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“お前は不法入国者で、運良く兄貴たちの庇護があるからこそこうして……”

クラッカーさんの言葉と声を蘇らせて、私は、そうだな、と思う。実際、彼の言うとおりだ。

カタクリさんやぺスペローさん、ほかにも知らず知らずのうちに色んな人が助けてくれて、今はなんの苦労もなく、ここ、万国で生きている。

その恩に報いることも出来ずにいる自分を省みると、クラッカーさんが私を虚無の瞳で見ていた理由がわかる気がした。

「元気がねえな」

カタクリさんが真正面から私を眺めている。
紅茶を片手に、テーブルをはさんで談笑しているが、カタクリさんは出されたケーキに手をつけていない。

風が出てきた。雲がぐんぐんと動いている。
城の中庭では、新しいテーブルや椅子の設置がされている最中だった。全ての家具にペロスペローさんの飴細工が敷き詰められていて、気品高く見えて、けれどどこか威圧感がある。
塵一つ見逃さず全てに人の手が加えられた計算された調和が、圧倒的な権力を思わせる。美しいが、ときどき薄ら寒くなる。

「いえ、元気ならいっぱいあるんですけど。カタクリさんには本当にお世話になっているなぁって」
「なんだ、どうした?急にしおらしくなりやがって」
「あはは…」
「礼ならいくらでも聞くがな」

カタクリさんはふふ、と笑った。
彼は頭を遣う人特有の暗い瞳をしている。優しさと生真面目さに疲れを感じさせる。そこに私はぶらさがっていたんだな、と思った。ありがたくて、手に持っていたコーヒーを見下ろして、すこしだけ、泣きそうになった。

「私、ほんと運がよかったです。ラッキーでした。プリンやカタクリさんをはじめ、色んな人に助けてもらって」

カタクリさんは眉を動かして、思わしげに私を見た。

「なにかあったのか」

へらへら笑う私に、カタクリさんは真面目な顔をしている。見透かされているような気がして、つい顔がこわばった。

「いえ。全然。人に恵まれたなぁと思って」
「……お前が色んな人に助けられたのは、お前の努力が切り開いたものだと思うがな」
「そんなことないと思いますよ」
「お前が頑張っていて、それを助けてやりたいと周りに思わせたからだろ。お前の努力が色んな奴を惹きつけただけだ」

カタクリさんはそう言い終えてから、目だけでうっすらと笑った。温かい目をした、という表現がしっくりくる。でも眼差しに彼独特の配慮が見受けられた。

カタクリさんの言葉を脳裏に巡らせながら、クラッカーさんの孤独な横顔を想った。……では、クラッカーさんは、誰かに努力を報いてもらったことがあったのだろうか。……助けてくれて、守ってくれる人が、彼にもあるのだろうか。胸が、痛い。

「ありがとうございます。……カタクリさんはいつも私を勇気づけてくれますね」

かちりと音がした。
カタクリさんが、カップをテーブルに置く音だ。

「おまえだからだろう」
「え?」

彼は微かにうつむいた。いかつい眉弓骨の下で、なめらかな目蓋が伏せられる。顔を上げ、無言の横顔で。

「おまえだからだ」

静かに滑らかな起伏をつけて、カタクリさんが言う。
思いもよらぬ言葉だった。私が何も言えず黙り込んでいるのを、彼は目を細めて眺めていた。
そして、背を向けて幹部室から立ち去った。




―




あれから、クラッカーさんとは何度か接触した。カタクリさんを含めて三人で飲みに行ったし、幹部室で鉢合わせたりもした。二人きりで、食事もしたし、一度だけ昼に街でランチを共にした。そのとき、どうしても会わずにはおけない気がしたから。そのとき食べたいちごパフェ。沈黙が苦しくて、噛んでも噛んでも、味がしなかった。

クラッカーさんは、優しい人ではないけれど、私に優しくしようと努力してくれる。
いつもむすっとしているのに、私がほかのことに夢中になっていると、ふと、穏やかな顔をしている。そして、目が合うと、たちまち顔をしかめた。

クラッカーさん。
とても冷え込んだ寒い夜、彼が突然うちに来た。

「どうしたの?なにがあったの?」
「いや……」

玄関口で、立ったままクラッカーさんが顔を曇らせる。思わず、心配になってその頬に手を伸ばすと、かわいそうに、氷のように冷え切っていた。

クラッカーさんは、私の手に手を重ねて、ぎゅっと目を閉じる。指先も、しっとりと冷えていた。硬く張り詰めていて、頬らしき柔らかさなど微塵もない。
そうしなければならない気がして、私は恐る恐るクラッカーさんの腰に腕を回した。彼からは、やっぱりビスケットのような香ばしい匂いがする。

ゆっくり抱きしめたら、クラッカーさんも、そろりと私の背に腕を回して、ぎゅっと力を込めた。

どのくらいそうしていたのかはわからない。
ほんの数分のことだろう。彼の心臓は早くて、私の鼓動の速度も引き連れた。触れたマントは外の温度だったけれど、肌はクラッカーさんの体温が篭っている。

もっとはやくこうしておけばよかったと思った。クラッカーさんと共にいる時間は相変わらず苦痛を伴ったが、言葉もなく抱きしめ合っていたら、まるで彼は私の片割れのような気がした。

「……クラッカーさん」
「…………」
「あの夜、本当は、なにもなかったんじゃない?」

クラッカーさんは身じろぎせず、なにも答えない。数分してから、互いに顔を見合わせた。

背が高くて、その顔がとても遠いけれど、クラッカーさんが片膝を着いてくれたから、背伸びをすれば届かないことはない。クラッカーさんも体をかがめて、頬を寄せ合った。

そこで初めてキスをしたのに、その遠慮がちのさぐるような唇は、私を懐かしい気持ちにさせたものだ。


「ナマエ」

ナマエ。


髪に埋めていた顔を離した彼は、私の目を見ながら、ひとつひとつ、私のシャツのボタンを外した。丸裸にしたあと、自分も身に着けていたものを脱ぎ去って、鋼のような筋肉質の胸を覗かせる。私を脱がせるときは、割れ物を扱うように慎重だったのに、彼自身が自分で衣服を脱ぐのは、乱暴な動作だ。

「あぁ……」

ため息混じりに声を漏らしたその喉元が、汗で湿っている。体を折り曲げられて入ってきたそれはとても硬く大きい。ぴくりと脈打って、余裕がないのに、摩擦させる動作は目を開けられないほど激しい。

こめかみに血管を浮き立たせ、鈍く汗ばんだ素肌と、私の目を見ようと焦る姿が、普段の姿からは想像もできないほど野性的で。
それなのに、手を頬に伸ばしたら、不意に叱られた子どもみたいな顔をした。

泣いているのかと思って、その顔を覗き込んでも、怪訝な瞳と目が合うだけだ。
何度も一緒に寝たのに、彼の寝顔を見ることはついぞない。
私が寝つくまで彼は天井を見てじっとしている。寝たふりをしたらそっと顔を眺めてくる。

抱くときはまるでスポーツみたいに過激なのに、それ以外の場面で触るのにためらいを感じているらしい。変なの。

クラッカーさん。
麦わら海賊団との抗争後、遠征に出たままもうずっと戻ってこない彼の喪失は、私をいくつか老けさせた。

カタクリさんは麦わらの少年に敗北してから、ますます精力的に働いている。
カタクリさんの孤独や疲労の捌け口は、どこにあるのだろう。
一度、そういう雰囲気になったが、カタクリさんは私の額にキスしただけで、すぐに離れた。そのキスは、私とカタクリさんがこれから永遠に一線を超すことはないと決定づける、肉親のキスだった。
カタクリさんは強い人だ。
私やクラッカーさんとは、別の人なのだ。

クラッカーさん。
クラッカーさんと体を寄せ合っていると、互いの孤独の胸の内が、ひとつになって慰められた。そして泣きたくなった。自分でも気づかなかったような小さな心の傷が、クラッカーさんの胸の中にいると、大きく膨らんで孵化するようだ。だがそれは精神を乱すのではなくて、むしろ穏やかにさせるための道程だった。

彼は最後まで、私の本当の気持ちを知らないままだったと思う。
これから彼のいない毎日を、どう過ごしていくか考えると、気が遠くなるけれど、いままでどおりの平凡な日常を守り続けるだろう。

クラッカーさん。
そう呼ぶたび、戸惑ったような、傷ついた顔で私を見た彼を思い出す。

クラッカーさん。
クラッカーさん、あのね……


“どうした。なにがおかしいんだよ。
 なぜ笑っているんだ?”


クラッカーさんの神経質な声を、ふわりと、記憶の引き出しの中で探し当てる。

部屋にひとりでいると、よくそうしていたように彼が、私を後ろから抱きしめているような気がする。
そのたびにそっと笑みを結ぶ。

あの大きな広い胸は、いまでも私の場所。
だから悲しいけれど寂しくはない。
あの人が私を見守ってくれている。

消えたはずの彼のビスケットのような匂いと、
熱い体温を、

たしかにそばに感じるのだ。





拝啓、きみへ。

最後に笑ったのはいつですか?




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