天気は上々、風も文句無し。
空も海も真っ青で、雲と波とかもめが白かった。

甲板で今日の新聞の中に一緒に入っていた更新済みの手配書を眺めながら、航海日誌をつけているカタクリさんを横目に盗み見る。

時たま手を休め、溜息を吐いているのか、風の仕業か、首に巻かれたストールが揺れるリズムに合わせて私の胸もトクトクと微かに高鳴るのだ。

そして耳をすませば、波と風の音、そこにダイフクさんとクラッカーさんの喧嘩声が聞こえる。

大方、クラッカーさんが任務を適当にやり過ごそうとしていることへの言い争いといったところだろう。もうそろそろお昼だ。

ペロスペローさんは多分、反対側のデッキで紅茶を嗜んでいるだろうし、そうでなければカタクリさんと一緒で日誌を付けている。
ブリュレはきっと、新しい技の開発やら武器を作っているに違いない。プリンとスムージーさんは、読書に勤しんでいるだろう。

普段と何も変わらない、いつもと同じビックマム海賊団、いや、シャーロット家の航海だ。

「ふっ…」
「?どうした、ナマエ」

ひとり分開けた甲板のベンチの上、カタクリさんが不思議そうに私を見やる。

「いや、平和だなぁって…」
「海賊船に乗っていて平和とはな…」
「この船の上では私に何の危害も加わらないってわかってますから」
「……そうか」

カタクリさんの方を見ると、少し考えてるみたいな目をして、そのまま何も言わずに彼は視線を航海日誌に落とした。
目元にかかる影は色濃く、今日の日差しの強さを改めて知った。

「退屈か」
「え?…いや、そんなことは……」
「ダイフクらはあの通りだ、ブリュレは新技の開発だとかで部屋から出てこないからな」
「ああ、やっぱり?」

私はさっきの予想がぴたりと当たったので少し嬉しくなった。

空も海もやっぱり青いし、ダイフクさんたちはやっぱり喧嘩中だし、ブリュレはやっぱり開発だし、プリンとスムージーさんはやっぱり読書なのだ。

「カタクリさん、それ書き終わりました?」
「航海日誌か?」
「はい」
「今日の分はな」
「見てもいいですか?」
「……?ああ、」

一瞬戸惑っていたようにも見えたけれど、カタクリさんはパタンと日誌を閉じて、私にそれを受け渡す。

受け取った私は、1ページ目からじっくり目を通す。そしてとても丁寧にページを捲った。
かさりかさりと、一定のリズムを持って読み進めた。少し表紙が痛んできた日誌を見ると、随分長いこと書かれていたような気もするし、これから先のことを考えると、まだまだ短いのかなとも思う。

私が書物に真剣になっている姿はなかなか拝めるものではないのか、カタクリさんはここぞとばかりに私を凝視していた。
けれど、とても穏やかなその表情は、昔を懐かしんでいるようにも見える。

カタクリさんもよくこうやって日誌を見返すのだろうか。私と同じように感じるのかと考えたが、なんとなく聞くのはやめた。
不意に日誌を捲っていた私の手が止まる。

「……どうした」
「いや…、ここからここまでの日付が飛んでるから…」
「……」
「なにかあったかなあって考えてるんですが、思い出せなくて」
「貸してみろ」

カタクリさんにページを開いたまま航海日誌を返す。日付は、確かに飛んでいた。
1日、2日のものではないし、ましてカタクリさんが記録を怠るなんてないはずだと思った。
カタクリさんは、前後を確認しながら記憶をたどっているように見えた。

「ああ…」
「なんですか?」
「これは、お前が万国に現れた時期だ」
「え?」
「ママや他の幹部に遡って確認されぬよう書き記さなかった」
「え、……なんで……」

カタクリさんも思い出したようで、航海日誌を閉じて脇に置いた。
久々に聞く私とシャーロット家の面々が出会った時の出来事に、なぜか胸がちくりと痛んだ気がしてそっと自分の肩を撫でる。

大丈夫、いつも変わらない。
少し前に彫った、カタクリさんとお揃いの刺青があるだけ。

「あの時のお前は怯えていた」
「怖かったんですよ、ここどこ?みたいな…」
「まあ、そうだろうな…だが、過ぎたことだ」

遠い海の向こうを眺める彼の綺麗な横顔。
この人に私は、何度救われたことだろう。
きっと彼の心は海より広くて、深い。
人類はまだ、彼の心の底にまではたどり着けないだろう。

「私、覚えてるんです」

そういうと、カタクリさんは海から視線を外し、代わりに私を見た。私は臆することなく「覚えてます」と繰り返した。

「なにをだ」

天気は上々、風も文句無し。
空も海も真っ青で、波の香りが私とカタクリさんの間を過ぎていく。


 『安心しろ。俺がお前を守る』


出来るだけ、あのときの彼の口調を真似ようと努めた。それを聞いた彼は「それは、俺か?」と目を細めながら尋ねた後、目を伏せた。

「……言ったか、そんなこと」

そう問う。
私は至極まじめな顔で「言いました」と頷く。

「まあ、……それで?」
「でもその後、ダイフクさんに「俺らに何が出来る?」って聞かれて……」
「……」
「こう言いました」


 『俺になら出来る』


「さすが俺だな」
「えー?」
「……なんだ」
「そんなこと言うんですね、カタクリさんって」
「……たまにはな」
「ほんと、最高傑作ですね」

カタクリさんはきっと知らない。
あの頃から私がカタクリさんを想っているなんてことは。知られてなくても、それで構わない。

カタクリさんの傍に、
ずっとこうしていられるのならば。

「ママや他の幹部に遡って確認されないようにって……どうしてですか?」
「……」

カタクリさんは私からの質問を聞こえていないみたいな雰囲気で、腕と足を組んで目を瞑っている。

「カタクリさん、どうしてですか?」
「……」

しつこく問う私にカタクリさんは、舌を打ち鳴らしたそうな感じで目をゆっくりと開いて、眉間に皺を寄せた。

「おまえが追放されると困るからだ」
「え?」
「言ったままだ。それ以上でも以下でもねェ」
「……え、どういう……」

カタクリさんは私の方にゆっくりと顔を向けて突如、私はカタクリさんの鋭い瞳に射抜かれる。私は思わず言葉に詰まった。

「ナマエが大切だからだ」
「………え、」
「ここまで言っても分からない馬鹿には二度と言わねェ」

カタクリさんはプイッと顔を背けてしまった。
せっかく見つめ合っていたのにな……

「カタクリさん…」
「……なんだ」
「ずっと私を守ってくれますか」
「……」
「私、ずっとカタクリさんの傍にいたいです」
「ああ、約束する」

そうして私はあなたと、
運命をかけた契約をする。


「死ぬときは、
 カタクリさんの傍で……死にたいです」


こんな約束、正しくないのかもしれない。
でも私はもう、カタクリさん無しの世界じゃうまく呼吸すらできない気すらしている。

「馬鹿野郎」
「……?」
「ナマエが死ぬときは」
「……」
「俺も一緒だ」

冗談なんて、言わないで。
嘘だって、絶対に言わないで────

ぽろ、と一粒、目から涙がこぼれた。
それを拭おうとして、でも手が強い力で繋がれたことに気付く。代わりに、私はぎゅっと握り返した。

嘘なら、もうそれでもいい。
いまこの瞬間……この時間が、
止まってくれるのなら、それだけで────





君の愛してるはわかりづらい

君がいないと生きていけない