"『理性』と『本能』は紙一重 "

よく、いろんなことやものに用いられる、
ありふれた文章。
誰もが一度は聞いたことがありそうだ。
全く、どこまでも、人間だって裏では、
野生化して。

『自分は動物だ』

そう認識させられる。
けれど、どうしたって、脳も、感覚神経も
『本能』というやつには逆らえない。
『理性』が頑張って抑制しようとしても
最後には、もともと身体に刻み込まれた

動物の証が、勝ってしまう。



「ありえない」
「なにがだ」

スイートシティにある城、幹部室。
時刻は午後18時30分。来週に迫った茶会の名簿を書き直している者、一名。

「魔人だよ!」

ナマエと、

「ああ、ダイフクか」

二人きり。

「ぬぁ〜んで私が、ダイフクさんの連絡ミスで名簿書き換えなきゃいけないんよ!」
「それはなナマエ、貴様が幹部会の最中ずっと爆睡していたからだ」
「普通じゃん」
「今日は茶会の最終確認だっただろう」

第一、寝ていたいならば起きてからここに来ればよいものを。

「てかさてかさ、なんでカタクリさんもうお茶会の招待状まとめ終わってんの?」
「容易だ」
「ありえない!」

そうは言うが
折角、お前と二人きりになれたのだ。

「もたもたやっていられないだろう、俺は雑務なんかに時間を避かねェ」
「えぇ……海賊界の王子は、万国でも王子なのか……」
「俺は王子なのか?」
「みんなが言ってたよ」
「みんなとは何人だ」
「少なくとも私の知り合いの女性は全員」
「5人か、少ねェな」
「うっさい!」

事実だ。どうせ友人なんざ少ないだろうが。

「せいぜい2枚だよねー、こーいうの。期限が迫ってるなら尚更さ?」
「何枚書き直すんだ?」
「全部で56枚」

ぶつくさ言いながら、ナマエはペンを走らせる。なんだか、豚か熊かそんな飾りがついた物。その揺れている動物の頭は、書くときに邪魔じゃないのか。

「てか、カタクリさんコムギ島の仕事は?」
「今日はオフだ」
「なんて大臣!!」

年に、何回あるかわからない貴重な休み。
それが今日だった。

「え、てかカタクリさん、いいよ、帰りなよ」
「なぜだ」
「いや、折角のオフじゃん!お城でゆっくりできんじゃん!」
「まだ帰らねェ」
「……わぁ、人の善意を」

するとナマエは、バっとソファから立ち上がり、ペロス兄の机から白紙の紙を持ってきて、またドカっとソファに座った。

「カタクリさ〜ん、"ざんげ "ってこう?」

言いながら、彼女は豚か熊がぶら下がるペンで

 "籤悔" と書いた。

「……」

俺の洞察力に長けた視力が衰えていなければ、多分それだと『せんげ』……
いや『籤』という漢字を書けるだけでも、すばらしいこったな。

「"くじ"だろう、それだと」

まぁ
その気持ちはわからなくもないけどな。

「えー……じゃあ教えてよ」
「断る」
「えー!いじわる!」
「本棚から辞書を持ってきて自分で確認しろ」
「あ、なるほどねっ!」

ナマエは言われたそばから立ち上がり、本棚に向かって行って、「よいしょ」と辞書を取り、パラパラと捲る。なんでそこまでして"懺悔"にこだわるのか知らんが。

「………」

そもそも、どうして
そんなことを俺に質問するんだ。

「ナマエ」
「はーい?」

のんびりとした返事。
俺はそこに、特になんの感情も込めずに。

「そんな遠いところから俺に教わろうってのか」
「………」

ナマエは、驚いたように振り向いた。
そしてわけがわからない、そんな表情をした。
俺はソファの背もたれに背中を預け、胸の前で腕を組んだ。ナマエと目が合う。

「"懺悔"、わかったのか」
「え、いやその……文字が小さすぎて」
「馬鹿だな」

馬鹿だ。
バカだな。本当に。

俺は腕を組んだまま、人差し指をクイッと動かす。持ってこいの意志が伝わったらしく、小さく溜息を付いたナマエが、とぼとぼとソファに戻ってきて俺に辞書を指し出す。

ナマエから辞書を取って、テーブルに置くと、組んでいた腕を解いて目の前に置かれたままだった白い紙に文字を書く。
ナマエも教えてもらえるんだ、という期待からか、ストンとソファに腰を下ろし、それを見つめた。

文字を書いた。
ただし、"懺悔"ではない。

「………M?」

彼女は首を傾げた。
俺が紙に『M』と書いたからだろう。

「ママ?」
「あ?」
「ほら、ママはMでしょ、アルファベットだと」
「………」

俺がそんな唐突に、ママの話をするか。

「これは、お前だ」
「え?さすがに人間には見えないんだけど…」

ナマエはどうやら素でそんなことを言ってるらしい。

「カタクリさんって絵心ないね」なんて言ってるのが、クラッカーあたりだったら瞬殺で息の根を止めていたことだろう。

まぁ、そうだよな。
こんなとこで俺がおまえに、こんな話はしないよな。普通なら。

「ナマエ」
「うん?」
「人に何かを頼む時は、それなりの態度があるんじゃねぇのか」

努めて柔らかく言うと、
ナマエの動きが止まった。

「……なんの話?」
「しかも頼む時に、数分前はあんなに遠いとこから言うしな」

ナマエの言葉を無視して。
ナマエの顎を右手でクイッと掴み上げると、びくっと彼女の肩が震えた。

「え、カタクリさん……?」

瞳同士が出会う。
可哀相なくらい、揺れ始めたナマエの瞳。
ああ、悪くねェ。

「言ってみろ」
「え……」
「いま、もう一回ちゃんと」

ナマエはうろたえる。
そうだよな。なんで漢字を教えてもらうくらいで、そこまでしなきゃならねぇのかと、思うよな。

けれど、
折角、二人だけになれた。
こんなときに、チャンスを逃す奴は馬鹿だ。

さっきも言っただろう

『理性』は『本能』には勝てない、と。
たとえどんな状況であったとしても。


「言えないのか」

俺は顔を近づけて、ナマエの耳元で呟く。

「………っ!」

俺はナマエの耳に更に顔を近付ける。

「早く」
「……か、カタクリさん今日、おかしいよ?」
「お前はいつもの俺を知っているのか」
「……っ」

知らないよな。
そこまで仲良くねぇもんな、ダイフクやクラッカーと違って。

「俺はいつだってこうだ」

左手の人差し指で、ナマエの上半身の真ん中を、ゆっくりたどる。ナマエはぎゅっと目を瞑った。

「言わねェなら知らないぞ」
「………」
「……それとも」

震えるナマエの、耳元で囁く。

「されたいのか」

一気に赤くなる、ナマエの頬。

「…………」

ことごとく、
バカだな。

馬鹿だ。


『怖いけれど、』
『期待してしまう。』


ほらな、ナマエは『M』だ。

被虐趣味者。
被虐性愛者。
自己虐待者。
嗜虐的思考。

そんな性的倒錯。


「俺は」
「……は、はい」
「束縛が強い方だが、いいよな?」


頷いたおまえを合図に。
さあ、奪ってやる。





暴君の末路