3/3


「カタクリさん、あの…」
「……?」
「今日は、ごめんなさい。勝手に逃げて、あなたまで巻き込んでしまって……」

今日のことはきっと、私だけじゃなくて、カタクリさんもご両親から叱られることになる。

カタクリさんは何も悪くないのに、私の身勝手な行動で迷惑をかけてしまった。本当に悪いことをしてしまったと思う。

「気に病むな。俺もああいった堅苦しいのは苦手だ。」
「………」
「もともと、少しだけ顔を出してすぐに出ようと思っていたからな」

だけど、カタクリさんは本当に何でもないことのよう許してくれる。すごく優しくて、強くて、頼れる人だと思う。

本当に、今日は逃げ出さなきゃよかった。
夢の中だったとしても、親が選んでくれた人を信じればよかった。

こんなにも素敵な人と
再会することができたのに……。

今さらこんなことを言うなんて、ずうずうしいことだと思う。だけどせっかく出会えたのだから、だから――

「あの、自分から逃げといてこんなこと言うなんて、許されないかもしれないですけど」
「ん?」
「私は、結婚する相手を親に決められるなんて、冗談じゃないって思ってました。私はまだそこまで想えるような恋愛なんてしたことないけど、自分が心から愛する人と、心から一緒になりたいと思える人と結婚したいって」

いきなりこんなこと言いだして、カタクリさんは驚いていると思うけど、あえてカタクリさんを見ないようにして、うつむき加減で続けた。

「だけど、今は両親にすごく感謝しています。逃げ出したことを後悔しています。それは、なんでか……わかりますか?」
「……、いや……」
「相手があなただったから。親が決めた相手が、カタクリさんだったからです」

わたし今、とんでもないことを言っている気がする。

心臓はバクバクと大きな音をたてているし、恥ずかしくて顔から火が出そう。だけど止まらない、顔が赤いのは夕陽のせいにして、すべてを伝えなきゃ、と思った。

「カタクリさんと一緒にいるとすごく楽しくて、ドキドキして、時々胸がきゅって苦しくなって、だけど全然嫌じゃなくて……。」
「………」
「初めてなんです、こんな気持ち……。
初めてだからわからないけど、きっと、この気持ちは――」

もういい、
勢いで言ってしまえ……!
そう思っていたときだった。

「ひとつ言っておくが、」
「……はい?」
「お前の親が決めたことじゃねえ、今回のことは」

カタクリさんの言葉で、私の勢いがさえぎられる。

「——…… え?」

両親が決めたことじゃないって――
じゃあ、 誰が……?

「お前が俺がいいと、言っていたらしいがな」
「……、えぇっ ?!」

衝撃で先の言葉を飲んでしまった。ごくりと。
親に結婚相手を決められるのが嫌で逃げてきたというのに……
自分が決めていたなんて――!!!?

「ウソ……、」
「嘘じゃない。お前、自分で指名しておいて、忘れるんじゃねえ」

カタクリさんは完全に呆れ顔だった。

そりゃそうだよ、
わたしって、なんてバカなの……

ああ、たしかに……
夢のはじまりが中途半端だった。
この夢の序章プロローグは、
そんなことになっていたのか……

……っていうか、周りに迷惑かけすぎ。

「あ、あの……じゃあ、相当ご両親は怒ってらっしゃるんじゃ……」

指名しといて逃げるなんてあり得ないよ…!!

おそるおそる、カタクリさんを見やってたずねる。

「……、いや。さっき船に乗っているあいだママに連絡をした。ナマエと一緒にいると言ったら喜んでいた」
「……へ?」

喜んでた?
ママ? 誰のママ……?

「ママも昔はお前を気に入っていた。俺らがうまくいけばいいと思っているのだろう」

カタクリさんは、淡々と言い退けるけれども、私はあまりに拍子ぬけしたために、体の力が抜けてしまう。

「……ん? どうした」
「……、よかった……」
「……あ?」
「婚約の話…なくなっちゃうかと思った…」

結婚なんて今はまだ何もわからないけど、今思うことそれは……

カタクリさんと、
一緒にいたい――。

会った瞬間から何か感じるものがあった。
たった数時間の間に、どんどんあなたに惹かれていった。

きっとこの気持ちは恋だと思う、
会って間もないけれど、ううん
もしかしたら数十年前に会ったあのときから、私はあなたに恋をしていたのかもしれない。

初めての恋
なくしたくない、大切にしたい。


「よかった、本当に……。」

大きく安堵のため息をつくと、カタクリさんは長い手を伸ばして来て、テーブルを挟んだ私の頭にその手をのせて、がしがしと乱暴に撫でた。

「安心していい、そんなことはさせない。」
「え?」
「お前にあんな熱烈な告白されたら、なぁ?」
「……っ?!!」

カタクリさんは、からかうように目を細める。安心することで忘れていた恥ずかしさが蘇ってくる。

「あ、さっきのアレはっ……!!」

本当のことだけど、思わず否定してしまいそうになったとき、カタクリさんが私の頭からすっと手を離して、またその長い腕を胸の前で組んで、ソファに背をあずけて言った。

「それに俺も、どこかの知らねえ令嬢よりも、初恋の相手の方がいい」

え………。
初……恋……とは?

「え?」

疑問の表情を浮かべる私に、カタクリさんは微かに眉間に皺を寄せて、もう一度言う。

「俺の初恋は、お前だ。」

そのはっきりとした言葉で、カタクリさんの言っている意味を私はようやく理解することになる。とたんにかーっと顔に血が上って真っ赤になる私。

「えぇ?! わ、わたし !?」
「言っただろう、お前を喜ばせたくてドーナツが好きになったと」

ほ、本当に……?
嬉しいけど、でも、それよりも驚きの方が大きい。

カタクリさんが……わたしを……?

……やだな、昔のことを言っているだけなのに。告白されたわけじゃないのに、顔の熱が引いてくれない。

わたしもきっと、初恋はカタクリさんで、きっとそれは夢の中では現在進行形なんだけど、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えない。

「さっきもドーナツと言ったら嬉しそうに目を輝かせていただろう」
「………」
「お前が全然変わっていなくて安心した。だからきっとナマエとなら――」
「え?」

わたしとなら……?
カタクリさんはそこまで言いかけてから、「いや、いい。」と顔をそむけて付け足した。

なにが言いたかったんだろう?と首を傾げる。そんな私を見やって、カタクリさんの瞳が優しく細められる。

「まぁ、今すぐ結婚ってわけじゃねえ。お互いにゆっくりやっていけばいいだろう」

わたしに向けられている優しい眼差しと優しい言葉。わたしも、とびっきりの笑顔で応えた。

「……はいっ!」


それから数日間、この夢の中で過ごした。
なんど眠っても、目を覚ますと、この世界だ。

長い夢を見ているんだな、そんなふうに思って過ごしていたけれど、出来ることならば……

醒めないで欲しい――

そう思っていた。


カタクリくん≠ヘ止めろ、とカタクリさんが言うので、無理やりに呼び名をカタクリさん≠ノ訂正された。

一緒にいられるのが嬉しくて何度もカタクリくん≠ニ呼ぶと、「もう勘弁してくれ」と、照れたように困るカタクリさんが、たまらなく愛おしかった。

少し前を歩く大きな背中と、しっかりと私の歩幅に合わせてくれる長い足。ときおり人の往来をかばってくれる、逞しい腕。


この人となら

カタクリさんとなら、きっと――……


「なにをニヤけている」

せっかくちょっと先の将来を夢見てたのに、カタクリさんが眉間に皺を寄せて言うから

でもその夢が実現しますように、と願いながら
もう夢から醒めないでと、願いながら――

「カタクリさん、これからもどうぞよろしくお願いします!」

言ってわたしが笑うと、カタクリさんも優しく目を細めて、その大きな体をかがめて、頭を撫でてくれる。

言葉じゃなくても、伝わる返事。

ありがとう、そしてよろしくね。


わたしの初めての恋は

まだ始まったばかり――





*****





ナマエの頭を撫でていた手を離して俺が立ちあがると、名残惜しそうに俺を見上げるその愛おしい表情。

子供の頃に出会った彼女は、ブリュレが痛めつけられた事件以降、ぱたっと姿を現さなくなった。

数十年ものあいだ、ずっと探し続けたが
彼女を見つけることは出来なかった。

プリンの結婚、麦わら海賊団との抗争。
ワノ国で、あの麦わらの少年がカイドウを落として早、数年。

ペロス兄、遠征時に突如、俺の電伝虫が鳴った。

『カタクリ、見つけたぞ――』

そこから、俺はなんとかしてこの政略結婚≠ワで漕ぎつけた。

切に、願う。

頼むから、もう

消えないでくれ――、と。


俺はナマエのいる世界に存在しているのか。
子供の頃も、もちろん今も、身の程はわきまえているつもりだった。

なのに、お前に出会ってからの俺は、その笑顔、艶やかな髪、くすぐるようなその笑い声に夢中になっていた。

こうして、数十年経ったいまでも鮮明に思い出せる、ナマエのことなら、すべて。

時を経て、また巡り会えた俺にも、ちゃんと芽生えてくれたその気持ちに、俺も真っ直ぐに答えたいと思った。

お前を想う気持ちだけで言えば、俺はこの国、この世界できっと第一位だ。そんな恥ずかしいだけの言葉がしっくりくるのが笑ってしまうほどに。

将星も、最高傑作も、肩書なんかいらないと思えるほどに、お前だけの、ナマエだけの特別でありたいと思う。


もう、俺のそばから離れないで欲しい。
あの頃、ガキの頃から思っていた。

いつか、
自分だけのものにならないか、ってな。


その優しさも、素直さも、少しずるい愛嬌も
明るさに潜む影も、一つ一つが刺さって

どうしようもないのが恋なら
素敵で痛い残酷さが恋なら

もはや抗うでもなく自然に、
俺はただ、ナマエが好きだ。



私は覚えている。
遠い昔、よく見た夢の中で言われた彼からの言葉。

『もしもお前を泣かせるような悪いやつがいたら俺に言えよ』

『威勢よく飛び出して駆けつけて、俺がお前を守るからな』

憧れて、諦めて、また浮かべて繰り返して
何回も、私の夢の中でさよならして、また出会った。

だから、もう
私はこの気持ちに、まっすぐに
素直に向き合って、生きていきたいと
切に願うよ。

あなたの、
カタクリさんのいる、この世界で――



言い訳も、ごまかしも、嘘も何もかも全部
通用しないのが恋だと言うのなら、仕方ない。

幼かったお前が
大人になってまた現れて、

今日も、ナマエが、
本当に綺麗だから。


その笑顔が消えぬように、

命をかけて
お前を守ると誓う――。





永日、うたた寝

初恋がきっかけの政略結婚