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カタクリさんに、珍しくホールケーキシャトーへ呼ばれた。

普段はどこか落ち着けるところへ行こうと高級レストランや、高級ホテルを予約してしまうから、中々こういう機会には恵まれていなかった。

落ち着けるところ──に、ホールケーキ城の自室が入っていないのだろうか、そんなことを聞く勇気もないままに私は、カタクリさんに連れられるがまま、いつも美味しい食事や夜景を堪能していたけれど、心のどこかでは、心臓にぽっかり穴が開くような、そんな言いようのない空虚感を感じていた。

カタクリさんは……
どれだけ美味しい料理を食べていても、一面に広がる星空のような夜景を眺めていても、感動することがないのかなぁ……。

仏頂面。ストールに閉ざされた唇。
不機嫌というか、無機質というか……。

ディナーのときも、私がつたないテーブルマナーで料理と格闘しているのを、じいっと瞳を細めて見つめている。
何を言うでもなく、ただじーっと。

それに少しだけ気恥かしくなって「見ないでください」と反抗すれば、細めていた瞳をもっと細めて「見ていない」と、不機嫌そうに言い放つ。

視線は逸らさないまま、いつ料理に手を付けるのかな、とこちらが見返せば、何事も無かったかのように食事を始める。口元を出さずに食べるのが上手で、つい見入ってしまう。

……うまく言えないけれど、
私ばっかり楽しいんじゃないだろうか……
声にせずとも、いつも、そう思っていた。

十二月が間近に迫り、すっかり冬の匂いに包まれていた。気の速い万国の島民はもう、店先にクリスマスツリーを飾っている。金色に光るてっぺんの星を見て、逸る気持ちを抑えるように悴む手を擦り合わせる。

スイートシティ内は、人の緩やかな波があった。行きかう人を眺めていれば皆、つむじからつま先までを覆うようにして防寒具の類を身につけていて……きらきらと反射する建物の窓に映り込んだ自分の、冬色のコートと合わせるように選んだワンピースの下、薄手のタイツをはいてきたその足が、やけに寒く見えるようだった。

『いま、ホールケーキ城へ向かってます、あと十分ほどで着くと思います。』

電伝虫の留守電にそう残すと、間もなくして電伝虫が着信を知らせる。

相手を確認せずにそれを受け取れば、呆れたようなため息が一度、まるで耳元でささやかれているかのように吐き出される。

『……ちゃんと、相手を確認しろ』
「ごめんなさい。カタクリさんだと思ったので……」
『そうであっても……だ。違う奴だったらどうするつもりだった』
「……ごめんなさい」

カタクリさんは、忙しい中でも私の留守電には、すぐに折り返す癖がある。兄弟曰く、そんなことは私にしかしないのだと言う。
それでもカタクリさんの声を少しでも長く聞いていたい私としては、それは嬉しいものだった。

案の定、私の留守電を聞いて、すぐに電話をしてくれたのだろう、着信の相手はカタクリさんだったのだけど、当の本人は納得のいかない様子で私の言葉を優しく遮ると、小さくため息を漏らす。

その間接的に届く吐息に、耳がくすぐったくなるような感覚に襲われて曖昧に謝ることしか出来ないでいると、電伝虫の向こうでカタクリさんがゆっくりと動く気配に、自然と私の背筋も伸びる。

『…………いま、どの辺りだ、お前のことだ。今日もあまり厚着はしていないのだろう』
「…………はい、えっとー……」
『少しでも早く中に入った方がいい。着いたらホールケーキ城の中で待っていろ、迎えに行く』
「…………」
『門番に伝えておく、大丈夫だ』

回数こそ多くはないけれど。今までも、何度か足を踏み入れたことのあるホールケーキ城。アンティーク調の、それこそモダンな雰囲気の香る家具と、色味のない小物の整理の行き届いたアンバランスさに、「気品高いなあ」と思った記憶がある。

カタクリさんは、華やかで、しなやかで、それでいて透明な人だと私は思っていた。こちらがいくら色を付けようと必死になっても、何もかも飲み込んで、何もかも「無い」ように扱ってしまう。

無色透明ではなく──透明。
濁りがあって、微かに淀みもある。
それでも、それが何色なのかは、私たちには分からない。壁というには薄く、膜というには厚く……。

私が「好き」、と胸中に隠し持っていた思いを告げてしまった時、その膜がぶよぶよと波打つのが見えた気がした。そのとき、「ああこの人も生きていたんだなぁ」と当たり前のことを思って、私は答えを聞く前にも関わらず、酷く焦燥したのを覚えている。

きっといつまでも、その奥へ触れることはないのだろうな、と直感的に思ってしまったからだ。

……それでも、
それは私の勝手な勘違いだった。

きっと一度きりだろうと思った、決死の告白。
刹那の空白のあと、返事の前に抱き寄せられて──強く、強く、抱きしめられて。

── そうか。

彼は、はい、とも、いいえともとれるような返事を一つこぼして。

……あのとき。
カタクリさんは私に確かに縋りついていた。

それに、嬉しいとか、好きだ、とか。
そんな気持ちが膨れ上がる前に、私は泣きたくなってたまらなくなってしまって、ただただ無言を繰り返すばかりだったけれど。

この人は、悲しくて、そしてなんて愛おしい人なのだろう──と、そう思ったら心臓が叫んで仕方なかったのだ。

『……、またあとで』
「……はい。それじゃ」

電伝虫の先で、カタクリさんはいま、どんな顔をしているのだろうと思い浮かべる。私のように、情けない顔で笑っているのだろうか。
唇を尖らせて、いつものようにつまらなそうに眉をしかめているだろうか。

私は、こんな何気ないことでも、凄く……凄く楽しいんです……

── 彼の顔を思い浮かべるだけで。
その透明に身を委ねるだけで。




電話が終わった後に、ふう、と溜め息を吐いてまた歩き出す。ここからホールケーキ城までは、歩いて五分もかからない。

容赦のない夜風に吹かれて、改めてその寒さを肌で感じ、カタクリさんに会うとは言え、お洒落を優先する前に、もう少し防寒対策をするべきだったなぁ……と思いつつも、これからカタクリさんに会えるのだからと、早々にその気持ちを切り替える。

港に降りたときはそれほど気にならなかったけれど、すっかり辺りも暗くなってしまっている。夕方と夜の境目を越えたのだろうか、月が顔を出しそうな夜空に、なんとなく、彼の無機質な横顔を重ね合わせながら歩いた。

ホールケーキ城に着いて、私の顔を見るなり門番の方が扉を開け放った。


「ナマエ」


── どこからか名前を呼ばれ、すぼめていた首を伸ばして顔を上げる。

視線を少し前へと向ければ、ホールケーキ城の開け放たれた門の先に、クリスタルの滴の飾りのついた天井ランプの灯る広々としたフロア、ぼんやりと照らされて彼が見えた。

「カタクリさん……」
「もうすっかり日も落ちている。本当は港まで迎えにいければ良かったんだが……」

ランプの光が届く位置まで足を進めてから立ち止れば、目の前で寒そうな素振りすら見せない悠然とした態度のいつものカタクリさんが、目を伏せて言う。

あずき色の髪の毛が、暖色の光に照らされて眩しく感じられる。普段よりもいくらか若く見える様相に、胸がやんわりと締め付けられる感覚がした。

「でも、お仕事が忙しかったんですよね?」
「ああ。なるべく後回しに出来るものは流していたんだが……」

問いながら、前述の、迎えに行ければ──という言葉を思い出して、自分の頬が緩むのが分かる。

「……終わりました?」
「…………まあ、な」
「はは、お疲れ様です」
「……ああ」

私の言葉に一つだけ頷くと、カタクリさんはやっと隠された唇から、白い吐息をこぼした。

カタクリさんに会えてすっかり体の火照る私とは相反して、室内から出てきて待ってくれていたであろう彼はいくらか寒く感じるのだろうか……、そう思っていると、カタクリさんはそのまま口を結んで、私の体を上から下までじっと眺めてから、一拍置いてぽつりと呟いた。

──立ち話も何だ、部屋へ戻ろう。

言葉と同時に、隙の無い動作で歩き出す。
けれども立ち止まったままの私に、カタクリさんがどうした、と振り返って立ち止まる。

かわいい……とか、言ってくれるかも、って、そんなわけないのに……

ちょっとだけ期待していた自分を誤魔化すように、その視線から目を逸らしてしまう私のつむじに、カタクリさんの鋭い視線がずぶりと突き刺さったように感じた。

長い長いエレベーターでの上昇のあと、辿り着いたカタクリさん専用の自室は、入り口前まで暖房が行き届いているのか、外の寒さは微塵も感じられない。その和らげな熱のお陰もあり、室内では必要の無くなってしまったコートを脱いで腕にかけていると、カタクリさんが私のコートを持ち上げ、形が崩れないようにとハンガーにかけて壁に吊るす。

生活音も響かない広々とした室内。カタクリさんに促されるようにして更に奥の扉の先にある部屋へ促される。

カタクリさんは、私とお付き合いするようになってから、この部屋を仕事だけでなく、プライベートでも使うようになったらしい。以前はこの部屋にもオフィス顔負けの程に、整理された資料が格納されていたと聞かされたときは、まるでその面影を感じられない今の静寂さに驚いたほどだった。

そしてカタクリさんが、自分のエリアに私を入れてくれようとして、そういった配慮を施してくれたことが、何よりも嬉しくて……。

カタクリさんがオン・オフを兼用しているこの空間は、通常応接間として使われているソファや、まるで使用感のない奥の部屋にあるキッチン、ガラス張りのバスルームなどの他にも部屋が沢山ある。

高級なお城の造りというものを理解しているわけではないから、この世界ではこれが一般的なのだと私は思っているのだけれど、今まで何度か訪れたことのある私でさえ、そのすべてを把握出来ていないくらいには、無造作に扉が配置されている。

けれども私が初めて来た時、カタクリさんは丁寧に一部屋一部屋を紹介してくれたから、きっと私の知らない部屋は、知る必要もないのだろう。

通された奥の部屋は、扉を開いたときに人が通ると自動で室内灯がつくセンサーがあるらしく、一歩早くその部屋へと入ったカタクリさんに反応するようにして、天井の中央にあるシャンデリアがその身を光らせ、私を出迎えてくれる。

次いで、磨き上げられた大理石のお洒落なカウンターキッチンと、大きな窓が、勿体ないくらいの勢いで視界に飛び込んでくるのだ。

その自分の部屋とは似ても似つかぬ景色と、部屋から香るカタクリさんのいつもの匂いに、部屋に入ってなお、恥ずかしくなりそこから歩みあぐねる私に、カタクリさんはふっと笑うと、私を豪華なソファへと座らせて、キッチンの方へと歩いて行ってしまう。

とくとくと忙しなく動く心臓を押さえながら、その後ろ姿を眺めるようにして平常心を取り戻そうと深呼吸していると、冷蔵庫横のワインセラーからコルクスクリューと赤ワインを一本取り出したカタクリさんが、カウンターキッチンからグラスを攫いこちらへ戻ってくる。

そうして、ソファと同じ作りのテーブルを挟んで向かい合う形で、自身も腰を下ろすと、私に目配せをしてから、慣れた手つきでコルクを外した。

きゅ、とコルクの擦れる音のあと、緩衝された小さな音が耳を掠める。

「ペロス兄に選んで貰った。ナマエと、一緒に飲むといいだろう……と」
「……そうだったんですか」
「だが……言われなくとも、そのつもりでいた」

吐息混じりの、低くて冷たい声と一緒に、曇りひとつないグラスに、赤い滴が注がれていく。

光に照らされたワインが、中心から側面に向かうに連れて透明度を増していくさまを見つめるフリをして、グラス越しに覗きこんだカタクリさんの、自身の手元に注目したために、僅かに伏せられた目元が、形容しがたいほど慈愛に満ちていて、私は人知れずまた恥ずかしくなってしまう。

──彼は今、なにを考えているのだろう。
ペロスペローさんのこと……?それとも……

そんなことを思ってしまえば、まだ、ワインには口を付けていないというのに、なんだか、酔った気分になるように、ふらふらと熱を帯びた脳が上手く働いていない気さえしてくる。

──カタクリさんの愛情表現は、いつだって突拍子がない。

私のことをちゃんと好いてくれているのだろうな、ということは、こうして自室に呼んでくれたり、すぐに連絡を返してくれたりしたときに十分に感じられる。それでも、「そういう」のではなくて、カタクリさんの、彼独特の、そっけない愛情というか、そう言ったものはいつだって突然私に降り注ぐ。

それでいて、こういうときにそれを確認しようとしたら、きっとカタクリさんはまた、あのつまらない顔になってしまうんだろう。

自分のことかどうか、なんて稚拙な質問は、きっと望んでいない。彼は与えただけで満足してしまう人間だから、私がそれを確認して、なんとかして形にして返したいと思う前に、また私を愛してくれてしまう。

告白して、結ばれて。
私は凄く幸せで、でも、それは、
嬉しくて、とても悲しくて、不安だった。

カタクリさんは、それで楽しいのだろうか、私と同じように幸せなのだろうか──

そう思っているうちに、自然に口を噤んでしまって、ひとり情けない気持ちに陥ってしまうのだ。