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颯爽と街を歩く彼の胸の中、風が心地よい。
冷たい風が身体を掠めるけれど、彼と触れ合っている部分だけが微かに熱い。
このまま、どこまででも行けそう。
この人と一緒なら……。
なぜか、そう思った。
「あの、ありがとうございました。助かりました。」
私たちは、馬鹿でかい広場のベンチに腰を下ろしていた。
「お前は、」
「は、はい」
「なぜ逃げていたんだ」
「え?」
「あの城の二階から飛び降りるくらいだ、相当な理由があるんだろう」
すこし迷ったけれど、助けてもらった分際で嘘はつきたくなかったので、素直に経緯を説明することにした。
「私、結婚相手が決められてるみたいなんです。そういう家柄なんですかね、私の家って。(夢の中だけどさ)」
「……」
「で、今日はその親が決めた許婚?という方と会う日だったらしく……嫌で逃げたんです。
結婚相手は自分で決めたいじゃないですかぁ、
ねぇ?」
言ったら、『許婚!?』とか驚かれるかな、と思ったけれど、彼は平然とただ一言「……そうか。」と呟いただけだった。
あれ……?
それだけ?なんだか拍子抜けしちゃう…。
でも、彼は少し不機嫌そうにも見える。
ちょっと気まずい雰囲気だし、困ったなぁ…。
「……あの、」
「?」
「どうして一緒に逃げてくれたんですか?」
なにか話すことはないかと考えて、思いついたのがこれだった。見ず知らずの私を連れて逃げても、得をすることなんて一つもないはずなのに、それなのにどうして?と思ったのも事実だった。
その人は私の質問に、しばらく目の前のチョコレートが流れる噴水を眺めていたけれど、ふと私の方を見て、落ち着いた口調で言った。
「お前だからだ。」
「へ?」
「……お前、だったからだ。」
その瞬間、私の心臓はドクンと音を立てた。
自分の顔が熱くなるのがわかる。
「あ、あの……それって……?」
――プルプルプルプル……
どういうことですか、と聞こうと思ったとき、彼の携帯電話が鳴った。けれど、胸ポケットから取り出された携帯電話を見てギョッとする。
……カタツムリ?
やけに変わったデザインの携帯電話だなーと、彼の手に持たれたカタツムリ型のそれを、じっと見つめてしまう。
「……ん、どうした」
「……あ、いえ……。」
私が両手をブンブンと振って視線を逸らすと、彼はボタンかなにかを押して、話し始めた。
「……俺だ。……ああ、忘れていた。……
……いや、いま近くにいる。すぐに戻る。」
敬語で慌てふためきながら話していた電話の向こうの女性の声がスピーカーからだだ漏れだった。彼は話し終えてから、そのカタツムリを胸ポケットへと閉まった。
え、潰れないのかな?そのカタツムリ……
あっ、もしかして……
彼女?それか、奥さんとかかな。
もしそうだったら、付き合わせて悪いことしちゃったな。
途端に、さっきまでの胸の高鳴りが嘘のように消えた。なぜだかわからないけれど、ものすごく落ち込んでいる自分がいる気がする。
もう帰ろうかな……
私がこのままここにいたら、さらに迷惑だろうし。
そんなことを思っていると、急に彼から声を掛けられた。
「すこし付き合え」
その人は、すくっとベンチから立ち上がり、隙のない動作でさっさと歩き出してしまう。
「あ!あの……私、もう帰ろうかと……」
私が立ちあがって、もじもじとしていると
「心配するな、ちゃんと送り届ける」
彼は立ち止まって振り返るとそう言い切って、また先を歩き出した。
あの……
そういうことじゃないんだけどなあ……。
この人は、すごく強引な人だ。
でも不思議、全然嫌じゃないや……。
歩幅の大きい彼のあとを、私は必死で付いて行く。ふいに彼が言った。
「お前、ドーナツは好きか」
と。気が付けば、彼が私に合わせてゆっくりと歩くスピードを緩めてくれていたことにも気付いた。
「えっ?」
「ドーナツだ。」
お菓子の?ドーナツ……。
小さい頃から、数ある洋菓子の中でも、それが一番わたしの大好物だった。
『 糖分こそ力の源なんだ 』
『 俺はドーナツが好きだ 』
昔よく夢に見た、一緒に遊んでくれた男の子の言葉を思い出した。
「……好き、……です。」
そう答えたときの、彼の横顔がとても綺麗で。
微かに目尻を下げて微笑んだであろうその横顔に、私の心臓はまた速く動き出した。
しばらく歩いて、彼は海岸で足を止めた。大きな船が止めてある。躊躇う私をよそに「乗れ」と、うながす彼。
ドレスのせいか、船なんて乗り慣れていないせいか、なかなか船の上に乗り込めないでいる私を、慣れた動作でエスコートしてくれた彼を見ながら、もしかしてこの人、この国の王子様なのかな、なんてメルヘンな思考を頭の中で巡らせた。
辿り着いた島、コムギ島——
「コムギ……島……?」
「そうだ、俺の治めている島だ。行くぞ」
言って彼はすたすたと先を歩いて行く。急いで後を追うが、こんなドレス姿の私が、普通に考えて目立たないわけがなかった。
「あ、 あのっ!」
「……なんだ」
「すごく見られてるんですけど……」
「ああ、気にするな」
行き交う人々の注目を浴びても、彼は気にすることなく隙のない動作で華麗に歩みを進めて行く。
程なくして、辿り着いた先は私が飛び降りたお城より少し小さめのお城。(でも充分、立派だけどね)
「お城……ですか?」
「ああ、俺の住む城だ。」
そう言って彼は入り口へと向かって行く。
門番が「おかえりなさいませ!」と言って門を開け放つ。
ああそうか、
確かに、見た目も風貌も、島を治める長っぽいもんね。城に着くまでのあいだも、私の恰好は置いておいたとして、皆が道をあけて頭を下げていたっけ。やっぱ、王子様か……
「あら……?兄さん、その方は………?」
気づくと、すごく可愛くて小柄な女の子が城の中から出て来た。私は慌てて軽く頭を下げた。
「プリン、こいつはナマエと言う。宜しくな」
「え?ちょっと、兄さん……!!?」
私とプリンさんが呆然とする中、彼は城内へと入って行く。
……あれ?
わたし、名前言ったっけ?
そういえば彼は、最初から私のこと知ってるみたいだったな……。
え? どうして?
「あなた、ホールケーキ
「えっ?」
急に横から声を掛けられてはっとした。
「その服、お見合い用のドレスでしょ?どう見ても」
「あ、はい……」
「じゃあ、あなたなのねっ!!」
始めは不審そうに私を見やっていた彼女が、とたんにパッと顔を輝かせて私の手を握ってきた。
「さすが兄さんが選んだだけあるわね」
「え……?ちょ、ちょっと、待ってください」
「窓から脱走するなんて、只者じゃないわ」
私の言葉をさえぎってふふんと鼻を鳴らしながら言った彼女に、思わず口を噤んでしまった。
なんだ、妹さんか……
こんな可愛い子が彼女じゃなくてよかった…。
あれ?
なんでわたし、安心してるんだろ?
彼に彼女がいたって、わたしには何の関係もないのに。
どうして
こんな気持ちになるの?
「違うの?きょう兄さんの許婚が脱走したってモルガンズの連中が大騒ぎしてたわよ?」
「え……?」
「ほら、兄さんってママの一番のお気に入りじゃない?割と自由にさせてもらってるみたいだけど、将来に関わることには厳しいって前にダイフク兄さんたちから聞いてたから」
……ママ?お気に入り?ダイフク兄さんたち?
あれ?ちょっと待って、あの人って……
「あ、あの……」
「ん? なに?」
「お兄様の、名字は……?」
「ええ? シャーロットよ。私も、シャーロット家の一族なのよ」
「……!!!」
もしかして、あの……?!!
そうか、……そうだったんだ
だとしたらすべてが繋がる。
どうしてあの場にいたのか、
どうしてわたしのことを知っていたのか
私の許婚とやらが、
もしも、あの……
あの、私の思い描く人だとすれば……
ああ、こんなことなら逃げ出さなければよかったのかもしれない。でもあのまま会ってたら、こんな気持ちは抱かなかったのかな……
「おい、早く来い」と城の中で腕を組んで、壁にもたれかかって私を待っていてくれている彼は、すごく退屈そうにしていて、でも律儀に待ってくれているあたりが優しくて、また、ずっと昔の記憶が蘇る――
あの男の子も、いつも、すごく退屈そうに私を待っていてくれた。
夢に見た少年、
幼い頃によく見たお菓子の森の夢。
そこで知り合ったドーナツが好きな男の子、夢の中で毎日一緒に遊んだ。
そう、名前は確か……
『 俺の名前はシャーロット…… 』
なんとか、昔の記憶を頑張って呼び起こしてみようと試みる。
「……カタ…クリ、くん?」
「え? 何か言った?」
プリンさんが不思議そうに私を見やる。
私は慌ててごまかした。
「あ、いえ!! とりあえず中…入りますね」
言って、プリンさんに改めてぺこりと頭をさげて、彼の元まで駆け足で向かった。
目を瞑って腕を組んだまま壁に背を預けていた彼が、私の気配に気付いてこちらを向いたとき、目が合った。私はなんだか逸らすこともできずに、ただ見つめるだけだったけど、彼は微かに目を細めた。
眠くてとか、なんかそんなんじゃなくて、優しく笑ったみたいな、そんな瞳で。
けれど、それは本当に一瞬で、彼はまたすぐに姿勢を正して先を歩いて行ってしまうのだけれど、私はもう、その表情が忘れられなくて、ドキドキが止まらなくて、初めて感じるいろんな気持ちに戸惑いを感じずにはいられなかった。
廊下の窓、歩きながら外を見れば陽が傾きかけ、島内を赤く染めている。窓から射しこむ夕日が射す光の中を、彼とふたりで歩いている。
彼の歩くペースはすごく速くて、時々早足で追いかける。それに気づいた彼は、やっぱり少しスピードを緩めて、ゆっくりと歩いて私の歩調に合わせてくれる。
言葉なんて交わさなくても優しさが伝わる。
一緒にいると、ドキドキするけどすごく安心もする。
心があったかくなる、そんなことを感じながらも、私は口火を切った。
「あ、あの……あなたは、シャーロット家の御曹司なんですよね?」
「……、ああ」
「もしかして……わたしの許婚って……あなたなんですか?」
彼が、刹那ぴたりと足を止めた。
私もつられて歩みを止める。彼は振り向きはしない、それでも私はなんだか気まずくなってうつむいた。
「………やっと気づいたのか。もっと早くに気付くだろうと思っていたんだがな」
「へ?」
「俺は覚えていた、けれどお前は忘れていたな。しかも二階から飛び降りてまで逃げるとは……」
「………」
「そんなに俺との結婚が嫌だったのか」
え、……!?
覚えてた=@忘れてた≠チて……?
「ちょ、ちょっと待ってください!私と……
今日が初対面……ですよね?」
おそるおそる顔をあげて尋ねると、彼はゆっくりと振り返った。
「……お前、ふざけているのか?まだ思いださねえってのか」
いきなりのドスの効いた声に、思わずビクっと体が震えた。
どうして?
何? 何を忘れてるの、わたしは?
だって、あれは……
夢でしょ……?!
「ご、ごめんなさい……覚えてなくて…。
でも、あの……教えてくれませんか、いつどこであなたと会ったのか」
思い出せるものなら思い出したい、彼との記憶。それは何故だかわからないけど、とても大事なもののように思うから。
あの夢の、遠い過去の記憶以外に
なにか――
「……そうだな、まあ、ガキの頃の話だ……」
彼は大きくため息を吐いてから、腕を組んで顔を窓の方に向けて重い口を開く。
「俺のドーナツを勝手に食っただろう、しかも毎日な。」
え……ドーナツ…?
わたしが、毎日……?
待って、……まさか……
「そんなに食いてえなら、俺の住む城に来いと――」
「ちょ、ちょっと待って……!!」
「……あ?」
それは、わたしの記憶にも残ってる。
そんなに鮮明ではないけれど、そのときの夢≠アとは覚えてる。
だけど、
「わたしにも、そのお話と当てはまる記憶があるんです、同い年くらいの男の子と、よく遊んだってこともちゃんと覚えてます。その子からドーナツをもらったことも」
「あげた覚えはねえ、盗んだんだろうが」
「……え、」
「けどまあ、そうか……ならば――」
「だけどあまりにもイメージが違いすぎて…」
「……どういうことだ、」
すこし苛立っている様子の彼を、気遣うことなど今の私にはできるはずもなく、もうほとんど頭の中では成り立ってしまった仮説を決定づけるべく最後の質問をする。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「あなたのお名前は……?」
おそるおそる尋ねた質問の答えは、またもやひとつ、大きなため息を吐いてから返された。
「——カタクリ、だ。」
「………!」
「俺の名は、シャーロット・カタクリと言う」
カタクリ――。
本当に、本当にそうなんだ
今わたしの目の前にいるのは、あれから数十年経ったカタクリくん≠ネんだ。
「で、それがどうしたっていうんだ」
辿り着いた大きな扉の前に立って、カタクリさんは納得がいかないといった表情を浮かべている。
それとは反対に私は、すべての疑問がやっと解決して、そして数十年ぶりにあの男の子に会えたことで、なんとも言い難いすっきりとした気分だった。
「思い出しました、」
「………」
「カタクリくん、……だったんですね」
言って、わたしが笑うと、その大きな扉を開け放ったカタクリさんは、呆れながら、でもちょっと安心したように言った。
「……もうその呼び名はやめろ。それよりも、思い出すのにどれだけ時間を要するんだ」
面を食らいながら私も、その広い部屋へと足を踏み入れた。
高級タワーマンションのごとく壁一面が窓かってくらいの壁面と、備え付けられている豪華なソファにシャンデリア。そこに腰を掛けたカタクリさんが私にも座る様に促す。おずおずとカタクリさんの目の前のソファに座って私は言った。
「カタクリくん≠フことは覚えてましたよ、ちゃんと。今のカタクリさんとイメージが結びつかなかっただけです」
「どんなイメージだ、変わらねえだろう」
「昔は身長も、私とそんなに変わらなかったですし……」
「ああ、……それはそうかも知れねえな」
「もっと優しそうで、なんというか……可愛らしかったですよ! あ……。」
しまった、余計なことまで……!!
気づいたときには既に言ってしまった後で、私はてっきり今までのカタクリさんの言動から「あ?」と、怒らせてしまうかと思ったけれど、カタクリさんは、ふっと小さく笑って
「今じゃあすっかり、男前になっただろう」
なんて、優しげにつぶやいた。
「へっ!? いや……あの……」
いきなりのカタクリさんの予想外の言葉に、わたしはどうしたらいいのかわからず戸惑うばかりで。
そんな私を一瞥して、カタクリさんは楽しそうにちらりと、窓の方を眺めた。ソファからでも島全体を一望できるほどの大きな窓。そしてそれを眺めるカタクリさんの横顔がなんか、すごくきれいで。
あ……
この横顔はなんとなく、面影があるかも。
数十年経っても変わっていないところもあるんだな、と気づく。
そういえば優しいところも変わっていない
昔も今も、私のことを気遣ってくれた。
そして何より変わっていないところ、それは
「ドーナツが好きなのは、今も昔も変わってないんですね」
ドーナツの話をすると、カタクリさんの表情は変わった。実際は変わってないのかもしれないけれど、なんだか瞳がキラキラと輝いているように見える。
「ああ、だがドーナツが好きだと思ったきっかけは、お前かもしれねえな」
「え?」
わたし……?
カタクリさんは、窓からこちらに顔を向けて目を潜めながら話し始める。
「もちろん菓子は全般好きだったがな……
昔、ドーナツばかり好んでお前が盗んでいった。隠れもしねえで毎回堂々とな。」
「………(なんて、はしたない事を……)」
「お前が盗んでいるのかと問うと、もっと欲しいなんて言うから、俺も得意になってずっとドーナツばかり置いていた」
確かに毎日のように見た夢の中で、籠に入ったドーナツを盗み食いしていた。幼いながらにきっと、バレバレなんだろうなと思いながらも、楽しかったよ。
紫の髪をした女の子に「これはお兄ちゃんの!」と怒られて喧嘩したり、喧嘩で負けて泣いていると、いつもカタクリくんが仕方ねえって顔しながらドーナツを手渡してくれたのを覚えている。
「自分の好きな物を他の者も好んでいると喜しくてな。菓子ひとつでこんなに喜んでくれるのか、だったらもっと美味いドーナツを置いて喜ばせてやろうと…子供ながらにそう思っていた」
「………」
「いつの間にか、ドーナツに夢中になっていたが、きっかけはお前だったのだと思う」
「そんな、わたしは……」
否定しようとした私に、カタクリさんは私の方を見て「本当に、そう思う」と、付け足した。
わたしはそのときまた、胸がかぁっと熱くなるのを感じた。今日だけで何度こんなふうになったのだろう。この気持ちが一体何なのか、わたしにはまだわからないけれど。
ひとつだけ確かなことがある
わたしをこんな気持ちにさせるのは
カタクリさんだからだ、ということ。
もしかしたら、心のどこかでは気づいていたのかもしれない。なにかを感じ取っていたのかも。
そうじゃなかったら、きっと初対面の人に付いてなんか行かない。それが、たとえリアルすぎる夢の中だとしても……。
わたしは、カタクリさんに特別な何かを感じてるんだ。
それは説明できるようなものじゃなくて
もしかしたら、こういうのを運命と呼ぶのかもしれない――