口の中がからからの状態で、まだ眠っていたいけど、なにか飲まなきゃいけないなあ……とか、このまま眠れたらラッキーなんだけど……とか、散々迷いに迷って結局、身体を起こした。

頭がとても痛い。
ゆうべは、ペロスペローさんが遠征のお土産で買ってきてくれたワインを、みんなでホットワインにしてしこたま飲んだから、きっとそのせいに違いない。

みんなは海賊だから昔から飲み慣れているけど、私はいくら熱くてアルコールが飛ばされているからって、ワインをここまで飲んだことがなかった。あっても数えるくらいしかなかった。

水がほしいときょろきょろあたりを見回してみる。ここは、私の部屋ではなかった。
すぐにスイートシティの城内の仮眠室だ、と気がついた。

まだ夜が明けないうちらしく、静かすぎるほどしんとしている。
光といえば暖炉の底に残るとろ火だけなので、部屋の中は、その橙色に染まっている。

すでに、テーブルの上やいすに乱れはなく、みんながいた形跡はきれいに片付いていた。

すうっと息を大きく吸い込んだとき、清潔ないい匂いがふわりと顔の前に集まった。

枕元のスツールの上に、水差しとコップがあったので、遠慮なく手を伸ばしてごくごく飲んだ。なんという美味しさだろうと感動して、もう一杯飲んだけれど、二杯目はすでに普通の水の味しかしなかった。きっとお酒のなせる美味しさだったに違いない。

不意に、室内の奥の浴室から、ざーっと水を流す音がした。私はびっくりしてそちらに目をやった。誰かがいたのだ、この部屋に。わたし以外の他の誰かが。

ブリュレあたりだといいな、と思ったけど、状況からしてカタクリさんだろう。
入浴中らしく、さっき静かだったのは頭か体なんかを洗っていたから水を止めていたのだ。いまは継続してぱしゃぱしゃと聞こえてくる。

この隙に帰ろうか考えつつ、ベッドの居心地がとてもよかったため、もう一度眠ろうとシーツにくるまって寝転がった。

頭が痛い。
がんがんする。なのにお腹すいた……。


目をつむっているうちに再び眠りに就いていたようだが、時間はたぶん三十分も経っていないだろう。がちゃりと音がして目を開けると、たくさんの湯気をまとわせたカタクリさんが、ぴかぴかの照明の眩しい浴室から出てきた。

上半身は裸で、頭にタオルを引っかけている。
彼は、頭を下げてタオルで髪をごしごし擦ったあと、そのタオルを浴室に投げ入れた。

「起きたのか」
「おはようございます」
「………」

カタクリさんはシーツにくるまっている私を少し不愉快そうに睨み、暖炉のほうに歩いていって、薪をくべる。立ちあがって、手をぱんと払ってから、私のいる寝台のほうに向かってきた。

「水は。」
「あ、いただきました、ありがとうございました」
「………」

無言のまま、寝台のふちに彼が腰を下ろしたので、私の身体にも振動が伝わってくる。そして、それ以上に、彼が露骨に機嫌が悪いことも。

「あのー……みんなは？」
「見てのとおりだ、さっさとおまえと俺を残して出ていった」
「そうでしたか……」
「ペロス兄は、いくらなんでも深夜に俺とおまえを二人にするのは非常識だと言っていたが、おまえが吐いたのを片付けたあと、怒って帰っていった」
「え？は……なんて？吐いたとか聞こえましたけど……うそですよね？」
「女が吐くのを見たのは生まれて初めてだ」

カタクリさんは「できれば一生見たくはなかった」と言った。

「…………。う、うそですよね？」

あまりに衝撃的なことを言われ私はぽかんとしていた。そんなのうそに決まってる。だってそんな感じが全然しないし。記憶もないし、吐き気も全然しないし。

「信じられないなら信じなくていい」
「う……」
「だが今後誰も、おまえとホットワインを楽しもうとする奴はいないだろうな」

洗いたてのなめらかな髪がさらりと揺れる。
きらめく前髪の影は彼の顔をいつもより幼げにして見せた。

「うそ！わたし絶対そんなことしてないと思います、絶対絶対吐いてなんかない！そんなこと起こるわけないですよ！」
「おめでたいな。まあそう思いたいのもわからないでもない」
「……」
「俺なら死んでしまいたくなる」
「ああああああ……」

シーツに突っ伏してもだえ苦しんでいる私を無視して、カタクリさんは立ち上がり、別のところへ歩いていくのがわかった。

帰ってきたとき彼は、またおなじ寝台のふちに腰をおろして、持ってきたコップの水を一口飲んだ。

「じゃあ、あれも覚えていないのか」
「え？なんですか、まだなんかあるんですか！？」
「……、もういい」
「はいっ！？なんですかもういいって！」

呆れ果てたようにカタクリさんが目を細めてため息をつく。
整った顔に、神経質そうな眉ときりっとした瞳、長くて柔らかそうな睫毛、美しく整った鼻梁……。

昼間は、その青白い肌に日差しによる血の巡りを感じさせるが、それも暖炉の炎だけを頼りにした空間で、カタクリさんの姿は、ますます人間離れしているように見えた。

「なになに、なんなんですか？私なにやらかしたんですか？」
「いや。もういい」

つんとした態度に戦慄して私は死にたくなる。
もういいなんてわけがない。少なくともカタクリさんの態度から察するに、私は許されざる失態を演じたことは間違いなさそうだ。

「言って！言ってください、お願いします！じゃないと死にたくなるから！」
「どういう脅しだ」
「お願いお願い！ちょっとでいいですから！」
「言ったら余計死にたくなるんじゃないか、聞かないほうがいい」

カタクリさんは寝台から起き上がり、コップをテーブルに押しやった。
そしてまた戻ってきて、こんどは私の傍に腰を下ろす。そのときふわりと、石けんの清潔な匂いと、微かに甘い香りがした。いつも廊下などで通りすぎぎわ、微かに感じるカタクリさんの匂い。その正体はお風呂とドーナツの匂いだったのだ。

「どうしても聞きたいか」
「はい。」
「ここではまず言えないな、このまま飛び降りられたら面倒だ」
「え……」

そのレベルだとは想定していなかった。
自殺したくなるほどってどういうことだろう。

思わず怖気づく私の心情を機敏に読み取って、カタクリさんはふんと鼻で笑ったが、目は笑っていなかった。とてもこわい。

「やめておけ」
「……えっと……何系ですか？」
「は？」
「こう……吐いちゃった系？それとも暴れてなにか粗相を……」

自分の酒癖を把握していないので、とりあえず酔っぱらいの行動パターンを想定してみる。
だがカタクリさんは顔色一つ変えず、相変わらず凍てつく眼差しで私を眺め、静かに首を横に振った。

「え……。」
「違う」
「誰が被害に遭ったんですか？」
「俺だ」
「！！」

衝撃を受けてカタクリさんを見る。
カタクリさんの顔。いつもより精気ない雰囲気は、夜中のことで疲れているのか、不機嫌なのか、それとも私のやらかしたことに甚く傷ついているのか……。

場合によっては土下座して謝りたいが、カタクリさんは教えてくれそうにない。私は口ごもり、どうすればいいのか考えあぐねて、自分の服の裾を握りしめた。

「わかりました。明日なにやったのか、ブリュレに訊いてみます。」
「ブリュレは知らない」
「そうなんですか？じゃあ……」
「全員が帰ってからのことだ。俺しか知らねェ」
「えっ……」
「だからお前も忘れたほうがいい。なにもなかったんだ」

……なんですかその、まるで強姦でもされたみたいな言い草は。

「カタクリさんは忘れてくれるんですか？」
「そんなわけないだろう。一生覚えて逐一恨みに思ってやる」

ひーっ。
ぞーっとして私が自分の体を抱きしめると、カタクリさんは少し愉悦を感じたらしく、ふと笑った。けれどすぐに暗い無表情の手が彼の顔をさっと撫でていく。

斜めからこげ茶色の影を浴び、にぶくとろけるような光を半身に浴びた姿は、昼間見る彼とはまるで違っていた。いつも以上に大人の男のひとにも見えたし、髪が少し下りているから幼くも見える。どこか病的なその美しさが恐ろしい。

「そんなの私も忘れられるわけないじゃないですかぁ……」
「いや、おまえは大丈夫だろう」
「へ？」
「神経が図太いし、寝て起きたらさっぱり忘れているはずだ」
「私カタクリさんにそんなイメージ抱かれてるんだ……」
「……もう島に帰れ、俺はもう休みたい」
「え、でも……私ほんとになにしちゃったんですかね？カタクリさんの大切な物を壊したとかなら、多分弁償できないけど……でも何でもやりますので……」

カタクリさんは、てっきり「そりゃいいな」とにやりと笑いでもするのだろうと思った。だが表情を変えず、彼はため息交じりに「なんでも、か……」と言っただけだった。

「壊されたりはしてねェ。そういう問題じゃない」
「え……じゃあ」
「あることを告げられただけだ」

ぞく。
胃のほうから冷たいものが流れてきて、体温がすっと下がった。

暴言を吐いたとか、そういうことならば、カタクリさんももっと直接わたしに強く抗議してくるだろう。なんだかすごく嫌な予感がする。
これはよくない。絶対後悔する。

「……わたし帰りますね！さよなら！」
「ナマエ。」

寝台のふちから起き上がろうとすると、カタクリさんが私の肩を掴んで無理やり座らせた。
驚いてその横顔を見る。カタクリさんは私の肩に手を置いたまま、室内の光を眺めていた。
まるで美しい彫刻のようなその横顔は、ミステリアスで、なにを考えているのか、どういう状況なのか、見当もつかない。わからないということは恐怖につながりがちだ。
唾を飲んだら、必要以上にごくりと響いた。

「まあ待て」
「お腹が痛いんですぅ……」
「嘘をつくな。あんだけ吐いたんだから痛いもなにもないだろう」
「……」
「教えてやろうか」

美形だからこそ怖いのか。あるいはわざと私を怯えさせようとしているのか。

全身をこわばらせる私にカタクリさんはそっとその端正な顔を寄せる。切れ長の瞳が、いまでは光の錯覚でほとんど灰色に見える。長い睫毛の影が、彼の涙袋に長く伸びている。どこもかしこも、悔しいほど綺麗で、一瞬目を奪われる。

「カタクリさん……」
「おまえは俺の胸をかきむしった」

けれどもその顔は穏やかで、怒りを湛えているふうではなかった。だから余計に怖かった。爆発しそうで。爆発したら、私とカタクリさんは取り返しのつかないあやまちを犯してしまいそうな気がする。居心地のいい仲間という関係性を捨てることになるような。

「そして好きに弄ぶんだな、いい気なもんだ」
「………こわいです」
「教えてやる。おまえが俺になにを言ったか」
「やめて、聞きたくないです」
「おまえは麦わらが好きだと言ったんだ」


　あのね……わたし
　好きなひとがいるんです。
　麦わらのルフィが……。


頭の片隅で響いたその声は確かに私のもので、初めて聞いたのではなく、耳なじみのある、確かに一度口にした言葉だった。誰にも言ったことがなかったのに。

打ち明けられる仲間がこの万国にはいない。
あの万国を滅ぼし掛けた男の子を、遠くから見ているだけ。憧れだっただけなのに。

こんな形で知られてしまって、私はすっかり狼狽し、赤くなって蒼褪める。
カタクリさんは私の反応を見て、歯を食いしばったらしく、頬の筋肉をきゅっとこわばらせたのがストールの上からでもわかった。

「忘れろ」

低く物静かにカタクリさんの声が響く。

「あんな奴のことは」
「……」
「……おまえは勘違いをしているんだ」
「え……」
「新聞や町のものの噂に流されているだけだ。奴らの仲間ならそれもいいだろう、だがおまえは万国の住人で」

カタクリさんは私の肩から手を離し、自分の膝のところで両手の指を絡めた。

「それに……俺がいる」
「………」
「だから、忘れろ」
「………」
「………」
「………はい」

私が小さく肯く。カタクリさんはふっと息を吐いて、彼も肯いた。

諦めるし、忘れる。
そう約束したとき、冷たくて、苦しい、粘りつづけたいという気持ちが、私の胸にぶら下がり、そして……落ちていった。

どのみち、忘れなければいけなかった。
カタクリさんの言うとおり、彼の持つ伝説がなに一つなくとも好きだったかと問われれば自信がない。

はにかむような笑顔を垣間見るだけで幸せだったけれども。彼の活躍を耳にするだけで一日笑顔でいれたけれども。密かに町の人から彼を称える声を聞くと嬉しかったけれども……。

顔を上げてカタクリさんを見る。
私は、万国の住人だから、いい加減にしなければならない。

ワインを飲んで我を見失うくせに、そう新しく胸に刻みつけた決意が、私を少し大人にしたような気がした。
でも、苦くて、まだ酸っぱすぎるみたい。