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これが“ゆめ”であると気付くのは、いつも同じタイミングだった。
カタクリさんが私の夢に出るようになったのは、つい最近で、それでいて突然のことだった。
私の部屋に彼を入れたことなんて一度も無いのに、カタクリさんはいつも慣れたように私の部屋でくつろいで、そして律儀にも玄関から帰っていく。
そして、彼を見送って、さぁ休憩しよう、──というところで毎朝、目が覚める。
これが夢であると気付くのは、カタクリさんと意思の疎通が出来た時だ。
カタクリさんは多くを語らない上に、どちらかと言えば感情があまり表に出ないタイプだ。
だから普段話していてもこれは楽しいのかな、とか、これは面白くないのかな、とか。
今怒ってるのかな、とか。そういう感情の機微を私はうまく捕えることができない。
カタクリさんには、私の思っていることなんて、ほとんど筒抜けてしまうのに。
……だけど。
カタクリさんが私の部屋に来て、そしてふとした瞬間に私が、善意でやったことが彼の心臓に触れて。そしてその表情が僅かに緩められたとき。
「ああこれはゆめなんだな」
と、私は気付いてしまう。
夢であることが残念な訳ではないのだけれど。
このカタクリさんが、現実には居ないカタクリさんなのだと思わされるようで、何だか釈然としないのだ。
私はいつものカタクリさんだって好きだ。
そりゃ、優しいに越したことはないけれど、カタクリさんはこんなふうにならなくたって、私にとっては十二分に優しい人間であったから。
カタクリさんと私は、端から見たらおかしな関係だったと思う。
そもそもの出会いは、私がこの万国に転生した日にカタクリさんの電伝虫を拾ってしまったところから始まる。
カタクリさんはしっかり者なのに、どこか少し抜けていて、ジャケットの内側に入れておけばいい電伝虫は、いつだってズボンの後ろポケットに収められていた。
それを私が何度注意したって直らなかった。
彼的には、そこに入っているのが落ち着くのだというけれど、落としてしまっては元も子もないと、今も昔も私は思う。
万国に降り立った日、誘惑の森で島民に助けられた。
“来るもの拒まず”をモットーとしているこの国で、私は一般の島民としてこの国に住むことにした。
人の良さそうな島民たちに、私はこれから先のこの万国での生活に、安心したのち、微かに胸を躍らせていたのだ。
私を助けてくれた島民の暮らしている島でお世話になる事となり、そのショコラタウンに向かうための船の出航時間まで随分と時間があったので、スイートシティ内で時間を潰してた。
見慣れない景色を歩いていると、背が抜きん出ている人が目の前を横切った。
その歩き方や雰囲気が、何だか妙に浮いていて、私は思わず視界の端で追ってしまったのだけれど、言わずもがな、それがカタクリさんだった。
比較的、恰幅のいい男性が、カタクリさんにぶつかったのを覚えている。
今思えば、カタクリさんが前方不注意をするなんて有り得ないことだし、きっと相手がよそ見をしていてぶつかられたのだろう。
その証拠に、相手の男性は何度も頭を下げていた。カタクリさんは「大丈夫だ」と、短く言って手を翳していた。
私はそのとき、カタクリさんの後ろポケットから、何かが落ちるのが見えて、その二人のやり取りをきちんと見ていなかったのだけれど。
謝り続ける男性を余所に、カタクリさんが帰ってしまおうとしたから、私はカタツムリの形をしたそれを拾い上げて、慌てて追いかけた。
「あの、これ!落としましたよ!」
追いかけた私が、ジャケットの裾を掴んで引きとめた時、カタクリさんが男性に衝突された時よりも、面倒くさそうな顔をしたのを私はよく覚えている。
私と、私の差し出しているものを見比べて、自身のズボンのポケットを確認したカタクリさんは
「すまない」
と、一つ謝罪を入れてから、私の手の中のものを抜きとる。
この謝罪は「ありがとう」というより、「確認させてもらう」と、いう意味合いだったのだろう。
カタクリさんは、手慣れた手つきで、壊れていないか確かめるように操作すると、その顔を少しだけ顰めて「……すまなかった」と、もう一度私に謝った。
「これは……どこに落ちていた」
「さっき、男性とぶつかってましたよね?」
「……」
「その時に、何か落としたようだったので…拾っておきました」
「……そうか」
「私も呼び止めるためとは言え、急に裾を掴んでしまってすみませんでした」
「ああ……構わない。それより、何かお礼をしなくてはな」
「お礼?」
「ああ。お前に迷惑をかけてしまった、何かお返しをしないと」
「えっ……!?別に良いですよ!気にしないでください!」
私としては、そんなつもりなんて無かったし、全く知らない人に急にお礼と言われても、と食い下がったのだが、カタクリさんはそれを許してはくれなかった。
数十万ベリー?もするアクセサリーや、バッグを送らせて欲しいと言われた時は、どうしようかと思ったが、あまりに私が渋るので、食事をごちそうしてもらうことになった。
私としては、それすら本来ならご遠慮願いたかったのだけど、カタクリさんの雰囲気がそれを許してはくれなかった。
スイートシティ内の、大きな鏡の入り口の先にあるらしいミロワールドという所に案内された。食事はとても美味しかった。
食事を奢ってもらうのに、いつまでたっても彼のことを「あの」とか、「その」とか言うのは流石に失礼だと思ったので、名前もこの時に教えてもらった。
シャーロット・カタクリさん。
──いきなり下の名前を呼ぶのはどこか違うし、顔つきが酷く大人っぽくて、何歳だか想像がつかなかったので「シャーロットさん」と、呼ばせてもらっていたのだが、暫くして「何だかお前にそう呼ばれるのは虫唾が走る」と、暴言まがいの発言をかまされ「カタクリさん」に改められた。
カタクリさん、と呼んだ時、カタクリさんは私が「シャーロットさん」と呼んだときよりも嫌悪感をむき出しにして、苦虫を噛み砕くレベルの顔をしていたけれど、私はなんだかそれが楽しかった。
それが楽しくて、気付けば奇妙な関係は一年近く続いていた。
カタクリさんとは頻繁に会うわけではなかった。
スイートシティでの一件、食事に行った後日、私がまたスイートシティに足を運んだ際、カタクリさんが、再び電伝虫を落とす現場に遭遇してしまい、前回のように拾って届けたところ、またもや食事をごちそうになり。なんだかんだで、私の電伝虫の連絡先を交換するに至ったのだけれど。
カタクリさんは元々社交的な人間ではなかったらしく、連絡が来ることはほとんどと言ってなかった。
時折、「今何をしている」と言った、簡素な電話が掛かってきて、それに対してどれだけ面白い返答を出来るかというのが、私のマイブームになっていた。
私の返答に対してのリアクションは、カタクリさんからは特になかったけれど、それでも数日経てばまた「何をしている」と、似たような電話が掛かってくるので、彼も何だかんだで楽しんでくれてたんじゃないかと思う。
その酷くどうでもいい電話のきっかけが無くなってしまったのは、つい最近の事だ。
そして、その連絡手段が途切れると同時に、カタクリさんは私の夢に現れるようになった。
夢の中のカタクリさんは、本物のカタクリさんより少し饒舌だ。これも私が望んだカタクリさんなのかと考えると気持ち悪い。
今日だって、眠りに付いた私の夢に一番に出てきて、慣れた様子で部屋に上がり込むと「この部屋にドーナツはねえのか」とか、「もっと良いインテリアを買え」だとか、いちいちうるさい。
確かに、以前一度だけお邪魔させてもらったカタクリさんの住むお城は、凄く大きくてお洒落だったけれど、それを私に求めないでくれと言いたかった。
カタクリさんは、一通り私の部屋を物色すると、こちらに視線を向けぬまま言い放つ。
「ナマエ、今日はもう飯は食べたのか?」
でも、今日の夢は、いつもと少し違っていた。
夢の中のカタクリさんは私に「質問」をしない。だから、少しだけ焦った。
「まだですけど……」
なんだかそれが怖く感じたけれど、咄嗟に返す。
「そうか。良かった。じゃあ少し出かけよう」
「え……?」
──これも、初めてだった。
いつも夢の中でのカタクリさんと私の行動範囲は、この部屋の中だけだったから。
どきり、と。
心臓が震えて鼓膜を叩く。
「最近なにをしていたのかなど、聞きたいこともある」
カタクリさんが夢に出てくる回数が増えて、私はカタクリさんと会うたびに、これは夢なのだと理解する速度が早くなっていった。
それはカタクリさんが、少しずつ表情や感情を出してくれるようになって、私との意思疎通が、徐々にスムーズになっていったせいもあるかも知れない。
だからなのか。
これは夢だと分かっていても、
どうしても泣きだしたくなった。
こんな気分になったことなんて一度もなかったのに。
カタクリさんのその言葉を聞いて、私は泣きだしたくて仕方が無かった。
「……私も。私も話したいこと、いっぱいあります」
「それは楽しみだな」
夢の中の私たちの格好は、いつも初めて会った時と同じ姿だった。
いつも同じ服装で少し滑稽だったけれど、こうしてこの部屋から出ることになるとは思っても居なかったから、むしろ都合がよかったのかもしれない。
いつもの桃色の刺青の入った腕が、ドアノブを捻ると同時に、開けられた自室のドアからもれる風が私の肌を撫でる。
現実では、もうすぐ春が来ると言うのに、夢の中は酷く寒い夜だった。
部屋を出て、前を歩くカタクリさんを追いかけるようにして私も歩く。少し早歩きをして横に並べば、楽しそうに目を細めるカタクリさんが「もう電伝虫は落とさねぇから安心しろ」だなんて、冗談を言うから私は困った。
かつり、かつり。
私の歩みと同時に、履き慣れた靴がコンクリートを刺激する。
「ねえカタクリさん。」
「……ん?」
「落としてもいいですよ、私何回だって拾いますから」
震える声で、頑張ってそう返せば、カタクリさんは歩みを止めて押し黙る。
「……。壊れていたら、捨ててくれて構わない」
小さな声で呟いたカタクリさんが、また大きな歩幅で歩きだすから、私は遅れてまた後を追いかける。
咄嗟の言葉に、カタクリさんの顔を見上げたけれど、その表情はいつも通りで。私は酷く不安になった。
どうして今日の夢は、こんなに悲しいんだろう。
ずっと、泣きそうで、
つらくて、どうしようもなかった。
カタクリさんが笑ったり、やさしかったり。
それでも、どうして私は楽しくないんだろう。
「……壊れていたら、直して届けますよ」
私の呟きは届いていたかは分からない。
数歩前を歩くカタクリさんからの返事は無かった。
すたすたと歩みを進めるカタクリさんと、俯きながらそれについていく私との間に、会話は無かった。
暫くして、どれほど歩いたか分からないくらいの時間が経ったとき、不意に立ち止まったカタクリさんが「ここだ」と、一言私に投げて寄こした。
ふと顔を見上げてを見れば、彼の背後にそびえたつ大きな鏡に、思わず目を見開く。
「ミロワールド……」
「ナマエとまた、ここで食事をしたかった……突然すぎたか」
「いえ……。……でも今日は奢ってもらう理由はありませんよ?」
「気にするな。俺が連れてきたいと思っただけだ」
そう言って、鏡を見つめながら感慨深い憂いた表情をするカタクリさんに、私は返す言葉がなかった。その横顔をもう一度確かめ見て、私はふと目線を下ろす。
「カタクリさん、カタクリさん今日ずっとそればっかりですね」
私はカタクリさんに触れない。
だってこれは夢だから。
カタクリさんも、私には触れない。
だってこれは夢だから。
その距離感で満足していたのに、それでもカタクリさんがそんな顔ばかりするから。今ばっかりはその顔を叩いてやりたくなった。
──だって、どうして、
そんな寂しそうな顔をして笑うの。
私はその顔を見るたびに、
どうしようもない気持ちになるよ。
もう会えないんじゃないかって。
カタクリさんが“そういう決意”をしているんじゃないかって。そんな気持ちになるよ。
勝手だよ、勝手すぎるよ、カタクリさん。
胸を締め付ける何かをぐっと堪えて、私より遥かに高い位置にあるカタクリさんの瞳を見つめ直すと、私は息を吐いて笑った。
「カタクリさん。もう会えないんですか?」
私の質問はおかしなところだらけだな、と自分でも思う。本人を目の前にして言うことでないのは理解していた。それでも口から勝手に出て行ってしまったのだ。
カタクリさんは私の問いかけに、こちらに顔を向けると、困ったように僅かに眉尻を下げて目を細める。
「カタクリさん。どこ行っちゃったんですか?」
「……ナマエ」
私のわがままばかりの言葉を咎めるように、一つ、名前を呼ばれる。
「たまには電伝虫鳴らしてくださいよ。私の返答面白くなかったですか?」
「……」
「あれでも結構頑張ってたんだけどなあ……」
「……」
「お菓子の戸棚だって置く。私もドーナツ作るから、だから、」
「……」
どんどんと早口になっていく私とは対照的に、口数が減っていくカタクリさんは、なんとも言えない表情で私を見ていた。
悲しそうな、つらそうな、
それでいてどこか嬉しそうな、なんとも形容しがたい表情だった。
「……カタクリさん」
「…………」
「カタクリさん。……もう、会えないの?」
きっと、私は今すごく情けない顔をしていると思う。カタクリさんの名前を呼ぶ度に、心の中をいろんな感情がせり上がって、瞼から溢れる。
夢の中なのに、頬を伝う雫の感触がリアルに感じられて、抑えようと思えば思うほどに、それは私の体の中から流れて出ていく。
「ナマエ」
ゆっくりとしゃがみ込んだカタクリさんが、優しい声で、私の名前を呼んで。その声と同じ優しい手つきで私の涙をぬぐう。
「俺のためになど……泣かないほうがいい」
そんな事を言って。
……ねえカタクリさん。
これは夢なんだよ。
私に触っちゃ駄目だよ。ねえカタクリさん。
触ってしまったらきっと、夢の中で二度と会えなくなってしまうと、私は心のどこかで気付いていたのかも知れない。
それでも、その冷たい手が私の目尻に触れるたびに、心が跳ねていくのを感じて。思いとは裏腹に涙は零れて行ってしまう。
「俺のわがままだった」
「……」
「……今日も。本当は会わない方が良かった」
私から手を離したカタクリさんが、そのままその手をぐっと握りしめて呟く。
「……そんなことない」
「夢の中でも、お前に会えたら幸せだった。自分のことしか考えてなかったのかも知れねェな」
「……」
「不安にさせてしまっていたことに気が付けなかった」
「カタクリさん、」
おかしいよ。どうしてそんなこと言うの。
まるで、まるで本当にもう会えないみたいに。
これは夢なんだよね? ねえカタクリさん。
馬鹿みたいな私のそんな思いも、カタクリさんにはお見通しなのか、目を伏せて「すまない」と零した。
──まるで、最初に会った時のように
カタクリさんは私に言う。
「ナマエ。俺はお前に出会えて幸せだった」
「……」
「あの時、拾ってもらったのは俺だったんだな」
衣擦れの音が、辺りに響く。
それくらい、静かな夜だった。
「カタクリさん、」
私の声にカタクリさんはストールの下で、また笑う。
なんだか今日は、カタクリさんの新しい一面ばかりに触れたような気がする、と、妙に冷静な頭でそんな事を考えた。
逃げ出してしまいたい思いだった。
このまま、カタクリさんと、どこか遠くへ行ってしまいたい気分だった。
「生まれ変わっても、また拾ってくれ」
「生まれ、変わっても……?」
カタクリさんの不吉な言葉に、私は途端に焦る。どうしてそんな事言うの。そう続けたかった言葉は、カタクリさんの言葉にかき消される。
きっと。
カタクリさんは、私の言いたいことなんて分かっていたのだろうと思う。
だからわざと言わせないように。
これ以上、何も聞かれないように。
「ああ。きっとお前なら俺を見つけられるだろう」
言葉を続けたカタクリさんは、見たこともないくらい酷く嬉しそうな顔で笑っていた。
(カタクリさん、どういうこと、待って──)
その言葉を最後に、カタクリさんは私の夢から姿を消して、私は夢から目覚めた。