる。息を呑んだ音が耳に届く。
抵抗できる力を持つ腕は、俺の脇腹に添えられたまま動かない。

右手で彼女の手を引いたまま、左手を彼女の背中に添える。
抱き締めるというには、随分ぎこちない不格好な体勢になったが、密着した身体から伝わる彼女の感覚に、心臓が決闘をしている時以上に鳴動する。

「俺は、ナマエが好きだ。」
「……」
「お前が俺を好きになるまで待たせてもらう」

小さく囁くような声だったが、この距離ならば恐らく、ナマエの耳には届いたことだろう。

明確な言葉は返ってこなかったが、胸に押し付けられたナマエの頬に、これは自惚れではないのだと、確信に変わった。





好きなんかじゃない

おなじ言葉なのに